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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の変貌
244/781

検査室にて

 ミランダが医局に詰める日は、週に二日ある。

 二週間ほど前まで、それはあまり楽しみとは言えない時間だった。医局に詰める右巻きは、例外なくレイエルである――つまり、右巻きであっても治療ができる人たちなのだ。ヴィレスタは右巻きの役目を担うアルフィラであるが、逆立ちはできても治療はできない。ゆえに、医局では、どうしても、自分の無力さを噛み締めないわけにはいかなかった。


 勉強してどうにかなることならばよかったのだけれど、治療というものは、努力でどうにかなることではない。


 医局について学ぼうにも、みんな大忙しの医局では、誰かに質問するにも調べたりするにも限度がある。


 だから医局にいるときは、できるかぎり本を読んで過ごすことにしていた。邪魔にならない片隅に引っ込んで、可能な限り自分の存在を消して、来る日も来る日も、さまざまな本を読んで過ごした。疑問点はメモしておき、後でミランダに聞くことにして。栄養補給の時間もとらないことが常だった。ミランダが休憩を取るときにはお相伴したが、医局に詰める左巻きはいつも忙しく、立ち食いのように済ませることも多かった。


 そういうわけで、フェルディナント=ラクエル・マヌエルが二度目の孵化を迎えて医局で検査を受けることになったとき、ヴィレスタはとても嬉しかったのだ。彼は暇だったからだ。データを取られるだけで彼自身がやらねばならないことはほとんどなく、検査室でいつも、退屈そうにしていた。ヴィレスタが紛れ込むと、話し相手ができたことを歓迎してくれたし、本を読んで分からないことがあれば相談に乗ってくれた。彼はヴィレスタの“誕生会”を開いてくれた人たちのひとりだったし、ヴィレスタの名付け親の相棒である。気のいい笑顔と親切な物腰が、ヴィレスタにはとてもありがたかった。誰かと一緒に食べる食事は美味しい。同じカマのメシを食べる、という言い回しを、教えてくれたのも彼だ。


『おはようございます、フェルド』


 朝、挨拶をする。フェルドはいつもどおり、検査服を着てシートに座って雑誌を読んでいた。顔を上げて、よう、と言う。


「よーヴィヴィ。今日は何時まで?」

『三時までです。そのあとは、一時間だけ製薬を担当して、終わりです』

「そっか」


 話しながらヴィレスタは抱えてきた本の山を机に置き、彼は自分用の本や雑誌の山を少し動かして場所を開けてくれる。


「今日は何の本?」

『保護局の仕組みはだいたいわかりましたので、今日からさまざまな犯罪事例を学ぼうと思います』

「へー、そんな本もあったんだ。終わったら次、貸して」

『はい、図書室で一度返却手続をして、そのままフェルドの名前で借りてきますね』

「ありがとう。いつも悪いねえ」

『いえいえ』


 彼はさまざまな犯罪や、それを取り締まる保護局警備隊に興味があるようだ。それは自分に右巻きの自覚があるからなのだと、ヴィレスタは理解している。

 医局の人たちは、彼のそばにいることで、ヴィレスタになにか悪影響があるのではと憂慮している――という話を聞くが、それがヴィレスタには理解できない。彼は一番身近な右巻きの先輩であり、さまざまな心得や心構えなどを教えてもらうのに最適な人材であるというのがヴィレスタの認識だ。


 彼が最近取り組んでいることが『ろくでもない』という評判を得ているのも不思議だ。彼はただ、犯罪者の事例を学ぼうとしているだけなのに。


 ともあれ、彼は本を読んだり“犯罪者の事例を学ぼうとしたり”し、ヴィレスタはそれを観察したり本を読んだり、何か疑問があれば彼に訊ねたりして、時間は過ぎる。――通常ならば。


 今日はそれが少し違った。

 ヴィレスタがここにきて、30分くらい経った頃、だろうか。

 珍客がやってきたのだ。ヴィック――ヴィクトル=イリエル・マヌエルが。


 フェルドはヴィックを知らなかった。それはそうだろう、ヴィックは左巻きなのだ。フェルドとはほとんど接点がない。ヴィレスタがヴィックを知っていたのは製薬所で顔見知りになっていたからで、初め、フェルドもヴィレスタも、ヴィックがやって来たのはヴィレスタに用があったためだと考えた。


「おはよー、ヴィヴィ。おはようございます、フェルディナント=ラクエル・マヌエル」


 ヴィックは朗らかにそう言って入ってくると、扉を閉めた。そこに体をもたせかけ、フェルドをしげしげと眺めた。まるで観察でもするかのような、あまり友好的とは言えない態度だった。ヴィレスタは戸惑っていた――ヴィックはいつもにこやかで、親切な人だという認識だった。なのに。

 今のヴィックは、まるで別人のようだった。


『ヴィック、おはようございます。おかけになりませんか?』


 ヴィレスタがそう言うと、ヴィックはフェルドに視線を固定したままニコリとした。


「どうぞお構いなく。製薬の前に、ちょっと観察しにきただけだから」

『観察?』

「なにを?」


 フェルドが穏やかな口調で言った。その言い方で、彼はヴィックの意図をなんとなく察しているのではないかとヴィレスタは予感した。いや、まだまだ人の心の機微などについて勉強中の身だから、ただの勝手な推測に過ぎないのだけれど。


「彼女の“前代未聞”の相棒を」


 ヴィックはそう言い、吐き捨てるように続けた。


「口さがない人たちはみんな、彼女の魔力の弱さがあんたの強さに見合わないって言う。なんであんな弱い子が、前代未聞のフェルディナントの相棒に選ばれたんだろう。そういう言い方をする。前からだけど、今はもっとだ。……二度目の孵化を迎えそうもないあの子には、その資格はないんじゃないかって」

