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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の奮闘
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【魔女ビル】自室(3)

「時代はいつくらいなの?」


 マリアラが訊ねると、ラセミスタはうーんと唸った。


「……暗黒期の後ってことくらいしか」

「そっか……」

「相変わらず歴史オンチだよなーお前」

「フェルドに、だ、け、は、言われたくない」

「だいたいなんでそんな本読んだんだよ、普段魔法道具関連以外読まないくせに」

「だってその人ね、あの、ラズベリータルト作った人なんだよ! 固めの、クッキーに近いような生地の中に、酸っぱいジャムがたあっぷり入ってるあれ。あたしずっと前に食べて感動して、こんなお菓子作るなんてどんな人だろうって思ってて、それで図書室で偶然見つけてそれで」

「あーわかったわかった。他に覚えてることないのかよ」

「えっと……あ、剣豪の名前。変わった名前だなって思ったんだ、確か、ウェイン……ウェリン? そんな感じ」

「グウェリン?」とマリアラが言い、

「まさかアルガス=グウェリン?」とフェルドが言った。

「あーそー、それそれ、確か、グウェリンだった。あれ、有名人?」

「この歴史オンチ! しかもそんなことあるわけないだろ! アルガス=グウェリンは賭場で生活費すったり路頭に迷ったりしないの!」


 ラセミスタはむっとしたようだった。


「何その見幕。知り合いでもないくせに。確かにグウェリンって、名前だったもん」

「じゃあ違うグウェリンだろ」

「なんでそんなに自信たっぷりなの。あー、わかった。アルガス=グウェリンって、デクター=カーンに関係する人なんでしょう。フェルドの読む歴史物って全部それだもんね」


 フェルドは急に押し黙った。デクター=カーンの何がそんなに嫌いなんだろう、とマリアラは思う。ラセミスタが続けた。


「でも何百年も前の人なんだし、本当のことなんか誰もわからないじゃない。飲んだくれでろくでなしで、賭場で生活費すったかもしれないじゃない」


 フェルドは悔しそうな顔をした。


「……賭場なんか行かない。ちゃんと自分で稼いで、ちゃんと倹約してた。へそくりだってしてた」

「へそくり」


 マリアラは苦笑した。どんな本を読んだのか知らないが、そんな風に色づけされる人だとは思わなかった。ラセミスタが言った。


「だってフェルドが読んだのって小説なんでしょ。本当のことなんかわからないでしょってば」

「……そもそも奥さんがものすごい金持ちだから、路頭に迷ったりしねえもん」


 何だか駄々っ子じみてきた。ラセミスタが盛り上がった。


「お金持ちの奥さんがいるからお金にだらしなくなって、賭場に入り浸ったりしたかもしれないじゃん」

「し、な、い、の!」

「なんで言い切れるの!」

「だからさ、……デクター=カーンが」

「やっぱデクター=カーンだ。フェルドの興味って片寄り過ぎ。デクター=カーン以外全部の歴史オンチー」

「うっせえよ! とにかく! デクター=カーンが世界地図描いて旅してる最中に知り合うんだよ、その夫婦とさ。グウェリンは凄腕の剣豪なんだ。奥さんは普通の主婦なんだけど」


 何てことを言うんだ。


「ものすごいお金持ちって言わなかったっけ」

「ミラ=アルテナは普通の主婦じゃないよ」


 思わず口を出すと、フェルドがこちらを見た。


「……え? マジで? あのミラ=アルテナ? が、……奥さんなの?」

「そうだよ」


 マリアラは必死で自分を戒める。マリアラにとっては、例えば大気中には酸素が含まれている、と言うレベルの常識なのだが、普通の人にとっては常識とは限らない。知らないからと言って呆れたりしてはダメだ。だめだめ。

 しかし、言わずにはいられなかった。せめてもと、言葉を選ぶ。


「あの、雪祭りで雪像見たよね。ミラ=アルテナの雪像もあったよね、ほら、ほら、ミラ=アルテナの有名なモチーフとしては戴冠式があるけど、見たことあるでしょう? 矢を叩き落としてる三人のうちの、ひとりは弓使いで、ふたりが剣士なんだけど。剣士の内の、細身に描かれてる方が、アルガス=グウェリンだよ」

「そ、そうなんだ」


 ラセミスタはマリアラの心遣いなど一切無視してフェルドを指さした。


「なんだよー全然知らないんじゃんー」

「うっせえよ! でもほら! そっそれなら絶対飲んだくれたり賭場で財産すったりしないだろ!?」

「わっ、わかんないじゃん! 戴冠式ではさすがに飲んだくれなかっただけかも知れないじゃん!」

「あーわかったよ、じゃあ、今度〈アスタ〉に聞いてみようじゃねえか!」

「いーとも!」


 仲がいいなあ、とマリアラは思った。この二人には血のつながりはないはずだが、本当に、実の兄妹のように仲が良い。すっかり現在の状況を忘れて言い合うふたりをよそに、マリアラは心の中でミフにたずねた。


 ――見つかった?


