ふたりで買い物へ(4)
「さっきのね、本を選ぶことにかけては業界随一と自負してる、そういう人にお勧めしてもらえるって、すごく面白いなって思ったの。――スタイリストさんと同じだよね。あたしひとりで探してたんじゃ、魔法道具関連の書籍はともかく、他の分野で使えそうな記述のある本までは、どう頑張ってもたどり着けないじゃない? そこんところを、なんか、うまく、組み合わせられないかなあって」
書店にいた時間は思っていたよりずっと長かったらしい。時計を見ると、もうお昼をとっくに過ぎていた。楽しそうに話し続けるラセミスタに、道行く人たちがちらりちらりと視線を投げていく。
マリアラは、うんうんと頷いてその話を聞いてはいたが、どうしても集中することができなかった。ちらちら投げられる視線は、ラセミスタの可愛らしさのためなのだろうか。それとも、“コアなファンがいる引きこもりの天才少女”の顔が、マリアラが思っているよりずっと広く知られているからなのだろうか。先ほどの事件のせいで、どうしても神経質になってしまう。ここには、保護局員に通報したり取り押さえたりしてくれる店員さんもいなければ、相手を諭してくれる保護局員もいない。
それなのに、今し方すれ違った四人組の若者たちの視線は、ひときわあからさまだった。ひそひそ、囁き交わした声が、耳の底をザラザラ撫でていく。
「色んな本をずらーっと並べて、その中から好きな本を選びたい気分の時も使えて、オススメしてもらいたい時も使えて――あたしね、そういう、オススメする技能って、すごく大事にしなきゃいけないと思うんだ。だから的確なオススメをしてもらったときには対価で報いられるようにできたらいいなって。そのためには」
――マリアラ。
ミフが囁いてきた。ミフはマリアラの首元にかけたネックレスを精一杯伸ばして、マリアラの襟元から柄だけを突き出して背後を見ていた。
――さっきすれ違った四人組の男の人たちが、Uターンしたよ。
ひい。
ラセミスタを促して足を速めた。ラセミスタはとても楽しそうだ。本屋で得られた新たな着想と大規模インフラ構築のプランを練り上げるのに没頭している。
――ついてきてるの?
――たぶん。
ミフが送ってくる視界の中に、ちらちらと見え隠れする若い男が見える。確かに、さっきすれ違った人たちに間違いない。四人並んで何か低い声で話し合いながら、マリアラとラセミスタの後を追うように歩いてくる。距離は少し離れているが――マリアラはもう少し足を速めた。と、彼らも足を速めた。もっと足を速めようにも、ラセミスタの歩調は無理には変えられない。距離が少し縮まった。背が高くて大柄で、しかも四人。特にこちらに対して害意はないのだろうが、それにしても。万一周囲を囲まれたらと思うとゾッとする。
――まあ、大丈夫だよ。いざとなったら飛んで逃げちゃえばいいんだし。
ミフは暢気に言う。確かに、とマリアラは思った。前回のミランダの時とは違って建物の外なのだから、危険を感じたらラセミスタを乗せて飛んで帰ればいい。けれど、さっきの警備隊員の言葉を思い出すまでもなく、“初めての外出なのに怖い思い出を残したくない”と思うと、できれば、それは最後の手段にしておきたい。
何とか、声をかけられる前に逃げ切りたい。だって、声をかけられたら、応対しなければいけないのだ。それも、相手を刺激せずにやんわりと、しかし毅然と、断らなければならないのだ。その上、マリアラが断ったら、絶対に“お前には言ってない”という反応が来る。もちろんそうだ、彼らの狙いはラセミスタであって、マリアラはオマケだ。しかしラセミスタに応対させては“楽しい思い出”が台無しになるだろうことは疑いない。つまり声をかけられたらその場でアウトだ。焦燥が苛立ちを呼んで、なんだか腹が立ってくる。
――わたしたちはあなたたちが道を歩いていても絶対に気にしないのだから、あなたたちにも気にして欲しくない。
楽しく外出しているだけなのに、なんでこんなにドキドキしなければならないのだ。理不尽だ。
【学校ビル】が正面に見える通りに出た。この辺りはディアナの治療院のすぐ近くだ。しかしこんな真冬の診療時間内に駆け込んだら迷惑だろうし――
「あっ、マリアラ!」
ずっと楽しげに話していたラセミスタが、立ち止まった。四人組はもうすぐそこまで来ている。誰から行く? 若者の一人がそう言ったのが聞こえる。誰も来ないで! とマリアラは思う。
「あれ、コオミ屋じゃない?」
ラセミスタの声は、まるで天啓のようだった。マリアラはラセミスタの手を握った。
「行こう! お腹すいたし!」
「う、うん!」
天の助けだ。ディアナの治療院のそばには、そういえばコオミ屋があったのだ。ほんの少し先に見えるコオミ屋の看板は、まるで天国への道しるべに見えた。「あの――」若い男のあげかけた声は、ラセミスタには届かなかったようだった。マリアラは敢えて聞き逃して、コオミ屋の扉を開けた。
