南大島:警備隊第一詰所(3)
*
背後で、音が鳴った。
リンはぎょっとして、飛び上がりそうになった。かた、かた、かたかた、と背後の壁が鳴っている。そのうち、ぽん、ぱたん、とかわいらしい音がした。リンの体勢からは見えない場所だが、モーガンがそこを見て、言った。
「アリエノール君。……知り合いかね」
「はっ? えと、だれ、ですかね」
「残念だが人相がいいとは言えないね。姫君を救出に来る王子のような外見だとは言いがたい。目が少々細すぎるし吊り上がってい過ぎる」
「ベネっ、」
「人相悪くて悪かったな……」
まがう事なきベネットの声がした。
「しかもその説明ですぐわかりやがったなアリエノール。後で覚えていやがれ」
あんまりほっとし過ぎて、言葉がうまく出なかった。リンはあえぐように言った。
「あの、なに、してる、ん、です、かね」
「もうちょっと下がれるか。手が届かねえよ……もう少し。よし」
リンの指先に、冷たいものがかろうじて触れた。なんとか指先で挟んで握り直すとそれは、ナイフの柄だった。リンは唾を飲み込んで、必死で首をねじ曲げ、ナイフの届く範囲にあるロープの隙間に差し込んだ。でもなかなか難しかった。無理な体勢だったし、手首の擦り傷も痛いし、指先にすぐに感覚がなくなってしまった。それでもやめるなんて絶対に出来ない。呻き声を漏らし格闘するリンの努力を見守りながら、ベネットが言った。
「で、あんたは誰ですか。縛られてるしアリエノールと仲良くしゃべってたから、あっち側じゃないことは確かですけど。俺はベネット=ラズロールです。ガストン指導官の下で」
「そうかね、ラズロール君、どうぞよろしく。僕はアルフレッド=モーガンだ」
「やっぱり」心当たりがあったようだった。「大島にいたんですか。じゃあ一緒に助けちゃって大丈夫ですね。……けど先生、救出にくるような王子みたいなハンサムでなくて、悪かったですねえ」
根に持っていたらしい。モーガンはまじめにうなずいた。
「いいんだよ、ラズロール君。男は顔じゃない。大丈夫、その内きっといいことあるとも」
「……なんで励まされてんですかね俺」
「つっ」
リンはうめき、ナイフを取り落とした。大きな音がするかと思ったが、床に落ちる前にベネットが受け止めた。それをまたリンの指先に戻してくれる。
「今やってたとこ、もう少しで切れるから頑張れ」
そんなことまで言ってくれる。リンは礼を言い、再びそこに差し込もうとして、首と肩と手首と指先の痛みに辟易した。
「……そこから届きませんか」
「届いてたら初めから切ってやるだろ」
「そっか……あたしの努力をあざ笑ってんのかと思いましたよ。よっ、と」
何とかナイフをねじり込んで、ベネットの言葉を信じて再び始めた。ベネットが毒づいた。
「お前な、人をなんだと」
リンは叫んだ。かろうじて小声で。
「……だってこないだここで研修だったとき!」
「悪かったよ」思いがけずあっけなく謝罪の言葉が返って来た。「さっきすげえ反省したよ俺は……。あん時もうちっと説明してやっとくんだったって、ここまで這ってくるまで思ってた。悪かったな本当に。……でもあんな、鬼でも見たかのような顔して、よりによって敵んとこ逃げ込むことねえだろ!?」
「だってあなたが黒幕だって思ってたんだもん!」
「あああああ……」ベネットは呻いた。「だよな……そうだよなあ……今考えりゃそう取られてもホントしかたねえわ……言っとくけどな、俺は、夜の見回り帰ってすぐ、ガストンさんにだけはちゃんと報告したんだからな。ここ数日でガストンさんから聞かなかったのかよ」
「しゃべったらただじゃ済まさないって言ってませんでしたかねあのとき!?」
「出張所の奴らにしゃべったらただじゃ済まさないって言ったんだよ俺は! ガストンさんにはしゃべっていいに決まって……いや、悪かったよ。本当に反省してんだ俺は」
小声の、しかし激しい言い合いが終わるのを待っていたかのようなタイミングで、ようやくロープが切れた。反動で取り落としたナイフは、またベネットが拾ってくれたらしい。リンは手首と身体を一生懸命動かして動かして動かして、少しずつロープを緩めていった。縛られるのは二度とご免だと、つくづく思った。今さら悔しさが湧いてくる。縛られたときには痛くなかった身体中が、今はいろんなところがすり切れて痛い。悔しさに任せてリンは毒づいた。
