出張中(4)
リファスは地下の街の遺跡があるからか、とても大きな駅だった。
地下のホームはひんやりとして、とても物珍しかった。岩や土壁が剥き出しのその空間は思いがけず広々としている。ひいひいと、どこかで幼い子供が泣いているような声が聞こえる。大勢の客、多分観光客だろう、彼らがどやどやと降りて行く。
マリアラとミランダとヴィレスタは、降りたホームで、列車が発車して、人込みが流れて行ってから、その人と向かい合うことになった。
シグルドはとてもいい人のようだった。マリアラにも、屈託のない笑顔を見せた。挨拶をして来たのは彼の上司らしい壮年の男の方で、彼もこちらの気分をほぐすような温かな声をしていた。
「ようこそ。ええ――ミランダと、ヴィレスタだね。あと?」
「マリアラ=ラクエル・マヌエルです。どうぞよろしくお願いします」
お辞儀をすると、男二人は顔を見合わせた。
「ラクエルだってえ? こりゃ珍しい。ひとり増えたとは聞いてたが、まさかラクエルだとはな。こちらこそよろしく」
ミランダもていねいに頭を下げた。壮年の男はシェロムと名乗り、丁重な手つきでマリアラとミランダから大きな荷物を受け取った(すかさずシグルドが手を伸ばしてひとつを受け取った)。
「それでこっちが、ご存じだろうが、シグルドね。新米なんだが腕っ節が強いし、あなた方と面識があるって主張するんで、抜擢したってわけで。どうぞ。こっちですよ。……しかしまさか本当に三人だけで来るとはね」シェロムは苦笑した。「列車ん中で見たときにはギョッとしたよ。荷物を縮めずに持ち歩いて、普段着で、箒もコインも隠しているからって、右巻きのイリエルのひとりやふたり、つけてもバチは当たらないだろうに」
言いながら階段の方へ先に立って歩いて行く。床はさすがに舗装されていたが、壁や天井は本当に剥き出しで、今にも頭上から岩が落ちて来そうで落ち着かない。昼間なのに、薄暗いせいかもしれない。
「ヴィヴィが……ヴィレスタがついててくれてますから。こう見えてすごいんですよ、ヴィレスタは」
マリアラが言うとヴィレスタは謙虚に首を振った。
『でも初仕事なんです。シェロムさんとシグルドさんに来てもらえて安心しました。これからどんどん経験を積んで、皆さんに護衛と認めてもらえるように頑張ります』
「おっと。これは失敬」シェロムはまじめに言った。「見た目で判断しちゃいけねえわな。申し訳ない。ヴィレスタ?」
『ヴィヴィって呼んでください』
「そいつはどうも。よろしくな、ヴィヴィ。……ここはね、昔の地下街を模して作ってあるんだよ」
マリアラの様子に気づいたか、シェロムはガイドまで始めてくれた。
「千年くらい前、アナカルシスの汚点と言われる王がいてさ、悪逆非道の限りを尽くしたんだってさ。で、気骨のある人間たちが、もうあんな王の国民でいる気はないってんで、戸籍を焼いて流れ者になったんだ。王に頼らず、自分の腕だけで世を渡って行こうとしたんだよ。で、その流れ者の本拠が、この近くにある地下街だった。門番がいてね、ちゃんとした流れ者以外は通さないように気を配ってた。中は流れ者の楽園だったんだってさ」
「楽園?」
「気骨も腕もある荒くれの集まりだったから、揉め事はご法度だった。でもそれ以外はなんでもあったんだ。若いお嬢さんは知らないでいてほしいような娯楽も」シェロムはニヤリと笑った。「医師も薬師もいたし、美味い料理を出す店も、賭場も酒場もなんでもあった。およそ人間の望み得る、ありとあらゆるものが集まる街だと言われてた」
「ふうん……」
想像しようとしてみたが、あまり上手く思い浮かんでは来なかった。
でもたぶん、それはものすごく賑やかで、活気に満ちた街だったのだろう。
「だが王が変わってね。残虐な王が二代続いた後の、ようやくの名君だった。その王は生涯に渡って類い稀なる善政を敷き、アナカルシスの黄金時代を築いた」
「英傑王ですね」
マリアラの言葉に、シェロムは笑った。
「そうそう。かの有名な英傑王」
「ミラ=アルテナの」
