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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の出張
259/780

間話 真夜中の密談

 

   *


 早いもので、警備隊の研修も半分が過ぎてしまった。

 リン=アリエノールはカレンダーを見、今日の日付に×をつけ、ため息をつき、ずるずると布団に倒れ込んだ。


 話に聞いていた以上に、ハードな研修だった。毎日毎日、布団に倒れ込むこの瞬間が待ち遠しくてたまらない。

 けれどそれ以上に、楽しい研修でもある。研修でこんなに楽しいのは初めてだ。


 警備隊には男女ともに風変わりな人が多く、ひとりひとりと話をするだけでも楽しい。どの出張所でも、リンはみんなからおおむね可愛がられていて、研修は居心地が良かった。特にガストン指導官――マリアラの仮魔女試験の時、雪山でリンを助けてくれたうちのひとり――は、本当にとてもいい人だった。まだ四十二歳という若さで、颯爽として、その上とても温かな人柄で、男女問わず絶大な人気がある人だった。こんな人が隊長だったなら、部下は毎日気持ちよく働けるだろう。なのに、どうして指導官などやっているのだろう、と不思議だ。


 能力がないわけではない。だって、【夜】への【穴】が開くというあの緊急事態に、隊長役に抜擢されたのだから。


 あの日は本当に運が良かった。ラクエルたちが【穴】を閉じたあの瞬間を、間近で見ることが出来たのだ。


 ガストンには良くやったとねぎらいの言葉をもらったし、あんな事態が研修中に起こって、ああいうときに保護局員の果たす役割をつぶさに見せてもらって、おまけに助手役まで務めさせてもらえるなんて、本当に運がいいとしかいいようがない。いやまあ、あんな事態は起こらないに越したことはないわけだけれど。


 ――たぶんまだ、あたしは傍観者だったからだ。


 眠りに少しずつ引き込まれていく間に、様々な思考の断片が、泡のように浮かんでくる。


 ――あのとき、助手を務めていたあたしは、それでもやっぱり傍観者だった。他の誰かがやってくれる仕事を手伝っていただけだ。


 運がいい、という認識を持ったのは、たぶんそのせいだ。

 保護局員になったら、もう『お客さん』ではない。特に警備隊に配属になったら、ラクエルたちの背後を守るために待機していた警備隊員たちと同じ役目になる。魔物の触手を思い出した。今回は理想的なタイミングで事態が進んだに過ぎないのだ、という訓辞も聞いた。待機していたラクエルのすぐ間近で開いたから、あの程度で済んだのだと。もし、ラクエルの第一撃が少しでも遅れていたら、魔物がもっと【穴】を広げて、一体でもこちらに入り込んでいたら。警備隊の役目は、ラクエルの攻撃をすり抜けて市街区に飛び込んでくる魔物を、数々の魔法道具でもって殲滅することなのだ。


 ――あたし、その覚悟、できてる?


 できてる――と、即答できるほどの心構えは、正直まだない。『お客さん』の身分でいられる内に、是正しておかなきければ。マリアラはすでに立ち向かっている。【穴】が開いた時、一番近くにいたのは彼女だった。


 ――マリアラは……


 だから、そう、見てしまった。ダスティンがマリアラに、相棒になってくれと頼んだところを。そしてマリアラが、考える余地もないと、きっぱりと拒絶するところを。ダスティンには相変わらず通じていないようだったが、でも。


 ――そうそう、マリアラって、ああいう子だった……


 思い返して、笑みがこぼれる。大人しくていつもにこにこしていて控えめで、クラスの中で目立つ存在ではなかった。リンが属していたのとは別のグループにいる子だったが、奇妙に気があった。リンの周囲はいつもごたごたしていたが、いやだからこそ、マリアラと一緒にいるとホッとした。


 でも、実は頑固なのだ、彼女は。


 周囲に波風を立てるのを嫌うから、主張を通そうとする時にはいつも涙目になる。それでも頑として引かない。あの時だって危なかった、小柄な女性が間に入ってくれなかったらきっと、涙目になっていたに違いない。


 ――フェルドは結局来なかった……


 たぶん知らされてもいなかったのだろう。気の毒にと、思った。後から知って、フェルドは、一体どういう気持ちになっただろう。気の毒に……本当に気の毒だ。騒がないでくれと言ったフェルドの気持ちが、今はよく分かる。雪山で、ゲンが、


 ――ゲンのいた、研修で、


 ――研修で。


「……ああああっ!」


 リンはがばっと顔を起こした。違う。やばい。忘れてた!


「寝てる場合じゃないよあたしったら……!」


 今日は土曜日のはずだ。つまり週の終わりだ。

 今週の報告書の提出締め切りの日だ!


