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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の出張
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間話 南大島 夜の見回り(下)


「それに私が気に入らないあまりに森の奥でどうにかしようと思っているんだったら、あんな風に大声で私を呼び出したりしないでしょう。ガストン指導官は責任感の強い方です。見回りの帰りが普段より遅かったらたぶん、見に来てくださると思いますし、ベネットさんが私を連れて出たということは出張所の方全員がご存じですから、この見回りで私をどうにかするってことはあり得ません」

「気に入られてねえってことくらいはわかってんだな」

「そりゃあそこまであからさまにされますとねー」

「じゃあなんでそんなに平気でべらべらしゃべってんだよ」

「昔付き合ってた人の影響でしてね」

「……またかよ」

「嫌うのはベネットさんの勝手ですけど、私までそれに合わせる必要はないかなと」


 それにやはりベネットは気のいい男のようなのだ。何だかんだで律義に相槌が返ってくる。嫌いな人間にでも最低の礼儀は示さずにはいられない、リンの好きなタイプの人間だった。ベネットはちっと舌打ちをして、黙った。リンは続けた。


「できれば理由を知りたいんですけど」

「むかつくからだよ」

「素直ですねー単刀直入ですねー歯に絹着せないですねー」

「元彼みたいってか」

「よくわかりましたね」

「……」

「うーん、存在がむかつくのか。実は今までも何度か言われてきたんです。いつまで経っても慣れないですけど」

「……」

「研修生仲間の先輩にもひとり、私を目の敵にしてる人がいて。こないだ雪山に幼年組を連れて行くって研修で、運悪く一緒になっちゃったんですよね。私も散々でしたけど、よく考えれば、あちらも運が悪かったんだろうな」

「…………」

「まあここでお世話になるのも明日までですから。明後日には沖島出張所に移動だそうです。申し訳ないですけど、明日まで耐えてください」

「………………」


 ベネットは何度も口を開きかけ、そして閉じた。リンは言いたいことだけ言って、すっきりして黙った。ベネットは悔しそうな顔をして、そして、


「くそ――」

「あれ?」


 ついに話し出した瞬間に、リンはそれを遮らなければならなかった。右前方で、何か、音が聞こえたような気がしたのだ。


「今何か、聞こえませんでしたか?」

「何?」


 歩を止めるとベネットは、森の奥に光珠を掲げて目をすがめた。リンは目を閉じて耳を澄ませた。何かが茂みに触れてしまったような音だった。今はもう、何も聞こえない。

 リンはベネットを見上げた。


「タヌキか何かでしょうか」


 ベネットは答えない。その表情の険しさに、ドキリとした。


「……どっちで聞こえた?」


 低い、地響きのような声で問われた。別人みたいだ。リンは唾を飲み込んで、右前方を指さした。


「あっちです。……見に……」

「……」

「……あの……」

「……いや」


 ベネットは、険しい表情のまま、言った。視線はまだ森の奥を睨んでいる。


「いい。行くな。戻るぞ」

「……」


 ベネットは踵を返し、リンは、動き出せなかった。もう一度、音が聞こえたような気がしたからだ。誰かいる、と思う。息づかいが聞こえるような気がする。誰かが食い入るように、リンを見ているような――


「――来い!」


 ベネットが戻ってきてリンの腕を引いた。容赦のない力で引きずられるように歩き出しながら、リンはまだ、森の奥を見ていた。ベネットが舌打ちをして、リンを抱え込んだ。左腕の中にくるみ込まれて、汗のにおいが押し寄せて、背筋が冷える。


「いいか、お前。わかってんな? なんか音がしたとか、誰かいるみてえだったとか、出張所で余計なこと言うんじゃねえぞ」

「……」

「言いやがったらただじゃ済まさねえぞ」


 紛れもない恫喝がすぐ頭上で囁かれる。リンは身震いをして、呻いた。


「でもあたしは研修中なんです」

「あん?」

「ということはあたしの上司は今ガストン指導官ということになります。ガストン指導官にだけはお話ししないわけにはいきません」

「この体勢で良くそう言うこと言うなお前……」


 ベネットは呆れたように言い、腕を放した。強い力と汗のにおいから解放されて、リンは、ため息をつきそうになって堪えた。ベネットの持つ光珠がベネットの顔を下から照らして、凶悪な表情がいっそう怖い。


「わかったよ……ガストンさんには俺から話す。お前は口を出すな。いーこと言ったなお前。研修中の、ひよこにさえなってねえガキが、口出していいことじゃねえんだ」


 リンはゾッとする。ベネットの声が、あまりに低く、あまりに不穏で。


「お前は何も聞かなかった。何も見なかった。俺とはただ馬鹿話して、昔の彼氏の自慢をいくつかして見回りを滞りなく終えた。――いいな?」

「……ガストン指導官に」

「俺から話すって言ってるだろ……!」


 嘘だ。

 リンはそう思うが、でも。

 ここで頷かなかったら、自分が保護局員に入ることは永遠になくなるのかもしれないと、思わずにはいられなかった。


「わかりました」


 呻いて、リンは、悔しさに唇を噛んだ。どうして誰かから、こんな脅迫を受けなければならないのだろう。そしてそれに、甘んじなければならないのだろう。

 どうしてあたしは、こんなに弱いんだろう。


「……そう睨むなよ」


 ベネットが呻く。リンは視線を逸らさなかった。

 どうすれば、どうやれば、いつになれば、こんな男に屈せずに済むようになれるのだろうか。


 ベネットは気のいい男だと思ったのに。さっきまでリンは優位に立っていた。口では圧倒的に勝っていた。ベネットを軽くあしらっていたのだ。

 それがどうだ。ベネットはあの物音を調べに行かない。見回りでありながら、あそこに誰かがひそんでいるのを知りながら見て見ぬふりをする。警備隊員にあるまじき行為だ。それを、リンはどうすることも出来ない。それどころか。


