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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の現実
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雪祭り(5)

 ミランダは器具を片付ける前に、マリアラに、今の脳波の記録を見せてくれた。複雑な波のパターンがジグザグに表示されていて、正直、何が何だか分からない。そう言うと、ミランダは笑った。


「私にも、パターンを見るだけで正常かどうかを判断するのはできないわ。それをするには何年も何年も何年も勉強して、医師にならなきゃ」

「じゃあ、」

「種明かしをすると、この液晶画面にね、正常かどうかが診断が出るの。……リン、確かこれに関する問題もあったと思うわ」


 休憩所に続く壁の隙間から一連の成り行きをじっと観察していたリンは、感嘆したという風にため息をついた。


「ミランダってすごいんだねえ。確かにこの問題もあって、わあタイムリー、って思ってたとこ。さっきの右巻きの人は、どういう状況だったかって、聞かれなくても簡単に説明してたでしょ。あの説明がなかった場合は、聞き取りも必要になるわけだよね、外傷がなくて頭打ってるって知らなかったら、見過ごすかも知れないもんね」

「そうよ。それはマリアラも習ったでしょ」

「うん習った」マリアラは頷いた。「わたしは出動先でケガや病気になった人の治療をするのがメインだから、近くの人にまずケガの重体度を聞いて、またケガしたときの状況も聞くようにって、習ったよ。頭を打っていたら、戻ってからでも医局で精密検査、受けてもらわなきゃいけないから、治療が済んでいても報告書には書かなきゃいけないの。でも、医療者になるのって、ほんとに大変なんだね。出動先では、脳波を取るとか、昨日の高熱の人みたいな、日常生活の改善指示みたいなことまでやらないもの。医療者登録には研修がいっぱい必要なのって、そのためなんだね」

「でも医療者は、ハウスの建て方や、いろんな魔法道具の使い方とかまでは知らなくていいのよ。マリアラはそういうの、仮魔女の時に、いっぱい習ったでしょう? 今も定期的に使い方チェックしたり、新しく支給された道具は全部試してみたりするでしょう? どっちが大変とかじゃないわ、専門分野が違うだけよ」

「そっかあ……」


 今回の“ペナルティ”は本当に有益だった、と、マリアラは思った。右巻きの仕事、左巻きの仕事に加え、医療者の仕事についても知識を深めることの出来る、とても貴重な機会だった。

 フェルドとマリアラが“無人島”に飛ばされて行方不明になった時、ラクエルのシフトが組み直されたと聞いたが、多分、組み直されたシフトは十日分ほどだったのだろう。今回のからくりが、ようやく少し掴めてきた。あの怖ろしい事務方のリスナ=ヘイトス室長は、好都合だと考えたのではないだろうか。一度組み直したシフトを再度変更して通達するよりも、マリアラとフェルドのぽっかり空いた七日間に様々な研修を詰め込む方が、混乱も少なくて済む。本格的な真冬を迎える前にラクエルの新人にエスメラルダの現実を教えておくのは、決して無駄にもなるまい。




 それからしばらくの間、続々とやって来るケガ人の対処に追われた。ほとんどは、さっきの少年と同じような子供たちだった。持ち主から離れて活躍している箒たちは、本当に大活躍しているようで、高いところから落ちて担ぎ込まれる子供も少なくなかった。

 雪祭りの日は、子供がハメを外していいと言われる日だ。少々ハメを外しすぎではないか、余りに危険な行為をさせすぎではないかと、毎年、【魔女ビル】の受付窓口には苦言を呈する連絡が寄せられるらしい。

 しかし雪祭りが中止になったことも一度もなければ、子供の冒険心を阻害するような措置が執られたことも一度もない。毎年雪祭りを楽しみにしてきた子供たちがそのまま保護局員やマヌエルになっているから、当然なのかも知れないけれど。


 マリアラはひとりの治療を終えて見送り、ふうっとため息をついた。

 今日の治療は普段とは少々毛色が違い、かなり気を使う、ということが分かってきた。一番初めの時はミランダが“診断”してくれたから意識しなかったが、自分で判断するのは結構辛いものがある。全責任を負う、ということだ。ごく軽い打ち身に見え、治療が簡単に済んでも、万一頭を打っているかもしれないと思うと、遊びに戻っていいと太鼓判を押すのは勇気が要る。脳波を取って機械にOKを出されてもごくかすかな不安はどうしても残ってしまい、そのかすかな不安が積もり積もって心を疲弊させ、余計な魔力消費を誘うような気がする。と言って、精密検査のためにいちいち医局に送るのは現実的ではないし、医局に送ったらその子が今日中に遊びに復帰するのは不可能だ。割り切って治療できるようになればいいのだが、そうなるにはまだ経験が足りないと言うことなのだろう。アイリスがいてくれればいいのにと、痛切に思う。

