表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
仮魔女物語
14/765

第二章 仮魔女と山火事(3)

 炎をあげて身悶える森は激しく煙を上げていた。赤黒い炎が、もがき苦しむ森にすがりつき押さえつけ、しがみついているように見える。大惨事、という言葉が浮かんだ。炎は次々と隣の木を飲み込みながらじわじわとこちらに進んでいる。

 ミフはそれから逃げるように空を滑った。麓、エスメラルダの都市部へ向かって。温泉へ行くのではなかったのだろうか、と思っていると、ハウスが見えなくなった辺りで向きを変え、西への移動を始める。


「……リン、ごめん」


 マリアラの声は硬かった。


「危険な目に遭わせて――ごめん」

「マリアラのせいじゃ……!」

「風、とか、火とか。言ってもらえないと思い出せないなんて駄目だ」

「左巻きだもん当たり前だよ!」

「……」


 マリアラは一瞬だけ考えた。

 それから、ちらりと後ろを見た。リンもつられて見ると、ハウスのあった場所からもう、だいぶ離れていた。こんもりと茂った森の向こうに、激しく煙を上げながら追い迫る赤い炎の壁が見える。こんなに大きいのにとリンは思った。こんなに激しく燃えているのに、エスメラルダに大勢いる魔女たちは、まだ気づいていないのだろうか。

 数分も飛んだだろうか。前方に温泉街の小さな明かりが見えて来た頃、マリアラが言った。


「……リン。わたしはここで降りる」


 リンはぎょっとした。「えぇ!?」


「リンはこのまま、温泉街に行って。警備隊詰め所から、〈アスタ〉に通報して。山火事と、なにより狩人のこと。試験は中止にしてほしいって。一刻も早く、お願い」

「マリアラも一緒に行こうよ……!」

「温泉街に行っちゃったら、近すぎて、類焼に備えるなんて無理だよ」

「マリアラ、でも!」

「リン、本当にごめん」


 マリアラは箒の柄の上という不安定な場所で、体をひねってこちらに向き直った。リンの背後からの炎の光で、マリアラの顔がはっきり見えた。ひどく顔色が悪い。焼け焦げてしまった一房の髪が、その横顔の回りでチリチリと踊っている。

 震える冷たい指先が、リンの手を握った。


「――わたし、火事をくい止めないと」

「……マリアラ?」

「最善を尽くさないと。リン、本当に、本当に、申し訳ない。――わたしは魔力が弱いの」

「え?」


 リンは一瞬呆気に取られた。マリアラは恥じ入るように顔を伏せた。


「出来損ないすれすれってくらい、とてもとても弱いの……」

 出来損ない? 魔力が弱い? ――マリアラが?


 いつも成績優秀で、いろんな先生から認められて、将来を嘱望されていた、あのマリアラが?

 信じ難いと、思った。でも、さっきのことを思い出した。孵化してからも勉強していることを褒めたら、マリアラは一瞬、何かを堪えるような顔をした。


「だから――最善を尽くさなくちゃいけないと、思うの。ごめん、リン。わたしには、リンを熱と火の粉から守りながら、あの炎を食い止めるなんてできない」

「左巻きだもん、そんなの無理で当然だよ。一緒に行こうよ、かっ、狩人だっているんだし――火を消すとかそういうのはっ、右巻き向きの仕事でしょう!? マリアラは左巻きなんだから、人を治療するのが役目でしょ……!」

「わたしは弱いから――ケガ人を治すより、そもそも、ケガ人を出さない方を取りたい。だからお願い、リン。温泉街に知らせに行って」


 マリアラは何か隠してる、と、その時リンの第六感が囁いた。

 でも、何を?