「そうそうそうそう。ミラ=アルテナのね。あんた、歴史に詳しいんだな。ご存じのとおり、ミラにふられたからさ、その王は生涯独身だったんだ。だが弟の子どもを跡継ぎにして、その後数代に渡って黄金時代は続いたと。だからそれ以降は、戸籍を焼いて王へ反感を表明するなんて必要もなくなった。地下街は流れ者以外の人間にも開かれて、二百年だか三百年だかは観光地として賑わったらしいが、そのうち廃れた。今は立派な遺跡の仲間入りだ」
マリアラは懐かしくその話を聞いた。歴史の話を聞くのは大好きだった。英傑王の登場の辺りで、暗黒期は終わりを告げる。しかしまだ暗黒期の名残があるためか、英傑王自体の情報はほとんど残っていない。類い稀なる善政を敷いたことと、ミラを始めとする大勢の人間の努力のもとにその即位が実現したこと、そしてミラに求婚を断られたこと、それ以外については、文献があまりなくてよくわかっていない。本名すらわからない。でも、かの有名なフェルディナント王子と近い。戸籍上の曾祖父に当たるはず。
地下街の歴史をもっと詳しく聞きたい、と思った。
けれどシグルドとミランダが後ろで言葉を交わしていたのが聞こえてきた。ミランダは見事に平然たる口調だった。
「本当に書いてくれてありがとう。配属が決まって、よかったわ」
「お陰様で」シグルドの声はとても低くて優しかった。「出張の行き先がここで良かったよ。自由時間くらいはあるんだろ。っても、俺もまだ来たばっかだから、遺跡もまだ行ったことないんだけど」
「四日目のね、朝から、午後二時までは自由にしていいんですって」
「それっぽっちか。やっぱ魔女って大変だよな」
ちゃんと冷静に応対できているじゃないか。マリアラはほっとして、シェロムに意識を戻した。シェロムは階段を上りながら、馬車が来てるからね、と言った。
「しかしシグの恩人がまた出張医療で来てくれるなんてな」
どうやらシェロムという人はだいぶ前からシグルドのことを知っているようだ。マリアラは微笑んだ。
「ミランダも驚いてました。偶然ってすごいですね」
「あんたは急遽決まったんだってな。ありがたいよ、みんな本当に魔女の来訪を心待ちにしてるんだ。重病の患者から入れてんだが、到底入り切れる数じゃなくてさ。魔女がふたりになったからって、入れる患者が増えたんだ。恩に着るよ」
びっくりした。そんなに心待ちにされていたとは。
なんとなく旅行気分でいたことに、後ろめたさを感じた。
「……わたし、レイエルじゃないんです、でも……頑張ります」
「治療ができるってだけで本当に助かるんだ」
シェロムはこないだのミランダと同じことを言った。
本当に真摯な口調だった。
「狩人の馬鹿どもさえのさばってなきゃ、もっと事態は変わるんだろうにな」
そこで、地上に出た。さっと明るい光が全身に降り注いで、マリアラは思わず深呼吸をした。ラクエルとして孵化してから、光がない場所では圧迫感に似たものを感じるようになった。急に明るい場所に出ると、全身の細胞が光を吸い込んで安堵の声をあげるようだ。闇を恐れるわけではないが、光の中はただ単純に居心地がいい。
――闇が右巻きに渦巻いてる……
マリアラはフェルドのことを考えた。
――フェルドはもう違うのだろうか。
闇の中でも、この居心地の良さを、感じるのだろうか。
そこに馬車がいた。六頭だての、お伽話に出て来そうな、柔らかな印象の馬車だった。マリアラとミランダは思わず歓声をあげた。馬車なんて、乗るのは初めてのことだ。
「エスメラルダにゃ馬車はいないのかい」
シェロムが苦笑し、ミランダが華やいだ声をあげた。
「たまに見かけるけど、私、乗ったことないんです」
マリアラもうなずいた。
「アナカルシスってやっぱり広いんですね。こんな大きな乗り物がたくさん動き回れるなんて」
エスメラルダには個別に動く乗り物は、魔女の使う箒を除いては、ごく少数の例外しかない。国土の大半を動道に覆われていて、人々は皆それを使って移動する。
だから余計に、アナカルシスの大きさが身に滲みる。