 まだー、とミフが答えてくる。【学校ビル】を起点に、フィと手分けしてしらみつぶしに捜してくれている。小さく縮んでいるし、ミフもフィも防水加工も万全だから、嵐もちっとも苦にならないようだ。


 ――ありがと。お疲れさま。


 それにしても、と思う。フェルドは一体どんな本を読んだのだろう。アルガス=グウェリンが世界一周したなんて初耳だ。それに、アルガス=グウェリン関連の書籍なら、ミラ=アルテナの名前が出てこないわけがないのに。それに、デクター=カーンとアルガス=グウェリンとでは、時代が全然違う。そんな本が、モーガン先生の作ったらしい、この重要そうなリストに載っている。


「ね、フェルド。その本って、どんな本だったの?」

「んー、いやだから、それは、このリストにも載ってるんだよ。ほら、この本」


 そう言ってフェルドは、リストの一冊を指さした。『世界漫遊記』というシンプルなタイトルが付けられている。


「これ、デクター=カーンが主人公の本で、アルガス=グウェリンとその奥さんは、旅の途中で知り合うだけなんだよ。だからあんま覚えてなくて」

「うん、ごめん、それはいいの。世界一周の途中で知り合ったの?」

「そうそう。デクター=カーンが別の大陸に行こうとしてるときにさ、乗せてくれる船を探すんだけど、別の大陸になんか行きたがる船がなくて。困ってる時に、その夫婦に会ったんだ。新婚旅行とかで世界一周してた」

「……普通の主婦って言ったよね?」

「当時は【壁】が世界を分断する前だったんだから、普通の主婦でも世界一周くらいしたかも知れないだろ」

「そ、そうかな……」


「でもようやく見つけた、海を渡れそうな船を持つ船長は、未知の大陸が怖いから船出せないなんて言えないから、法外な料金吹っかけてくるんだよ、こういえば諦めるだろうって額。船一艘買えるくらいの。そしたらその奥さんが、その額なら船出してくれるんですね、ありがとうっつって、ぽんと全額現金で出しちゃうんだよ」

「それもう絶対普通の主婦って言わないと思う」

「それで船長も船出さざるを得なくなるんだ。で、お陰で渡れたのはいいけど、グウェリンはその航海の間中布団に入って眠れないんだよ、いつ水夫が追いはぎに化けるかわかったもんじゃないからって、椅子に座ったまま寝なきゃいけないんだ。他にもさ、奥さんがなんか暢気っつーか無頓着っつーか、警戒心がまるでない人間でさ、おまけに方向音痴で大金抱えたまますぐ迷子になるしで、グウェリンがちゃんと見張ってるから誘拐されたりしないで旅してられるようなもんなんだ。そんなお守りしてるような人間は、賭場で生活費すったりしないだろ」

「でもそれこそ、史実を下敷きにしたお伽話の類いじゃないの? 本当にどんな人間だったかなんてわかんないじゃん。本当は飲んだくれのろくでなしかもしれないじゃん」


 ラセミスタが言う。マリアラは、違和感を覚えていた。マリアラが知っていて、エスメラルダ国民が恐らく共通して抱いているであろう、“ミラ=アルテナ”という女性像と、今の話はあまりにもそぐわない。

 ミラ=アルテナは偉人である。英傑王の即位をなるべく穏便な形で成し遂げるために、同盟の下地を作った人だ。大金抱えて迷子になるような人が、国中をひとりで旅して回るなんてできるだろうか。警戒心がまるでない? 方向音痴? ぽんと全額現金で出すというくだりは、確かにミラ=アルテナ“っぽい”と言えるけれど。

 フェルドが“奥さん”をミラ=アルテナだと思わなかった理由も、その辺りにあるのかもしれない。その“普通の主婦”は、まるでミラ=アルテナらしくない。


 それに。

 デクター=カーンとミラ=アルテナでは、時代も全然違う。そこも、フェルドが読んだという本の信憑性を下げている。歴史学の徒としては、ふたりを同時代に存在したという伝説を基にしているというだけで、資料にするには信憑性が足らなさすぎると、結論づけてしまいたくなる。そう、ラセミスタが言ったように、“史実を下敷きにしたおとぎ話の類い”と、結論づけてしまうのが、本当は正解なのだろう。


 でも、それにしても。

 フェルドの語ったエピソードに出てくるミラ=アルテナが、あまりに“らしくない”ことが、気になる。普通、もう少し、“らしく”するものではないだろうか。いくら荒唐無稽なおとぎ話だとしても、史実を下敷きにしたのなら。


「ミラ=アルテナ“らしい”って……なんだろう」


 ぽつりと、口から言葉が零れ落ちる。フェルドとラセミスタが「なに?」と聞き返したのに、反応することができない。

 ミラ=アルテナのことを、マリアラは実際に知っているわけではない。なのになぜ、“らしくない”と思うのだろう。“らしい”というのは、今までに学んできた全てのことの上に培われた、マリアラにとっての“常識”だ。しかしこの本、リストに書かれているフェルドが読んだ本には、明らかな差異がある。この齟齬は、いったい何だろう。


 ――デクター=カーンと名乗る人物が、五十年前にエスメラルダに姿を見せている。これは確かな情報なんだ。〈アスタ〉の記録にも残っている。


 グレゴリーが以前言った声が更に疑問に被さり、マリアラは眉根を寄せた。

 教科書では、デクター=カーンは暗黒期以前の人だということだった。世界地図を完成させたという伝説がある。魔法道具の開発と発展に力を注いだ。地図や魔法道具などについていくつもの文献を残しているが、暗黒期でそのほとんどが失われたと、はっきり習った。


 けれど、グレゴリーの言った言葉は全く違う。

 この齟齬はいったいなんだろう。


 そう考えて、マリアラは、前にもこの違和感を抱いたことを思い出す。


 百科事典には、輸血を初めにしたのはガルテだった、とあったのに、輸血の本――これもリストにある――には、輸血を初めに受けたのは媛だった、とあった。

 この齟齬はいったいなんだろう――


「いやまさか……はは……」


 笑いがこぼれるほど、おかしなことを思いついてしまった。

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