南大島:警備隊第一詰所
グールド=ヘンリヴェントの持つ雰囲気は、相変わらず得体が知れない。
酷薄と言えるほど冷たく、断固たる意志を感じさせるかと思えば、不思議と人間味がある。柔軟で、柔らかい。なのに、酷く怖ろしかった。一緒に楽しくおしゃべりできるのに、警告抜きで殺される。そんな雰囲気のある男だった。
体中の産毛が逆立ってぴりぴりしていた。蛇に巻き付かれた蛙はきっとこういう気分だろう。グールドは満足そうに喉を鳴らして笑った。
「リン=アリエノール、だったよね? 相変わらず面白い子だよねぇ。絶対狩人向きの人材だと思うんだけどなあ。頭じゃなくて肌でいろいろ感じるっていうかさ。大事なことだよ、五感を重視して、頭で考え過ぎずにそれに従えるってのは重要な素養だ。僕の見た目で考えられる人物像よりも、肌で感じる脅威の方を重視している、逃げることは諦めてないけど、逃げたらもっと危険だって、やってみる前にわかってる。こういう反応してくれる子は大事にしないとね。んん、いい匂い」グールドはリンの首筋に顔をうずめて匂いを嗅いだ。「柔らかくてほんと美味しそうだな。またあんたを抱っこできるなんて思ってもみなかった。ね、ザール、この子は僕がもらうよ。いいだろ?」
ザールが吐き捨てた。「好きにしろ」
「決まり」
グールドは嬉しげに笑った。勝手に何を言うかと思ったが、声を出すこともできなかった。呼吸を保つので精一杯だ。
それにしても。
ザールがグールドと手を組んでいるようなのが、今さらだが、衝撃だった。グールドは紛う事なき狩人であり、ザールは、保護局員である。それも、かなりエリートの方の。
なのに、手を組んでいるというのか。狩人と、保護局員とが? 世も末だ、と言いたくなる。
グールドは合羽の上からリンの体をあちこち触りながら、さっき自分が座り込んでいた物置の前までリンをつれて行った。
「奥借りるよー」
何をする気だ。リンはぞっとした。が、ザールが止めた。
「もうすぐ迎えの時間だ。今はやめとけ」
「やだよ。すぐ済むって」
「冗談じゃない。やめてくれ」
「へええ? あんたもそういうこと言うんだ。まあこの子はルクルスじゃないしね、さすがに目の前で殺されちゃー可哀想だって思うか」
ザールの苦々しげな声が聞こえた。
「違う。物置を汚されちゃかなわない。掃除する身にもなってくれ。嵐が止んだら森の中でいくらでも楽しめばいいだろ」
――なんて奴だ。
リンがにらむのと同時に、グールドが嗤った。
「あーらあら。あんなこと言われちゃったよ、アリエノール。どうする?」
リンはやけくそになった。
「最低です、ねー」
「ねー! ほんとだよね、人が殺されるかどうかの瀬戸際に、物置の掃除を気にするって、人間としてどうかと思うよねー!」
「物置を汚すような殺し方をそんな嬉しそうにやる人もどうかと思いますけど、ねー」
グールドはにやりとした。
「面白いねアリエノール。なに? やけくそ?」
リンは息を吸った。
そして始めた。
「あたしをここで殺したりしたら……末代まで祟ってやる。ここにいる全員、あんたも所長もあいつらも全員、呪って呪って家中の人形全部髪伸ばして鏡に映って毎晩一晩中けたけたけたけた笑ってやるー!」
「怖っ! うわあそれ怖いね、じゃーさじゃーさ、枕元に座ってしくしく泣くってのは?」
「家中の花瓶という花瓶から緑色のどろどろの水があふれ出て止まらなくなる」
「えー! すごいな、じゃあじゃあ、うーん、毎日鞄に蛇が入り込むとか?」
「ムカデ」
「ひっ!」
「三十匹」
「ひいいっ!」
「久しぶりに出した冬物の衣類に袖を通すと、中には白ーい冷たーいうねうねの虫が」
「……!」
グールドを見据えて、リンは宣言した。
「みっしり」
「……あっははははははははははは!」
グールドはついに腹を抱えて笑い出した。しばらく床を叩いて笑い転げて、リンはその間に逃げ出したい衝動と戦わねばならなかった。笑い転げていても、この男から逃げられるような気がしない。
ひとしきり笑うと彼は体を起こして、再びリンに抱き着いた。
「相変わらず最高だねアリエノール」喉がまだくつくつ鳴っている。「殺すのが惜しいな」
「じゃあ殺さないで」
