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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の出張
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出張前(7)

 ウル地区の雑貨店に入って、買い物をした。フェルドはやはり旅行などの必需品について詳しかった。保存食だとか、炎を焚き火にするための道具だとか、寝袋とか、そう言ったものは今回は必要なさそうだったが、細々したものを整理するための小さな鞄や水に濡れても大丈夫な軽い小物入れなどは非常に役に立ちそうだった。軽くて保温性に富んだ防水布も念のために買った。ミランダとヴィレスタのリクエストに加え、駄菓子の類いもいろいろ買った。鉄道に乗っている間にできるゲームも、忘れずに。


「そういやリファスって、アナカルディアの近くじゃないか」


 両替も終え、昼食を取るために入った店で、料理を待つ間に買ったものを整理していると、さりげない口調でフェルドが訊ねた。マリアラは顔をあげ、そういえばそうだ、と思う。


「うん、そう。地下の街、って意味なの、昔はね、地下に街があったんだって」

「知ってる。狩人の本拠地じゃんか」

「の、近く、ね。別に大丈夫だよ。魔女だってわからない格好で行くし、ヴィレスタもついてるし。向こうに着いたら、駅員さんとか、医局の担当の人とかが、がっちりガードしてくれるって、言ってたし」


 フェルドが何か言う前に、料理が運ばれてきた。フェルドはピリ辛のネギソースがたっぷりかかった鶏の唐揚げ定食だった。マリアラはクリームソースのスパゲッティを食べながら、本当に肉が好きなんだなあ、と思う。ララも“どんだけ肉食なの”と言っていたっけ。全然太っていないのに、いったいどこに入るんだろう。


「……気をつけろよ」


 食べながらフェルドが言った。マリアラは顔を上げた。


「え? なにに?」

「出張だよ。……気をつけろよ、ほんとに」


 不安そうな口調だった。マリアラが、驚くほどに。

 こんな不安そうなフェルドは、初めて見た気がする。

 それでも、フェルドが言いたくて、でも口に出せないことが、マリアラには良くわかった。


 ―― 一緒に行ければいいのに。


 マリアラも思った。フェルドが、一緒に来てくれれば、本当にいいのに。

 だからマリアラは、微笑んだ。


「……だいじょーぶ、だよ。すぐ帰ってくるし、たったの四日だし。四日目はね、帰りの列車が午後二時発なの。夜には帰ってこられる。で、その日の午前中は、自由にしてていいんだって。ミランダの……」


 危ない。どうして今日はこうも口が軽くなっているんだろう。


「……ミランダと一緒に買い物でもしようかなって。お土産、いいのがあったら買ってくるね。地下街煎餅とか、あるらしいんだけど。お煎餅、好き?」

「甘くないなら」


 もりもり食べ続けながらフェルドが言う。美味しそうに食べるなあ、と思った。先程の不安そうな様子はすっかり失せて、もういつもどおりのフェルドだった。いつもどおりの、青年というよりは少年のような、様子だった。二つも年上のはずなのに、あまりそう思えない。髪がとても短く切られているから余計にそう見えるのだろうか。くっきりした眉が強情そうな内面をうかがわせる。


 マリアラはできるだけゆっくりと食事をした。デザートも頼もう、と思った。買い物も両替も昼食も済んでしまった。これ以上ぶらぶらする必要も口実もない。ここを出てしまったら、【魔女ビル】に戻らなければならない。荷造りもしなければならないし、出張についてミランダかヴィレスタか〈アスタ〉か医局の人たちが、連絡を取りたがるかもしれないのだ。名残惜しい気分が胸を満たした。出張に行くなんて約束、しなければよかった、とまで思った。そうしたら今日は一日、一緒にいられたかもしれないのに。


 二週間も会いに行かなかった。どうしてだろう。

 会いに行っておけば良かった。そうしたらこんなに名残惜しい気分にならずに済んだのに。


「まだ時間いい? ケーキ、食べてもいいかなあ」

「いーよ。俺はぜんぜん急いでないから」


 フェルドはメニューを開いて差し出してくれた。コオミ屋とはまた少し違ったタイプの洋菓子が、ずらりと並んでいる。悩んだ末に、マリアラはチーズケーキとお茶を頼んだ。黄金色の、チーズがたっぷり入ったどっしりしたものがマリアラの好物だった。


「グレゴリーって甘い物、好きかなあ? お茶は大喜びだったけど……」

「好きだよ? 〈アスタ〉が用意してる荷物のうちひとつは甘いものなんだ。クッキーとか饅頭とかチョコレートとかね。俺一度見たことあるけどさ、あれだけの量を一週間で食べるんだから相当だよ」

