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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の冒険
155/765

第四章9

「殿下……!」


 ムーサの声は怒鳴り声と言うより既に泣き声のようだった。イーシャットは忌ま忌ましさに舌打ちをした。ああクソ忌々しいクソジジイめ、残虐な男のくせに、嘘つきの恥知らずの冷血漢で、ルファ・ルダの住民たちを血祭りに上げることなど厭わないくせに、どうやら王子を心底心配しているらしい。それが、わかってしまう。いやいや騙されるな俺、王から預かった王子を見失ったなどとなったら進退どころか命、それも一族郎党の命に関わるほどの失態だ。王子を心配しているんじゃなくて、自分の心配をしてるだけだ。そう思おうとしているのに、ムーサの悲鳴じみた声が耳につく。ああエルギン様が行方不明になった時の俺も、出せるならきっとあんな声を出していたはずだ。そう思ってしまう――けれど。


 家から引きずり出された住民たちは、広場に集められていた。ここら辺りにいたのは戦えない女や老人や子供ばかりだ。闘技場や森に近い辺りに住んでいた者たちに危険が及ばないよう、この辺りに避難させていたのが裏目に出た格好だ。彼らは剣や弓で狙われながら広場に続々と連れてこられ、中央に座らされた。その周囲に運ばれてきている藁や枝や炭や油を見て、イーシャットは目眩を覚える。いくら何でも同じ手段を使いすぎではないか。いや一番効果的なのかも知れないが。

 住民たちの中にマーシャの顔が見えて、更に目眩を覚える。


 今から大勢の無辜の住民たちを焼き殺そうとしているのに、ムーサが泣きじゃくっているのが異様で異常で、気味が悪い。


「殿下あ――!」

「ムーサ様、ラインディア兵がお目通りを願っております! 第一将軍からの書状を――」

「わしはおらんと言え! 病で伏せっておる! 殿下、殿下あ!」

「国王陛下からもご使者が! これは一体何の騒ぎかと、」

「だからわしはおらんと伝えろ! 殿下が戻られるまでわしは病気じゃ!」


 ここにいてはまずい。イーシャットは後ずさりをした。踵を返して、逃げ出した。とにかくランダールに話をしに行かなければならない、そう思った。あいつならきっと何とかしてくれる。自分はダメだ。もし今ムーサに捕まったりしたら、ちょっと締め上げられただけで、恥も根性もなくぺろっとカーディス王子の居場所を吐いてしまうに違いなく、そうなったらもう二度とランダールにもフェルドにも顔向けができないからだ。相棒が来たら、と思った。フェルドの相棒が来たら、そしてフェルドが治ったら、マーシャのご飯で皆で宴会だ。どんちゃん騒ぎだ。その楽しい楽しい会に、後ろめたい思いで参加するなんて死んでもゴメンだ。




 元いた家の前に駆け戻ると、そこにカーディス王子がいた。ルファルファ神官兵の制服を着た男たちがその周囲を固め、ゲルトが丁重な仕草でカーディス王子の手を取っており、イーシャットはそれを見た瞬間激昂した。


「殿下!!!」


 我ながら眦がつり上がっている。カーディス王子が顔を上げ、ゲルトが割って入ろうとした。


「イーシャット、口を出さないでくれ」

「フェルドに何て言うんですか! 世界一周、するって言ったじゃないですか! すげー楽しそうじゃないですか! いいんですか、本当に!? 本当に――」

「殿下」


 ゲルトが促し、カーディス王子が頷く。王子はイーシャットを見て、微笑んで見せた。


「フェルドによろしく伝えてください」

「いやです! 自分で言ってください!」

「でも、」

「絶対嫌ですからね俺は! 伝言なんか、絶ッ対! 承りませんから!」

「……殿下」


 窓からランダールが顔を出していた。

 その向こうに、フェルドが見えた。口が何か動いている、それがカーディス王子にも見えたのか、王子は一瞬、駆け寄りたそうにした。

 しかし王子は踏みとどまった。唇を噛みしめて、首を振る。


「楽しい夢でした。……僕にそんな夢を見せてくれたこの国の人たち、全員に感謝します。昨日の夜につまみ出さないでくれてありがとう。本当に楽しい夜でした」

「……あんたはまだ子供だ」


 ランダールが小さな声で言った。

 ランダールがそんな口調で話すのを、イーシャットは初めて聞いた。そして窓からそのまま出るような、行儀の悪い仕草をしたのも初めて見た。ランダールは窓から出て来るやカーディス王子の肩を抱くようにして、小さな声で囁いた。


「子供のうちならまだ捨てられる。そんな小さな背に背負うことはない。もう少し待てばラインディア兵、アナカルディア兵も来るはずだ。昨日ラインスターク将軍が約束した。ルファルファの聖地にマーセラ兵を踏み込ませないと――昨日の晩に色んな仕込みもしておいた、あんたがここにいるはずがないと、ムーサも思ってるはずなんだ。今回のことは」


