乱入と調べ物(6)
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ウィナロフという人物についての事情聴取も終わり、様々な事後処理を終え、雪山での報告書も書き終えたのを見計らって、イクスがリンを呼び出した。【学校ビル】の喫茶室に。
イクスは頭がいい。というか、悪知恵が働くのだ。自分があの吹雪の時に取った行動が、保護局員にふさわしくなかったという程度の自覚はあったようだった。イクスは報告書の記述に齟齬がないか確かめたいから持ってきてくれと珍しく下手に出て、【学校ビル】の喫茶室でケーキまでリンにおごった。そしてリンの報告書を読んで、イクスの行動について書かれている部分を逐一チェックした。リンは遠慮なくケーキを食べながら、あまりひどいことを書かずにおいて良かったと思っていた。イクスが書いていた報告書にも、リンについての悪い報告は全くなく――というかそもそもリンについての記述がほとんどなかった――イクスはすぐに、安堵したようだった。
彼は満足そうに笑った。いかにも、リンを『可愛い後輩』に戻してやったぞと、言わんばかりの笑顔だった。
「出しといてやろうか」
「いいわよ、この帰りに出せばいいんだし」
「じゃ一緒に行くか」
用心深いなあ、と、苦笑したくなった。チェックした後に追記されることを心配しているのだろう。もうこの人には本当にうんざりだった。確かに気に入らない人だけど、指導官に告げ口してまで追い落としたいとは思わない。けれどリンに対してここまで疑心暗鬼になるのなら、たぶんイクスは気に入らない人のことは指導官に告げ口するのだろう。そう考えるとますますうんざりしてしまう。
救いは、次の研修――明日から始まる――は、イクスとは一緒じゃないというところだ。早いところ始まらないだろうか。一ヶ月の間、保護局警備隊の指導官に、警備隊の仕事について朝から晩までみっちり指導されるというもので、指導官志望の学生たちからは過酷な研修だと恐れられている。けれどリンは楽しみだった。何しろ、雪山でリンを助けてくれたうちのひとり、ジルグ=ガストンが、偶然にもリンの担当になったのである。
ジルグ=ガストンという人はあの時までリンの意識の範囲外にあったが、今はその伝説についてひととおり詳しくなっている。その情報の出所は主に女性の先輩方からだ。研修でガストンが担当になったという先輩は、過酷だがあれほど幸せな研修もなかったと、うっとりした吐息と共に囁き声で語った。今から明日が楽しみでたまらない。
まあ今はまだ明日ではなく、研修の合間の貴重な休みの日なので、イクスのご尊顔を拝していなければならないわけだ。早いところケーキを食べ終えて寮に戻ろう、と思っていると、眼下、【学校ビル】の入り口付近を、マリアラが歩いているのに気づいた。
リンは思わずガラス張りの壁に額を押し当てた。マリアラは普段着を着ていた。ノートや筆記用具を入れる小さな薄っぺらい書類鞄を持っていたが、それ以外は手ぶらだった。首元に魔女の鎖すらかけていないようだ。急いでもいないようで、足取りはのんびりとしている。
「なんだよ?」
イクスが覗き込む。リンは首を傾げた。
「マリアラだ。忙しくないのかな? 【学校ビル】になんの用だろう」
「そりゃ忙しくないだろ。何しろ『前代未聞』の相棒なんだからさ」
イクスはこともなげにいい、リンは彼に視線を戻した。
「なにそれ?」
「フェルドがあの時体調崩したろ。なんか、二度目の孵化が来たとか言ってたじゃん。二度目の孵化なんてさ――」イクスは面白くなさそうな顔をした。「小せえ頃から特別扱いだったけど、やっぱ、そう言うことが起こりそうな奴だったってことだ。今頃検査三昧なんだろうし、魔女のシフトにはふたり揃ってないと入れないから、あの子は今は暇なんだよ」
決まってるだろ、と言いたげな口調にリンはため息をついた。
イクスはこうして人に教示を垂れるのが大好きなのだ。顔付きこそ面倒くさそうだったが、小鼻がぴくぴくしている。
イクスはそして、にんまりした。
「【学校ビル】に来たってことは、図書館にでも行ったのかな? 後で捜しに行ってみよっかな」
「なんで?」
今自分がそれをしようと思っていたところだ。ちょうどいいからおしゃべりしたいし、フェルドの孵化が風だったとマリアラが嘘を――たぶん――ついたことについても、確かめておきたかった。
リンも聞かれた。孵化が目の前で起こったとき、何か気づいたことがなかったか。マリアラは風だと言ったが、本当に風だったのか。
リンは頷いた。あたしは孵化なんて見たの初めてだし、何にも気づいたことなんかないし、マリアラが風だと言ったのなら、それは風だったんじゃないんですか?
