雪祭り(3)
と。
咳払いの音がした。ディノだ。
彼はえへんおほんと咳払いを数回してから言った。
「まままマリアラくん。ぼ、僕も紹介してくれないかな」
くん? 僕?
ははあん、と、マリアラは思う。今までもリンと一緒にいると、よくこういう反応があったっけ。
リンは本当にお日様みたいに明るくて、綺麗で可愛くて、みんなの人気者だ。お近づきになりたがる男の人は、掃いて捨てるほどいる。
「あ、はい、すみません。ええと、こちら、ディノ=イリエル・マヌエル。右巻きでね、保護局警備隊と連携して治安維持に携わってるんだって」
リンの志望は保護局警備隊員だ。マリアラの紹介は首尾良くリンの興味を引いたらしい。リンのよく動く大きな瞳が輝いた。
「へえ、そうなんですか! あたし、リン=アリエノールです。よろしくお願いします。保護局員目指して受験勉強中の身です。右巻きのマヌエルと連携する試みが数年前に始まったって聞いてましたけど、実際に携わっている方にお会いするのは初めてです」
「こちらこそよろしく。今日は左巻きの仕事の見学なんだよね。右巻きの見学するときは連絡してよ、いつでも歓迎だからさ」
ディノはすかさず名刺を取り出した。さすがだ、とマリアラは思う。
「ありがとうございます! すみません、あたしまだ名刺ないんです。でも、スキーまでには作っておきます」
リンがそう言い、マリアラは、あ、と思った。そうだ、まだリンはスキーに一緒に行く“イリエルの右巻き”と会ったことがないのだ。名前は伝えたが、半月ほど前に一度話したきりだから、今日会ったディノがそうだと勘違いするのは当然だ。
「ち、違うの、リン。スキーはまた別の……」
「あ、そうなの? すみません、あたしてっきり」
「スキーって?」ディノがにっこり笑った。「なんだ、そんな楽しそうなイベントあるなら誘ってくれよ! いつ? マリアラちゃんとアリエノールさん、ってことは、フェルドも行くわけだろ」
ディノの瞳が細くなっていた。まるで鼠を狙う猫のような光。
マリアラは少しだけ考えた。もちろんディノはフェルドともミシェルとも友人なのだし、彼が来て悪いことはないはずだが、色々と段取りを調えてくれているミシェルに無断で同行を許可するわけにはいかないだろう。しかし、ミシェルもリンと“お近づきに”なりたくてスキーを企画したという経緯があることを考えると、ライバルが増えるのは喜ばないのではないだろうか。
ところが、そこで始業時間が来てしまった。ディノはチャイムの音を聞いて、ちぇっ、と言う風に顔をしかめた。
「やっべ、行かねーと。この話はまた後で……おらミシェル、行くぞ! 起きろ!」
ディノはまだ熟睡しているミシェルを情け容赦なく引きずり上げて自分の箒の柄に乗せ、にこやかにリンに笑顔を振りまきながらあっという間に出て行った。マリアラは、あ、と声を上げた。ミシェルに滋養強壮剤を作ってあげようと思っていたのに。
仕方がない、スキーの話も滋養強壮剤も、ミシェルが休憩で戻って来た時を狙うしかない。
「スキーに行くの?」
ミランダが訊ね、マリアラは頷いた。
「そうなの、来月の終わり頃の予定だよ。もし休みが合ったら、ミランダも良かったら……」
「そうね、誘ってくれてありがとう」ミランダはにっこり笑う。「ええと、リン=アリエノールさん? それから、ケティ=アーネストさん、ね。見学は午前中で終わりでしょう?」
「すごい! どうしてわかるの?」
リンが目を丸くし、ミランダは微笑んだ。
「私も昔受けたもの。十歳以下の子供が受ける研修は、四時間以下に設定されているものなの。アリエノールさんは、」
「あ、リンって呼んで! あたし堅苦しいのダメなの。さんもダメ、身体むずがゆくなっちゃって。あたしも気軽に呼ばせてもらいたいし」
「えっと、じゃあ、……リン」
「そうそう、ミランダ! よろしくね!」
さすがだ、と、マリアラはまた思った。リンはこういう風にして、あっという間に交友関係を広げていく。マリアラもこうして、出会って数分ですっかり仲良くなったものだ。美人で華やかでしかも“ぐいぐい来る”彼女を苦手とする少女も少なからずいたが、ミランダはリンを受け入れたようだった。
「リン」にっこり笑って、ミランダは言った。「午前中しかないし、十時を過ぎるとたぶん治療希望者が増えてくると思うから、早速始めたほうがいいんじゃないかしら。私何度か保護局入局のための研修見たことあるけど、最後に時間足りなくなる人が結構いたわ」
「そうなの!? じゃあ始めちゃおっかな。レポート書かなきゃいけないの、もー最近あたし毎日レポート書いてる」
「保護局員って難関なんでしょ。座学の他にたくさん研修受けなきゃいけないって聞いたわ」
「そーそー、そーなのよー。筆記試験の合格と、全部の研修で及第もらって初めて入隊資格を得られるの」
リンは鞄をごそごそ探って、筆記用具を取り出している。その間にミランダはケティを差し招いた。
「ケティ、こっちにおいで。ただ座ってるだけじゃ退屈でしょう? 薬を小分けしてくれると助かるわ」
「わあ! やりますやります!」
ケティは大喜びでミランダと一緒に、治療ブースの傍に設えられた作業机の方へ行った。
作業机はそれほど広くはないが、真っ白で、磨き込まれていた。ミランダが開いたアタッシェケースには緩衝材が詰められていて、魔力増強剤の大瓶が三本入っている。
「一本、1リットルずつ入っているわ。これはね、一日働いていると、疲れてきたりするでしょう。もちろんおやつも食べるけど、魔力の快復には時間がかかる。そう言うときに、50ミリリットルずつ飲むと元気が出るの。忙しくなるといちいち計っている時間がなくなるから、こっちの瓶に、小分けして入れておきたいの」
「はい。ここの出張所に詰める左巻きはおふたりだけですか?」
「ええ、夕方五時まで私とマリアラが担当するわ。お昼に二時間、手が空いてる左巻きの誰かが応援に来てくださって、その間に一時間ずつ、交代で休憩を取ることになっているの。でも、この薬を使うのは私たちだけじゃない。外で働いている右巻きたちが休憩に来たら飲むから、そうね、二十本くらい作っておいてくれると安心かな」
「わかりました!」
ケティははきはきと答え、スツールにちょこんと腰掛けて、真剣な眼差しで計量カップに薬を注ぎ始めた。ミランダは、そんなケティを目を細めて見ている。その優しい表情に、マリアラはなんだか胸を衝かれた。
ミランダは、ヴィヴィが相棒になることを、どう思っているのだろう。
またそう、考えた。
ケティのような年下の子に向けるこの優しい眼差しを、ヴィヴィにも向けてくれるだろうか。
――ヴィヴィに、名前をあげたいの。
ラセミスタの小さな声が耳に甦る。イーレンは、別にいいだろヴィヴィで、と言った――
ヴィヴィは魔法道具だ。命のない、ただ人型をしているだけの、存在だ。本名がV-15873581SS78-V-001でも構わない、そう言ったイーレンタールの感覚は、たぶん世間の中で、決して少数派ではないはずだ。
でも出来れば、願わくば。ケティや幼い子たちに向ける優しい表情を、ヴィヴィにも向けて欲しい。
そう願ってしまうのは、とても利己的なことなのかもしれないけれど。