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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の冒険
159/764

祝宴と遺跡(2)

 そして、次の日。

 一行は、西にあるという島に向けて出航した。

 そう、船である。


「……なんでこんなに増えてんだよ……」


 イーシャットが呆れている。あの後、ニーナの同行にもはや我慢しきれなくなったエルギンがおずおずと同行を申し出て快諾され、自動的にマスタードラも加わることになった。何もかも行き届いたゲルトが、マリアラの興味を満たせるよう、学問所から若い歴史学者をひとり加えてくれた。その他に、ラセミスタから片時も離れたがらない研究者が二名、更に一行が温かいものを食べられるようにと料理人がひとり、それから全ての面倒を見るためにマーシャ。船もゆったりとした大きさのものが準備され、船の船長と水夫たちを加えると、かなり賑やかな大所帯である。


 マリアラは舳先でわくわくしていた。何しろ五百年前に建てられた完全な神殿をこの目で見られるのだ。想像するだけで夢見心地だ。


 しかしそれを差し引いても、広々とした大海原は、いくら眺めても飽きなかった。【壁】のない風景はマリアラにとって、とても新鮮なものだった。エスメラルダの岸辺はもはや小さくなり、船は海流に乗って進んでいた。さんさんと降り注ぐ日光の中、爽やかな潮風が吹きすぎていく。


 このあたりは、あの忘れられない初出動の際、“すっげーレア”な遭難者を見つけた地点に近い。あの時は海流の速度が怖ろしかった。吹雪の吹き荒れる中、海流に乗って、船は一直線に【壁】へ向けて突き進んでいた。


 でも今は、遮るものなどどこにもない。明るい朝日の中、好きなように船を走らせて、どこまでもどこまでも進んでいける。


 ――私はエスティエルティナのもとへ! 崇高な闇の女神の治める、アシュヴィティアの世界へ行くのだ――


 あのやせ細った狂信者は、この海流の先に“ルファルファの聖地”があることを、知っていたのだろうか。


 思い出して、マリアラは眉根を寄せた。

 この時代、マーセラ信仰はまだあまり人々に浸透しているとは言えない。あまねく信仰を集めているのは闇の女神、ルファルファだ。どうやらマーセラはルファルファを邪神に貶め、その地位を奪うことで、最高神に成り代わったらしい。今まで何の疑問も持たずにいた存在が、実は簒奪者だったなんて衝撃だ。が、マリアラの指導教官だったアルフレッド=モーガン先生ならきっと、『よくあることだ』とおっしゃるだろう。


 マリアラとフェルドが初仕事で遭遇した狂信者の方は、闇の女神を信じていた。彼の方が、“正しかった”ということになる。


 しかし、“崇高な闇の女神”と“アシュヴィティア”が混同されていたのが気になる。アシュヴィティアは“毒”のことだとディアナが言っていた。ルファルファも、毒に立ち向かう女神なのに。


 現代のエスメラルダで、ルファルファの名はどこにも残っていない。しかし“闇の女神”という存在そのものは残っている。エスティエルティナ、という名前で。


 マーセラとエスティエルティナは姉妹だと言われている。マーセラは残虐な姉を【毒の世界】へ追放し、世界を白い腕で抱き込み、姉の復讐から守っている、とされている。長い歴史の間に何があったのだろう、と、マリアラは考えた。ルファルファの名は、いつ、エスティエルティナに変わったのだろう。闇で世界を満たし人々の安寧を約束する女神は、なぜ、【毒の世界】で魔物を従え、世界を呪い攻撃する魔王のような存在と、信じられるようになったのだろう。


 あの時の狂信者について、もう少し思い出してみよう、と思った。フェルドにも話を聞きたい。どこにいるのだろう。

 マリアラは舳先を離れぶらぶらと歩いて行った。途中でラセミスタを見つけた。彼女は水を得た魚のように、研究者たちに光珠の基礎を解説していた。人間嫌いの属性はだいぶ緩和されたようだ。


「マリアラー!」


 頭上でニーナの明るい声が弾けた。見上げるとミフに乗ったニーナが楽しげに通り過ぎていった。エルギンもフィに乗っており、ふたりは楽しげにすいすい飛び回っている。それを見守りながらマーシャがのんびりと編み物をしていた。右側の甲板の上で、料理人が楽しげに料理をしていた。マリアラは邪魔にならないようにその隙間をそっとくぐり抜け、後甲板に出た。


 フェルドはそこにいた。マリアラは驚いた。

 素振りをしている。

 持っているのはどうやらマスタードラの剣らしい。鞘が抜かれていて、明るい日差しに刀剣がキラキラ光った。

 マスタードラがフェルドの前に居て、いつもの茫洋さが嘘のように鋭い目でフェルドを見ていた。「左肘が浮いてる」鋭い指摘を受けてフェルドが姿勢を修正する。こちらに背を向けた格好だが、汗をかいているのが見える。

