雪祭り(12)
マリアラは何も言えなかった。ララが外国から来たという話は、聞いたことがあるような気がする――でも、その異国から来た人の意見を、こんなにきちんと、面と向かって聞かされたことは一度もなかった。
行列が少し前に進んで、ララも進んだ。マリアラもつられて、一歩前に出る。
「……だから実はね、あたし、あたしひとりだったら、ミランダの“相棒”を受け入れられるか自信がないの。もし前触れなくばったりアルフィラに会ったりしたら、寄らないで気持ち悪い、なんて、言ってしまいかねない」
「そ……」
「でもね、現実にはそんなことにはならないのよ。だってあたしには、ダニエルがいるから」
そう言ってララは、照れたように笑った。
「ダニエルがちゃんと受け入れてくれるってわかっているから、安心なのよ。ダニエルはきっとあんたの計画を喜んで、自分も軍資金を出して色々と調えようとすると思うわ。“相棒”が魔法道具ってことも全然気にしないで受け入れて、可愛がってくれると思う。ミランダごとまとめて面倒見て、あれこれ世話を焼いてくれる。もし万一ミランダと“相棒”が誰かに心ない言葉を投げつけられる場面に遭遇したら、きっと盾になってくれる。――だからあたしは、大丈夫なのよ、ダニエルというお手本があるから。ダニエルの振る舞いを見て、あたしもそれを真似していれば、きっと、ミランダと“相棒”を傷つけるような真似はしないで済むと思うんだ。……そして他のほとんどの人たちにもね、そういうお手本があれば大丈夫だと思うのよ」
ララは優しい手つきで、マリアラの腕を叩いた。
「小さな子供の姿をした可愛らしい生まれたての存在を、いじめたり拒絶したりしたい人って、ほとんどいないと思うの。本当はやりたくないのについやってしまう、それは、きっと怖いから。どんな存在なのかわからなくて怖いし、自分がどう振る舞えば正解なのかわからなくて怖い。でもお手本があれば。絶対に信頼できる人に、大丈夫だよ、って、紹介してもらえば、怖くなくなるでしょ? 反射的に相応しくない振る舞いをしてしまって、気まずい思いをすることも、なくなるでしょ? だから今度のささやかなお祝いは、これからミランダと“相棒”が出会うことになる人たちに、“お手本”を見せるチャンスなの。製薬であんたが出会ったお友達には、“相棒”のスポークスマンになってもらう。外交官、みたいな。それで、今後ミランダと“相棒”が製薬の所に行ったときには、そのお友達が“お手本”になってくれる。ジェイディスを呼ぶのもそのためよ。ジェイディスと――そうそう、ディアナさんも呼んだ方がいい。
他の、あたしみたいな偏屈な頭の持ち主たちには、ちょっとずつ時間をかけて、受け入れてもらうしかない。そのために、“お手本”を増やしていく。あんたの提案してくれたお祝いは本当にいいきっかけになる」
ララの番が来た。ララはさっさと六人分注文した。ほかほか湯気を立てる使い捨てのお椀は、トレイにのせて提供された。ララは支払いを済ませ、トレイを掲げて振り返り、また照れたように笑った。
「話し込んじゃった、早く行かないとシシカバブなくなっちゃう。ホットチョコバナナの屋台ってどの辺か分かる?」
「あ、あ……うん。多分もう少しいったところ」
「じゃあ行きましょ、早く早く」
多分照れくさかったのだろう、ララはマリアラをさあさあと急かして歩き出した。歩きながらマリアラは考えた。思っていたより大ごとになりそうだ――というよりむしろ、責任重大だ。
マリアラがホットチョコバナナを買う間、ララはトレイを持ったままその辺の屋台を覗いているようだった。
