孵化と花火(11)
会話が途絶え、四人はしばらくひとしきり食べた。マリアラは今も一生懸命考えているようだった。様々な知識を吟味して、雪像にするのに最も良いエピソードを選び出しているらしいのがよくわかる。真面目な子だなあとミランダは思った。ミランダからすれば、歴史の題材なんて口実に過ぎないのでは、と、勘ぐってしまうのだが、マリアラはそんなこと微塵も思っていないらしい。
マリアラの近くは、居心地が良いのだ。彼女に“特別な好意”を持っていなくても、近くに吸い寄せられたくなる気持ちは良くわかる。
そしてここにいれば近いうちにフェルドが来ると分かっている。ミシェルはベネットともフェルドとも仲が良い。街の喧騒はいよいよ高まるばかりだし、雪かきのシフトが終わったからと言って、ひとり帰るのも淋しいものだ。親しい友人が皆シフトに入っていたり休まなければならない時間だったりするならば、ここで夜まで過ごすのは二重にも三重にも都合が良い。暖かいし、お喋りする仲間もいる。ベネットの先ほどの心配ぶりを思い出せば、少なくともフェルドが来るまでは、追い出されることもまずないだろう(休みに入ったとは言え、右巻きは右巻きだ)。ミランダがミシェルの立場だとしたって色んな口実をでっち上げてでも“賄賂”を持って来たくなるだろう、という気がする。
「フェルディナント=ミンスター・アナカルシスの話は?」
ハンバーガーを食べ終えたマリアラがそう言い、ミシェルは「あー」と手を振った。
「それダメなんだわ。フェルドがすげー怒るから」
「……名前が一緒だから?」
「つーかフェルドの名前ってその王子様から取られたらしいんだよね」
マリアラは座り直した。「そうなの!?」
「そーなのよ。んでほら、その王子様ってエスメラルダから高貴な身分の女性をさらって逃げたとか言われてるわけじゃん。そんでまー前にちょっと仲間内でその……」
ごにょごにょとミシェルは言葉を濁し、ベネットが笑った。
「みんなでよってたかってからかったわけだ。そりゃ怒るわ」
「いや反省はしてるんすよ」ミシェルは頭を掻いた。「んでも俺もまだなんつーか……若かったんすよね……」
「フェルディナント=ミンスター・アナカルシスは、伝説はどうあれ、実際は逆だったみたいですけどね」とマリアラが言った。「エスメラルダで暗殺されそうになっていた女性を助けて外国に連れて行ってあげたというのが本当みたいです。リストガルドという大陸にミンスターという小さな国をつくって、幸せに暮らしたという話が残っていますよ」
「じゃあそれ、フェルドに話してあげたら?」
ミランダは言ったが、ベネットとミシェルは揃って首を振った。
「いややめといた方がいい」
「そうそう、もうこれ以上触らないでやる方がいいって。いや俺が言うのもなんだけど、そんなほんとの話聞かされたってなんの救いにもならねえから」
そんなものだろうかとミランダは思う。マリアラは、それじゃあ、と言った。
「暗黒期の前ですけど、“媛”は――」
「んーそれも考えたんだけどね」ミシェルは眉間に皺を寄せる。「全然情報が残ってないわけじゃん……どんな服着てたとかどんな場所に住んでたとか、全然わかんねーとさ、やっぱ、雪像にすんのは難しくってさ」
媛、と言うと、これまた有名な人である。ミランダは身を乗り出した。
「媛って、女性として初のエルヴェントラになった人なんでしょ。伝説は色々聞くけど、文献残ってないの?」
「うん、やっぱり暗黒期の前だからねえ……当時のことはほとんど何にも残っていないの」
マリアラは頷いた。でも、と明るい口調で続ける。
「逸話は色々残ってるよ。デクター=カーンって、有名な冒険家がいるでしょう。どうも友人だったみたいなんだ。それで一緒に旅して、旅先からお箸とかお米とか持ち帰ったって言われてるよ。梅干しとかうどんとかおでんとかも、その頃媛が持ち帰ったものなんだって」
「へええ」