 慌てて寝台から転げおり、明かりを点けた。目をしぱしぱさせながら机に向かう。椅子に座って、ふわあ、とあくびをひとつ。そして鞄からノートと報告用紙を取り出した。ノートをめくりながら、今週の研修内容を報告用紙に写していく。


「えっとお……前半、保護局警備隊雪山第三出張所、責任者、うー、トルテス、研修内容、雪山第三研究所の安全確認方法、けいらの……にんむのお……えうー」


 我ながらおかしなことを口走り、リンは顔を上げてぱちんと頬をたたいた。眠い。


 必死で脳から言葉を絞り出し、用紙に書き付けた。読める字になってくれていることは祈るしかない。ゲンのことを思い出したお陰で、報告用紙の提出も思い出した。本当にありがたい。


「後半、保護局警備隊雪山第四出張所、責任者、ゴルテス、研修内容、山……山おとこ、と、のおー」


 油断するとすぐに眠りが襲ってくる。撃退するためにリンは必死で声を張り上げた。思い浮かんだことをとりあえず口に出していく。


「山男、との、連携について、山男、といえば、ゲンさんだなあー、ゲンさんはあー、警邏の方法、スケジュール、交替時間ー、元気かなあー、研究者があー、データ取得のため【壁】に接近する際にはあー、安全確保のためえー、警備隊員が同行することおー、山男の職務の一環にいー、あー、ゲンさんはー、山男ー、のー、仕事ー、はー、ツィスのしゅーかくーだーけかっとー思ってーたーあーあーあやっまおっとこーはさっけがー好きー、おっさっけーがっ、のっみたっいなー!」


 もう歌うしかなかった。歌詞も我ながら意味不明だ。何とか必要だと思われることをすべて書き出して、リンはふらつきながら立ち上がった。もう一度ぱちんと顔をたたいてふらふらと戸口に向かった。手元が狂い、扉を開け損ねて、ごん、と額をぶつける。


 お陰で少し目が覚めた。


「……負けるかあ」


 呟いて、扉を開けた。この研修は体力勝負だ。出張所の見学と見回り以外にも、現役の警備隊員たちと一緒の訓練に加えてもらう時間がたくさん取られている(警備隊員たちは研修生をしごくことで普段の鬱憤を晴らしているともっぱらの噂だ)。筋肉痛や関節痛は魔女の薬をもらうことであまり気にならなかったが、痛みが気にならないだけで身体の疲労は変わらない。いや薬を飲んでいるから却って眠いのかも知れない。薄暗い廊下を歩き、階段にたどり着き、踏み外さないように慎重に、そうっとそうっと降りていく。


「――アルフレッド=モーガンが?」


 低い声が聞こえた。ガストンの声だった。

 答えたのは、聞き覚えのある、更に低いひび割れた声だった。


「そう。どこにいるのかまでは俺んとこにゃ聞こえてこねえ」


 リンは思わず立ち止まった。先ほど思い出したばかりの、ゲンの声だったのだ。

 しかも、話題になっている名前にも聞き覚えがあった。アルフレッド=モーガン。確か、マリアラの、歴史学の教官ではなかっただろうか。


 数年前の記憶が押し寄せた。マリアラが頬を染めて嬉しそうに話したこと。


 ――モーガン先生のクラスに入れたの。わたし歴史学専攻したの、モーガン先生の授業があんまり面白かったからで……ああっ、もう、どうしよう!


 感極まったように叫んでマリアラはくるくる回った。彼女の、嬉しいときには変に取り繕ったりせずに大喜びするところが、大好きだった。


 モーガン先生はとても人気のある先生で、競争率も高かった。マリアラが普段一緒にいる友達の前ではなく、リンの前でだけあんなに手放しで喜んでいたのは、リンが歴史学に興味がなかったからだ。


 ガストンが言った。「本当に、生きていたのか」

 ゲンが言った。「まあ、予想どおりってところだけどよ」


 ――生きて……た?


 意味がわからない。

 疲労と眠気のせいもあるだろう。気づくとリンは立ち止まって、会話の内容を整理しようとしていた。生きていた、アルフレッド=モーガンが。ということは、アルフレッド=モーガンは、死んだことになっていたのだろうか?


 ガストンが言った。「他には?」

「狩人が【壁】の隙間を通って入り込んだらしい。前回同様、故意に通した形跡がある。おめえんとこの組織の腐りっぷりは相当なもんだ」

「……」

「つながってるって確たる証拠はねえが。ひと月前にザールが雪山に来てる。前回と同じだ」


 目が覚めた。

 リンは瞬きをして、座り込んだ。狩人、が、入り込んだ? 故意に――


 ザール、って。誰?