「あ、そうなんだ。やっぱりリズエルってみんな甘いものが大好きなんだね」

「お茶、喜んだろ」

「うん、すごくね。そうそう、それで、お礼にって……」


 そうだ。それで思い出した。

 フェルドはデクター=カーンが大好きで、レプリカの地図を持っているくらいだ。グレゴリーがくれた地図を見たら、どういう顔をするだろう。


「ね、フェルド、グレゴリーがね、デクター=カーンの……」


 言いかけて、マリアラは驚いた。フェルドが顔を強ばらせた。


「デクター=カーン!?」

「え? ……うん。どうした、の」

「……いや」フェルドは視線をそらした。「なんでもない。で、グレゴリーがなんだって?」


「や、その……」


 マリアラは戸惑っていた。今の反応は何だろう?

 つい最近――ほんのつい最近、ラセミスタと一緒に書店とコオミ屋に出かけた、あの帰り。“コアなファン”の襲来に怯えていた時に、フェルドが迎えに来てくれた。

 あの時、ビアンカ=クロウディア姫と、デクター=カーンの話をした。あの時は全然、普通だったのに。


 フェルドはマリアラを見て、自分の形相に気づいたのだろう。バツの悪そうな顔をした。


「ごめん、ちょっとびっくりして。なんでグレゴリーとあんな奴の話になったんだ?」


 ――あんな奴?


 そこにケーキが来た。少し空気が変わって、マリアラはほっとした。


「あ……あのね。エルギンやニーナのことを、調べたいと思っていたの。でも全然手掛かりがなくて。その話をしたら、グレゴリーが、暗黒期のことならデクター=カーンについて調べるのがいいって、教えてくれて……五十年前に」マリアラは咳払いをした。「エスメラルダに、デクター=カーンと名乗る男の人が現れているんだって。で、本物じゃないと言い切ることはできないんだって、それで、もしも本人なら、暗黒期の前については、彼がすべてを知ってるだろうって……」


 我ながらたどたどしい説明だった。その上、フェルドの表情がどんどん険しくなっていくので、尻つぼみになって消えてしまった。こんな話題を持ち出したことを後悔した。

 いったい、どうしたのだろう。以前は、デクター=カーンの話をしたとき、こんな顔をしていなかったと思うのに。


「……あのさ」


 フェルドは、静かに言った。

 店のざわめきの中に、溶けてしまいそうな声だった。


「デクター=カーンのことも、暗黒期のことも、これ以上……調べない方がいいよ」


 あまりに真摯な声に、驚いた。


「……どうして?」

「どうしても。エルギンやニーナのことが気になるのはわかるよ。俺ももちろん気になる。でも……こないだも言ったけどさ、なんか、きな臭いっていうか、変な感じが、するって言うか」


 言いよどんで、彼は、真っすぐにマリアラをみた。

 すがるような視線だった。


「今はうまく言えないんだけどさ。俺の検査が終わるまでだけでもいいから、これ以上、それについて調べないでくれ」

「……フェルド?」

「頼むよ」


 ――頼む?


 どうして頼むのだろう。

 どうして、こんなに必死になって、こんなことを頼んだりするんだろう。

 疑問は湧いたが、あまりの真剣さに、押されるように、うなずいていた。


「……わ、わかった」

「本当に?」

「うん……わかった」マリアラはもう一度、うなずいた。「わかったよ、フェルド」 

「……よかった」


 フェルドの声はあくまで静かだった。マリアラは硬直を振りほどくために、ケーキを口に運びながら、一体どうしたんだろうと考えた。


 ――頼むよ。


 本当に、どうして頼むんだろう。検査が終わるまでだけでもいいから、というのは、どういうことなのだろう。エルギンのこと、ニーナのことを、知りたいだけなのに。別に悪いことをしている訳じゃない。なにか、そう、秘密のようなものを、探り出そうとしているわけでもない。のに。


 ――〈アスタ〉の手は出来る限り借りない方がいいね。

 ――カルロスの神経を逆なでする。


 グレゴリーの言葉も耳に甦って、マリアラは少し身震いをした。そうだ。暗黒期の前について調べることは、誰かの神経を逆なですることなのだ。フェルドの言うとおり、きな臭いことなのかもしれない。でもグレゴリーには止める気はないようだった、それどころか、手掛かりまでくれた。デクター=カーンの地図、アナカルシスで売れば一年は遊んで暮らせるという価値のものを、あまりにあっさりと。手掛かりをくれて、調べることを応援してくれているようだった、のに。


 でも。

 フェルドに頼まれてしまった。


 忠告だけだったら、と考えた。フェルドに、調べない方がいいよ、と、忠告されたのだったら、多分やめなかった。でも頼まれて、そして、頷いてしまった。だからこれ以上、調べるわけにはいかないだろう。

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