乱入と調べ物(2)
「――」
「……あー、ちょっとマシになってきた」
フェルドはメモ帳をマリアラによこした。隠せ、というような身振りをして、マリアラが枕の下にそれを隠すと、安心したように食事を再開した。見る見る内にステーキが数を減らしていく。スープとサラダとパンも。〈アスタ〉の苦笑交じりの声が聞こえた。
『そろそろいい? 外でやきもきしてる人がどんどん増えているわよ』
「いやだ」
『……フェルド』
「い、や、だ、っつーの。管だのコードだの体中につけられて目を覚ました俺の身にもなってくれ。寝てる間に勝手なことしやがって、人を何だと思ってるんだ」
『仕方がないじゃないの。いろいろ検査しなきゃ、』
「トイレにいきゃ尿をよこせって言われるし、食い物は全部流動物だし、一日経っても外にださねえって言うし、病気じゃねえっつーんだよ。どこもおかしくないしもうすっかり元気。嫌だ。今夜は絶対嫌だ。自分の部屋で寝る。じゃなきゃマリアラを人質にしてここに立てこもってやる」
『困ったわねえ……』
「昨日から起きてたの……?」
思わず口を挟むと、フェルドはこちらを見た。
「知らなかったのか?」
「フェルドが起きたって知ったの、ついさっきだよ」
「……〈アスタ〉?」
軋るような声でフェルドが言う。〈アスタ〉は苦笑した。
『ごめんなさい。マリアラが様子を見に行きたいって言ってたから、起きたら断る理由がなくなるでしょう』
「なんで断らなきゃいけないのかな!?」
『お見舞いは控えてほしかったのよ、検査が終わるまでね。だって相棒同士だから、どんな影響があるか――』
フェルドはため息をついた。マリアラもだ。
そしてふたりは同時に叫んだ。
「「なんだそりゃー!」」
『あら、もう悪影響が』
「違うだろ!? じゃあなにか〈アスタ〉、俺が伝染病とかにかかってるみたいに思ってるわけか!?」
「ひどいよ〈アスタ〉! そんなのないよ!」
『そうじゃないわよ。ただマヌエルの波長はまだ謎が多いから、リスクをできるだけ減らしたかっただけ。悪気はないのよ、本当に。二度目の孵化がどんなものなのか、まだわからないんだもの。仮魔女期に他の魔女から隔離するのと同じことよ』
「悪いものじゃないと思ったけどな……」
つぶやくとフェルドがうなずいた。何度も。
「そー! そーそーそー、そーだよな。別に不自然なことじゃないよな。俺もそう思った。起こるべくして起こったっていうか。だから大丈夫」
『そうなんでしょうけどね。これから二度目の孵化を迎える人が増えてくるなら、フェルドに協力してもらっていろいろ調べておいた方が、後で役に立つに決まってるじゃないの』
「……協力? あれが?」
フェルドが顔をしかめる。〈アスタ〉はまた苦笑した。
『協力を要請するわ。そうね、配慮が足りなかったわね。わかりました。今夜は自分の部屋に戻りなさい。明日から、自分の意志で、協力してくれたら本当に助かるわ』
「そんなに助かるんだ? ふーん」
フェルドは冷たく言った。そのとき、扉が開いた。
ラセミスタが帰って来たのだ。
フェルドが口だけで何か言った。遅えよ、と言ったようだ。
「マリアラ、ただいま。おはよう、フェルド。前代未聞だなんて、大変だね」
ラセミスタは軽い口調で言い、フェルドは本気で嫌そうな顔をした。ラセミスタの後ろから覗き込もうとしている白衣の人達を威嚇して、ラセミスタを引きずり込んでまた扉を閉めると、フェルドはマリアラの枕の下からまたメモ帳を引っ張り出して書いた。
ややして書かれた文字を読んだラセミスタは、うなずいた。フェルドは安心したようにメモ帳をまた枕の下に戻した。そこまで済むと、空になったステーキの皿と盆と、さっき食べたマリアラの頼んでいた夕食の皿と、〈アスタ〉のスクリーンを隠していた盆を回収して、返却口に入れた。現れたスクリーンの中で、アスタが言う。
『協力、してくれるの?』
「気が向いたら。人を実験体扱いしなかったら。ちゃんとした食事が毎回出るなら。夜は自分の部屋に帰れるなら。自由時間がちゃんとあるなら。外出したい時にはできるなら。俺の意志を無視して勝手なことしないなら! 考えてやってもいいけど! じゃあお休み! ごちそうさま!」
そう言うとフェルドは部屋を出て行った。マリアラはラセミスタを見た。ラセミスタは寝台のしわを伸ばして、あーお腹すいた、と言いながら注文パネルを覗き込んだ。マリアラを見て、
「マリアラは?」
「あ……あ、うん。食べる」
「今日の特別メニューはアジフライ定食だって」
「じゃあそれ……」
『邪魔してごめんなさいね、ふたりとも。お休みなさい』