「……そもそも初対面であんなに刺々しい態度取るから、あの見回りの時に、悪い人だったからだって思いこんじゃったじゃないですか。なんであんなに刺々しかったんですか。ガストン指導官の仲間だって他の人たちに悟られないようにするためなら、ガストン指導官に刺々しくするだけで良かったじゃないですか」
「……だから悪かったって……」
「なんであんなに刺々しかったんですか」
ようやくロープがほどけて床にばらばらと落ち、リンは手首をさすりながら深呼吸をした。くるりと振り返ると、床すれすれに通気口があり、小さな蓋が落ちていた。そこからベネットの顔がかろうじて覗いていた。ここから入って来るのはどう考えても不可能だ。腕が一本にょきっとつきだしていて、リンが屈み込むと、ナイフをもう一度渡してくれた。床に寝そべって床すれすれの小さな窓から見上げるという、その苦しそうな体勢のまま、ベネットが言う。
「その先生のロープも切ってやれよ。今なら狩人がいないから、勝手口から入って何とかしてやる。けどふたりは残ってるはずなんだ。武器も持ってるはずだ。俺が入ったらお前、こっちから扉開けて、奴らの注意を逸らしてくれ」
「な、ん、で、あんなに刺々しかったんですか」
囁き声で詰め寄ると、ベネットはついに悔しそうに言った。
「……八つ当たりだよ悪かったな! 研修中からあのゲン=リカルドに目ぇかけられてガストンさんにも“こっち”に入れるって明言されるなんて、羨ましかったんだよ畜生! 俺入れてもらったの保護局員なった初めの年で、かなり早い方だったってのが自慢だったんだぞ!? あっさり抜きやがって、くそっ! 今言ったことわかってんな!?」
「八つ当たり……!?」
八つ当たりをしているのは自分の方だと、重々わかっていながら、リンは憤然と身体を起こした。大声を出せないのが本当に悔しい。地団駄を踏みそうになるのをこらえ、囁き声で喚こうとするあまり喉が破けそうになった。
けれど構っている場合ではなかった。
「てか逆恨みじゃん、逆ギレじゃん、とばっちりじゃんバカ!」
「だから悪かったって言ってるだろ! 早く切ってやれよバカ!」
「覚えてろこのバカバカバカバカ、バーカバーカバーカバカ! バカー!」
「……そこまで言うかよ……」
リンはモーガンの方へ向かった。小さな声ながらも罵ったお陰で少し、縛られた悔しさが発散できたようだ。
モーガンはと見れば、笑いをこらえていた。苦しそうな顔をしている。リンが背後に回ると、くっく、と喉が鳴った。
「素晴らしい連呼だ。こう言ってはなんだが、グールドが気に入ってしまった理由が良くわかるよ」
リンは苦笑した。本当にすっきりしていた。
「ただの八つ当たりです。助けに来てくれた人に対して取る態度じゃなかったですね」
「いやいや」また喉が鳴った。「君は本当にすごい女性だ。リカルド君に目をかけられ、ガストン君が研修中でありながら“こちら”に引き入れようとしたというのも、本当に頷ける話だ。私は君が来るまで絶望のあまり無気力になっていたんだが、君と話す内に絶望を忘れてしまった。ラズロール君もきっと、君の啖呵を聞いて安心しただろうよ。さて……ありがとう」
モーガンは立ち上がり、手首をさすり、強ばった身体をほぐすように肩を回してから、にっこり笑った。
「ラズロール君の言ったとおりにしなければね。この状況であれだけの悪態をつけたのだから、彼もさぞ心強いことだろう。僕も最善を尽くすが……申し訳ないが僕は運動神経というものが皆無なんだ」
あまりに正直な告白に、リンは呆気に取られた。「……そ、そうなんですか?」
「そう。走るだけで足がもつれて転びかねない体たらくなんだよ。いや、扉から出るのは僕が先だ。一応男だからね、だが、覚えておいてくれ。僕は本当に、文献調査と想像力をちょっとばかり働かせる以外には、何ひとつ巧くできない人間なんだ。いざとなったら僕をおいていくんだよ」
「そんな……」
「約束してくれたまえ」モーガンは扉の前に行き、振り返った。「あのリストには僕の人生をかけた業績が載っている。あれさえあれば、例え僕はいなくても、【風の骨】が誰か他の人間に論文を書かせることが出来るはずだ。僕が書くより若干苦労をするというだけの話だ。いわば僕は、僕の魂を、安全な場所に預けてある状態なんだ。
だが君は違う。君はかけがえのない存在だ。これからガストン君と共にこの国を変えていく原動力となりうる存在だろう。だから、……こんなところで死んじゃいけないんだよ。いいね?」
その時、扉の向こう、出張所の方で、騒ぎが起こった物音がかすかに聞こえた。
モーガンはリンに頷いて見せ、さっと扉を開いた。




