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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の現実
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ペナルティ(2)

 


      *



 久しぶりの自分のベッドは、とても寝心地が良く、目を閉じて息を吐いたら朝だった。


 カーテンの向こうで、ラセミスタがもぞもぞしている。その気配はとても新鮮で、マリアラは思わず微笑んだ。ルームメイトと顔を合わせる初めての朝だ。身体を起こすと、カーテンの向こうで、ラセミスタが明るい声で言った。


「おはよう、マリアラ!」

「……おはよう」

「久しぶりだからかな、すごくぐっすり寝ちゃったよ。マリアラ、今日のシフトは?」

「あー……シフト表では、今日は非番……なんだけど、どうだろう?」

「着替え終わった。こっちはいーよ」


 ラセミスタがそう言ったので、マリアラは急いで着替えを終えた。そうだ。ふたりのスペースを隔てているカーテンは、お互いの合意をもって初めて開けるべきものだ。少女寮にいたときには当然だったそのしきたりを思い出すのも、ここに来てから初めてのことだ。


 髪を梳かして簡単に結い、パジャマを畳んでシーツの上に置き、寝台を整える。ベッドにカバーをかぶせ、「開けるよ」と声をかけてからカーテンを開けた。ラセミスタはやはりそこにいた。よく眠ったようで、顔色がとてもいい。ふわふわの髪を梳かした様子はなかったが、顔はきちんと洗ったらしい。


 なんて綺麗な子なんだろう、と、マリアラはまた思った。

 こうして顔を合わせるようになってから、毎回新鮮な驚きを感じる。リン=アリエノールも綺麗な子だが、ラセミスタの美しさはリンとは違い、なんだか現実離れしている。髪を梳かして結えばいいのに。なんだか少し、むずむずした。“過去”にいた頃、ラセミスタはいつもマーシャの手によって磨き上げられていた。あんな風に毎日きちんと綺麗にしたらいいのに。いっそ申し出ようかとも思ったが、まだ挨拶から始める間柄に過ぎないのに、髪を梳かしてもいいかと訊ねるのは時期尚早のような気がする。


「今日の朝ご飯はなんだろー」


 ラセミスタはマリアラの内心など思いもよらない様子で、注文パネルをつついて起動させている。と、「わあっ」と明るい声を上げた。


「なんと今日は、特製オムレツだよ!」

「わ、やった。わたし特製オムレツ大好き」


 マリアラが声を上げるとラセミスタは嬉しそうに微笑んだ。


「だよねだよね、ふわふわでとろとろで、最高だよねー! 特製オムレツの日は、なんかいいことありそうだよね!」

「うんうん」

「マリアラ、香茶? コーヒー?」


 ラセミスタはマリアラの要望を聞きながら朝ご飯を頼んでくれた。特製オムレツ、焼きたてロールパンとブール、サラダと飲み物、それから果物。特製オムレツは一~二ヶ月に一度、朝食に登場する人気メニューだ。まだ時間が早いから、売り切れていることもないだろう。

 注文が終わるとラセミスタはすぐにパネルの表示を切り替え、〈アスタ〉を呼び出した。


「〈アスタ〉!」


 声をかけるとパネルの表面に、ふくよかで綺麗な女性の顔が浮かび上がった。〈アスタ〉はちょっとマーシャを彷彿とさせる、と、マリアラはその時初めて思った。お母さん、という単語を擬人化したらこうなるのではないかと思うような、ふっくらと優しくて、にこやかな女性だ。


『おはよう、ラス、それからマリアラ。お帰りなさい。無事で本当に良かったわ』


 〈アスタ〉は心情の籠もった声でそう言い、その優しい頬に、安堵の表情を浮かべて見せた。〈アスタ〉がただの魔法道具だと思えないのはこういうときだ。


「おはよう〈アスタ〉、心配かけてごめんなさい。あの、今日の予定についてなんだけど――」

『それがね』


 〈アスタ〉は少し言いにくそうに、ラセミスタの言葉を遮った。


『今、私もちょうど連絡しようと思ってたの。朝ご飯を注文したことがわかったから、今、事務方の女性がひとり、あなたがたを訊ねに行くところよ。今日以降の予定については詳しいことはその、彼女に聞いて頂戴。ああ、もちろん、後から私に聞いてくれれば、色々と補足はしてあげられるから――もうすぐ着くわ、その、ごめんなさいね。マリアラとフェルドはシフトに入っているし、だからシフトの組み直しが必要だったの、だから』


