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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の現実
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第四話 雪祭り(1)

 非番の日はあっという間に過ぎ、今日はまた日勤だ。

 マリアラは少し緊張していた。昨日のうちに、ミランダはヴィヴィの誕生を聞かされているはずだ。


 マリアラが緊張する筋合いのことではないのだが、どうしても気になってしまう。昨日、いい名前も見つけたし、もはやヴィヴィはマリアラにとっても大切な存在だ。もしミランダがヴィヴィを拒否したら。そう思うと、そわそわして落ち着かない。


 ラセミスタのところへも行ってみたのだが、工房はもぬけの殻だった。イーレンタールもラセミスタも、それからもちろんヴィヴィも、“外見”の調整のために、【学校ビル】の工房に行っているのだと〈アスタ〉が教えてくれた。ヴィヴィはもう、完成して動き出すまで、【魔女ビル】に戻ってくることはないだろう、とも。と言うことは、少なくとも持ち主が誰になるのかは決まったのだ。多分ミランダが受け入れてくれたのだろう、そう思いたがる自分と、いやいやぬか喜びは禁物だと窘める自分とがせめぎ合っている。



 今日の集合場所は雪像広場の第三詰所である。“ペナルティ”の最終日を飾るのに相応しく、かなりの忙しさが予想される。何しろそこは、子供たちのために右巻きたちが本気で作った雪の迷路の最寄りの詰所だ。迷路の要所要所に滑り台が作られているし、ゴールの滑り台はスピードに乗って一回転し、ふかふかの雪原にダイブするのが伝統だ(十歳以上になると、飛び込みの姿勢の美しさを競うコンテストへの参加資格を得られる)。また巨大な迷路はどうしても冷たく凍り付いている。危険が予想される場所には右巻きたちがついているのだが、それでもケガをする子は出るだろう。


『マリアラ、楽しみだねー! 滑り台って、あたしもやっていいのかなー!』


 ミフは暢気にはしゃいでおり、マリアラは思わず微笑んだ。


「それはどうなのかな? 箒は別行動ってダニエルが言ってたもんね、滑るチャンスがあればいいんだけど」

『何やるんだろー! 楽しみだねー!』


 ミフのお喋りを聞いている内に、気分も浮上してきた。今日は何はともあれ“ペナルティ”の最終日だ。ミランダと一緒に行動するのもひとまずは今日で終わりだし、一年で一番楽しいお祭りの日だ。楽しまなければ損だ、と言う気がする。




 今日もフェルドの出勤はマリアラより早く、二時間前に設定されていた。外で働く右巻きは、日没の影響を顕著に受けるから、ラクエルであるフェルドの活動時間は日照時間に合わせられることが多いらしい。

 雪像広場に到着すると、既に大勢の右巻きたちが働いていた。右巻きたちが子供たちのために用意した雪の建造物は、迷路と言うより迷宮と言った方が良いような仕上がりだった。上から見るとその広大さがよくわかり、マリアラは感心してしばしその威容を眺めた。滑り台や一本橋、洞窟に雲梯に昇り棒がふんだんにちりばめられた雪のお城は、朝日を浴びてきらきら光っている。差し渡しは百メートルはありそうだ。もうすっかり出来上がっていて、ちらほら見える右巻きたちは皆、広場の雪かきに勤しんでいるらしい。


 詰所に向けて舞い降りる途中で、ジェイドを見つけた。広場にあったこんもりした雪の小山を吹き散らしていた。首尾良く小山を溶かし終えたとき、ジェイドがマリアラに気づいた。マリアラが地面に降り立つと、襟巻きの隙間から、人の好さそうな微笑みが覗いた。


「おはようマリアラ。あれ? 左巻きなのに集合早くない?」

「おはよう、ジェイド。なんだか手持ちぶさたで、早く来ちゃった」


 ラセミスタがいなかったので、朝ご飯も早々に済んでしまった。部屋で悶々としているよりはと身支度して来てしまったのだが、確かに少し早すぎたかも知れない。

 ジェイドは笑った。


「張り切ってるね。今日はどこの担当?」

「すぐそこの第三詰所で治療待機」

「そうなの?」ジェイドの顔が輝いた。「あの、あの、お願いがあるんだけど」

「え? うん、なあに?」

「もしできたらでいいんだけど……今日ね、おやつにピロシキが出るって聞いて」

「ぴろしき?」

「パン生地の中に色んなもの詰めて焼いたり揚げたりする料理なんだけど。俺レイキアの出身でね、ピロシキって、レイキアの郷土料理なんだ」

「そうなんだ」

「でも人気ですぐなくなっちゃうって聞いて、それで」

「うん、いいよ」マリアラは微笑んだ。「出てきたら取っといてあげる」

「いや! そこまでしなくていいよ、治療の合間にそんなことまでさせられないよ。でもその、出てきたら、いや、出てくるのにもし気づいたら、ちょっとその……ミフに知らせてもらえたら……箒は今日右巻きも左巻きも皆一緒に働くから、ミフから俺の箒に伝えてもらえたら、少しその、食べるチャンスが広がるかなあって」


 ジェイドはもじもじし、マリアラはまた微笑んだ。ジェイドは本当に気のいい人だ。


「わかった。出てきたらすぐ知らせるね」


 ジェイドは嬉しそうに笑う。「ありがとう! 恩に着るよ!」




 ジェイドに手を振って、マリアラは詰所に向かった。ミフはひとりで――大張り切りで――箒の集合場所へと飛んでいった。箒も今日は忙しいのだ。ケガ人が出たら即座に担架を作らねばならないし、子供たちと一緒に遊ばなければならないし、伝令に物資の運搬にと、その仕事は多岐にわたる。ミフの集合時間にもだいぶ早いが、邪魔にされることはないだろう。