――闇が右巻きに渦巻いてる……
イクスは眠っていて、あの言葉を聞いてはいなかった。イクスが聞いていたなら、あの嘘も成立しなかったに違いない。嘘をついて良かったのかどうか、マリアラに確かめたかった。
でもイクスにはマリアラにこれ以上用があるとは思えないのに。
イクスは事もなげに言った。
「だって可愛いじゃんあの子。フェルドの相棒だってその内解消になるかも知れないからさ――魔女ったって男の相棒がいなきゃそれほど高嶺の花ってわけじゃないしさ。お前の友達なんだっけ? 同じクラスだったって?」
「え、あ、うん。そうだけど。解消って、なんで?」
イクスはそんなこともわからないのかこのバカ、という顔をした。
「だってフェルドは前代未聞なんだ。マリアラが今暇してるってことは、マリアラには二度目の孵化なんか起こらなさそうだって、〈アスタ〉が判断したってことだろ? その内左のラクエルで二度目の孵化を迎える魔女が出たら、フェルドの相棒にはそっちのがふさわしいじゃんか。フェルドは悔しいだろうなあ、せっかくマリアラと相棒になったのにさ」
ざまみろ、と言いたげな口調にリンは、雪山でフェルドに聞いた話を思い出した。
――見かけたことがあったんだ。
――イクスは耳が早いから、軽い気持ちで名前を聞いた。
「フェルドって、マリアラのこと、知ってたんだってね。孵化する前から」
「そ。二年くらい前かな」イクスはそして、少し首をかしげた。「そういえば、変だったんだよなあ、あの時」
「変?」
「二学年下ってことは、お前らあんとき十四歳クラスか? 一般学生の一年目、な。体験学習かなんかで、【魔女ビル】見学に来ただろ」
「あ、うん」
「俺達休みの日で、ちょうど今みたいに、窓から覗いてたんだよ」
「どうして? 体験学習なんて別に珍しくも――」
「可愛い子いないかなって見てたんだよ。普通だろ」
普通か?
疑問はわいたが、リンはそれについては沈黙を守った。
「フェルドは無関心な奴で、そういうことには興味無さそうだったんだ。でも奴がちょうど通りかかった時にマリアラが下を通ったんだよ。そしたらあいつ、ギョッとしたんだ。こんなところにいるはずのない人間を見つけたって感じだった。俺達の前でそういう隙を見せるなんてへま、したのはあの時が最初で最後だった。血相変えて名前聞いたんだ。あの子の名前知ってるかって」
「……なにそれ」
こんなところにいるはずのない人間を見つけた。
血相を変えて名前を聞いた。
ひとつひとつならありえても、二つ合わさると、それは少し異様ではないだろうか。こんなところにいるはずがない、という程度の知識があるなら、名前くらい知っていそうなものだ。それにマリアラの方はフェルドを知らなかった――はずだ。だってある程度の知識があったなら、“ゲーム”にフェルドが参加していることだって推測できたはずだし、あの時、三人とも会ったことがない人なんだよ、と、確かいっていた。気がする。
「その後……どうしたの」
「さあ? 名前と学年は教えてやったけど、その後どうしたかまでは知らねえよ」
「同室だったんじゃないの?」
「うーん?」イクスは眉間にしわを寄せた。「その後あんま会ってねえんだよな……フェルドの方も、俺達に弱みを握られたって思っただろうから、あんまり部屋に戻って来なくなったし、ああ、そうそう。その後一週間かそれくらいして、フェルドが孵化したんだよ。で、それっきりだ」
「ふうん……変なの」
リンはお茶を飲み終えて、立ち上がった。
「ごちそうさま。じゃ、また」
「待てよ。報告書、出しに行くんだろ」
イクスはやはり用心深かった。渋々イクスに連行されて行きながら、リンはマリアラのことを考えた。捜しに行こうかと思ったが、イクスがついてくるならやめた方がいいかもしれない。前代未聞の相棒、あんなに息が合ってる感じだったのに。それどころか、お互いに、少なからぬ好意を――多分――持っていたはずだと思うのに。こんなことになって、きっとマリアラは落ち込んでいるだろう。暇をしているところを、ちゃんとした魔女らしくないところを、リンに見られたいかどうか。ましてやこんなお邪魔虫がついてきて、不用意なことを――前代未聞だとか、今後相棒を解消するかもしれないし、とか――言いでもしたら目も当てられない。
相棒を解消するなんてことになりませんように。
リンは祈りつつ、雪山の指導官の部屋へ報告書を出しに行った。
その後イクスが図書館の階へ行こうとするのはありとあらゆる手段をもって阻止しなければ、と考えながら。




