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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の出張
254/779

出張中(1)

 ミランダは鉄道の旅のつれづれに、彼について話してくれた。旅先の解放感が、ようやく彼女の口を軽くしたのかもしれない。


 彼の名はシグルド、と言うそうだ。人魚によって囚われて、儀式の贄として殺されそうになっていたところを、ミランダが助けたのだというくだりを聞いて、マリアラはやっぱり、と思った。想像したとおりだったわけだ。


『ミランダ。それは非常に無鉄砲な行動です。危険です』


 前の座席に座って足をぶらぶらさせていたヴィレスタが静かに言った。ミランダはちょっと首をすくめた。


「……そうね。反省してる。人魚に殺されていたかもしれないもんね」

『人魚に? それはあり得ません。ミランダはレイエルなんですから』


 ヴィレスタは首を傾げて、そう言った。非常にきっぱりした言い方だった。


『それに反省する必要もありません。今後は私を連れて行けば済む話です。ミランダはレイエルなんですから、【水の世界】のシフトから外されているという現状の方がおかしいんです。でも私が懸念するのは助けた相手が今回のようにいい人だとは限らないという点です。左巻きのレイエルはそれだけで危険にさらされています。捕まえて自分たちの治療のためだけに留めておこうとする人たちについての記事をたくさん読みました。シグルドがいい人で本当に良かったです』


 マリアラは、思わずミランダの顔を見た。

 ミランダは明らかに、その点については考えていなかったようだった。当然といえた。エスメラルダ国内で、その上助けてくれた魔女を相手に、そんな考えを起こす人間がいるとは思えないからだ。この意見は生まれたてのヴィレスタだからこそ出てきたものだろう。


 でもミランダの身を心底案じての発言だと言うことは疑いなかった。

 ミランダは呟いた。


「……ヴィヴィ?」

『はい、ミランダ』

「あなたって最高だわ! ……もう! 大好き!」


 ミランダがヴィレスタに抱きつき、ヴィレスタはくすぐったそうに笑った。


『私も大好きです、ミランダ。無事で良かったです』

「今度はヴィヴィを連れて行くわね。絶対そうする」

『そうしてください。そうしてくれれば、私も安心です。頑張ります』


 マリアラは黙ってそのふたりのやりとりを聞いていた。胸の奥がじんわりと暖かく、嬉しくなる。

 小さな手提げ鞄を探って、カップ入りの水飴を取りだした。ミランダの腕から解放されたヴィレスタが目を見開いた。


「本当に、ヴィヴィって最高。さてこれ、何でしょう」

『……水飴ですね!』

「当たり~」


 マリアラはカップの蓋を取り、平べったい木の棒を添えて差し出した。ヴィレスタはおそるおそる手を伸ばして、おそるおそる木の棒で水飴をすくい、おそるおそる舐めて、

 叫んだ。


『こ、これは……! なめらかで甘くて、えーとえーとえーと』

「とろんとしてて」

『とろん!』

「すべすべしてて」

『すべすべ!』


 ヴィレスタが一生懸命その語彙を頭脳にインプットする様が目に見えるようだった。ヴィレスタはもう一口食べて、叫んだ。


『甘くて美味しいです!』

「そうそうそれそれ」


 マリアラとミランダは口を揃えて言い、笑い出した。ヴィレスタはただいま言葉の学習中であるので、出来る限りいろんな表現をしてくれと頼まれている。でも今は水飴を味わうのに忙しくてそれどころではないようだ。マリアラは水飴のカップをもうひとつ取り出し、二本取りだした木の棒をひとつ、ミランダに渡して、カップの蓋を取りながら言った。


「……で?」

「で、って?」

「シグルドさんはどうしてアナカルシスに行ったの」


 木の棒についた水飴を舐めて、ミランダはしばらく考えた。

 それから、呻くように言った。


「話せば長いことなんだけど。どうもね……なんて言うのかな……うううん……何て言うのかな。彼は、魔女が自分を助けに来るはずがないって思っていたの」

「……どうして?」

「彼ばかりじゃなくて、人魚もそう言った。彼を助けに来たのは、〈アスタ〉の指示じゃないだろうって。人魚は、彼を助けに来るレイエルがいるなんて夢にも思っていなかった……」


 マリアラは考えた。

 一般学生だった頃、歴史学の授業で習っていた。権力者が人魚の脅迫を受けて、定期的に罪人の男をひとり、人魚の儀式に差し出していたという話だ。人魚には人間の男が絶対に必要だし、権力者は清浄な水を人々に確保し続けるという義務があった。人魚が、シグルドを助けに来る魔女などいるはずがないと思っていたのなら、それは、その協定が現在も続いていると言うことにならないだろうか。大っぴらにされていないだけで。