 ミフの飛んでいった方向に、カバーを掛けられた雪像の群れが見えている。


 ――ミシェルの雪像は間に合っただろうか。


 ふと、そう思った。

 裁判なんて、よく考えたら大勢の人を彫る必要がある。今から思うと大変な題材を提案してしまったものだ。やはり無難にミラ=アルテナにしておいた方が良かったのかも知れない。


 後ろめたいような思いを抱いて、詰所の扉を開ける。詰所はハウスを寄せ集めて作られた、簡易的なものだ。床はむき出しで、靴のまま入れるようになっている。しかし壁や天井はハウスで使われているものそのものなので、中はとても温かだ。


 入ってすぐは、治療スペースになっていた。右手に番号札機が準備されている。待っている人のためのベンチが並べられたその奥に、真っ白な目隠しが置かれ、そこを回るとキャスター付きの椅子と診察用の寝台がひとつずつ。壁際に手洗いが設置されて、その隣には薬を置いたりするための作業台。清潔で、居心地の良い空間だ。地面がむき出しでさえなければ、医局にいるのかと錯覚しそうだった。


 まだここに詰めるのはだいぶ早い。今のうちに全体を探検しておこうと思い立ち、休憩所との間を隔てる壁を回ってみると、そこには治療ブースよりもかなり広大な空間が広がっていた。


 こちらから見ると休憩所はおおむね二つの空間に分けられている。マリアラの身長より少し高いくらいのパーティションで分けられた左側には、簡易寝台やベンチソファがずらりと並べられている。マリアラは目を丸くした。ついさっき考えたばかりの当のそのミシェルが、一番手前のベンチソファに、長々と寝そべっているのだ。


 一瞬、具合でも悪いのかと思った。右足と右手がだらんとソファから垂れ下がり、またソファの端っこから頭がはみ出して斜めになっているからだ。寝ていると言うよりはぐったりしている、ように、見える。


「だいじょーぶ、寝てるだけだから。まだ起こさないでやって」


 軽い声が掛けられて、マリアラはそちらを見た。パーティションの右側には、長机を集めて作られた大きな机と、たくさん用意されたパイプ椅子。その椅子のひとつに、かなり明るい色合いの頭髪をした、若い男性が腰掛けていて、マリアラににこやかに微笑みかけていた。瞳の色も薄く、淡い色合いだ。制服を着ているから、この人もマヌエルだと分かった。やはり右巻きのようで、支給の防寒着が隣のパイプ椅子の背もたれにかかっている。


 若者のいる大きな机の上には、ジェイドが言った“おやつ”が既に用意されていた。ぴろしきらしきものは見えないが、チョコレートやおせんべいや一口大のバウムクーヘン、マドレーヌ、クッキーにシュカルクッフェンなどの定番のお菓子が満載されていた。保温ポットもいくつか置かれていて、飲み物も好きに飲めるようになっている。若者は休憩中なのか、それとも出勤前なのか、シュカルクッフェンを食べているところだった。ちゃんとテーブルにティッシュを敷いていた。ぱりぱりの焼き菓子の欠片が、ティッシュの上に散らばっている。


「……ギリギリまで寝かせといてやろうと思ってさ。明け方まで彫ってたんだよそいつ。――良かったらなんだけど、起きたらさ、滋養強壮剤とか作ってやってくれないかな、マリアラちゃん」


 マリアラは目を見張った。どう考えても初対面なのに、どうして名前を知っているのだろう。

 マリアラの驚きを見て、若者はイタズラが上手くいった子供のように、にひひ、と笑った。


「よろしく、俺、ディノ。ディノ=イリエル・マヌエル。君フェルドの相棒でしょ」


 と言うことは、この人もミシェルのように、フェルドの友人なのだろう。マリアラはぺこりと頭を下げた。


「おはようございます。マリアラ=ラクエル・マヌエルです。初めまして」

「初めましてー」ひらひらとディノは手を振った。「左巻きは集合九時じゃないの? まだだいぶ時間あるじゃん、座ったら? いやーこのシュカルクッフェンすっげー美味いわ。ひとつ食べなよ」

「あ、はい」マリアラはディノの近くの椅子に手をかけた。「朝ご飯食べたばっかりだから、休憩時間に……」

「そんな暢気なこと言ってたら絶対食えないから今食べといた方がいいってマジで」


 ディノはティッシュを一枚取り、それで丸い形のシュカルクッフェンをひとつ取ってマリアラの前に置いてくれた。さくさくぱりぱりの菓子の表面はこんがりしたきつね色をしてつやつや光っている。美味しそうだ。

 マリアラは微笑んだ。


「じゃあ、いただきます」

「うんうん、それがいいって。右巻きも来る詰所に詰めるの初めてだろ? 医局や治療院みたいな天国と違うからね、もうね、ほんっと、戦いだからね? 遠慮してたらひとくちも食えないから、覚えといた方がいいよ。時計よく見といて、十一時過ぎたら注意しときなよ。今日は焼きたてのピロシキが来るはずだから。で、それがほんと、一瞬で消えるからマジで」


 ジェイドも言っていたが、ぴろしきというのはかなり人気のメニューらしい。マリアラは十一時、と心に刻んだ。いつも食べはぐれてしまうらしいジェイドが、今日こそは故郷の味に巡り会えるようにしてあげなければ。

 椅子に座り直し、シュカルクッフェンを手に取る。外側の皮に指を入れて割ると、まだかすかに温かい。バターの香りがふわりと漂い、ぱりっ、と音を立てる。本当に、とても上等なシュカルクッフェンだ。もしかして、コオミ屋のものかもしれない。

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