【魔女ビル】自室(1)
【魔女ビル】自室
ミランダにシグルドへの手土産を預けて部屋に戻ってきた。フェルドとラセミスタは、もう戻っているだろうか。
ラルフはどうしているだろう。それが心配だった。
しかし、【魔女ビル】に聞こえて来るほどの騒ぎにまでは発展しなかったようだ。自分でも言っていたが、ラルフは身が軽く、足もとても速い。追っていったのがあの“猛獣”ひとりだったなら、確かに逃げ延びることはできそうだ。今は、ミフとフィが手分けして捜してくれている。
「……ただいま」
部屋の戸を開けると、フェルドたちは既に戻っていた。ラセミスタはとっくに〈アスタ〉を締め出す準備を始めており、愛用の機械をぱたぱた叩いていた。フェルドは椅子に座っていたが、マリアラが扉を閉めるや、じっとこちらを見据えた。さあさあ話せ話せと言われている気がする。
「……ごめんね、ラス」
言うとラセミスタは顔を上げた。
「ん、なんで? し、と。いいよ、フェルド」
「悪いな。ありがとう。マリアラ、とりあえずあったかい茶でも飲めば?」
視線の鋭さの割に、フェルドは親切だった。部屋に備え付けのパネルで注文までしてくれて、すぐに届いたお茶にはクッキーまで添えられていた。ラセミスタは寝台の上から手を伸ばし、自分の分を確保して、思い至ったように、ああ、と言った。
「あのね、呼びに来てもらえて逆に助かったの。新型爆弾の調整がほぼ済んで、今日はレポートまとめようと思って工房にいたんだけどね、イーレンは嵐が嫌いなんだ。特に雷が大嫌いで、今日は大騒ぎでさ、レポートどころじゃなかったんだよね。嵐が来てからずうっとイーレン宥めてたようなものだから」
意外だ。マリアラはあったかいお茶を一口飲んで、つい微笑んだ。
「イーレンタールさん、雷だめなんだ」
「も、全く、だめ。あたしが帰るって言ったら、俺を見捨てるのかってわめくんだもん、相当だよね」
「そんなに? 大丈夫かな」
「大丈夫だよー。リコに慰めてもらえばって言ったら、その手があったかって飛んで帰ったもの。あ、リコっていうのはイーレンの最近できた彼女だよ。保護局員でね、最近異動で【魔女ビル】に移って来たの、事務方の仕事は五時には――」
「それはおいといて」フェルドが割り込んだ。マリアラを見据えて、にっこり、と笑った。「さあ、何があったんだって?」
「フェルド、取り調べじゃないんだからさ。お茶とお菓子で油断させたところに切り込むなんて、警備隊員か君は」
フェルドは眉をしかめた。
「うっせえな……」
「そういう本好きだったよね、実録! 伝説の警備隊長、落としのテクニック! みたいなの」
「ラス」
フェルドが言い、その言い方に、ラセミスタは黙った。マリアラの視線を捉えて、目をくるくる回して見せた。マジだね、とその目が言っている。
本当だと、マリアラは思った。フェルドは先程から、笑顔で、冗談めかした言い方ばかり選んではいたが、ものすごく真面目だった。
「あの……えっと、とにかく。ラルフ、見つかった、かなあ。ミフは……」ミフの返事を聞いて、言った。「まだだって、言ってる」
「……」一瞬間があった。「フィもまだだってさ。捕まってもなさそうだって。巧いこと逃げ出したんじゃないか? 嵐だし、外に出ればあの子が逃げ延びるのなんて簡単だろ。ラス、【学校ビル】の方は?」
「あ、うん」
ラセミスタは端末を引き寄せて、ぱたぱた叩いた。表示された文字を読んで、顔をしかめる。
「うわぁ……なんだこれ。これ、その“ジレッド”って人がひとりでやったの?」
そう言って端末の画面をこちらに向けてくれた。その惨状を見て、マリアラも顔をしかめた。「ひで」とフェルドも呻いた。それはどうやら被害状況を記録するために撮られた写真のようで、さきほどの談話コーナーの惨状が、余すところなく映し出されている。
「うん、ひとりだった。ラルフを追いかけていったのは、もうひとりの方で……」
