出張後(1)
* *
〈彼女〉はゆっくりとまどろみから覚めた。〈アスタ〉が警告してきたからだ。〈アスタ〉と感覚を共有すると――同時に、大きな衝撃を受けた。
ミランダとマリアラが、リファスで狩人の襲撃を受けたという。カルロスが実行したのだ。まさか本当にやるなんて。
けれどマリアラまで巻き添えにするとは思わなかったはずだ。〈彼女〉が把握した一瞬後に、〈アスタ〉がカルロスに声をかけた。
『エルヴェントラ。アナカルシスで事件が起こりました』
眠っていたカルロスが頭を起こした。当然ながら、あまり驚いた様子はない。待っていた知らせを受け取った、というような、つぶやきが答えた。
「……事件」
『はい。出張医療に行ったミランダ=レイエル・マヌエルと、マリアラ=ラクエル・マヌエルが、狩人の襲撃を受けました』
「………何だって?」
真っ暗な部屋の中、カルロスの姿は、若々しい本来のあの姿に戻っているはずだ。もはやその姿を見たいとは思わなくなっている。嫌いだ。大嫌いだ。昔はあんなに、いい人だったのに。
――まさか本当にミランダを使い捨てるなんて。
「ちょっと待ってくれ。何と言った。マリアラが――?」
――ミランダが襲われたことについては驚かないの?
もう少しで、そう言ってやるところだった。どうして驚かないの? 知っていたから?
今日狩人がミランダを襲うと、初めから知っていたの?
『ミランダが出張医療に出る際、前日に、ぜひマリアラにも同行してほしいと言いましたので許可しました。出張医療自体はつつがなく終わりましたが、本日十六時にリファスの駅で狩人に襲われたそうです』
「……何故報告しなかった」
『はい、だから今、報告を』
「そうじゃない。マリアラを同行させると、なぜ僕に報告しなかった!」
『申し訳ありません、エルヴェントラ』〈アスタ〉は従順に答えた。『同行させることに、それほどの問題があるとは思いませんでしたから』
「……」
カルロスは長々と沈黙した。確かにそうだと、自分でそう思ったのだろう。次に出た言葉からはもう、叱責の色は抜けている。
「……それで、ふたりはどうした」
『ミランダは先程リファスの駅員に付き添われて無事に戻りました』
そう言うと、かすかな音が闇に響いた。舌打ちだ。〈彼女〉は悟り、吐き気を覚えた。何て醜悪な心根だろう。この人は、長い長い間エスメラルダの支配者として君臨する内に、昔の優しさや思いやりというものを、全て捨ててきてしまった。出張医療にミランダを行かせて、狩人に襲わせた。それが政治的に、有効だったから。
ミランダは〈アスタ〉の言い付けに背いて人魚の『宴』からルクルスを救出した。恐らく間違いないとイェイラが言った。ミランダには相棒もいない。ヴィレスタは再利用できる。アルフィラだから、記憶を消去して外見を変え、他のマヌエルにあてがえばいい。おまけにミランダはフェルドとも仲がいい、魔力の強い水の左巻きだ。つまり左のエルカテルミナ候補のひとり、ということになる。だから『生け贄』には相応しいとカルロスは考えた。ルクルスに心を許した水の左巻きなど、カルロスにとっては邪魔でしかない。……だから。
だからといって、本当に実行するなんて。
「マリアラは?」
『行方不明です。狩人の浮遊機に追われてアナカルディアの方角へ逃げたと言う報告が』
「アナカルディアへ……」
カルロスはまた沈黙した。闇の中で、その明晰な頭脳を働かせる音が聞こえるようだった。昔は、この人が立てる計画や、それに伴う指示を、頼もしいと思っていた。エスメラルダという国を豊かにし、確固たる礎を築いていくためにひとつひとつ打つ布石が、楽しみだった。
――それなのに。
「……わかっているだろうね、〈アスタ〉。この事実をフェルディナントに知らせるな。絶対にエスメラルダから出すな」
『わかりました、エルヴェントラ。最善を尽くします』
「次の足かせを探さなきゃな……」