 声が鋭くなった。


「あんたの責任じゃない。ムーサと、アナカルディア兵、ラインディア兵の落ち度なんだ。ムーサはただ、あんたの行方不明にかこつけて難癖つけてきてるだけだ。あんたは子供だ。……あいつらの落ち度を、あんたひとりで背負うことはないんだ!」

「あなたの顔に泥を塗るようなことになって申し訳ないと思います」


 カーディス王子はそっと、ランダールの手を自分の肩から外した。ぎゅうっと握って、王子は微笑んだ。


「大きくなったとき、あなたの前に胸を張って立てるように、頑張ります」

「殿下」

「フェルドによろしく伝えてください」

「嫌です」ランダールは押し殺した声で言った。「……伝言なんか、私もごめんです。自分で言いに来てください」


 ゲルトが王子を促し、王子は歩き出した。行きすぎながら、イーシャットを見た。縋るような視線だった。イーシャットは囁いた。


「そんな目で見たってダメですよ。伝言は承りません」

「……死なないですよね?」

「死ぬわきゃないでしょ」


 わざと軽く素っ気なく言ってやると王子は黙った。そのまま歩いていった。ゲルトが呼んだらしい輿が向こうからやって来る。王子がそれに載せられると、速度が上がった。道を逸れ、ムーサたちのいる方を迂回するように進んでいくのは、恐らく、全然別のところにいた王子が、騒ぎを聞いて遠くから駆けつけた風を装うためだろう。


 すぐに王子が見えなくなり、医師や、医師に呼ばれた【契約の民】たちが、詰めていた息を吐いた。イーシャットもため息をついて振り返ると、ランダールがまだ、王子のいなくなった方を睨んでいた。

 六年前、と、イーシャットは考えた。ランダールがこの国を背負ったとき、13歳だったとき、ランダールは自分を、“子供”だと思っていたのだろうか。


 ランダールはイーシャットの視線に気づいて、嫌そうな顔をした。

 殊更にしかめっ面をして、吐き捨てるように言った。


「……エルギン王子が狩りの終了の刻限に間に合わなかった理由を、なんとかでっち上げねば」

「あー……そう、だな。どうすっか……」

「おざなりな相づちはいらん。そもそもそなたには期待してない。考えもできんし病人の看病もできんのだから、飯でも食って昼まで一眠りしてこい」


 憎たらしい。

 イーシャットは口をへの字に曲げて見せた。「へーい」わざと木で鼻を括ったような言い方で答え、踵を返した。ふん、ランダールも鼻を鳴らして戻っていった。





 ゆるゆると時が過ぎる。

 ムーサが引き起こした騒ぎは、王子の到着後すぐに鎮圧された。アナカルディア兵およびラインディア兵がマーセラ兵を排除し、ルファ・ルダの住民たちは丁重な謝罪を受けて返された。闘技場の魔物の死骸はほとんど灰になっていて、謝罪の念に駆られた第一将軍の指揮の下、ラインディア兵たちによって、綺麗に片付けられた。全焼あるいは半焼、もしくはマーセラ兵に壊された住居や財産の調査が始まり、同時に闘技場で狩りの終了とルファ・ルダの新たな統治者を決定する儀式の準備が進められた。


 ランダールはエルギン王子の不在をごまかす策を思いついたようだ。ムーサの暴挙を止められなかったアナカルディア兵、それからラインディア兵の落ち度を、最大限に利用することに決めたらしい。ゲルトがいつもどおりの平静さでてきぱきと打ち合わせや準備を進めている。そういった様子を眺めてから、イーシャットはひょうたん湖に向かってぶらぶらと歩いて行った。本来なら諜報担当として、そう、情報屋ルッシヴォルグの名をもう一度引っ張り出してでも、ランダールやゲルト、第一将軍、ラインディア兵たちの動向を見定めておいた方がいいに決まっている。でも、どうしても、そうする気になれなかった。“ちょうほうたんとうってなにをするのですか”――あの王子がもしも、情報屋ルッシヴォルグの存在を知ったなら、どんな質問を投げかけるだろう。いちいちそんなことが頭をよぎってしまう体たらくで、将軍の前で蕩々と嘘を並べる気になんてなれない。どこかで絶対にボロが出て一刀両断される末路が目に見える。


 ひょうたん湖は相変わらず静かだ。

 エルギン王子の上着は、この辺りに落ちていたのだと聞いた。つまり、ヴァシルグに襲われたのがこの辺りだということだ。不甲斐ねえなあ、と思った。鏡のように静まりかえった水面を見ながら、イーシャットは鼻を啜った。

 この数日間、エルギン様の不在にやきもきする暇もないほど忙しかった。ルファ・ルダは六年前に匹敵するほどの大事件に続けざまに襲われた。フェルドは突然現れムーサの火刑を阻止しルファ・ルダの統治権を守り魔物を撃退して毒に倒れた。マスタードラはエルギン様を守りに飛んで行き、ランダールはあっちこっちで調整し打ち合わせをし議論をし魔物を撃退する舞台を整え兵を指揮して、今も戦っている。


 その中で、俺は何をしたんだろう。

 何にもしてない。ただ右往左往していただけだ。

 情けねえなあ。


 でも、しょうがないじゃないか、と反射的に思う。王子という人種は自分とは違うのだ。血の重さが、既に違うのだ。そうでなくちゃ王子の側近なんてできない。いざというときに王子の代わりに死ねるくらいでないと務まらない。

