第三章1
夕暮れが近づく頃、アナカルディアの街が見えてきた。
あそこがアナカルディアか――と、ラセミスタは感慨深い気持ちに囚われた。別の国ではあるが、距離で言えば、アナカルディアはとても近い。現代、大陸鉄道に乗れば四時間足らずで着いてしまう。近代建築と遺跡が融合した、世界的に有名な都市だ。一般学生なら修学旅行で一度は必ず訪れる。
ラセミスタは修学旅行は仮病を使ったので、生まれて初めてのアナカルディアだ。いや、アナカルディアどころかエスメラルダから出たこともないし、そもそも【魔女ビル】から出ることも滅多にない。どこに出しても恥ずかしくない立派な引きこもりである自分が、なぜこんな事態に。なんだか遠い目をしたくなる。
「……すごい……」
呻き声が聞こえて、ラセミスタは我に返った。
振り返るとマリアラは、遠くを見ていた。胸の辺りをぎゅっと握って、今にも倒れそうな顔色だ。どどどうしたの、訊ねるとマリアラは、ひゅっと息を吸った。
そして呻いた。
「すごいよ……!」
「な、何が!?」
「すごいよラセミスタさんっ、おうっ、王宮が……!」
「王宮?」
確かにマリアラの視線の先には、歪な形の巨大な建物があった。
日の光を浴びたその建物は、王宮、という言葉の持つイメージとは裏腹に、ごつごつした岩肌がむき出しの、建物と言うよりは岩山のように見えた。例えば巨人が灰色の岩をモルタルなど塗りながら適当に積み重ねたら、ああいう形になるかもしれない。高さは【魔女ビル】の四分の一くらい。他に背の高い建物のない景色の中では、聳えるほどに高いだろう。
乗り物の上で、マリアラはこちらを見た。瞳からキラキラと星が散ったように見えたのは、目の錯覚だろうか。
「あのねっ、あの王宮は【暗黒期】直後に崩れちゃってねっ」
「く、崩れたの?」
「そう崩れるの! 崩れるように出来てたらしいの!」
「……なにゆえに?」
「そこは謎なんだけど、杭一本抜いたら崩れるようにって初めから設計されてたみたいで……ほら、どことなく寄せ木細工みたいに見えるでしょう?」
そうかな? とラセミスタは思う。ラセミスタの目には単なる岩の固まりに見える。でも反論しても仕方がないので適当に頷く。どのみちマリアラは気にしていない。
「でねその後再建されて現代の形になったんだけど、なったんだけどっ、昔の図面とか絵画とかで以前の姿を研究してる学者もいてその人が描いた想像図にかなり近いんだよあの形……! どうしよう……! どうしようラセミスタさんっ、わ、わた、わたしっ」
「お、落ち着いて……?」
「やっぱ【暗黒期】の前なんだ、良かった! それならエルギンの名前知らなくても不思議じゃないもの! ああ崩れる前の王宮がこの目で見られるなんてっ、どうしようもっと近くで見たい! 行っていいかないいよね!? ミフミフっ、カメラカメラ!」
「ちょちょちょっ、まだ明るいんだから街の上空を箒で飛ぶのはまずいって……!」
エルギンとニーナは昼寝をしていたが、マリアラの声に目が覚めたらしく、のそのそと起き出している。ミフが飛びながらぱしゃぱしゃと写真を撮り、マリアラは王宮を良く見たいあまりに身を乗り出し、ラセミスタはマリアラの服の裾をはしっと掴んだ。
王宮が“現代”と違う、というのは、結構ショッキングな事実だ。だってそれほど、元いた世界とはかけ離れた場所に来てしまった、ということだからだ。【暗黒期】以前と言えば、少なくとも千年は昔だと言うことである。
なのにマリアラは興奮していて、ラセミスタもそれに引きずられたからか、あまり深刻な気分にならない。
どうしようこの子、歴史オタクだ。