〈アスタ〉の声が聞こえた。スクリーンが暗くなる。ラセミスタは注文を終えると、口に指を一本当てて見せた。スクリーンに歩みよって、何か調べると、うなずいて、小さな折り畳みの機械を取り出した。機械に収納されているコードを伸ばして〈アスタ〉のスクリーンの下にある小さな穴に差し込み、機械を開いて、中にある小さなスクリーンを見ながらキーボードで何かぱたぱたぱたぱたっ、と、叩いた。
ややして彼女は言った。
「もう話していいよ。〈アスタ〉に聞かれる心配はないから」
「えっと……何したの?」
「うん、ちょっとこの部屋のカメラとマイクをオフにして、〈アスタ〉がそれに気づかないようにしただけ。けどフェルドの注文はやっかいだな。うーん……やっぱりまだ無理だな……人目が多すぎる」
言って機械をパタンと閉じた。届いた食事を取って、ひざに乗せた。
「まあとにかく、食べよう」
「フェルドに何頼まれたの」
「そうそう、今のうちにそのメモ処分した方がいいよ。筆談だなんて久しぶりだな。マリアラ、火で燃やして? あとで灰をトイレに流せばいいんじゃないかな」
言われるままにマリアラは枕の下からメモ帳を取り出した。フェルドが書いた部分を破り取って、眺めた。
アスタが邪魔。一時間欲しい。できれば毎晩。
「一時間で何するつもりなんだろうね。まあ多分真夜中がいいんだろうね。毎晩部屋に帰れるならって注文つけてたし」
ラセミスタは事もなげにいいながら、アジフライにかみついた。さくっ、とフライが音を立てた。マリアラはメモ帳を燃やして、灰を盆に乗せた。
「……何だか大変な感じ」
ため息をつくと、ラセミスタはうなずいた。
「前代未聞だからね。前代未聞というのは、窮屈なものなの」
まるで自分が前代未聞でもあるような言い方だ、とマリアラは思い、
すぐに、それが真実であったということを思い出した。
ラセミスタは史上最年少で魔法道具製作員の座を射止め、将来を嘱望されるあまり、いつか迎えるであろう孵化が起こらないようにと、事前に処置されたそうだ。
――前代未聞。
ララの魔力は信じられないくらい強いの。
フェルドもそうよ。
ミランダの【親】はイリエルなの。
――なんだかわたしの周りで……前代未聞じゃないのはわたしだけ、みたいだ。
ラセミスタは続けた。
「特にフェルドは窮屈だろうな。ただでさえあんなに自由が好きなんだもんね」
「孵化する前から風に遊ばれてたって……?」
「うん。そう。まあそれは前代未聞ってほどでもないけど、珍しいことは確か。フェルドの今までの生涯は戦いの歴史なんだよ。子供のころから特別扱いだったから、同室の子たちに目の敵にされちゃって、結構体が小さかったから、本当に小さいころはやられっぱなしで。でもやられっぱなしでいられるような性格じゃなかったので、三倍返しを覚えた。腕っ節も鍛えたし、風も味方してくれたから実力行使してくることはすぐになくなったらしいけど、彼らは忘れたころにベッドの中に蛇入れたりするんだよ。くっだらないよね。で、フェルドは、全部我慢しないことにしたの、我慢しても彼らが喜ぶだけだから、よりいっそうえげつない手段で報復することにしたの。手出しをしても何の益もないってことを彼らの骨髄にたたき込むって言ってた。そこで次の晩には彼らのベッドにはサソリが」
「サソリ!?」
「毒のないやつね。だからフェルドはサソリの生態には詳しいんだよ。他にもいろいろ。どんな小さないじめにもきっちり三倍だと思われる報復をおこなった。十三歳かそれくらいには、一番のいじめっ子だったキッタって子が孵化して、別の国――レイキアだったかな? そこに配属になって、他の子はキッタなしでフェルドに立ち向かう勇気もなくて、それでフェルドの生活は平穏になったの、でも」
ラセミスタは少し考えた。
「フェルドが一度【穴】に落ちてね。もう三年前になるかな。どっか遠くの島に飛んじゃったって言ってた。あの時の【魔女ビル】は本当に大騒ぎだった。魔女が追いかける前に【穴】が閉じちゃったもんだから、行方を捜すのに数日かかったんだけど――あの時、あたしも、ちょっと変だと思った。元老院と保護局が総出で血眼になって捜したの。まだ孵化もしてない、十五歳の男の子をね。帰ってしばらくは監禁状態だった。フェルドはだから――本当に、特別扱いなんだよ。孵化する前から」
「……」
「それから孵化をして、箒を手に入れて、頻繁に行方不明になるようになった。みんなが心配するし、特にダニエルに多大な迷惑をかけたけど、でも、それはしょうがないとあたしは思う。フェルドは自由になりたいんだよ。自分が前代未聞じゃないところ。誰も自分のことを知らない場所に、行きたいんだろうなって、あたしは思ってた、ずっと」