ホットチョコバナナも行列が出来ていたが、ちょうど補充分が届いたばかりらしく、行列はあっという間に解消されていく。すぐにマリアラの番になった。ララに倣って六つ頼んだ。ここでもトレイに乗せてもらって受け取り、しずしずと歩き出す。しかし、ララがいない。きょろきょろと辺りを見回すと、少し離れた場所にいるのをすぐに見つけた。
マリアラは驚いた。
ララは、立ち尽くしていた。
何かとても驚くものを見たらしい。手にしたトレイが傾いていて、あのままではお汁粉のお椀がすべり始めてしまう。マリアラは急いでララの隣に行って、片手を伸ばしてララのトレイを支えた。
「ララ、どうし――」
そうしてマリアラは、ララが見つめているものを見た。
そこに、ミシェルの雪像があったのだ。
ひと目でそれと分かったのは、それが明らかに、裁判シーンを描いたものだったからだ。ミシェルの技倆はただ事ではなく、マリアラはララのように愕然とした。
裁判――といっても、厳かな法廷や証言台、傍聴席などと言ったものは一切見当たらなかった。そこは恐らく、広場だった。周囲をずらりと取り囲むおびただしい人影は、顔のないのっぺりとした人形じみた佇まいだ。そして槍を持った衛士たちもまた、顔立ちがわからない。
しかし彼らに取り囲まれた数人は、ひどくリアルだ。
後ろ手に縛り上げられて床に転がされた無惨な囚人は、女性と、幼い子供。それから現代のエスメラルダを普通に歩いていそうな、なんの変哲もない男がひとり。その三人が着せられているのはぼろぼろの衣類で、この雪の風景の中では外套も与えられない彼らの姿が痛々しく見えた。気の毒で、同時に、悲哀を感じた。それから――罪悪感をも。
彼らを背にこちらを向いて立っているのは、すらりとした細身の少女だ。
彼女もまた裸足だった。左手を胸に握り、右手は、背後の三人を庇うように広げられていた。彼女の表情もまたよくわかった。凛とした美しいその顔は、気高い表情を浮かべていた。彼女は明らかにこちらを見、口を開いて、今にも語り始めそうに見えた。
エスメラルダを圧政から解放した“近代革命”の指導者、レジナルド=マクレーンに、“無血”での成就を説いた功績――モーガン先生から聞かされた彼女の逸話を思い出す。
でも。
ミシェルの彫ったその像は、裸足の少女は、レジナルドのために無血を説いているようには見えなかった。
ただひたすらに、背後の“圧政者”たちのために、あまりひどいことをしないでくれと、嘆願しているようにしか、見えなかった。
結構大きな雪像だった。ミシェルはこれをふた晩と一日で彫ったのだ。なのに細部まで彫り込まれていて、隅々まで神経が行き届いているのが分かる。背後の人々がのっぺらぼうなのも、時間短縮のためではなく、敢えて効果を狙ったものに違いない。圧倒されて、しばらく言葉が出なかった。像の下に付けられたプレートには、間違いなく、ミシェル=アンダーソンと書いてある。これが孵化前のミシェルの名字らしい。
しかし、あまり見とれているわけにはいかない。お汁粉もチョコバナナも冷めてしまうし、皆が待ちくたびれてしまう。雪像から目をもぎ離してララを見て、マリアラはまた驚いた。
ララの頬に、幾筋もの涙が伝っていたのだ。
「……」
声をかけていいものか迷って言葉を飲んだとき、ララがマリアラの視線に気づいた。「ああ」呻いてララは、片方の手をトレイから放してポケットを探った。ハンカチを取り出して、頬を拭う。
「……すごいわね、この作品」ララは弁解するように言った。「あんまりすごくて、感動して、涙出ちゃった」
「う、うん。ほんと……すごいね」
「これってエヴェリナでしょ」
マリアラは目を見張った。驚いた。
エヴェリナはエスメラルダの歴史の中ではかなり有名な人物だが、長らく、“悪女”として語り継がれてきた。彼女の名誉が回復され始めたのは最近になって、裁判の記録が見つかったからだ。大勢の学者の手によって少しずつ研究された成果が世に出始めて、まだ数年しか経っていない。歴史に興味のない人にとってはまだエヴェリナは、英雄レジナルドを裏切った人間のままではないだろうか。