そして、あたしはそれを知ってたはずだ、と思った。少し前に、魔物を【毒の世界】に逃がしたときだ。【魔女ビル】の排気ダクトを通ったとき、マリアラは、怖がるどころか大喜びだった。昔の人々の歩いた痕跡を捜したくてうずうずしているのが、無線機越しにも伝わってきた。大昔の人が残した痕跡だけであんなに盛り上がるのならば、遺跡が実際に使われていたところを見られるとなったら、これほど興奮するのもわからなくもない、ような、気がするような。どうだろう。
「……着いたんですね。こんなに早く」
目をこすりながらエルギンが言い、マリアラは、うんうんうん、と頷いた。
「ねえエルギン、お母様はどこにいらっしゃるの? 王妃宮の方?」
「あ、いえ、違います。王宮の、南側の塔です」
「そっかあ! 王宮かあ! わたしたちも入っていいんでしょう!?」
「ええ、もちろんです。あまりお持てなしはできないと思いますが」
「入っていいのかあ……! そうかあ……! どうしよう……!」
性格変わってるんじゃないかなこの子。
歴史のことになると目の色変わるのかなこの子。
ラセミスタは思わず微笑んだ。同時に、自分がしっかりしなければ、と思った。この調子で興奮のあまりあちこち右往左往されたら、自分の安全になど気が回らない恐れは充分にある。代わりに気をつけてあげなくちゃ。気分はすっかり保護者である。
――あの子さあ。魔法道具のことになると急にべらべら喋りだして、変だよねえ。
――そうそう、普段はなーんにも喋らないくせに、専門分野のことになると急に張り切っちゃって、おかしいよねえ。
かつて聞いた陰口を思い出し、ラセミスタは、それならマリアラはどうなのだろう、と思う。マリアラのかつての友人たちは、歴史学にのめり込むマリアラを見て、やはり同じ陰口を叩いたのだろうか。それとも。
――あたしの傍にいた子たちが、特に意地悪な子たちだった、だけ、なのだろうか。
マリアラがもじもじしながら提案した。
「あの、日暮れまでまだ時間あるよね、今のうちにちょ、ちょっとあっち側、飛んでみるというのは……ダメかな……?」
「ダメでしょ」ラセミスタは笑い出した。「そろそろ降りた方がいいよ。目撃されたら厄介なことになっちゃうもの。あたしたち、服装も全然違うんだから、目立たないに越したことはないんだよ?」
「……」マリアラは何かを堪えるような顔をした。「……そ、そうだよね……ごめんなさい……」
「降りたら日暮れまで待たなきゃいけないんだし、ミフにこっそり撮ってきてもらったら?」
「……!」マリアラは身震いした。「……だ、だめ。それはだめ。何かあったらすぐ逃げられるように、ミフには、そ、そばにいてもらわないとだめ。い、今は非常時、なんだし、エルギンとニーナの安全が、最優先なんだから……だめだめ、ぜったいだめ」
「そう? まあ、夜になったら近づけるし、実際に入れるんだしね」
「そ、そ、そうそうそう。そうだよ入れるんだよ……どうしようわたし……どうしよう……」
そわそわ。
マリアラが浮き足立っているのが、ラセミスタはしみじみと嬉しかった。マリアラをこんな事態に突き落としたのは他ならぬラセミスタの落ち度だ。今までずっと居たたまれない気持ちだった。でも、大昔に来たことを浮き足立つほど楽しんでくれているのだとすれば、少し救われる気持ちになる。
それに、こんなに愉しそうな様子を見るのは、そんな理由などなくてもやっぱり嬉しい。
森の切れ目を見つけて、ミフはそっと乗り物を降ろした。
そこは既に、アナカルディアの外れ、と言える場所だった。数分歩いたところに人家があり、畑や果樹園があるのが見えていた。
乗り物を小さく縮めて巾着袋にしまい、ミフもマリアラの首元の定位置に戻り、おやつを食べてしまうと、もうやることがなかった。王宮に近づくのは日暮れを待たねばならないから、あと少なくとも二時間ほどは、ここから動けない。
