街中→海上
フェルドがうなずいた。
「ふたつある。まずこのリストが何なのかってことと、」
「もう絶版になってて、アナカルシスに持ってきゃ高値で売れるって本のリストだよ!」
「すごいなー、よくそんなにすぐもっともらしい嘘が浮かぶなー」
「なんで嘘って決めつけんだよ!?」
「もうひとつ。俺もマリアラも、ぜひ、モーガン先生に会いたいんだけど」
一転、ウィナロフは黙り込んだ。マリアラは足を踏み出した。
「お願い。わたし、モーガン先生の学生だったの。亡くなったと思った時、すごく哀しくて、会いに行ってなかったこと後悔した。生きてらっしゃるなら、もう一度会いたいの」
「……待て。亡くなった、って?」
マリアラはうなずいた。
「そうだよ。エスメラルダではそういうことになってる。わたし、お葬式も出たの。出張医療に行く二日前に」
「……マジかよ」
「そう。……やっぱり、生きてらっしゃるんだ……?」
「……くそっ、カルロスの奴、本当に手段を選ばないよな。わかったよ。でも俺は部外者なんだ。ラルフが出てすぐすごい嵐になったから、心配したラルフの保護者に、迎えに行ってくれって頼まれただけ。交渉ならそいつらとしろよ。そいつ送ってってくれんだろうな?」
言ってさっさときびすを返した。フェルドが声を上げた。
「どこ行くんだよ」
「帰るんだよ。ラルフが無事だったし島にも戻れそうだし、俺のやることはも」
唐突に声が断ち切られ、ウィナロフが立ち止まり、マリアラは、フェルドがウィナロフの前に風の壁を作り上げているのに気づいた。ウィナロフは何度か前進を試み、阻まれ、阻まれ、阻まれて、ついに長々とため息をついた。
「……ラクエルじゃなかったっけか」
「俺の二度目の孵化は風だったんだろ? あんたの入れ知恵なんだってな。その件についても礼を言いたいなと思ってたんだ」
「あああああ」ウィナロフは毒づいた。「一度目が光で二度目が闇? なんて無駄なことするんだよ――じゃあ光珠なんかわざわざ出さなくたっていいじゃないかよ!」
「顔も見たかったし」
違う、とマリアラは思う。フェルドの孵化は闇じゃなかった。今でも光がなければ風は使えないはずだ。今ウィナロフの前に風の壁ができたのは、ほんのかすかな光でさえフェルドには使えるからだ。でもフェルドは訂正する気はないようだった。当然だけれど。
「一緒に来いよ。あんたにはいろいろと聞きたいことがあるんだ」
「何を」
「端的に言えば、あんたって何者?」
「ウィナロフと申しまして狩人の役付やってますですーどうぞよろしくー」
「まあでも今はモーガン先生のが先だな。あんたがどんな風に係わってんのかも知りたいし」
「……」
ウィナロフは舌打ちをした。けれど、諦めたらしい。フェルドもそう思ったのだろう。こちらを見ないまま言った。
「マリアラ、ラルフを乗せてやって。俺はあいつを、」
「だから馴れ合うなっつうの! 魔女の箒に狩人を乗せんなよバカ! 俺は舟で行く!」
「あっそ。ご自由に」
フェルドはあっさり引き下がった。ウィナロフは憤然と嵐の中へ踏み出して行った。ラルフがマリアラを見上げた。
「俺は……箒に乗せてもらっていいかな」
「うん、もちろん」
「先行くよ。あいつから目を離さない方が良さそうだし」
フェルドは言ってフィにまたがって飛んで行った。マリアラはラルフを後ろに乗せて、ミフの保護膜を張った。ラルフの腕は乾いていたが、冷たかった。マリアラは光珠を左手に掲げたまま嵐の中へ飛び出した。光があれば、いくら魔力の弱い自分でも、雨にも風にも翻弄されずに済む。
「ウィン……ウィナロフとは、どういう知り合いなの? なんか、雪山でシチューを振る舞ってもらったみたいなこと、ちらっと言ってたけど……」