「あとそろばんとかね。……そろばん持たせたら、歴史学に詳しい人なら、あっ媛だ! って分かると思いますよ」
「あのね、雪像だよ? そろばんのコマ一個一個彫るの俺? 完成前に凍死するわ!」
ミシェルが嘆いて見せ、ふたりは楽しそうに笑った。全くタイプが違うふたりだが、意外に気があうらしい。
テーブルの上の食べ物があらかたなくなる頃、マリアラが言った。
「それじゃあ、レジナルド=マクレーンの革命はどうですか。二百年前の、近代革命」
ミシェルはまた唸る。
「……地味じゃね?」
「地味じゃないですよ!」ギョッとしたようにマリアラは言った。「全然地味じゃないですよ! エルヴェントラを暗殺して成り代わって僭称したドンフェルを追放したっ、近代革命ですよ! 今の自由で豊かな生活はひとえにあの革命のお陰なんですから! レジナルド=マクレーンの功績なら、皆知ってるし、何より無血の革命だってところがすごいと思いませんか!?」
「うーん、」
「もうすぐ近代になって二百周年の節目ですし、」
「うーん、でもさ、やっぱさ、恋バナが欲しいんだよなあ」
「恋バナありますよ! 悲恋だけど!」
「え、あんの?」
「ありますよ」マリアラはこくこくと頷いた。「エヴェリナというとても綺麗な女性がいたんです。彼女はレジナルド=マクレーンの恋人だったと言われています。それで、革命が無血で終わったのは、彼女の功績だったということがわかってきたんです。だいぶ長い間、彼女は悪女として語り継がれてきました。レジナルドの恋人でありながら、ドンフェルの右腕であり死神と呼ばれた男に恋してしまって、死神のために色々と便宜を図った裏切り者だというのが通説だったんです。でもそれは彼女の本質じゃなかった。彼女は死神を革命に引き入れようとしたみたいなんです。それから、革命後の裁判で、処刑されそうになったドンフェルとその家族の助命を嘆願したんです。“あなたが成し遂げたかったのは、人々を圧政から解放することのはず。恨みを晴らすことじゃないはずです”って――十年くらい前に、裁判の記録が見つかったんですよ。だいぶその、ぼろぼろだったそうで、ところどころしか読めなかったようですが――でもそれで、色々とわかってきたの。今、レジナルド=マクレーンが聖人とされているのは、あの革命を何より無血で行ったと言うところが大きいの。そしてその功績を作った大きな要因のひとつが、エヴェリナの存在だったんです。きっとすごく素敵な人だったんだろうなって思います」
熱のこもったマリアラの話を聞くだけで、彼女がほんとうにエヴェリナを“偉人”だと信じているらしいことがわかる。しかし、と、ミランダは思う。裁判である。いくら二百年前といえど、曲がりなりにも裁判ならば、参加者が数人ということはないだろう。明後日の朝までしか期限がないのに、今から裁判を雪像で再現するなんて、それこそ“凍死するわ”というのでは――ミランダはそう思ったが、ミシェルは意外に何も言わなかった。マリアラの解説を最後まで聞き、彼は唐突に立ち上がった。膝がテーブルにぶつかってガンと言った。結構痛そうな音だったが、ミシェルは全く気にしないようだった。
「じゃっ」裏返った声で彼は言った。「悪いけど俺急ぐから!」
「え?」
マリアラが目を丸くする。ミシェルは全く構わず上着をひっつかむとついたてを回った。ガン、またどこかにぶつかる音がした。引き戸を開ける音も勢いよく、閉めるのもそこそこに走り去る足音が聞こえる。取り残されたそこに沈黙が落ち、ベネットがその空気をすくい上げるような声で言った。
「まー気にしないでやって。良かった良かった。やる気あるようで何よりだよ」
やる気、出たのか。
「間に合う……かな?」
ミランダはそう口に出し、それは間に合うだろう、と思った。マリアラもそう思ったらしい。じゃがバターの入っていた紙パックを小さくたたみながら、微笑んだ。
「きっと間に合うよ。明後日が楽しみだね」
2017年12月27日 誤字修正