王宮や人家が見えていたら、マリアラはきっとそちらに気を取られてくれただろう。でも実際には木々の梢に阻まれて見えなかった。エルギンとニーナがマリアラと愉しくお喋りしてくれたら、マリアラも気が紛れただろう。でも、彼らくらいの年頃の子供が、何もせずにじっと座っていられるわけもなく、ふたりはおやつを食べ終えると一緒に川を探検しに行ってしまった。ミフは万一にも人に見つからないようにマリアラの首元から動かないし、静まりかえった森の中、ふたりは膝を抱えて座っている。ラセミスタは絶望した。八方ふさがりである。
マリアラは黙っている。さっきまでのように、王宮に入りたくて身悶えしてくれていたら――
「……ごめんね」
急にマリアラが言い、ラセミスタはぎょっとした。「はいぃっ!? なななにが!?」
「こんな時だというのに興奮しちゃって……呆れたでしょう? その、ごめんね、わたし、ちょっとその、遺跡とか見ると歯止めがかからなくなっちゃうの……」
マリアラは恥じ入るようにそう言って、ラセミスタは慌てた。どう言えばいい? そんなことないよって、社交辞令じゃなく建前でもおためごかしでもなく、本当に呆れてないんだよって伝えるには、いったいなんて言えばいいの?
フォローなどという高等技術が自分に使えるわけがない。そう思いながらラセミスタはあわあわと言った。
「そ、そんなことないよ……あき、れて、なんか、ないよ。あ、あたしだって、だって、魔法道具を前にすると、同じようなものだし」
「……そう……?」
「この時代に、魔法道具って、あるのかなあ? この時代で使われてる魔法道具を見たら、あたしもきっと興奮して、して、その……」
「……」
「……あんな風に、なる……と……思う」
「……そっか、な」
ラセミスタは俯いた。頬が火照っているのが自分でもわかる。マリアラに気づかれてないといいのだけれど、確認しようにもマリアラの方を見られない。今、何か変なことを言わなかっただろうか? マリアラの気分を害するような下手なことを、言わなかっただろうか?
仲良くなろうなどと考えるな。人食い鬼が囁く。
仲良くなれるはずなどないのだから。お前なんかが、同年代の少女に、受け入れてもらえるわけがないのだから。
居たたまれない沈黙が落ちた。マリアラが、ラセミスタを見ているのが感じられる。ラセミスタはますます深く顔をうつむけた。どうしよう。どうしよう、どうしよう。
ややして、マリアラが、穏やかな声で言った。
「……お願いが、あるの」
「えっ」
びっくりして顔を上げると、マリアラは、ラセミスタの視線を捉えて微笑んだ。
「嫌だったら、話さなくていいから……無理、しなくて、いいから。ただ、その……無事に、あの部屋に、帰ってからだけど。毎日、自分のベッドで、寝て欲しいの。わたしがあの部屋に来てから、ラセミスタさん、ずっと、あの部屋で殆ど寝てないでしょう? 休めないと体調崩しちゃうよ、だから」
「……?」
「だから……帰ってきて欲しいの。わたしがいたら、ただいまだけ、言ってくれれば、あとは何にも話さなくていいから。だから……嫌かも知れないけど、でも」
マリアラは言って、少し居住まいを正した。まっすぐにラセミスタを見て、真剣な口調で言った。
「そっちの方がきっと、オトクだと思うの」
「おとく?」
どこかで聞いたフレーズだ。マリアラはうんうんと、確認するように頷いた。
「ダニエルは、とても面倒見がいい人でしょう。リズエルならたぶん、申請を出せばひとり部屋だってもらえると思うんだけど、でも、ダニエルはあなたに、誰かと打ち解けて欲しくて、それで、ミランダとか、わたしとか……同じ年頃のルームメイトを見繕って、あなたに勧めるんじゃ、ないかなって、思う、ん、だけど」
図星である。
「……うん……」
