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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
仮魔女物語
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第四章 仮魔女と狩人(8)

   *


「ふうん」


 とすん。

 気がつくとリンは地面に仰向けに倒れていた。


 グールドの紅い瞳が間近でリンを覗き込んでいた。グールドの左手がリンの右腕を押さえ、右手にはぎざぎざのナイフが光っていた。


 マリアラが両手を胸の前で握りしめ、叫んでいるのが目の隅に見えた。

 でもその声はやっぱり、リンには届かなかった。


「アリエノール、あんたにあの子の気持ちがわかる?」


 相変わらず優しい声でグールドが言った。


「傷ついた魔物のために狩人に体当たりを仕掛けるような子が、目の前で、手も足も出せないで、守るべきお客さんが殺人鬼に切り刻まれたら」


 うっとりとした色がその瞳に宿っていた。


「どんな気持ちに――なると思う?」


 死ぬのかな、と、リンは思った。

 これから殺されるのかな。この狩人に。まるで魔女みたいに。

 全然、現実味がない。


「最後のチャンスをあげる。あの子を捨てて、僕とおいで。……あの子を捨てないならここで殺す。楽に死ねると思わないでね。あの仮魔女にあんたの苦痛をたっぷり見せてあげるつもりだから」


 リンは目を閉じた。


「答えは?」


 そして開けた。


「狩人なんか大嫌いだ。全員地獄に落ちろ」

「可哀想な仮魔女だね」グールドは嬉しそうに笑った。「あんたのせいで、自分の無力さを嫌って程思い知らされるなんてさ」


 みし。

 その音が聞こえたのは、グールドの構えたナイフがリンの腹に当てられた、その時だった。

 若草色の光が爆発した。

 全く突然だった。ごっ、地響きのような音が耳朶を震わせた。みちみちと何かに細かな亀裂が走った。グールドが顔を上げ、【壁】を見ようとし、眩しさに顔をしかめた。


「うっそだろ……」


 眩しくて、リンには殆ど何も見えなかった。「――ン……!」声のようなものがかすかに聞こえた。

 若草色の粒子が荒れ狂っていた。

 【壁】が抉れていく。

 空間の歪みが、解放されていく。

 マリアラの姿が見えなかった。ダスティンは見えたが、彼は何か喚きながら若草色の嵐の中心に向かって右手を突き出している。地面にジェイドが倒れてい、やはり右手を突き出している。ガストンの姿は見えない。


「リン……!」


 マリアラの声が。

 リンに届いた。


 その瞬間、若草色の嵐に抉られ続けた【壁】がこちら側に決壊した。どっ、吹き出た粒子がリンのすぐ上に噴射され、直撃する寸前にグールドが飛び退いた。目映い若草色の奔流がリンの上を横向きの滝のように迸っていく。


『リン=アリエノール!』


 轟音に紛れて若い男性の声が聞こえた。奔流には小さく縮んだ箒が紛れていたのだ。箒はリンの目の前で元の大きさに戻るや叫んだ。


『掴まれ!』


 リンは箒の柄を握った。

 と、ばしゅっ、という音と共に奔流が断ち切られた。急に降ってきた静寂の中、少し離れた場所で、グールドがこちらを見ていた。その口元に浮かんでいるのは、苦笑い、だろうか。

 高らかに箒が叫ぶ。


『いっくぞおおおおおー!』

「おー!」


 リンも叫んで、箒にしがみついた。ぐうんと視界が上がった。【壁】を抉った若草色の奔流は既に収まっていて、【壁】はもう元どおりになってしまっていた。その向こうにフェルドとマリアラが見える。フェルドが地面に座り込んでいて、マリアラが屈み込んでいる。


 アナカルシスの空気はぬるくて、空を飛ぶと涼しくて気持ちが良かった。

 グールドの姿は見えなくなったが、箒は森の梢すれすれを飛ぶことを選んだ。時折リンの足先が梢に触れるほどの距離だった。空は曇天で、星が見えない。


「で……あなた誰?」


 訊ねると箒は笑った。『フェルドの箒。フィ』


「フィ? 助けてくれてどうもありがとう」

『いえいえ、どういたしまして』

「今、【壁】に穴が空いたね」


 そんなことが可能だったのか、と、思う。

 エスメラルダの周囲を取り囲む【壁】はエスメラルダの国民にとっては不変のものだ。生まれてからずっと変わらずにそこにあり、死ぬまで、そして死んでからも変わらずにそこにあるもの。エスメラルダがアナカルシスに比べて極度に寒い気候なのは周囲を【壁】に取り囲まれているからだ、という知識はあるが、その代わり様々な外敵から国を守ってくれる、完全無敵の防壁でもあった。

 それに穴が空いた。ごくわずかな時間、数秒足らず、小さな箒が滑り出るだけの隙間に過ぎなかったけれど――


『頼むから人に言わないでね』フィが少し神妙な口調で言った。『フェルドは魔力が強いんだよ。――強すぎる、って、言う人もいるくらいね。【壁】に穴あけたなんて知られたらまたうるさくなるから』

「前にうるさくなったことあったの?」

『んーまあ』


 あんまり言いたくないらしい。リンは頷いた。


「もちろんいいよ。わかった。内緒にしておくね。――でもあたしたち、これからどこに行くの? 【国境】を通る手続きしてないのに戻ったら、それこそうるさいことになるんじゃない?」

『そんな遠くまでは行かないよ。さっきガストンって人がいたでしょ、ジルグ=ガストン。あの人が言うには、保護局員の秘密道具の一つに――』

「秘密道具!」

『極秘道具の一つに』フィは楽しそうに言い直した。『【壁】に疑似通路を付ける道具があるんだって。これも人に言わないで欲しいんだそうだけど』

「疑似……通路?」

『つまり一時的に【国境】と同じものを作れる道具、ってことらしいよ。それを使わせてもらうってさ』


 それがつまり、さっきグールドが使った魔法道具と言うことなのだろうか。

 と言うことはつまり、やっぱりエスメラルダの中の、保護局員かそれに関係する人たちの中に、狩人を招き入れた人間がいる、と言うことなのだろうか……

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