 でも、不思議なのは――


「悪い人じゃなかったんだよね?」


 それどころか、ミランダが手紙を待つあまりに甘いものを食べまくり、手紙が来ただけでマリアラに体当たりするほど取り乱した相手なのだ。

 ミランダはこくこくと頷いた。


「そこがおかしなところなのよ。彼はルクルスなんですって」

「ルクルス?」


 先日会ったばかりだ。

 マリアラはちょっと、身震いをした。

 南の大島で、ラルフとルッツという、エスメラルダの子供にあるまじき境遇にある、二人の少年に出会った。彼らが自分たちはルクルスだとはっきり言ったわけではないけれど。

 それからもうひとり。リンが子供たちと一緒に雪山で遭難したあの時、彼らの案内人として同行していた山男、ゲンも、自分はルクルスだと言った――そうだ。


 何万人にひとりしか生まれない、魔力の素養を持たずに生まれてくる人間。呪われ者(ルクルス)

 それにしては、かなりの頻度で遭遇してはいないだろうか。


 そう言うと、ミランダはため息をついた。


「それがね……彼が言うには、本当はそれほど希有な存在でもないんですって。生まれてすぐの検査で普通の人と交わらないように隔離されるんですって、だから、私たちが滅多に会わないだけなの」

「隔離って……」マリアラは固唾を飲んだ。「どうして? 何のために?」


 どうしても、フェルドのことを思い出さずにはいられない。〈アスタ〉はフェルドが起きたことをマリアラに知らせてくれなかった。起きたらお見舞いを断る口実がなくなるからと。


 ――お見舞いは控えてほしかったのよ、検査が終わるまでね。だって相棒同士だから、どんな影響があるか――


 ルクルスも、『普通の人と交わらないように』隔離されるという。


 ――この符合はいったいなんだろう。


「そうよね。そう思うわよね? マリアラも、会ったらわかるわ。本当に、普通の人なの。ルクルスだなんて、検査したり、魔法道具を使わせてみたり、しなければ、絶対わからない。でも彼はね、自分がルクルスだから、魔女が自分を助けに来るはずがないって思っていたの。ルクルス仲間もそう言い合うんだって、人魚に捕まったらもう諦めろって」

「そんなの、おかしいね」

「そうよね! おかしいわよね!」


 ミランダはホッとしたように何度もうなずき、木の棒を水飴に突き刺した。


「だから私は、〈アスタ〉の言いつけに背いたことに対して、罪悪感を持つことはやめたの。私は間違ったことはしてない。今度からも、もし人魚の歌が聞こえて来ちゃったら、絶対助けにいくつもりよ。――もちろん今度は、ヴィヴィをつれて、だけど」

「うん、わたしも、ミランダは間違ってないって思うよ」


「よかった」ミランダは微笑んだ。「……でもシグルドがね、〈アスタ〉の指示がおかしかったって思っても、それを指摘するなって言ったの。そんなことを声高に言ったって何も変わらないし、何もいいことなんかないからって。私が煙たがられるだけだって――。それで彼は、アナカルシスに行ったの、面倒を避けるためにね。気づくのが遅かった。最近やっとわかったの。彼がエスメラルダを出たのは、私のためだったのよ」


 マリアラは、また少し、ゾッとした。

 命の恩人のために、今までの人生で培ってきたもの全てを擲って、彼はアナカルシスへ行ったのだ。


「――初めはね、人魚の宴から逃げたことがわかったら、これ以上エスメラルダの庇護を受けられないからだと思った。ううん、それが理由のひとつでも、あるとは思うの。でも既にルクルスなんだもの、魔女の治療だって受けたことないって言ってたし、生まれた頃から隔離されていたんだから、もともと庇護なんかないも同然だったのよ。それに友達や知り合いも大勢いるはずだもの、私が〈アスタ〉の言いつけに背いて勝手に助けに来たなんて言わなかったら、彼は出て行くまでしなくて済んだと思うの。彼が人魚の宴から自力で逃げられるわけがない。彼がエスメラルダに残っていたら、その内私が勝手に助けに行ったってことがばれる。だからだったのよ」


 彼が今までどんな生活をしどんな境遇にあったのか、それはマリアラの想像の外にある。

 しかし、普通のエスメラルダ人とは全く違う環境だったのだということは、わかる。もしかして、と、ふと思った。シグルドは、ラルフやルッツと、知り合いなのではないだろうか――。

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