 こんこん。

 扉がノックされたのは、その時だ。


『終わったら呼んで頂戴ね。……幸運を祈っているわ』


 〈アスタ〉がそう言って通信を切った。マリアラとラセミスタは顔を見合わせた。一体、誰が来るというのだろう。事務方の女性、と〈アスタ〉は言ったけれど。


「ど、どうぞ……」


 若干びくびくしながら声をかけると、扉が、開いた。

 マリアラは目を見張った。見覚えのある人だった。

 以前、南大島で見つけた魔物を、【毒の世界】に帰したときに会った。名前は確か、ヘイトス室長――と、言ったはずだ。そうそう、リスナ=ヘイトス事務官補佐室室長、だ。


 リスナ=ヘイトス室長は今日もとても痩せている。まるで針のようで、柔らかそうな肉付きなど欠片もない。つり上がった目が、これまたつり上がった眼鏡の向こうから光っている。化粧っ気もない。愛想も愛嬌も、微笑みすらない。灰色の髪をひっつめにして、尖った眼鏡をかけていて、情け容赦というものを全く持ち合わせていないという風情をたたえていた。


「あ……あの、すみません、まだ、起きたばかりで。朝ご飯も、まだ、なんですけど」


 マリアラがおそるおそる言うと、彼女は眼鏡の弦を持ち上げて、ふん、と言った。


「部屋に頼んだのでしょう。食べながらで結構です」


 その時、ちん、という音がして、パネルの下にある食事の差し出し口にトレイが届いた。ラセミスタがとり、マリアラの方に置いてくれた。続いて届いたもうひとつのトレイをラセミスタが自分の前に引き寄せる。特製オムレツは黄金色につやつや光っていた。とろけたチーズがはみ出している。こんがり焼けたロールパンとブールが芳香を放っている。濃い紅茶と付け合わせのサラダ。完璧な朝ご飯だ。が、いかんせん、味がわかるような気がしない。


「どうぞ召し上がってください。私のことはお構いなく。朝早くお邪魔したのはこちらなのですから」


 彼女は勝手に椅子を引き寄せて座りながら、咎めるように言う。言葉の内容は謝罪に近いのに、彼女が来るまでにちゃんと準備をしておかなかったこちらが悪いとでも言いたげな口調だった。マリアラはしかたなく訊ねた。


「……あの、お茶でも?」

「まあ、ありがとう」


 ようやく思いだしていただけて嬉しいですよ、とでも言うような口調だったので、本当に泣きたくなる。

 ややして届いた温かなお茶を差し出してから、マリアラとラセミスタはもそもそと朝食を食べた。せっかくの特製オムレツなのに、やはり、味がちっとも分からなかった。


 ――モルモットのように扱われるのは本意ではないだろう。


 グレゴリーの言葉が耳に甦る。この人は一体、何をしに来たのだろう。マリアラたちがどこへ行っていたのかを、問いただしに来たのだろうか。そう考えて身構えていたのだが、彼女は、ふたりが食べ終えるのを待ち兼ねたように、予想とは少し違ったことを言った。


「さて今日は、ラセミスタ=リズエル・シフト・マヌエルに対する特別な依頼。そしてマリアラ=ラクエル・マヌエル、あなたとフェルディナントの、今後のスケジュールについてご相談にまいりました」


 特別な依頼と、相談?

 食べ終えたトレイを差し出し口に戻し、返却ボタンを押してから、マリアラはヘイトス室長に向き直った。依頼、相談、というには、彼女の口調はあまりに断定的だ。


「まず、ラセミスタへの依頼からお話しします。――先日あなたが作成した『成分分析装置』ですが」

「あ、はい。国立次元歪研究所からの依頼の」

「ええ。今回あなたがたを無人島へ転移させた元凶となったあの装置」


 じろり。ヘイトス室長は凄みのある目でラセミスタを見据えた。


「リズエル工房は惨憺たる有様でしたが、あの装置は、恐らくは転移磁場の嵐の“目”のような位置に存在したためでしょう、あまり損傷がなかったのです。グレゴリー=リズエル・シフト・マヌエルがあの装置を空島へ持ち帰り、解析したことで、あなた方の帰還が成ったと報告を受けています。ですのであの依頼は既にグレゴリーに引き継がれたものとご理解いただきます。本日には、グレゴリーから、国立次元歪研究所へあの装置が納品されるはずです。

 もちろんあの装置を完成させたのはあなたですし、今回のことがあなたの経歴に何らかの瑕瑾を及ぼすことはないでしょう。ですが、グレゴリーがあなたの手柄を横取りしたなどと誤解されないことを願っています」


 リスナ=ヘイトス室長の言うことは、言葉そのものよりも、言外に存在する、表情や身振り、目つき、話し方などで、雄弁に伝わってきた。ラセミスタは「もちろんです」と即座に頷いていたけれど、万一彼女が憤ったり反対したり、自らの権利を主張するようなことがあったなら、あの装置の暴走がラセミスタの経歴に疵を付けるだろう、と、言ったも同然の口ぶりだった。