 考えているうちにミフが森に降りた。マリアラが飛び降り、リンはとっさに続こうとしたが、降りる前にミフが急上昇してしまった。


「マリアラ――!」

「大丈夫だよ」


 最後に見えたマリアラは笑顔だった。

 いかにも魔女らしい、頼もしい微笑みだった。




 あっという間にその微笑みは木々の梢に隠れて見えなくなった。

 ミフは無慈悲とも言える潔さで森を飛んで行く。再び迫る炎の壁を見て、リンはぞっとした。あんな規模の火災に、『魔力の弱い』左巻きの仮魔女が、ひとりで立ち向かうだなんて。


「ミフ、ミフ! やっぱ変だよ、戻ってよ! マリアラが死んじゃったらどうするの!? ひとりであれを消すなんて無理だよ……!」


 リンは身をよじり、落ちかけ、いっそここから飛び降りようかと思った。このままひとりで安全な場所に向かうなんて絶対無理だ――

 と、ミフが叫んだ。


『……るっっさああああああいっ!!!!』


 事務的で無感動そのものだったミフの、いきなりの変貌だった。リンはポカンとし、ミフは柄をしならせてリンに突きつけた。随分柔軟な柄だ。


『るっさいるっさいるっさああいっ! 暴れないで騒がないで落ちないで! あたしだってマリアラ連れて来たかったの! でもマリアラ頑固なんだもんしょーがないじゃん!!』


 まるっきり、リンよりちょっと幼いくらいの少女の口調だった。リンが呆気に取られているうちに、ミフは再び温泉街へ向けて飛行を開始する。

 リンはなんとか気を取り直した。


「……さっきまでと随分違わない?」

『あれは営業用! こっちが地なの! あたしっ』


 言いかけてミフはいきなり落ち込んだ。


『……お客さんの前で地でいるとトラブルおこしたりするから……あたしが騒いで怒られるのマリアラなんだもん……箒の躾がなってないって……うう』

「な、なにやったの……?」

『セクハラオヤジをちょっとその……』

「ちょっと?」

『ボコボコに……』

「ボコボコに」

『……だってさだってさっ、箒に乗る時の姿勢がどーの筋肉の鍛え方がどーのってベタベタ触るんだよ気持ち悪かったんだよ! だからついっ』

「おうよくやった。セクハラオヤジは制裁すべしだ」

『お?』ミフはまたこちらに少し柄を向けた。『話がわかるね』

「そりゃそーよ。しかし仮とは言え魔女にセクハラするとは。普通の人? 【魔女ビル】の人?」

『普通の人だよ。スポーツ工学の権威とか言ってたけど。結構多いんだよ、なんか勘違いしてるバカって』


 話しているうちに少し落ち着いてきて、リンはまた背後を振り返った。

 マリアラの姿はもちろん、ハウスももう、どこにあったかさえわからない。


「ねえミフ、聞いて。あなたが話が通じる子だってわかった、だから聞いて。ね、戻ろう? あんな火事、マリアラひとりで――」

『うん、無理だよ。だから急いでんの。わかる?』


 ミフはまた少しスピードを上げた。話す声は柄のどこから出ているのか、空を切る風の音にも揺らぐ様子がない。


『マリアラはね、ほんっとーに、バカがつくほど真面目で、ドがつくほどのガンコ者なの』

「頑固にドって」

『それに狩人もいるし』

「だから! それならよけいにっ」

『マリアラがあの場を離れちゃったら、狩人の居場所がわからなくなるでしょ』


 ミフの言い方はとても悔しげで、ミフ自身、その理由に納得していないのが伝わってくる。

 リンも呆気にとられた。「な、に?」


『だから。まず第一に、あたしたちは〈アスタ〉に、火事のそばには狩人がいて、安易に空から消火しちゃいけないってことを伝えに行くの』

「……それって……」


 リンはぞっとした。


「マリアラが囮になるってこと!?」

『違うよ! そうならないためにあたしたちが急いで知らせに行くんだよ! でもあの狩人、あいつ変でしょう!? あんな奴に森の中に潜まれて、消火しに来た魔女を狙い撃ちされたら――』


