第四章 仮魔女と狩人(1)
リンは上空にいた。ダスティンの箒が、リンを乗せたまま降ろしてくれなかったからだ。
リンからは魔物がマリアラを食べようとしていたようにしか見えなかった、だからダスティンの行動に文句を言う気はなかったが、魔物が動かなくなったのにリンを降ろしてくれないのは解せなかった。降ろしてよ、と箒をつつくと、箒はダスティンに似た声で言った。
『言葉を交わすまでちょっと待ってろよ』
「……ぅあんたらねええええええっ!? ケガしてんじゃないのよっそんなの後にしなさいよ! こらああああおろせええええええ」
『揺すんなこらっ』
リンの隣にはまだ、ジェイドとガストンが浮いていた。あちらはなぜ降りないのだろう? なんでダスティンに好き勝手させておくのだろう? ジェイドはマリアラの方すら向いていなかった、たぶん、ガストンが地上を見やすいように向きを保ってあげているのだ。こちらを向いたジェイドは気弱げに、リンに言った。
「暴れると落ちるよ」
「だってこんなのムカつくじゃないのー!」
「いた! グールドだ!」
双眼鏡を構えたガストンが鋭く言った。ジェイドの背を叩く。
「仮魔女を狙うぞ! 風を――」
「さっ、先に言っといてください! 俺は光がすぐそばになくちゃ無理なんです!」
「…………っ、早く!」
リンは急いで光珠を発動させてジェイドの方へ差し出した。眩しくて顔を背けた先に、もう一人、マヌエルが飛んできたのが見えた。黒髪を短く切った、一本気な眉をした若者だった。まっすぐに、森の中に飛び込んでいく。
そのマヌエルから、突然、魔力の粒子が迸った。
ビリビリ肌を打つ圧倒的な魔力の量。あまりの量にリンはダスティンの箒に乗ったまま後ろに押し流された。『うおりゃああああああっ』思いきりのいい誰かの大声が森に響く。かろうじてグールドが吹き飛んだのは見えた。
「フェルド!」
ジェイドが叫んだ。そうかあの人はフェルドと言うのか、と、リンは思った。
あんなに魔力の強い人がこの世に存在したなんて知らなかった。
ようやくのことで地面に降り立つと、マリアラはひどい有様だった。右手と、たぶん足にもケガをしているし、身体中泥だらけで、長い亜麻色の髪がほつれていて、灰色の制服のそちこちが破れて肌が覗いている。特に右手の傷がひどく、まだ血が流れている。リンはあわあわしたが、ジェイドが毛布を差し出してくれたので、ダスティンを押しのけてマリアラに毛布を掛けた。
それで気づいた。マリアラの周りだけ、空気があったかい。
「リン……」
マリアラが掠れた声をあげ、リンはたまらず、マリアラを抱きしめた。
「よかった……! よかったマリアラっ、よかった、よかった、よかっ」
「あの、あんまり揺すらない方が」
ジェイドが声をかけて来、リンは慌ててマリアラを放した。
「ごっ、ごめん! ……大丈夫……?」
「うん……」
マリアラは泣き出しそうな顔をしていた。自分の周囲を取り囲む人たちから顔を背けるように伏せた。リンは今度はそうっと、マリアラの頭を抱いた。
「ひどい目に遭ったね。でも……もう大丈夫」
背中を撫でるとかすかな嗚咽が聞こえる。リンはそれを、恐怖と、それから安堵のためだと思った。と、フェルドと言うらしい新たなマヌエルが、ガストンに何か言った。山火事の方を透し見ていたガストンが振り返る。
「それはありがたい。ダスティン、ジェイド、それからフェルド――フェルディナント=ラクエル・マヌエルか? なるほど」
何か納得している。何がなるほどなのだろう、とリンは思う。
「私はジルグ=ガストンだ。諸君らの協力を依頼したい」
「南大島の方は――」
「そちらよりこちらが優先だ」
ガストンはダスティンに頷いて見せた。
「事務方の了解は取ってある。警備隊長にも今頃は伝わっているはずだ。とにかくあの狩人をどうにかしなくてはならん。フェルディナント、今狩人はどうしている」
「山頂の方へ向かってます。……狩人ってこんなに足が速いのか」
どうやらフェルドの箒がグールドを追いかけているらしい、とリンは悟った。ガストンが頷く。
「あいつは特別だ」
「逃げんなら麓に行くだろ。なんで上に行くんだ」
ダスティンが言い、フェルドは顔をしかめた。
「そうだよな。……何でだろう」
「とにかく追いかけよう。南大島の方もある、山火事もある、保護局員とマヌエルの協力は期待できない。が、野放しにはできない。箒を――ダスティン、俺を乗せてくれ」
「マリアラを」
と言ったのはフェルドだ。
マリアラが驚いたように顔を上げたのが見えた。
「このままにしておくわけにはいかない。ダニエルが心配してる。一人残るべきだ」
「お前は無理だな。狩人の居場所はお前にしかわからないわけだし」
ダスティンがすかさず言い、フェルドはまた顔をしかめる。
「あの狩人は何でか、彼女を狙ってるだろ。戻って来たらどうする」
「いくら足が速いったって徒歩だろ? 箒で追いかけられて、どうやってここまで戻るんだよ。例え戻ったって絶対俺たちの方が早い」
「でも――」
「わたしは」とマリアラが言った。「……大丈夫です。少し休めば、治療もできるし……でもあの、リンが」
リンはぎょっとした。なぜ今ここで自分が問題になるのだろう。
ガストンの思案は一瞬だった。わかった、と頷いた。
「まあそうだ、フェルディナント、君の懸念にも一理ある。ではジェイド。この場合、君が一番適任だろう」
「……あー、今自分でもそう思ってたとこです」
ジェイドは笑い、自分の箒をフェルドに差し出した。
「使って。ダスティンの箒に三人乗りなんて絶対無理だろ」
「ありがとう。……頼む」
「うん。任してよ」
ジェイドは笑って手を振った。
最後に振り返ったのは、やはりというかなんというか、ダスティンだった。
「抜け駆けすんなよジェイド」
「あーもー聞き飽きたそれ。早く行きなよ」
「……」
ダスティンはジェイドを睨んだが、もう何も言わず、ガストンを乗せて飛んで行った。