なのに、このひたむきで美しい、まるで聖女のように描かれたこの像を、エヴェリナだとわかるなんて。
ララは歴史が好きだったのだろうか? 今まで一度も、そんな話を聞いた記憶はないけれど。
「ララ、……知ってるの?」
「知ってるわ。最近、なんか文献が見つかって、悪女でも裏切り者でもなかったみたいだって、わかってきてるって、たまに新聞に載ってるじゃない」
「そうなの? 歴史の専門誌には載ってたけど――」
「あたしこの子が好きなのよ」その声は、やけに厳粛に響いた。「とても勇気がある――本当に、勇気がある子だったんだなって、思って。尊敬しちゃうわ。国中の人間から恨まれている暴君とその家族を……自分もきっと、酷い目に遭わされていたんだろうに……皆の前で、庇うなんて」
「うん……」
「良かったわ、こんなに……こんなに綺麗に……彫ってもらえて」
行きましょうか、と、ララは言って、先に立って歩き出した。ずいぶん思い入れがあるようなのが不思議だった。でも、ララはレイキアの出身だと、さっき言っていた。レイキアでは、もしかしたら、エスメラルダで語り継がれたエヴェリナ像とは違う、本当のエヴェリナの逸話が、伝わっていたのかもしれない。
マリアラはララと並んで歩いた。ミシェルに感謝したい気持ちだった。本当に、あんなに綺麗に彫ってくれてありがとう、と、言いたかった。
波瀾万丈だった“ペナルティ”の最終日の最後は、こうして、とても和やかに過ぎていった。
皆で手分けしたお陰で、今までで一番、たくさんのものを食べられたお祭りになった。シシカバブはスパイスが利いていてとても美味しかった。ローストターキーも、揚げたこ焼きも、大学芋もお汁粉も、どれも本当に美味しかった。ランドが買って来たのは生クリームの乗ったコーヒーだった。未成年は本当はダメなんだぞ、といいながら、ひと匙だけ味見をさせてくれた。甘くて、くらくらするほど濃厚なお酒の香り。熱々のココアや香茶、コーヒーなどを売っている屋台があるのは知っていたが、三時を過ぎると裏メニューが解禁となるなんて、今まで想像したこともなかった。
しかし今回もやはり、一番美味しかったのはホットチョコバナナだった。紙コップを半分に切ったような入れ物に入れられていた。熱々のバナナと焼いたマシュマロが入っていて、上から、ほとんど甘くないビターチョコレートがかかっている。熱々の甘さとほろ苦さが混じり合って、また寒い空気も相まって、絶妙な美味しさだ。ヒルデが一番喜んだのもそれだった。
その後はぶらぶらと雪像を見て、雪像の人気投票にももちろん参加して、お喋りして笑った。現実が深まっていく、と、マリアラは考えた。ひとつひとつ仕事をこなして日々を過ごしていく内に、【魔女ビル】での生活が、魔女としての現実が、少しずつ深まって、心に根ざしていく。確たる礎になっていく。
エヴェリナはひとりで立ち向かわなければならなかった。信念を貫くには、自らの幸せを引き替えにしなければならなかった。
できれば。――願わくば。
ミランダと、これから彼女が出会うはずの“相棒”にとって、この現実が、優しいものでありますように。そう、祈らずにはいられない。
明日はようやくのお休みだ。ヴィヴィを迎えるその日のために、色々と段取りを考えて、慎重に、動き出さなければならない。でも大丈夫だ。マリアラの回りには“お手本”がたくさんいてくれて、きっと親身になって一緒に色々と考えてくれる。
そんな人たちがすぐそばにいてくれるということは、何て幸運なことなのだろう。
しみじみと、そう思った。