「……」


 階下での会話が一瞬途切れたような気がした。が、何事もなかったかのように、ガストンが言った。


「狩人……こないだ雪山で目撃された【風の骨】とやらとはまた別に、ということだな?」

「おい……」

「やはりまだ諦めていなかったということか。いよいよきな臭くなってきた。狩人に――」

「おい、ガストン」ゲンが鋭い口調で遮った。「いったいどういうつもりだ? リンちゃん、出て来な。寝たんじゃなかったのかよ」


 言葉と同時に、ひょい、と、階段の下にゲンの顔が現れた。予想に反して、ゲンは苦笑している。


「まだこの子は研修生だろうがよ。――悪ぃな、リンちゃん、俺、余計なことしたかもしんねえなあ」

「え――」

「この狸にゃ重々気をつけるんだぜ。柔和そうな大人しそうな紳士面して、腹ん中は真っ黒だ。本当に手段を選ばねえっつうか、なりふり構わねえっつうかな。手に何持ってる? なんか提出するもんがあんのか」

「あ……あ、あ。はい」


 リンは手すりに縋って立ち上がり、そろそろと階段を下りていった。ゲンはリンを通して、その後ろをついてきた。ひとけのないロビーのソファにガストンが座っていて、彼も苦笑いを浮かべている。


「どうした、アリエノール」

「あの、今週の報告書、提出を忘れていて……」


 差し出すとガストンの苦笑いは楽しそうな笑みに変わった。


「これはまた。全く抜かりないな。こちらは減点したくて手ぐすね引いているというのに。……そう睨むな、リカルド」


 笑って、ガストンは報告書を受け取って一瞥した。それから驚いたように読み直して、そして喉からくぐもった笑いが漏れた。


「研修生時代を思い出すよ。読めなくはない。少なくとも私が研修生時代に出した報告書よりはマシだ。だが」くっくっく、と更に笑った。「山男イコール酒というのは一般常識なのか、それともリカルド、君が前回の研修で教え込んだのか? これを受理したら、へ、ヘイトス室長はきっと君を落第させろとありとあらゆるところに圧力をかけるだろう。これは見なかったことにしておくから、もう少し頭がはっきり起きているときに、もう一度出しなさい。受領印の日付は変えずにおくから」

「す……すみません……」


 リンは真っ赤になっていた。寝ぼけているときの自分は、全く何をするかわからない。穴があったら入りたい。


 ガストンに挨拶をして、リンが部屋に帰る寸前まで、ゲンが送ってきた。ガストンからリンを守ろうとしているような動きだと、もうすっかり目の覚めてしまったリンは思わずにはいられなかった。ゲンを見上げると、未だに彼は苦笑していた。自分が何か取り返しのつかないことをしたわけではないようだと、その笑顔に少しホッとする。


「ゲンさん……ガストン指導官と、お友だち、なの?」


 そう、一体どうして、ゲンがこんな夜更けに、人目を忍ぶようにしてガストンに会いに来ていたのだろう? ゲンは山男だ。ガストンは警備隊員だ。接点があるのは当然だけれど、それなら昼間に堂々と会っていても良さそうなものなのに。


 ――狩人が入り込んだらしい……


 最近雪山であったことを、ゲンがガストンに、こっそり報告していたような。

 ぞくりと背筋が冷えたとき、ゲンが言った。


「お友だちぃ?」


 その返事に、雪山でフェルドと似たような会話をした、と思い出した。あの時フェルドは心底嫌そうな顔をしたが、ゲンは、そうでもなさそうだった。


「お友だちって言われると抵抗があるなあ。利害が一致してるってだけで、仲間ってわけでもねえし。ガストンは、まあ腹ん中は真っ黒だが、悪い奴……じゃねえとも言い切れねえが、うーん」ゲンは唸って、また笑った。「まああれだよ……何も知らずに有無を言わせず巻き込まれねえように気をつけなってことだ。ふと気づいたら選択の余地もなくなってたってことになったら困るだろう、が、自分で選んで巻き込まれるんなら俺は止めねえよ。そういう奴だ、ガストンは」


 ぽん、と背中を押されて、リンは自室の中に入った。振り返ると、扉に手をかけながらゲンは手を振った。


「お休み、リンちゃん。頑張るんだぜ。あの若造が保護局員になってあんたが落ちるなんてことになったらよう、この国の未来はいよいよ真っ暗だ。な」

「……」


 なんと返事をしていいかわからなかった。どんな顔をすればいいのかも。でもどのみち、リンが我に返るともう、扉は閉まっていた。

 リンは明かりを点けて、とりあえず、報告書を書き直そうと机に向かった。なんだか自分の足下に、何か大きなうねりが来ているようだ、と、考えながら。

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