「まあそういうわけにもいかないじゃん? こっちとしてもさ、邪魔になるのがわかりきってる子を野放しにする余裕なんかないんだよねえ。わかってくれないかな」
軽い口調で勝手なことを言いながら、グールドは再び歩きだした。リンは今度は抗おうとした。あの物置に連れ込まれたら殺されるのだとすれば、絶対に入りたくなんかない。この男は態度の割に本気だ。そんなこと、半年前から骨身に染みて知っている。ベネットがあっち側、つまり、グールドやザールとは『反対側』なのだとしたら、嵐の中に駆け出せばまだベネットを捕まえられるかも知れない。
リンが手を振り払うと、グールドは笑った。
「逃げてみる? 鬼ごっこ? 可愛いなあ。いいよ、十数えるから逃げてご覧よ。いーち、」
リンが駆け出そうとした瞬間、ザールが鋭い声で言った。
「時間だ。グールド、遊びは後にしろ」
「えー! 何だよ、もう……あ、ホントだ。五時だね」
リンは構わず駆け出したが、すぐにあの細い腕がしゅるりとリンの腰に巻き付いて、ぐるりと視界が回って、気づくとリンは天井を見ていた。リンの身体をグールドが抱き上げていた。グールドの整った白い笑顔が視界いっぱいに割り込んでくる。
「残念だけど、遊びはまた今度だって。用が済んだらすぐ戻るから、ちょっと待っててよ。先客がいるけど、仲良くしてあげて」
「や――」
暴れようとした。でも、どこをどうやっているのか、ただ抱き上げられているだけのはずなのに、無駄な抵抗しか出来なかった。じたばたもがくだけで精一杯だ。グールドはあっさりリンを物置に連れ込んだ。先客というのが血まみれの死体だったらどうしようと、かなり本気で心配したが、それは四十代の半ばほどの、優しそうな顔をしたおじさんだった。気の毒に、椅子に縛り付けられている。その人の口元が切れて赤い血が流れているのを見て、唐突にリンの呪縛が解けた。リンは叫んだ。
「っ、なして! はなして! はーなーしーてー!」
「暴れないでよ。あんまり暴れると味見したくなっちゃうじゃん? でもあんたみたいな子を片手間に殺すのはもったいないからさ、味見したくないんだよね僕」
「食うの!? 食う気なの!? 楽しむってさっきから言ってるのって食べるってことなの!? 信っじらんないこのゲテモノ食い! 人間なんか美味しいわけないじゃん! 鶏さんとか豚さんとかのがよっぽど美味しいに決まってるじゃん!」
「いや実際食べたりはしないよ? ちょっとぺろってするだけだよ?」
「ぺろって何を!?」
「でも君なら美味しいかもね、やーらかいしいーにおいだしー威勢がいいしー変なことぽんぽん考えつくしーこういう状況でそれだけ騒げるってすごいよねー」
「何をする気なんだ、いったい!」
椅子に縛られていたおじさんが叫んで、グールドは構わなかった。壁際に立てかけてあったパイプ椅子を器用にも足だけで広げると、リンをそこに座らせた。どこからともなく手品のようにロープが出てきてリンを椅子に縛り付けていく。リンが両手を出す暇もなかった。魔法みたいに鮮やかな手並みだ。
「その子を放せ! その子は関係ないだろう!?」
「そうなんだよ、関係ないんだよねぇ」
グールドはあっさりと言って、最後にロープを固く結ぶと、できあがった作品を眺める芸術家のような視線でリンを見た。驚いたことに、どこも痛くなかった。けれど動けない。椅子を少しがたがた鳴らすことができるだけだ。
グールドは無言でがたがたするリンを見て、嬉しそうに言った。
「でももう僕のなんだ。楽しみだなあ」
「何を考えてるんだ!?」
「うるさいよ、モーガン」グールドは嗤った。「僕は今から仕事なんだ。勤勉なたちだからね、僕は。だからお楽しみは先に取っておこうと思ってるだけ。アリエノール、急いで戻るから待っててね」
「おいこら! 待ちたまえ!」
「もう黙ってなよ」グールドは戸口で振り返って、今モーガンと呼んだおじさんを見た。「――あんたの命運は尽きたんだよ。気の毒だね、アルフレッド=モーガン。一生懸命逃げてたのにねえ。あ、本当に気の毒だって思ってるんだよ? 【風の骨】があんたをエスメラルダから逃がそうって頑張ってたんだろ?」
――【風の骨】?