「よかったこと。……ですから、代わりに――と申し上げては何ですが、ここからが今回の出来事に関連する、“特別な依頼”の内容です」


 ペナルティだ。横で聞いているマリアラもそう悟った。

 ヘイトス室長は、ラセミスタとマリアラに、三日間の無断外泊に対するペナルティを科しに来たらしい。


「あなたが留守の間に、イーレンタールに新たな依頼がなされました。国家的プロジェクトです。

 シフトに入れる魔女をひと組でも増やすことが、過酷な冬を乗りきるための喫緊の課題であると言うことは、ご存じのことと思います。そのために様々な取り組みがなされています――イリエルの“右”とレイエルの“左”を組ませるという取り組みも始まっていますが、その一環として――ここからは国家機密ですから詳しくはあなたの意思を聞いてからにしたいと思いますが」


 おほん。

 ヘイトス室長は、思わせぶりに咳払いをした。


「とにかく、イーレンタールはその依頼を受けました。しかしそれを成し遂げるために、有能でかつイーレンタールの呼吸を弁えた助手の必要性を主張しました。彼が真っ先に希望したのはあなたです、ラセミスタ=リズエル・シフト・マヌエル。しかしあなたは既にリズエルですから、誰かの助手などと言う地位に甘んじることを是としないのではないか、と、イーレンタールは懸念していま」

「やります!!!」


 ラセミスタが叫んだ。マリアラははっとした。

 今までだって充分綺麗だったラセミスタが、今や光り輝いているように見えた。マリアラは感嘆した。なんて綺麗な子なんだろう。

 この子には、髪を梳かしたり身なりを整えたりなどという手管はきっと必要ないのだ。そう思った。

 彼女の美しさの本質は、外見にはないのだろうから。


「やります、やりますやります! 絶対やります!!」

「はい、わかりました」

「国家プロジェクトってあれでしょアルフィラの! 省力技術の! 画期的な、あれ! 浪漫ですよね、やります!!!」

「一度言えば結構です」ヘイトス室長はにべもない。「快諾していただけて良かった。イーレンタールは既に開発に入っています、準備ができたらあなたも今日から――」

「行ってきまーす!!」


 ラセミスタは部屋着のまま、一目散に部屋を飛び出していった。マリアラは止めようとし、間に合わなかった。ラセミスタは裸足のまま呆気にとられるほどの勢いで走り去った。【魔女ビル】の中だからそうそう危険なものも踏むまいし、追いかけて連れ戻して靴を履かせ衣服を着替えさせるなんてできそうな勢いじゃなかったし、そもそも追いつけるとも思えないし、ヘイトス室長を放ったらかして行くわけにもいかない。


「大丈夫ですよ」ヘイトス室長はやはりにべもない。「目的を見つけたリズエルはおおむねあんな感じですから。彼女は本当に由緒正しいリズエルです。休み時間に工房に行って、食事を差し入れてあげた方がいいですよ。プロジェクトが完成されるまで我に返らないに決まっています。

 さて、次はあなたの番です、マリアラ=ラクエル・マヌエル」


 じろり。

 氷のような視線で見られ、マリアラは縮み上がった。ラセミスタにはリズエルにあるまじき(?)、誰かの助手、というペナルティが科せられた。ラセミスタにとっては願ってもない仕事だったらしいのが救いだが――マリアラにはどんなペナルティが科せられるのだろう。ヘイトス室長の視線は氷のようで、戦慄せずにはいられない。


 ヘイトス室長は、書類鞄から一枚の用紙を取り出し、マリアラに渡した。


「本日以降のシフト表を組み直しましたのでお渡しします。フェルディナント=ラクエル・マヌエルとあなたの三日間の特別休暇でめちゃくちゃに狂ってしまったここ数日の事情を鑑みて、本日を含む今後一週間は完全な自由時間は差し上げられませんからご了承いただきます」


 差し出されたシフト表を、マリアラは平伏するような気持ちで受け取った。今日の九時から夕方の五時まで、マリアラとフェルドは日勤に入ることになっている。今日は日勤、明日は当番勤務、非番、日勤、当番勤務、非番、日勤、その後になってようやく“休日”の文字が見える。花火大会の日は当然のように当番勤務だ。ラセミスタを誘って花火見物するという夢が潰えたのは少しだけ残念だが、どっちみち、ラセミスタは花火大会なんて今は目もくれないだろう。


「そして」


 ヘイトス室長は、厳かな口調で言った。くいっ、と眼鏡の弦を押し上げて、


「この休日のない一週間、あなたとフェルディナントには、特別な任務に就いていただきます」


 マリアラはごくりと唾を飲んだ。


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