 アイリスのしてくれたことを、“強要”だと言った人の気持ちがわからない。この重圧を肩代わりしてもらえたら、どんなに、どんなに、ありがたいだろう。


 と、ケティが魔力回復剤の一本を持って来てくれた。待ち構えていてくれたらしい。ありがたく飲むことにする。


「マリアラ、先に休憩を取ってね」


 ミランダが言って、時計を示した。マリアラは驚いた。いつの間にか、もう十一時だ。


「もうすぐ交代要員が来てくださるはずなの。その人が来たら」

「う、うん、でも……」

「脳波チェックしながら治療するのって、初めは疲れるでしょ。“診断”するってことだもの、割り切れるようになるまでは時間がかかるわ」


 見透かされていたようだ。マリアラは頷いた。不甲斐なく情けないという気分ではあるが、ここで我を張ってもメリットはないばかりか、ひどい事態を引き起こしかねない。休むのも仕事の内だと自分に言い聞かせる。


「じゃあ、ごめん。先に休憩取らせてもらうね」

「うん」


 と、まるでその話がまとまるのを待っていたかのようなタイミングで、がらがらっ、と音を立てて引き戸が開いた。


「こんにちはー」


 明るい朗らかな声が朗々と響いた。マリアラはびっくりした。大きなかさばる包みを捧げ持った巨躯が、入口に聳えていた。


「よお、マリアラ、ミランダ。どっちが先に休憩するか決めたか?」

「……ダニエル!」


 マリアラは嬉しくなった。首の後ろに澱のようにたまっていた疲労まで吹き飛んだような気がした。ダニエルに会うのは、いつでも嬉しいものだ。

 ダニエルはとても大柄で、ベネットに負けないくらい人相の悪い人だ。エスメラルダの国民にしてはとても珍しく金髪碧眼であるということもあるのだろうか、彫りの深い顔と隆々とした体躯は大変に威圧的に見える。金髪碧眼の鬼瓦、と称したのは誰だっただろう。

 しかし中身はとても優しく、とても朗らかで、とても面倒見のいい人だ。節くれ立った巨大な手は岩でも握りつぶしそうにごつごつして見えるのに、人の治療をする時や薬を作るときなどには、本当に繊細に優しく動く。


「ダニエルが交替に入ってくれるの?」

「そう」ダニエルはニヤリと笑った。「いいものもらってきたぜ。こんなおやつが届くって知ったから、無理矢理ここを担当にしてもらったのさ」


 冗談を言いながら、持っていたかさばる大きな包みを作業机の上に置く。香ばしい、とてもいい匂いが辺りに漂う。覆っていた綺麗な布巾を取り払うと、そこに、黄金の山が現れた。


「これ、レイキアの郷土料理でさ。ピロシキって言うんだ。美味いんだぞ」

「わあ……!」


 ケティとリンが全く同じ動きでピロシキの山を覗き込んだ。マリアラは急いでミフにピロシキの到着を伝え、ジェイドの箒とフィに伝えてくれるように頼んでから、そちらに行った。

 それはジェイドが言ったとおり、パン生地をこんがりきつね色に揚げた食べ物のようだった。まだ揚げたてで、ほかほかといい匂いの湯気を立てている。ケティとリンはやはり一緒にくんくんと匂いを嗅いでいる。マリアラは思わず微笑んだ。


「いい匂いだねえ」

「うわあ、これがピロシキ……噂には聞いたけど……見るの初めて……」


 リンが呻き、ダニエルが、用意されていた紙にトングでひとつ入れて、ほら、とケティに差し出した。


「熱いから、気を付けろよ」

「え、え、いいんですか?」

「そりゃいいだろ」


 ダニエルはもう一つ紙に入れて今度はリンに渡した。リンが慌てる。


「あっ、あたしはそんな、研修に来ただけですからっ」

「いやいや、ちょっとよく考えてみて。君たちが食べてくれないと、マリアラが気兼ねなく食べられないだろ」

「ええっでもっでもっっ」

「まーいーからほらほら」


 ダニエルはどんどん紙に包んでマリアラにもひとつ、それからミランダにもひとつ渡してくれた。ピロシキ目当てで担当に無理矢理入ったと言ったくせに、自分は食べなかった。残りの山を休憩所のテーブルまで持っていった(すっげー、ラッキー! と歓声が聞こえた)後は、治療ブースに戻ってきて腕まくりをし、丁寧に手を洗い始めている。そうしながらミランダに言った。


「先に休憩に入るのはマリアラでいいのか?」

「うん。ダニエルはお昼は?」

「あー食った食った、ここに来る前にたらふく食ったよ。マリアラ、少しでも休んでおけよ。ここの本番は午後になってからだからな」


 マリアラはありがたく、休憩所へ行って椅子に座ることにした。先客はいたが、彼らはちょうど片付けを終え、ピロシキを確保して出て行くところだった。タイミング良くピロシキにありつけた幸運にほくほくしながら彼らはどやどやと出て行った。フェルドは休憩を取っただろうか、と、マリアラは思う。


「リン、ケティも、一緒に食べようよ。わたし、ピロシキって食べるの初めて」

「うわあ……おやつまでもらったなんて知られたら指導官に怒られそうだよ……」


 と言いつつリンは嬉しそうにマリアラの隣に座った。ケティもその向こうにちょこんと座り、嬉しそうな顔をして紙の中のピロシキを覗き込む。本当に、この二人は血のつながった姉妹のようだとマリアラは思う。

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