ラルフが言い、マリアラは首を傾げた。
「ここ一月くらいで、会うのは今日で三度目かな。最初はね、そう、雪山だったの。遭難しかけてたみたいで、わたしたちが雪山の人たちを助けに行った時に一緒に保護した。吹雪が止んで、気が付いたらいなかったけど……二度目はアナカルディアで。わたしが狩人に追われて落っこちた時に、雪山での借りがあるからって、助けてくれた。一晩匿ってくれて、駅まで送ってくれて、鉄道代まで出してくれた」
「へえええ……」
「狩人なのに、変な人だね」
「そう!」ラルフは高らかに言った。「そう、そう、そう! 変な奴!」
「ラルフは前から知り合いなんでしょ」
「あー……まあ……ね。ルクルスの居住区にずっと前から来てるんだよ。爺たちにも一目置かれてる。あ……内緒だよ?」
マリアラは苦笑した。
「うん」
「エスメラルダにどこから入り込むのか、俺たちにもわからない。いつもふらっと来て、ふらっと帰る」
「ふうん。ルクルスの居住区に……何しに来てるのかな? 勧誘……とか……?」
呟いて、自分で首を傾げた。ウィナロフは先日、狩人のことを悪し様に罵っていた。シグルドも、“狩人の本拠地が嫌いで”と言っていた。
ウィナロフは狩人の役付(偉い人、と言う意味だろうか?)をしているが、他の狩人とは一線を画する存在らしい。シグルドも、グールドに対しては敵対心を持っているようだったが、ウィナロフのことは嫌っていないようだった。そんな人が、ルクルスの子供を狩人に勧誘するために通ってくるなんて、あんまりしそうにない。
ラルフはか細い声で言った。
「……ごめんな、マリアラ。俺さ、狩人になりたかったんだ」
「ふうん」
「前はね。その……生活は苦しいし、ルクルスだから、他の普通の人間と関わるなって、言われるし。大人になって、漁で魚捕ってもさ、日々をつなぐので精一杯だ。冬になったら吹雪に怯えて、夏になってもどこにも行けない。そんな生活がずっと続く。真っ平だと思ってた。生まれてこなきゃ良かったのにって、俺をあそこに送った奴は、きっと思ったに違いないって、いつも思うんだよ。でも狩人は自由で高給取りで、ルクルスでも差別されないし、それどころか、ルクルスだからこそ、優遇されるような仕事だしさ。……だから」
「そっか……」
「知らなかったんだよ、俺」
ラルフは粛然と呻いた。
「魔女はみんな嫌いだって思ってたんだ。狩人は魔女を殺す仕事なんだって、知ってたけど。魔女なんて、ぬくぬく守られて優遇されてる、甘ったれの嫌な奴らばかりだって、殺して何が悪いんだって、思ってた。――でもさ。魔女でも、話が通じて、親切で、いろいろ親身になって助けてくれて、モーガン先生みたいな人が大好きで、乾かして温めて、風邪引くよって言って、いーから食えってシチューを振る舞ってくれるようなお人好しがいるなんて、――知らなかったんだ」
「……そっか」
「でもさ、半年前にあんたらに会って、なんかもう、わけわかんなくなっちまって……それを昨日、ウィンに言ったんだ。そしたらお前にはもう無理だって言われた。魔女を知った人間には、〈銃〉を持つなんて無理だって。憧れるようなものじゃないって」
「自分もそうなのに」
「そう。――自分もそうなのに。まだやめる気、なさそうなのに。でも悪い奴じゃないんだよ」
「知ってる。ちょっと怒りっぽいけど」
「そう? ああさっき、怒ってたね。ウィンがあんな風に噛み付くの、初めて見たな。あいつね、自分じゃ、否定してたけどさ。魔女を一人も殺したことないって、噂があるんだ」
マリアラは笑った。
「ありそう」