からんからん。
頼もしいベルの音が響き、扉のすぐそばにいた店員が、にこやかに声をかけてくれた。
「いらっしゃいませ。おふたりですか?」
「は、はい、そうです」
おいおいなんだよてめえがはやく声かけねえからさあ――若者たちが抗議の声をあげるのが、ベルの音で遮られる。予想以上のガラの悪さと悪態に身の毛がよだった。逃げきれて本当に助かった。店員はメニューを手に、どうぞこちらへ、と先に立って歩き出した。通りに面した席も空いていたが、店員はそこを素通りして、奥側の席にふたりを案内した。マリアラはホッとした。そこは観葉植物とついたてにほどよく隠された、隠れ家のような場所だった。ふかふかのソファは赤いベルベット張りで、いかにも温かそうだった。
「すごい……! 中ってこんな感じになってたんだ……」
ラセミスタは嬉しそうだ。ああよかった、とマリアラは思った。本当に、本当に、コオミ屋に駆け込めて助かった。店員はメニューを差し出し、アフタヌーンティーセットもご用意できます、と言い添えて、戻っていった。ラセミスタはメニューを覗き込み、キラキラした顔を上げた。
「ややややっぱこれは……アフタヌーンティーセットにしていいかなあ!?」
すこし体がほぐれて来て、マリアラはやっと微笑むことができた。
「もちろん!」
ラセミスタはコオミ屋のバラエティセットを毎月ダンボールで買っているという。
そのほかにも、日持ちする焼き菓子などは可能な限り通販で買っているのだが、生ケーキはイーレンタールや、その他ごく身近な人たちのお土産に期待するしかなく、アフタヌーンティーセットなど夢のまた夢だったのだと、彼女はしみじみした口調で語った。
ややして届いたアフタヌーンティーセットは、とてもエレガントで、まるで貴婦人のような装いだった。サンドイッチはスモークチキン+チーズ、きゅうり+ハム、みじんぎりの玉葱が入ったたまごペースト、の三種類が、一口サイズに切り分けられて芸術的に配置されていた。それからもちろん、スコーンとクロテッドクリームとジャム。季節のケーキが三種類ずつと、サラダと、お代わり自由の香茶のポット。お腹も空いていたし、疲れていたし、甘いものと温かなたっぷりの香茶がありがたい。ラセミスタは幸せそうにセットを堪能していた。みているこちらまで幸せになるような笑顔。
ああよかった。マリアラはまた思った。
外に出るのは楽しいのだと、また出かけよう、と、思ってくれたら良いのだけれど。
穏やかな沈黙のひとときが流れてしばらく。ラセミスタが、久しぶりに口を開いた。
「マリアラ、本当にありがとう」
「え、どうして?」
「……なんでもないの」ラセミスタは照れたように笑った。「ただちょっとね、嬉しくなっちゃったんだ。……一緒に来てくれてありがとう。あの、あの、もしよかったら、また今度……」
「うん、もちろん。また一緒に出かけようね」
ラセミスタはぱあっと顔を明るくした。よかったなあとマリアラは思った。初外出は、なんとか、楽しい思い出になってくれたようだ。
来るときの饒舌さが嘘のように、ラセミスタは口数が少なくなった。マリアラもあまり話さず、ふたりは食べ物と飲み物を楽しみながら、ゆっくりと穏やかな時間を過ごした。二度目のコオミ屋は、本当に居心地が良かった。
けれど、さすがにそろそろ帰らなければ。冬のエスメラルダの日没は早い。吹雪の中、暗くなってから歩くのは危ないし、さっきのことを思い出せば、吹雪じゃない方がもっと危ない。
「そろそろ帰ろうか」
そう声をかけると、ラセミスタははっとしたように顔を上げた。
「そ、そっか。もうそんな時間……?」
「うん、暗くなったら危ないからね」
「……うん、そうだね」
レジに向かうと、支配人が待っていた。以前ここでディアナに助けてもらったときに、見送ってくれた人だ。会計を済ませると、支配人はラセミスタに丁重に頭を下げた。
「ご来訪誠にありがとうございました。お目に掛かれて光栄です」
「い、いえそんな……」
「当店の生ケーキはお楽しみいただけましたでしょうか」
「はい、最高でした」
「ありがとうございます。またのご来訪を心よりお待ちしております」
ラセミスタがコオミ屋のバラエティセットを毎月ダンボールで買っている、という話は、先ほど聞いたばかりだ。
なるほど、いつも大量注文する大のお得意様が初めて来訪したのだ。それは支配人くらい出て来るだろう。
支配人はマリアラにもにこやかに礼をした。マリアラも礼を返した。先日の失態を挽回できたような、こそばゆいような、そんな嬉しい気持ちで外に出る。
けれど、和やかな気持ちは外の冷たい空気によってすぐに冷まされてしまった。思っていたよりも遅い時間になってしまっていたからだ。もう夕暮れがすぐそばにまで迫っている。動道に乗っている内に、日が暮れてしまうに違いない。