 ミフは泣かなかった。たぶんその機能がついていないのだろうとリンは思う。


『だからこれがっ、最善じゃ、ないかもしれないけど、でも今採れる一番有効な手段なんだ! そうでしょう、だって、毒抜きって本当に長丁場で、ひとりにつき三人がかりで一昼夜かかるんだよ!? 毒抜きせずに放っておいたら死んじゃうし! 被害が増える一方じゃない! マリアラは発信器持ってるし、あたしが急いで戻れば――森の中で狩人から逃げるなんて簡単……だし……』

「じゃああたし、ここから走るよ!」

『マリアラは魔力が弱いけど、』ミフはきっぱりと言った。『でももう、魔女になったんだよ。リン、あなたは、マリアラの一番初めのお客様なの。どんなことがあっても、あなたには無事でいてもらわなきゃいけないの』

「でも!」

『エスメラルダ国民の義務として、魔女に保護されてる間は、魔女の指示に従わなきゃいけないんだ。知ってるでしょう』

「……でも……!」


 本当にこれしか採る手がないのだろうかと、じりじりしながらリンは考えた。

 でも、確かに、リンとミフが〈アスタ〉に知らせたら、無防備に消火に向かって狩人に撃たれる魔女の数は格段に減らすことができるだろう。保護局警備隊と連携をとり、登山客や居住者の安全確保も、山狩りだって、効率的に行うことができるだろう。犠牲を最小限に抑えることが可能だ。

 ――問題は、その最小限の犠牲の中にマリアラが入ってるってことだ。


『最善でしょう』


 ミフは固い声で言った。感情を押し殺した、さっきまでの『営業用』モードに戻ってしまったかのような、無機質な言い方だった。


『最善なんだよ、これが。そうでしょう?』

「……」

『……そうって……言って』


 リンには言えなかった。ミフの気休めにはなったはずの、その空虚な言葉を、口に出してやることができなかった。

 代わりにミフの柄を握りしめて考えた。保護局員ならどうするだろうと。

 魔女保護局員は、他国で言う公務員に当たる、エスメラルダの学生みんなの憧れの、花形の職業だ。エスメラルダの公務員は、その名のとおり、魔女を守り保護し、共にエスメラルダを自然災害から守っていくことを存在意義にしている。保護局員になれば、と、リンは考えた。保護局員になれば、マリアラにただ守られるだけのお荷物に甘んじなくても良くなる。

 だって、相手は狩人だ……!


「狩人はさ……魔女を撃つんだよね。魔物の、毒で」


 ミフがぎくりとした。


「魔女を殺す、毒は、……ただの人間のあたしには効かないじゃん! あたしだって発信機持ってる! あたしが残る方が安全じゃん……!」

『そんなの、できるわけないじゃん』

「なんでよ!」

『……マリアラに……できるわけないじゃん……』


 確かにと、リンは思った。

 そのとおりだ。あのマリアラに、リンに一緒に残って自分の楯になってくれなんて、言えるわけがない。


 リンは唇を噛み締めた。悔しかった。悲しかった。無力で、孵化もしておらず、魔法も使えず、ただマリアラの『お客さん』であるしかない自分が情けなかった。マリアラはひどいと、思った。リンに真意を説明しなかった。リンを納得させる時間を惜しんだのだろう。


「覚えてろ……」


 リンは呻き、ミフの柄に顔を伏せた。できるだけ速度を上げるために。


「あたし……マリアラが魔女になるなら、あたし、あたし保護局員になる! なってやる!! そしたら今度はあたしが守る側だから……! いつまでもお客さんなんかでいてやらないんだからあ……っ」

『まずはレポート書いて、エスメラルダに残れるようにしないとね?』


 ミフが指摘し、リンは喚いた。


「おうわかってらあー! 覚えてろー!!」

『……』


 少し、間があった。

 それから、ミフが囁いた。


『絶対覚えてるよって、言ってるよ……リン』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