第三章 仮魔女と魔物(4)
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リン=アリエノールはジリジリしていた。
ミフはリンをここに投げ出すように下ろすや『通報お願い!』叫んで飛んで行ってしまった。その後マリアラがどうなったのか全くわからない。だからリンはジリジリしている。何しろ温泉街詰所の保護局員が、リンの通報を疑って取り合ってくれないのだ。ここに到着して数分で、既に喉も嗄れそうだ。
「だから狩人がいるんです! 通常の消火じゃダメなんです! マリアラがっ」
「あーハイハイ、要請なら書類揃えて来てね、お嬢ちゃん」若い保護局員はうんざり顔だ。「狩人なんているわけないでしょ。どっから入り込むんだよ、入れるわけないだろっつーの。エスメラルダはね、【壁】があるから安全なの、わかる? イタズラなら時と場所を選べってんだよこっちは忙しいのー」
詰所の奥では中年の男が怒鳴り続けている。どうやらこの若者の上司で、この詰所には二人しか人がいないらしい。上司は〈アスタ〉とのやり取りで噴火寸前のようだった。とにかく南大島の被害が深刻で、山火事の消火に当たれる魔女を派遣するのが難しいのだと〈アスタ〉は繰り返すばかりで、一向に埒があかない、らしい。
ここに来て数分で、リンは既に思い知っていた。
魔女保護局員はエスメラルダの国家公務員でありながら、その名のとおり、『魔女を』『保護する』のが仕事なのだ。山火事が起こったら消火するのは魔女であり、保護局員はそれを補佐するのが任務だ。
つまり魔女が来なければ何もする気がないのである。
でも、マリアラは仮とは言え既に魔女だ。だからリンはまた叫ぶ。
「だーかーらーあー!」
「あーうるせー」
ついに若者はリンをつまみ出そうと試みた。リンは悔しくてたまらずなんとか踏みとどまろうとしたが、若者は頑として奥に行かせてくれない上にリンの通報をはなから嘘だと決めつけていて、これ以上どうすればいいのかわからない。マリアラが、死んでしまうかもしれないというのに……!
「じゃあ一緒に来てよ! 一緒にマリアラ捜しに行って! 魔女の証言なら信用するんでしょう!? 狩人が来てるの、今にも殺されてるかもしれないっ」
「しっつけーな、俺はここで指示待ってなきゃなんねーんだよ」
「今この状況でっ、指示待ってて一体何になるの!?」
若者の顔が険しくなった。「なんだと!?」
凄むような目で睨まれたがリンは引かなかった。
「マリアラはここに人がいるからっ、だからここが燃えないようにってあそこに残ったのよっ、狩人がいるのによ!? あなたはその間に何をしたの!?」
「ああ!?」
「保護局員ってなんのためにいるのよ! 放して……!」
「申し訳ない」
新たな声が後ろから聞こえた。
同時に詰所から押し出されようとしていたリンの背を、がしっ、と大きな手が支えた。若者は息を飲んだ。
「がっ、ガストンさん!」
「狩人がいると言いましたか」
ガストン、と呼ばれた男はリンを覗き込み、丁寧な口調で言った。リンはその口調とは裏腹な気迫と、ガストンの顔の端正さと、両方に気圧されてこくこくこくと頷いた。
「どんな風体でした」
「赤い髪でっ」
聞くなりガストンは頷いた。
「だと思いました。――失礼します、責任者はどちらに」
若者は最敬礼でガストンを通した。どうやらこの若者はガストンに心酔しているらしい。
と、今ガストンが来た扉の向こうから、ガストンに続くように気弱げな若いマヌエルが顔を出した。リンと同い年くらいの男の子だ。彼とリンが目礼を交わした頃、ガストンは詰所の奥で喚いていた責任者を丁重に、だが断固として押しのけ、〈アスタ〉のスクリーンを覗き込んだ。
「〈アスタ〉。緊急コード598、ジルグ=ガストンだ。ヘイトス事務官へつなげ」
〈アスタ〉の返事は聞こえなかったが、すぐに、きびきびした女性の声が流れ出た。
「こちらリスナ=ヘイトス事務官。何用ですか」
「雪山の山火事だが」
「消火隊を組織中です」
「通常の山火事じゃない。狩人がいる。赤い髪の狩人、役職名【炎の闇】の目撃情報あり。狩人の人数は不明、消火のマヌエルを三隊に分け、温泉街詰所、観測所、灯台詰所に派遣してほしい」
「了解しました。他には」
「仮魔女試験の参加者、右巻き三名の協力を得たい。ジェイドは既に確保した」
「……」
「頼む」
「……」
「頼む。相手は【炎の闇】だ」
「……いいわ、覚えてらっしゃい」
「恩にきる」
そっけなく言って通信を切り、ガストンはこちらを振り返った。
「行こう」
そのままずかずかと詰所から出てくる。保護局員の若者は所在なげにもじもじしている。ガストンに押しのけられた責任者は反感のこもった声を上げた。
「ジルグ=ガストン、相変わらずだな。狩人が入り込んだなどと、バカげた通報を本当に信じているのか」
「信じる?」ガストンは責任者を振り返った。「俺が信じることになんの意味がありますか」
「来てなかったら? いたずらだったらどうする? 緊急コードまで使って大騒ぎして、これ以上どこへ飛ばされるつもりだ」
悪意の滲む声に、ガストンは笑った。
「それなら笑い話で済みますね。万々歳じゃないですか」