「ジレッド。保護局警備隊の中に、そう言う名前の人がいたような気がする。なんか、問題起こして外国に飛ばされてたんじゃなかったっけ」
フェルドが呟き、記憶を探るように、鼻の頭を右手の親指で弾いた。ラセミスタがぱたぱたと端末を叩く。
「あ、いるいるホントだ。ブルーノ=ジレッド。二十九歳。うーん……ホントだ、問題起こしてレイキアに飛ばされてたけど、冬に戻って来たみたい。ベルトラン、って人といつも組んでて、……うへぇ」
ジレッドの経歴をざっと読んだのか、ラセミスタは顔をしかめた。
「傷害、恫喝、恐喝、監禁未遂……減俸されて飛ばされても、全然反省してないんだねえ、この人。今度の器物破損もきっと大問題になるだろうね」
「そうそう、思い出した。なんか、犯罪者捕まえるためなら犯罪行為も辞さない問題児、みたいな記事、何度か読んだ」
「マリアラ、見つかんないでホント良かったよ、この人。見つかってたら何されてたか。ほんと、危ないところだったよ」
ラセミスタとフェルドに口々に言われ、マリアラはちょっと身をすくめた。本当に危ないところだった。
「それで、もうひとりの方もヤバイよ……というか、もうひとりの方がずっとヤバイ。ジレッドって人は、もうひとりの、ベルトラン、という人のブレーキ役みたいだよ、これで」
これで、と言いつつラセミスタはさっきの惨状の写真を示し、マリアラも思った。これでブレーキ役なら、もうひとりの“猛獣”はもっと酷いということになる。
ラルフは大丈夫だろうか。そう思ったのを見透かしたように、ラセミスタは頷いた。
「大丈夫、男の子が捕まったってログはどこにもない。無事に逃げおおせたんじゃないかな? 前に言ってた子だよね、あの、魔物返した時の男の子。夜の森でも平気で走れる子なんだから、嵐の町中なんてへっちゃらなんじゃない?」
そう明るい口調で言ってくれ、マリアラは頷く。ミフからは、まだ連絡がない。
「ラルフを捜すのはミフとフィに任せるしかない。俺たちが自分で捜したって、逆効果になるだけだろ。今できることはここで箒の報告を待ちつつ、事情を話して整理して、次の手を考えること。これ以上建設的な意見はないと思うんだけど」
フェルドがいい、確かにそれ以外出来ることはない、とマリアラも思った。
「うん……そうだね。あのね、そう、半年前に会った、ラルフに、偶然また会ったの。偶然、遭難しかけてるところを見つけて……」
マリアラはふたりに話した。“ワガママ”に付き合ってくれと頼むのは、半年前と同じだ。あの時まだラセミスタとは仲良くなれていなくて、魔法道具越しにしか話をできなかったけれど、今は目の前にいて、うんうん、と身を乗り出して聞いてくれる。フェルドはあの時まだ相棒でもなく、親しくなったとも言えず、“ワガママ”に付き合ってもらうのが気後れしてとても居たたまれなかった。あの時に比べたら、そう、助力を乞う時の気の重さもずいぶん違う。
半年で、境遇が変わったのは本当にラルフだけではない。マリアラもそうだった。その変化が、ありがたい、と思う。
話すうちにフェルドの表情はどんどん険しくなり、ラセミスタの表情はどんどん沈んでいった。身震いをして、ラセミスタは言った。
「モーガン先生って、指導教官だって、言ってたよね? お葬式、出たんじゃなかったっけ」
「うん……出張医療に行く直前くらいだったと思う。大勢の参列者が来て、本物の神官さんが来てたよ、えっと、つまり、本物のお葬式だったよ。宇宙に向けてあいた【穴】に落ちちゃったって、聞いた」
「じゃあ、遺体を見たわけじゃないんだ」
フェルドが言い、マリアラは、頷いた。
「わたしも……そう思った、さっき」
宇宙に向けて開いた【穴】に落ちてしまったから、遺体がないのは当然だ。
それはつまり、本当に死んだということを証明することは誰にもできない、という意味に等しい。




