第三章 仮魔女と魔物(2)
上昇すると、山火事が迫っているのがよく見える。灯台から少し離れた場所に、さっき森へ分け入っていった男たちの持つ松明の明かりがちらりと見えた。ジェイドは顔をしかめ、ガストンを振り返った。
「あの人たち――何してるんです? 森に火でも、付けるつもりにしか見えないんですけど」
「そうだ」
ガストンは簡単に肯定した。ジェイドは目を見張る。
「何で!?」
「マヌエルが来るのを待ってた。山火事を麓まで行かせるわけにはいかない。食い止めるのに有効な方法だ」
「森に火を付けるのが!?」
「そうとも。まあ普段ならやらないが……この火事はどうもおかしい。人為的なものだとしたら、消火に向かうマヌエルが危険かもしれない」
充分に魔力の強いマヌエルが組織的に消火をするのなら、どんなに悪意のある山火事だろうが危険などないはずだ。ジェイドは少し考え、思いついたことを言った。
「昨日狩人が入り込んだって……聞きましたけど」
本当なんですか。
それは、口には出せなかった。ガストンはまたあっさりと肯定した。
「そうだ。こうなってはそれも本当だったらしいな」
「……らしい?」
「捕らえたと聞いた。が、身柄がどこにあるのかわからん。ギュンターが担当者を捜し回ったが、どの人間を締め上げても埒があかなかった。何らかの……警報システムの不具合じゃないかと疑ってた。だがその翌日に南大島に魔物、反対側の雪山は火事。これで関連がなかったら、そっちの方が驚きだ」
確かに。ジェイドは、通り過ぎていく森の中の、松明の明かりを振り返った。あの巨大な山火事に立ち向かうには、あまりにか弱く小さな明かりだ。
「結構有名な消火法だと思うがね」
ガストンはからかうような声で言った。
「風向きには気をつけねばならん、だから、マヌエルの到着を待っていた。風さえコントロールできれば――炎を山火事にぶつけると、燃料も酸素も奪い合って消える。少なくとも、既に燃えたところに火は燃え広がらない」
「……本当に?」
「と、言われてるな」
俺もまだやったことはない、と、ガストンはあっさりと言った。ええええ、とジェイドは思う。
「だが仕方がない。通常の山火事ではマヌエルの消火が一番有効だ。ベテランのマヌエルになると風をうまいこと操って酸素を遮断するなどという離れ業までできるようになる」
「……本当ですか!?」
「もちろん。だが人数を揃え連携しあっての対策が不可欠だ。そこを狩人に狙い撃ちでもされてみろ、どれほど大勢のマヌエルの命が危険にさらされるか。狩人が何人雪山に潜んでいるかわからん。どこにいるかも把握できてない、そんな状況で、マヌエルによる消火隊を依頼する気にはなれないからな。マヌエルには俺たちの背後で風を操ってもらうしかない」
「……で、どうして俺たち、仮魔女を捜しに行くんですか」
ジェイドには意味がわからなかった。マリアラの方には、既にフェルドとダスティンが向かっているはずだ。ずいぶん出遅れているし、二人とも、狩人の脅威があるらしいことも知っている。今頃は既にマリアラと合流して、南大島へ向かっていてもちっとも不思議じゃないのだ。
ガストンはうーん、と喉を鳴らした。頷いたのか、唸ったのか、どちらだろうか。
「無駄足かもしれない、確かにな。だが昨日」
「仮魔女を狙ってるかもしれないって……話ですか」
「そうなんだ。だが、何故なんだろう、と思ってね。もちろんラクエルは稀少だが……いや、それにしてもおかしいじゃないか。その情報はどこから、何故、出されたのだろう」
「情報が? 出された? 捕まった狩人がそう言ったんじゃ」
「さっきも言っただろう。捕まった狩人が存在しないんだ。捕まえたと報告があった、その報告を出したのが誰なのかさえ判然としないていたらくだ。――エスメラルダはいかんな。平和すぎるんだ」
ガストンの言い方は、まるでそれが悪であるかのようだった。
ジェイドは少々反発を覚えた。ジェイドの生まれ育ったレイキアに比べ、エスメラルダは治安が格段に良い。酔った人間が身ぐるみはがされず命も落とさずに休憩所で夜を明かすことができる国など、ジェイドの認識ではエスメラルダ以外に存在しない。
ジェイドの反発に気づいたのか、ガストンは少し口調を和らげた。
「平和は悪いことじゃないがね。だがいざこうして問題が起こるとだ、そのシステムの脆弱さが歯痒い。〈壁〉は万能じゃない、コントロール出来ないただの自然現象なのに、その恩恵に寄りかかるだけの保安システムなど――他国ならここまで大事にならないだろう、というような危機が今までも何度もあった。しかし今度という今度は呆れ返ったよ。狩人を取り逃がしたばかりか、逮捕しようとした人間さえあやふやだとはね」
ジェイドは、ジルグ=ガストンの、数々の功績を思い浮かべた。レイキア育ちのジェイドでさえ知っている。そうか、と思う。ガストン一人にあれほどの功績が集まるという現状は、そのまま、エスメラルダを守る人材の層の薄さに起因するのかもしれない。
「幾度も幾度も、保安が脆弱すぎると指摘して警告して、煙たがれてこうして飛ばされてね」
ガストンはなぜか楽しげに言った。
「まあ組織がしっかりしてないのにもいいことはある。いちいち上にお伺いを立てなくてもこうして自由に動ける。……話は戻るが、狩人がなぜ、仮魔女を狙いに来たと『言った』のかがどうしても気になるんだ。そもそも、そんなことを本当に狩人が言ったのか? 捕まって拷問でもされて白状させられたならともかく……」
ガストンは考え込んでしまった。ジェイドは、ガストンを迎えに行ってくれと言った監督官が、変に嗅覚の鋭い男なんだ、と言ったことを思い出した。
それから、あのルッカと呼ばれていた若い男が、諦めたように了承したことも。
たぶん、ガストンにも明確な理由があるわけではないのだろう。ただ何かが匂っていて、それを放ってはいけない性分なのだろう。つまり、マリアラのところへガストンを送り届けるまで、ジェイドも南大島へは行けない、と言うことだ。出動要請を三人とも無視したことになる、と、少々慄きながらジェイドは考えた。あとで処分なんてことに、ならなければいいけれど。
そう言うと、ガストンは軽く笑った。
「大丈夫だ。始末書の十枚程度で済むだろう」
「そんなに……!」
「温泉街が見える。とりあえずあそこへ」
ガストンが指し、ジェイドはそちらへ箒の柄を向けた。真下では突出した炎が、回りにじわじわと勢力を強めながら進んでいた。まるで、巨大な灼熱の矢印のようだった。矢印の先端は温泉街に向けられていた――まるで狙ってでもいるかのように。