沖島(13)
助ければ褒められる人と、褒められない人がいる。みんなその区別をつけて、仕事を続けているのだろうか。
ミランダはしばらくの間、嗚咽を漏らしていた。彼はそれ以上は何も言わず、黙って待っていてくれた。寒いだろうに。疲れているのだろうに。早く暖かいところに入って、休みたいだろうに。
しばらくして声が出るようになり、ミランダは、呻いた。
「私、偉いわ……」
伏せた顔の向こうで、彼が笑ったのがわかった。
「うん。偉いよ」
「〈アスタ〉も元老院も、おかしい」
「うん。俺もそう思う」
「私、すごい。相棒がいなくてもちゃんと人を助けたし。〈アスタ〉を信じなくて正解だった。人魚にだって認められた。うん。すごい。すごい、よくやった!」
彼は声を立てて笑った。
「俺もほんとにそう思う。……でも、その、〈アスタ〉? には、君がその、勝手に助けに行ったってことは、言わない方がいいかもな。元老院に逆らったってことだ。人魚は俺を逃がしたせいで、元老院に代わりの男を要請するだろうし、せっかくルクルスひとりで片がつくところだったのに、それを邪魔したことになるわけだから」
ミランダは顔を上げて、彼を睨んだ。
「魔力がないからって見殺しにしていいってことにはならないわ。元老院がおかしいのよ。私のしたことは間違ってない。魔女ならみんなそう言うはずよ」
少なくともマリアラは、そう言ってくれるはずだ。
寄生、という言葉は、まだ重い。でもそう信じることは、マリアラの存在に寄りかかると言うことではないとミランダは思った。自分の意思で、行動した。それを非難しないで欲しいと心のどこかで祈るくらい、許されていいはずだ。
彼は低い声で言った。
「元老院は魔女じゃない」
「でも――」
「おかしくてもさ。しょうがないよ。ルクルスは社会に役に立たない存在なんだ。元老院がそう決めた。それをひとりの魔女が指摘しても、大勢は変わらないだろう。でもその魔女は煙たがられる」
「今だって出来損ないだもの」
「魔女も大変なんだな。孵化したらそれで生涯安泰なのかと思ってた」
別段悲しそうでもなく、悔しそうでもなく、ただ淡々と、彼は言った。
ミランダは呼吸を整えた。
この人は慣れ過ぎてしまったんだ。
生まれてすぐ、お前は出来損ないだと言われて。言われ続けて、きっとそれに、慣れてしまったんだ。
でも不思議なのは、拗ねたところが感じられないということだ。ミランダが四年間ずっと抱いていた劣等感、私はどうせ出来損ないだという拗ねた気持ちが、彼からは全く感じられない。諦めたような感じもない。ただ単なる事実として、受け入れている感じがする。
だからミランダを気遣えるのだろう。不思議な人だ、と思う。ルクルスってみんなこうなのだろうか。
ミランダは話を変えた。
「南の大島の近くにいたって、言った?」
彼はうなずいた。
「ここはどの辺?」
「西の沖島。飛んで行けば夜明けまでには帰って来られるわ。送って行くから、乗って」
「箒にか……すごいな」
彼は嬉しそうにミランダの後ろに乗った。けれど温かな大きな体が、穂の隅に居心地悪そうに縮められて、ミランダは振り返った。
「ちゃんと掴まらないと落ちるわよ」
「どこに掴まれば、」
ミランダは無言で彼の手を自分の体の前に回して柄を握らせた。腕が長く、ミランダはすっぽりと彼の腕の中に納まる体勢になった。暖かい、と思った。本当に、普通の人と変わらない。
隔離、だなんて。一体どうして。
「行くよ」
メイはふたりを乗せて、ふわりと宙に浮いた。
初めのうち、彼はぎこちなかった。箒に乗る方法も今まで知らなかったのだと如実にわかる。隔離されてきたのだから当然だ。
じわじわと、その現実が胸に染みてくる。生まれてすぐの検査で、普通の人と交わらないように隔離される――信じがたいことだが、どうやら本当に、それが彼の現実らしい。いったいどうしてそんなことをするのだろう。意味が本当に分からなかった。検査したり魔法道具を使わせてみたりしなければ判断もできないくらい、普通の人と変わりないのに。
それどころか、とても、温かいのに。
ミランダより遥かに苛酷な人生を歩んで来たはずなのに、それを苦にしない靭さを、備えているのに。
イェイラとザールの叱責に拗ねて、縮こまっていた、自分の卑小さが、しみじみと恥ずかしかった。
しばらく進むうちに慣れてきたらしく、ミランダの体越しに柄を握る彼の腕から、少しずつ強ばりが取れていった。防寒具のお陰で寒さもそれほどではない。人魚の儀式のお陰か、風もほとんどない。二色の月光の中、空を飛ぶのは本当にいい気持ちだ。彼もそう思っているといい、と思っていると、彼が言った。
「……すごいな。本土が見える」
振り返ると、確かに、海の向こうに、キラキラ光るエスメラルダの本土が見えていた。海に張りだした半島は、真夜中過ぎというこの時間にも関わらず、ネオンでキラキラ光っている。
彼は本土に行ったことがあるのだろうか、とミランダは思う。
もう一度この人に会うには、どうすればいいのだろう。
今までずっと、穏やかで優しい友人の存在を切望しながら、ミランダは何もしなかった。マリアラのような少女が来るのを、ただ待っていた。
でもこの人にまた会うためには、ただ待っているだけではダメだ。それだけは、痛切にわかる。
「南大島の……近くに、住んでいるの?」
彼がどんな場所に住み、どういう生活をしているのかは、ミランダの空想の外にある。でも、知りたいと思った。どうすればまた彼に会えるのか、会いに来られるのか、それを知りたかった。
彼はミランダの切望には気づかぬ体で、屈託ない言い方で答えた。
「そう。南大島の西に転々と連なる諸島があるんだけど、その内のひとつ。……でも俺、多分数日中に、アナカルシスに行くことになると思う」
人魚の囁きが耳によみがえった。
――陸に戻っても、もはやカルロスの庇護を受けられぬ身じゃ。
カルロスって、誰だろう。そんな疑問が浮かんだが、今は、どうでもよかった。彼がアナカルシスに行ってしまったら、どうやって、もう一度会うことができるのだろう。ミランダの乏しい知識の中に、アナカルシスの友人と連絡を取り合う方法なんて見当たらない。
彼は淡々と先を続ける。
「アナカルシスならルクルスでもそれほど――まあ、隔離されたりってこともないから。仕事もあるし。アナカルシスを横断する大陸鉄道って、知ってる? イェルディアからアナカルディアを通ってエスメラルダ国境近くまで来てるらしいんだ。その沿線の駅で働いてるルクルスが、結構いるんだ。昔世話になったおっさんもそのひとりで、もしアナカルシスに来る気があるなら、口きいてくれるって、言ってたから。俺若いし力もあるから、雇われる自信はあるんで」
鉄道の話は、ミランダも聞いたことがあった。ジェシカから、修学旅行の話を聞いたときに出てきた。すごく大きくて、長距離乗っていても疲れないように、居心地のいい部屋を連ねたようになっていて、蒸気を使って走るのだという。
「すごいわね……魔力を使わなくても走る、なんて」
「そうだね」
彼は微笑ったようだった。
「相棒がいなくて、【水の世界】に行くことも許されてないなら、ふだんは何してんの」
口調も砕けてきた。月明かりの中を、男の人と一緒に、一本の箒に乗って飛ぶなんて、まるでデートみたいだ、と思う。
胸が、痛い。