カルロスは呟いた。マリアラのことは既に脳裏から締め出したに違いない。マリアラという少女の価値など、カルロスにとっては、ただそれだけでしかないのだということに、〈彼女〉は深い悲しみを感じた。
*
イーレンタールが入っていったとき、薄暗い部屋の中で、フェルドはおとなしくしていた。計測機器から伸びたコードを体中につけたままぼんやりと窓の外を見ていた。天変地異でも起こるのではないかと思わせるような光景だった。
ライラニーナが同じ目に遭っていたとき、つまり彼女が初めてイーレンタールに出会ったとき、ライラニーナは周囲すべてを威嚇するような表情をしていた。てっきりフェルドもそうだろうと思っていたので拍子抜けだった。
一日羽を伸ばした代償に、この四日間は部屋にも戻れていないらしい。
イーレンタールはため息を付いた。わかっていたことだとはいえ、気の滅入る光景だった。よう、と言うとフェルドはこちらを見もせずに、よう、と言った。もう夜も遅い。窓の外は室内より暗い。ガラスに映ったイーレンタールに視線を合わせて、フェルドがため息を付いた。
「なんか面白いものない? 退屈で死ぬ」
カルロスはそれを望んでいるに違いない、とイーレンタールは思う。
言葉を探した。何を言えばいいのか。
ミランダが帰って来たことを言えば、マリアラの行方不明に言及しないわけにはいかない。マリアラとミランダが帰ってくる予定だったのは明日だからだ。
だから今の段階で、イーレンタールに言えることは何もない。
「……何もねーな。俺も暇でさぁ」
平静な声でそういうと、フェルドはこちらをみた。
「へー。珍しい」
全くだ。イーレンタールは生まれてこの方“暇だ”なんて思ったことがない。
動揺を押し隠す。平静な声で、疑われないように。そんなことに細心の注意を払う自分に嫌気が差す。
「……だからお前のコインをさ、借りようと思って」
「は? なんで」
「暇つぶしだよ、暇つぶし」
あくまで平静に繰り返し、ロッカーに歩み寄った。フェルドの私物を入れてある、鍵付きのロッカーだ。平静に。平静に。自分に言い聞かせながら、フェルドを振り返る。
フェルドにマリアラの行方不明を伝えたって、なんの益もない。フェルドは助けに行きたがるだろう、だが、許可がおりるわけがない。それを振り切って闇雲に飛び出しても見つかるわけがない。だから言えないのだと、イーレンタールは自分に言い訳をする。
だが、厄介なのは妹の方だ。
ラセミスタは事態を知っていて、控えめに言っても半狂乱だ。彼女の心臓がオーバーワークで停止する前に、どうにかしてやらねばならない。
「新しい技術の開発中でさー」
言いながら、バコンとロッカーをあけた。
「相棒同士のコインの波長を可視化するってー試みでさぁ」
「へえ」
「ちょうどマリアラは出張中じゃん? お前のコインを分析さしてもらってさ、えー、リファスだっけ? そこの付近にあるってわかれば、この技術がうまくいってるってことになるじゃん?」
「あー」
「悪いけど貸して」
「いーよ」
いつもどおり、屈託のない言い方でフェルドは答えた。イーレンタールはロッカーからフェルドのコインをつまみ上げ、取り落とした。ちゃりん。乾いた音とともにコインが床に落ち、「あっ」慌てて拾い上げる。ダメだ。指が震えてる。
「……大丈夫?」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
ちっとも大丈夫じゃないが、そう言うしかない。意思の力で指の震えをどうにかこうにか押さえつけ、コインを拾い上げる。
マリアラはどこにいるのだろう。
まだ狩人からは何の発表もない。狩人は、魔女を殺したら、即座に犯行声明を出すのが習わしだ。だからまだ、マリアラは生きている。今は。でも。
後で、全てが手遅れになってから事態を知ったフェルドは、知っていて黙っていた者全てを、決して許さないだろう。
それを重々わかっていながら、イーレンタールはその部屋から逃げ出した。他にどうしようもないのだと、自分に言い訳をしながら。