「大したことじゃねえんだよ」ベネットが呟いた。「ほんとに、大したことじゃねえんだ。ただ、出張所やよその場所で、べらべら喋られると困るんだ。ただそれだけなんだよ」

「いつまで……」


 出た声は、涙声ではなく、リンはホッとした。


「あん?」

「いつまで、黙っていればいいんですか」

「お前ってほんとに……生意気だな」


 ベネットは呆れたようだった。首を傾げて、頷いた。


「じゃあ……お前がちゃんと保護局員になったら。そしたら教えてやるよ。だからそれまで、誰にも言うなよ。いいな?」

 言いやがったらただじゃ済まさない、と暗に言われて、今度こそリンは沈黙した。悔しい。信じられない。



   *



 そんなことがあったせいか、その晩リンは、眠ることができなかった。

 体がこんなに疲れているのに、眠れないなんて初めての経験だ。

 夜中の一時半を回った頃だろうか。ぼそぼそと話し声が聞こえた気がして、リンは目を開けた。ベネットだろうか。また何か悪巧みをしているのだろうか。ガストンに話すといったときの、ベネットの、噛みつくような声を思い出してまた身を震わせる。


 ――まだひよこにもなってねえガキが、口出していい話じゃねえんだ。


 怖い。


 それでも知らんぷりができず、リンは起き上がって耳を澄ませた。どうやら窓の外で、誰かが立ち話をしているらしい。

 この出張所で女性なのはリンだけだから、夜だけは、あのとげとげしい人たちと一緒にいないで済むのがありがたい。足音を忍ばせて窓に歩み寄り、窓をごくごく細く開ける。夜気と共に、話し声が滑り込んでくる――


「――落ち着きなさい」


 声はそう言った。リンは驚いた。ガストンの声だった。


「確かにあの魔法道具を使えば外に出ることはできる。だが無許可での使用は重罪だ。いかにマヌエルとは言え、それは最後の手段にしておくべきだ。……うん? うん、そうだな。君の言い分はよくわかる。だが勧めない。前回とは事情が違う。前回は非正規の手段で外に連れ出された少女を極秘裏に連れ戻すためだった、だが、今回は違うだろう。君は相棒と一緒に戻ってこなければならない。戻って来たときに投獄されてもいいのか」


 なんだこの話。

 リンは窓辺にしゃがみ込んだ。


 ガストンの部屋は、リンの部屋のとなりだったのだろうか。もしくは、部屋を出て階段の踊り場などの窓を開けて声を外に逃がしているかだ。リンが熟睡していたら、絶対に気づかれることのない会話だった。


「落ち着きなさい。今回のケースでは、【国境】を通るしかない。【国境】が開くのは朝の八時――いやだから、落ち着けって。それまで何もせずに待てとは言ってない。今すぐ【魔女ビル】の警備隊詰所に臨時通行許可証の申請を出せ。〈アスタ〉を通すんじゃないぞ。詰所に直に持って行くんだ。夜勤の者が誰かいるはずだ。今――夜中の一時半だな。大丈夫、窮地に陥った相棒を助けに行く右巻きの行動を阻める法律は存在しない。遅くても朝五時には許可が下りるはずだ。それが最短だ」


 電話の向こうで、誰かが鋭い口調で何かを話しているのが聞こえる。何を言っているかまでは分からないが、リンはその声を聞いて、フェルドを連想した。いや、フェルドがガストン指導官の無線機の番号を知っているとは思えないが――いやいや、雪山で狩人からリンを助け出してくれたうちのひとりだから、もしかして、番号くらい渡されているのかも知れないけれど。


「うん。……うん。いいか、メモを取れ。ギュンターの無線機の番号を伝える。俺が先に連絡しておいてやるから。詰所に行くときに連絡をして、夜勤の者に指示を出すように――悪い、俺は今南大島にいて、今から戻るのは難しいんだ。ああ。――ああ。焦るのは分かる、だが冷静さを失うな。何かあったらいつでも掛けてこい。君の行く手を阻む人間ばかりじゃないと、朝になるまでにはわかっているはずだ。いいか、番号は――」


 ガストンの声がひと続きの番号を言うのを聞きながら、リンは口に手を当てて、今聞いてしまった会話の意味を考えた。

 なんだか、大事件が起こってるみたいだ。

 相手がフェルドじゃないといい、と、思った。だって電話の向こうにいたのがフェルドだったなら、マリアラが窮地に陥っている、と、言うことだから。

 

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