 そう思い、それは、王子が重いのではなく自分を軽いと思いたいだけかな、と、考えた。

 だってイーシャットには、すごい力はないから。大事件に際して、道化のような役割しか果たせないから。それでいいと思わないと、やってられないから――

 ああ、情けない。どんだけ情けないんだ、俺。


 どれくらいそこで、ぼんやりと水面を見つめていただろう。イーシャットは、ふと、我に返った。

 水面にさざ波が立っている。風もないのに。


 顔を上げて空を見上げる。太陽は既に中空近くにさしかかっている。一瞬前と何も変わらない風景――水面のさざ波を除いては。さざ波は次第に大きくなっている。イーシャットは胸騒ぎを憶えた。再び上を見上げた。きゅう――というようなかすかな音に気づいたのはその直後だ。何かが近づいてくる。気づいてみればその音はぴりぴりと皮膚をふるわせるような質感を備えて、一直線にこちらへ向かってくる。


 まるでそれは、隕石か何かのようで。

 “流れ星”について語ったルファ・ルダの住民たちの証言を思い出した。数日前にどこかへ飛び去った“流れ星”が、また帰ってきたのだろうか。目を眇め、空を透かし見ながら考える。いつしか、立ち上がっていた。さざ波は小刻みに震えていた。水面が細かな飛沫を上げながら踊り始めている。


「げ」


 木々の隙間からそれが見えた。

 ――隕石だ。

 ものすごい速度でこちらへ飛んでくる、それは、棒に身を伏せた人影――に、見えた。イーシャットはゾッとした。なんて速度だ。あんな速度で水面に突っ込んだら死ぬんじゃないのか。


「おおい、止まれ! 止まれ、止まれ止まれ、止まれ――!」


 棒にしがみついていた何かが、柄を払うような仕草をした。

 とたん、速度ががくんと緩んだ。柄に身を伏せていた誰かが顔を上げた。既に目鼻立ちが識別できるほどの距離まで近づいていた。イーシャットは自分の喉から何か得体の知れない吠え声がほとばしり出るのを感じた。顔を上げた誰かの下から、エルギン王子の顔が覗いたのだ。


「イーシャット……!」


 エルギン王子の上に身を伏せていたのは長い髪をふたつに編んだ少女だった。既にひょうたん湖の上にさしかかっていた。彼女は左手を水面に突き出すようにした。同時に、盛大な水しぶきが上がった。どうやら風を起こしたらしい。まるでふかふかの布団のような風が水を押しのけながらふたりの体を包み込んだ。激突の勢いが弱まり、箒はよろよろと速度を緩めながらこちらへ飛んでくる。


「え、え、え……エルギン様……!」


 イーシャットはひょうたん湖に駆け込んだ。水をかき分けかき分けふたりのところへ辿り着き、エルギン王子の体が箒の柄(なぜか二本ある)に布縄で縛り付けられているのに気づき、小刀を取り出して切った。そして上空を見た。太陽はほぼ天頂にある。


「い、イーシャット、イーシャット、ごめん、ごめんなさい……!」

「謝ってる暇はありません!」


 縄を切り終え、イーシャットはエルギン王子の体を引きずり上げた。ざぶざぶ岸に泳ぎ着き、押し上げる。


「まだ間に合います、闘技場です、わかりますね!? 話は後です、早く!」

「その人を頼む!」


 エルギン王子は言い置いて、少女に謝罪の視線を投げてから、勢いよく走り出した。イーシャットは少女を振り返った。何か言おうとして、彼女が沈みそうになっているのに気づいて慌てて引き上げる。


「間に合い、ます……?」


 少女が囁き、イーシャットは思わず彼女を、抱き締めそうになって、慌てて動きを変えて背中に担ぎ上げた。二本の箒をしっかり握って水をかき分けた。「あのっ!?」悲鳴じみた声。なんなんだこいつら、と思う。一体全体どうなってるんだ。何が何だかわからない、変なことばかりだが、でも、確かなことがひとつ。


 間に合ったのだ。エルギン様も、そして、相棒も。


「間に合いますとも!」


 イーシャットは彼女を背負ったまま岸に上がり、そのまま走り出した。「あの、下ろして……!」抗議の声は既に悲鳴になっていたが、構ってはいられない。


「俺はイーシャットです! 知ってますね!?」

「え、え!?」

「知って、ます、よね!?」

「はははいぃっ!?」

「じゃあ黙って! 不審者じゃないからいいでしょ!?」

「え、ええええ……!?」


 ぐっちょぐっちょ、びっしゃびっしゃ、全身から水を滴らせながらイーシャットは走った。俺はなんもできなかったけど、と、思った。なんもできなかったしこれからもできないけど、でも、間に合わせるのに一役買うことはなんとかできそうだ。そして彼は走った。死にもの狂いで走った。一般人の範疇を超えそうな勢いで走った。

 心臓なんかこのまま破れたって構うものか、と、思った。

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