「……」

「俺は孵化のやり方を間違えた。今からでも右巻きのラクエルになれるならどんなにいいかと思う」

「……」

「あんま苛立たせないでくれる? おちおち外国に赴任してもいられないよ」

「……外国、行くんだ」


「行くよ!」がん、と、踵が扉にぶつかった。「行きたくない。でも、仕方がない。十代のイリエルのペアは、外国に行くのが普通だから」

「いつ?」

「来月。でも……この状況があんまり続くなら、何とか丸め込んで、一緒にレイキアに連れてくからね。口実はいくらでもある。左巻きは多い方がいい。レイキアなら魔女はすごく大事にされる。護衛も付く。右巻きひとりで二人を守るのだって不可能じゃない」

「そうか……」

「それがリミットだ。どうにかしろよな。……なんで魔力が弱いってだけの理由で、あの人の方がっ、あれこれ好き勝手言われなきゃなんないんだよ!」


 ヴィックはなんとか激情を飲み込んだ、ようだった。

 ややしてヴィックは、踵を返した。おじゃましましたー、と、普段どおりのおどけた言葉を残して扉を開ける。


『ヴィック。もういいのですか』


 ヴィレスタは不思議だった。経験の足りないヴィレスタには、ヴィックは、ただ喧嘩を売りにきたようにしか思えなかった。 自分勝手な怒り。レイキアに行きたくないがための八つ当たり。そのためだけに来たようにしか、思えなかった。


「うん、もういいよ。言いたいことは言ったから」

『……そうですか』

「あんたも大変だね」全然大変だと思っていない口調で、ヴィックは言った。「昨日、【夜】に向けて【穴】が空いたときの話、聞いた?」


 今それを言うのか。ヴィレスタは内心、ハラハラした。

 昨日、【夜】に向けて【穴】が空いた。前回は空間の歪みは簡単に散らされたと言うが、今回はそうはいかなかった。実際に【穴】は空き、魔物の触手が噴き出たのだという。駆けつけたラクエルたちによって【穴】は塞がれ、魔物はこちらに入り込む前に撃退され、結果として全てが上手くいったのだけれど。


 フェルドは出動要請さえされなかった。

 全てが終わってから、その話を聞かされた。


 右巻きとしてそれがどんなに腹立たしく忌まわしいことなのか――生まれたてのヴィレスタにさえ、理解できるほどなのに。


「ダスティンとかいう右巻きのラクエルが、あの人に、自分に乗り換えてくれって、言い寄ったんだって。……知らなかった?」


 ――なんだそれ。

 ヴィレスタはぽかんとした。初耳だった。多分フェルドもそうだろう。ヴィレスタは、ミランダのために、外見も性別も調整されてこの世に生まれ出た存在だ。生まれる前から相棒はミランダであり、他の人が相棒になるなんて想像もできない。

 しかし、確かに、人間は違うのだろう。相棒を気軽に取りかえたりすることも、相棒の留守に誰か違う人間が自分の相棒になってくれと頼むことも、良くあることなのだろう――か?


 ヴィックは囁くような声で言った。


「ダスティンの気持ちはほんとよくわかるよ。俺もその権利さえあれば言ってるもんね。あの人が何て答えたか、知りたいんじゃないかと思って」

「……なんて」

「知ーらない」


 悪意の滴るひと言だけを残して、ヴィックは扉を閉めた。ぱたん、必要以上に丁寧な音が、静まり返った検査室に響く。


 ぴっ ぴっ ぴっ

 ぴっ ぴっ ぴっ


 かすかな電子音だけが、感覚器官の隅っこで聞こえている。フェルドの身体の様々な場所に付けられた電極から伸びたコードが、縦横無尽に床を這っている。この電極はいったいどういう理由で付けられているのだろうとヴィレスタは思う。毎日毎日、来る日も来る日も、同じデータをとり続けているようにしか思えないのに。無為な日々を過ごしているのは、彼の本意ではないのに。


 彼は無言だった。“なんであの人があれこれ好き勝手言われなきゃなんないんだよ”とヴィックは言った。それはヴィレスタも言いたかった。なぜフェルドは、ヴィックに、あれこれ好き勝手言われなきゃならなかったのだろう。

 その原因も理由も、生まれたてのヴィレスタにはまだ推察できない。

 ヴィレスタの感覚器官が、おかしな現象を捉えている。その原因も、わからない。

 気温が下がっている。【魔女ビル】の中の空調は万全で、いつも快適な温度と湿度を保っている。だから室温が下がるはずがない。――それなのに。


「ヴィヴィ」


 少し経って、フェルドが言った。ヴィレスタはホッとする。『はい?』


「明日って、【魔女ビル】にいる?」

『明日ですか? 明日はまだいます』


 フェルドがこちらを見た。「まだ?」


『ええ。明後日から、出張医療が入っているので……アナカルシスのリファスというところに、四日間の予定で。そのため、明日は午前中に〈アスタ〉から注意事項や心得などのレクチャーを受け、その後は準備を調える予定になっています』

「そっか」


 彼はヴィックの態度や言葉を、あまり気にしていないようだった。少しこちらに身を寄せて、声を低めた。何か楽しいことを打ち明けるように。

 室温は、まだ戻ってはいなかったけれど。

 楽しげとさえ言えそうな声で、フェルドは言った。


「ちょっとさ、頼みたいことがあるんだけど――」

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