沖島(4)
ぴんぽーん。
明るい音がして、スピーカーのスイッチが入った。頭上から、フェルドの声が流れ出る。
『着陸体勢に入ります。念のため着席して、手すりに掴まってください』
それを聞くやいなや、研究者たちはわらわらと動き始めた。ギダールは思い出話をぴたりとやめ、フィンダルや他の人たちと一緒にてきぱきと菓子やお茶のあとを片付けた。あっという間にテーブルが綺麗になり、折りたたまれ、床に収納された。ソファーの座面から、軽い音と共に手すりが生えてきてがちっと音を立てて固定された。その全てのボタンを押したのはフィンダルだ。最後のボタンを押すと、座った上客の顔のあたりにまで、するするとつり革が下りてくる。
「すごい……」
思わず呟くとフィンダルはとても得意そうに丸めがねを押し上げた。ランディが笑った。
「こいつ魔法道具の新製品が出ると説明書取り寄せて隅から隅までチェックするのが趣味なんだぜ。持ってないやつのもだぜ? 異常だよなー」
「人を変態みたいに言わないでください。説明書のチェックくらい誰だってするでしょ」
ね? と首を傾げて同意を求められた。マリアラは一瞬詰まった。少なくともマリアラは持ってもいない魔法道具の説明書を眺めたことは一度もない。しかしラセミスタなら――そう思ったけれど、どのみちその返事をする必要はなかった。“馬車”の中にいても聞こえるほどの音を立てて、蒸気が上がったのだ。沖島の滑走路に積もった雪を、フェルドが溶かしたのだろう。雪が一掃され、蒸気も吹き払われ嵐も押さえられたその場所に、“馬車”はつつがなく着陸した。衝撃もほとんど感じないくらいだった。
「君の相棒はなかなかの腕前だね」
ギダールがいう。マリアラが頷いたとき、ミランダがひゅっと息を呑んだ。
見ると、ミランダは座席から腰を浮かせかけた状態で硬直していた。その視線を辿ると、彼女は研究所の入口を見ていた。そこに男が立っているのが見える。保護局員だ、と、マリアラは思った。かっちりした保護局員の制服を着た、中肉中背の、これといって特徴のない人だった。ダニエルやララと同年代に見える。
「……どうしたの?」
訊ねるとミランダは我に返ったようだった。マリアラを見て、ふるふると首を振った。
「な、……なんでもないの」
「ザールじゃないか。何かあったのかな」
ギダールがそう言い、先に立って“馬車”を下りていく。通り過ぎざま、ミランダの肩をぽんと叩いて行った。マリアラはフィンダルを見たが、彼もよく事情がわかっていないらしい。
ザールという名らしい保護局員は、“馬車”を迎えるために外に出ていたことは疑いなかった。研究所の入口の階段を下りてきていて、フェルドに何か言っている。ミランダは立ち上がり、深呼吸をした。それからマリアラとフィンダルを振り返って、微笑んで見せた。
「大丈夫よ。ちょっと苦手な人がいただけ。さ、行きましょう」
「苦手……なの? あの人が」
「うん。あの人はイェイラ……あたしの【親】の彼氏なのよ。南大島担当の保護局員で、ちょっと厳しい人なの。でも大丈夫よ」
ミランダは先に立って歩き出しながらそう言った。フィンダルが続き、マリアラも続いた。イェイラの彼氏――“馬車”のタラップに足をかけたとき、ようやくマリアラは聞き返した。
「……え? イェイラの? 彼氏?」
「そう、もう付き合ってずいぶん長いんじゃないかしら。まだ若いけど、結構位が高くて、偉い人なんですって」
「か、彼氏……いたんだ……」
マリアラは混乱した。そして、後ろめたさを覚えた。先日イェイラがフェルドに言った言葉のあれこれを思い出す。他にもマリアラを見た時の目つきだとか、フェルドの背中に触れた手つきだとか。そういったことから、イェイラはフェルドが好きなのだと、すっかり思い込んでいた。でも誤解だったのだ。
もしイェイラがマリアラの誤解を知ったなら呆れるだろうし、不快に思うだろう。勝手に牽制されたものだと思い込んで、勝手にイェイラへの苦手意識を募らせていただなんて失礼な話だ。イェイラに失礼な態度を取った記憶がないのだけが救いだが、それにしても申し訳ない。