って、雪山にいた、あのウィナロフという若者のことではなかっただろうか?
リンが思う内にも、グールドは眉を下げた。
おちゃらけた表情に、ふと、真摯な陰が落ちた。
「彼は僕の恩人なんだ。だから出来ればあんたも逃がしてやりたいんだけどね。でもしょうがないんだ。僕は勤勉なたちなんだから」
「待――」
「じゃあね」
ばたん、と扉が閉まる。薄闇と静寂が落ちる。
リンもモーガンも少し頑張った。わめいたし椅子ごと跳びはねた。けれどグールドは当然ながら戻って来ず、外にいる誰かが怒鳴り声とともに扉を蹴っただけだった。リンは考えた。グールドの『仕事』が何なのかは不明だが、すぐ済むのだろうか。済んで戻ってきたら、それこそ一巻の終わりという奴ではないだろうか。
冗談じゃない。そう簡単に殺されるわけにはいかない。
「……あたし、リンです。リン=アリエノール」
言うと、モーガンがこちらを見た。本当に優しそうなおじさんだった。たくさん殴られたようなのが痛々しい。
「そうかね。僕はアルフレッド=モーガン。……何とかロープを解けないかね? 今ならあの狩人がいないから、逃げるのなら今しかないと思う。僕はさっきからずっと頑張っているんだが、全然解けないんだよ」
「それがあたしのも……うー」
しばらくやってみて、ロープが本当に全然緩まないのに愕然とした。物語などでの人質は一体どうやっているのだろう。すぐに手首に擦り傷ができて、涙がにじむほど痛むのに、自由になれそうな気さえしない。
リンはため息をついて、気力を奮い立たせるために、モーガンにもっと話しかけることにした。
「……モーガン、さん……もしかして、モーガン先生じゃないですか? 歴史学の」
訊ねるとモーガンはまたうなずいた。
「そうだよ」
「あ、やっぱそうなんだ……あの、じゃあ、マリアラ=ガーフィールドって、ご存じですよね? あたし、友達なんです」
「そうかね!」モーガンの顔がぱっと輝いた。「ガーフィールド君の友人なのかね! それはそれは、よろしく、アリエノール君。彼女は全く優秀な学生だった。孵化した時には本当に、こういってはなんだが、残念だったよ。彼女ほど有望な学生はいなかった。できるならばいつか、僕の跡を継いでほしいと、思っていたからね。……だが」モーガンは悲しげに笑った。「こうなった以上、彼女を巻き込むことがなくてよかったと、思うべきだろうな」
「巻き込む……」
アルフレッド=モーガンは生きていた。そう言ったゲンの声が耳によみがえった。
本当に、生きていたのか。
まあ、予想どおりってところだけどよ。
――狩人が入り込んだらしい……
前盗み聞いてしまった、ゲンとガストンの会話。すべてあの時から、つながっていたのだろうか。