 もう日常生活に支障はないとは言え、毒が完全に抜けきったわけじゃないのに。左巻きとして、制止した方がいいかもしれない。


「……あいつさ」


 出し抜けに後ろから声をかけられ、マリアラはびくりとした。

 振り返るとイーシャットがいた。まあまあちょっとこっちに、というように手招きされ、建物の陰に戻る。

 イーシャットはやや声を潜めるようにして言った。


「マリアラは医師なんだよな。それで、相棒なんだよな、あいつの。だから言っといた方がいいかなって思ってさ。

 カーディス王子が言われてたんだ。魔物が」

「魔物?」

「ルファ・ルダを襲いに来た魔物がさ――フェルドに言ったんだってさ。お前の魔力は強すぎて、肉体に見合ってないって」


 どきん。

 心臓の鼓動が一拍飛んだ。


「その強すぎる魔力がいつか、お前の弱い肉体を食い破るだろうって」


 どきん。


「いや、でもさ。あんたみたいな凄腕の医師が傍にいるんだからそりゃ、大丈夫だろ。でもさ、あいつはさ、自分にできることを、できるだけやろうとしてるんだよ、たぶん。だから止めないでやって。そんで、できるなら、知らんぷりしててやってよ。無理そうだと思えばマスタードラがあんな風に教えてやったりしないからさ。任せときゃ大丈夫だよ、ヤツはね、剣のことだけはすごいヤツなんだ。まあ逆に言えば、剣のことしかできないってことなんだけど」


 話しながらイーシャットは巧みにマリアラを誘導して甲板を戻っていった。マリアラを見下ろして、笑う。


「ラセミスタの説明が一段落して、研究者たちはなんだか試行錯誤してるみたいだ。自力で作ろうとしてるんだろな。で、ラセミスタが暇になった。したら、どうなると思う?」

「え――?」

「きっと酔うよ、あの子。あの子の傍にいてやった方がいいんじゃない?」


 料理人のところをまた通り過ぎ、マーシャの前を通り過ぎ、ラセミスタが講義していた場所まで来た。そしてイーシャットの予言が命中しかかっているところをマリアラは見た。ラセミスタの顔色が悪くなり始めている。急いでラセミスタのところへ駆けつけた。

 彼女の座る長椅子のそばで、研究者がふたり、魔力の結晶を捏ねていた。学校で、魔力の結晶は性質としては水に近く、作成者の意思に従って色も形も様々に変えると習ったが、実際にあんな大きさのものを捏ねるところを見るのは初めてだ。ラセミスタはそれを見るともなしに見ながらぼんやりしていて、マリアラが来たのに気づいて顔を上げた。


「あ、マリアラ――」

「ラス、講義は済んだの?」

「うん、今一段落――うえぇ」


 ラセミスタが口を押さえる。マリアラはラセミスタの隣に座り、左手をその背に宛てた。自律神経の乱れによる身体の不調を霧散させると、ラセミスタが顔を上げた。


「うわあ……!」

「大丈夫?」

「うん、ありがとう! でもよくわかったね? あたしが酔ってるって」


 言われてマリアラはイーシャットを見た。イーシャットは喉をくつくつ鳴らして笑った。


「王妃の馬車で帰る途中も酔ったって聞いたからさ」

「そうなの?」


 初耳だった。ラセミスタはマリアラの視線に、少し身を縮めるようにした。


「うん、酷い目に遭ったよ……せっかく送ってもらってるのに文句を言うなんて悪いしさ、最初の日は何とか我慢したんだけど、二日目にもうこのままじゃ死ぬって思って」

「すぷりんぐがどーのばらんすがどーのってわけのわからねえこと言いながら、全部ばらしてあっという間に組み上げて、それからぴたりと揺れなくなったんだって、マスタードラが驚いてたぜ。御者はちっと怯えてたそうだけど」


 すごい。マリアラは舌を巻いた。そんなことまでできるなんて。


 ――あたしはあたしにしかできないことをするよ。


 あの怖ろしかった夜に、ラセミスタが言った言葉を思い出す。

 あの言葉はマリアラに、天恵のような衝撃をもたらした。

 今までは、自分に何ができるのか――それをよく、認識していなかったように思う。魔力が弱い、その事実が余りに重く、重すぎて、できないことにばかり目を向けていたような気がする。

 でも、ラセミスタの言葉を聞いてから、考えた。

 魔女のいないこの時代では、治療ができるというだけで、凄腕だといわれるのだ。


 戻ったらきっとまた、悩むことになるだろう。人と比べたときの自分のふがいなさに、くよくよする日も来るだろう。でもそのときもできるだけ、忘れずにいようと思った。

 少なくともマリアラにも、フェルドの強すぎる魔力がいつか蝕むかも知れない身体の、不調を察知し、緩和し、対処する能力は、備わっている。

 それはとても幸運なことなのだ。その力が例え人に比べて弱かろうと――不可能ではない、ということに、まず感謝しよう。できないことを数えるより、できることを見つめよう。それを忘れないようにしよう。そう思う。

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