ミランダが外に出ると、ザールが彼女を見た。
その目つきを見ただけで、ザールの方もミランダに好意を持っていないことがよくわかった。ミランダはぺこりと頭を下げた。
「こんにちは。ご無沙汰しています」
「相棒同士の研修にむりやり割り込んだそうだな」
ザールは挨拶もせず単刀直入に言った。ミランダは俯く。いきなりの攻撃に愕然としていたマリアラを見て、ザールは酷薄に微笑んだ。
「君たちも災難だったね。お荷物を押しつけられて」
「は――?」
「ミランダ=レイエル・マヌエル。イェイラの顔にこの上更に泥を塗るような真似は辞めてほしいものだ。ジェイディスにも困ったもんだ。君のような変わり種にまで正式な治療者の権限を与えようとはね。本物の治療者の士気が下がりかねないというのに」
「ミランダはれっきとしたレイエルですよ」
フェルドがそう言い、マリアラは頷いた。
「そっ、そうですよ! お荷物だなんてそんなっ、そんなことありません!」
しかしザールは全く気にしなかった。ふん、と鼻を鳴らすだけ鳴らして、さっさと踵を返して研究所に入っていった。ぷしゅん、という音を立てて自動ドアが閉まる。
マリアラは思わず唸った。
「なっ、なんなのあの人……!」
「ごめんね、嫌な思いをさせて」ミランダは小さな声で言った。「何て言うか……あたしは昨日も言ったけど、変わり種なのよ。たまごのときに風の魔女の波長を持っていたのに、孵化してみたら水の魔女だったから……だからね、あたしには本物の【親】がいないわけだし、ちゃんとした相棒を得てちゃんとシフトに入るなんて、できそうもないから……あの人はあたしを怒っているの。出来損ないの【娘】を持ったことが、イェイラの経歴の瑕になるって」
「ひどい!」
「イェイラは【親】のなり手がいなかったあたしを引き取って、レイエルとしての手ほどきをしてくれた。ザールは反対したんですって、そんな出来損ないを懐に入れる必要なんかないって。……だからしょうがないのよ。本当のことだもの」
何がしょうがないのだ、とマリアラは思う。
「ほらみんな、おいで」
入口横の窓が開いて、ギダールが顔を出した。研究者のまとめ役という立場にあるギダールは、きっと、そういう事情も弁えているのだろう。温かい笑顔でミランダを呼んだ。
「吹雪に備えて研究所のセキュリティチェックという名目で南大島からわざわざ駆けつけてきた保護局員殿は仕事を山ほど抱えて気が立ってる。大丈夫。これ以上君たちの前で無駄口を叩く暇なんかほとんどないさ」
「はい。……行きましょう。仕事をしなくっちゃ」
ミランダは微笑んで、歩いて行く。マリアラはラセミスタの言った言葉を思い返していた。
――だから今回、マリアラたちが沖島行くのに合わせて、ちょっと強引なやり方で、ジェイディスがミランダの研修を押し込んだみたい。
――チャンスだ! って、思ったんじゃないかな。
確かにそうだろうとマリアラは思った。ザールの意見はほとんど言いがかりに近いものだ。ジェイディスもきっとそう思っている。なのに色んな場所から色んな横やりが入って、ミランダの研修が妨害される。先日ミランダと一緒に来たイーサンというイリエルとも、“うまくいかなかった”。本人たちは仲良くやれそうだと思っていたのに。妨害されたのだとしか思えない。
それが現実なら、ジェイディスが少々強引な手段をとろうと考えたってちっともおかしくない。昨日のディアナの治療院の惨状を思い出すまでもなく、治療者はひとりでも多い方がいい。それも能力があり魔力が強く心根も真摯で、治療者になりたい若者とくれば尚更だ。レイエルなのにたまごのときにイリエルの波長を示していた――だからなんだというのだ!
――しょうがないのよ、本当のことだもの。
ミランダが諦めてしまっているようなのが残念でならない。
フェルドを見ると不快そうに顔をしかめている。その気持ちは全くよくわかる。マリアラも憤然と、ミランダに続いて研究所に入った。