「それなら、わたしで我慢した方がオトクだと思うの。ダニエルは善意だし、面倒見がいいし。お節介だなあって思っても、何て言うか、がっかりとか、失望とか、されたら哀しいから、迷惑だって言えないんじゃないかなって……だからダニエルはね、わたしがダメだったら、また別の子を勧めると思う。それはたぶん、ずっと続くんだと思う」
これまた図星である。ラセミスタは俯き、マリアラは言葉を重ねた。
「だからね、新しい子と、また最初から始めるよりは、わたしはほら、こ、こうやって、同じ釜のご飯も食べたことですし」
「……」
「わたしはあなたに、恩返しがしたいと思っているし、魔法道具に夢中になったら周りの声も聞こえなくなることももうわかってる。あなたが本当は親切で優しい子なんだってことも、知ってる。だからその、わたしで、我慢した方がオトクだよ。ひ、ひとつだけ、譲って欲しいことがあるの――挨拶だけして欲しいの、おはようとかただいまとか、おかえりとか、おやすみとか。それだけしてくれたら、あとはずっと黙っててくれていいから、だから」
ちょっと待って、と、ラセミスタは思っていた。
これはいったい、何の話なのだ? 我慢した方がオトクだって? 我慢するのはこの場合、誰?
マリアラがラセミスタで我慢する、と言うのならわかるけど、それだと文脈がおかしい気がする――つまり。
マリアラは、ラセミスタに、マリアラで我慢してくれ、と頼んでいるのだ。
――何故にそうなるのだ?
「ちゃんと部屋で寝て欲しい。わたしが寝てから帰ってきて、わたしが起きる前にでかけるんじゃあ、睡眠が足りないでしょう?」
「……あなたがシフトで当直の時は、昼間から帰って結構長い時間寝てるよ……?」
思わずそう言ってしまった。言ってから、しまったと思った。これじゃあ、あなたを避けてました、と、言ったも同然じゃないか。
しかしマリアラは、そうは思わなかったらしい。目を丸くして、それから、
「……ああー」
納得の長い声を上げた。全く思いがけなかった、というように。
マリアラとフェルドは既にラクエルの正式なシフトに入っている。二日から三日おきくらいに当番勤務がある。当番勤務の日は、朝九時から翌日の九時まで留守にする。その間にはラセミスタは自分の部屋の自分のベッドで心置きなく惰眠を貪っていたのだが、その可能性については、思い至らなかったらしい。
「……そっか……なあんだ……」
そう言ってマリアラは、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「そうだよね……バカみたい、わたし」
「そ、そうなの、だから……ああっ、違う、バカだって言いたいんじゃなくてっ違そのっ、そうじゃなくてっ」
言いかけてラセミスタは口をつぐんだ。だからなんだ。何て言うべきなのだろう。
マリアラは少し待っていたが、ややして、照れくさそうに笑った。
「うん、まあ、それでも。規則正しく寝た方がいいのは、変わらないよ。わたしが起きてる時間にも、わたしがいない時間にも、気にせず帰ってきて。あの部屋は、あなたの部屋でもあるんだから。そして、わたしがいたら挨拶だけして。それだけでいいから。わたしはあなたが何をしてようと気にしない。邪魔もしない。好きなだけ魔法道具の研究をして、好きなだけ眠って。そうすれば、ダニエルに新しいルームメイトを紹介されることもなくなるし……挨拶だけ我慢すればいいのなら、これは結構、オトクでは、ないでしょうか」
それはあたしのメリットだ、と、ラセミスタは思う。
それではマリアラのメリットは、どこにあるのだろう。
「……いやじゃ、ないの?」
訊ねた声は、我ながらか細かった。マリアラは聞き取れなかったのか、身を乗り出した。「え?」
「あなたは……あたしがルームメイトで、いやじゃ、ないの?」
嫌に決まっている、と、ラセミスタの中で人食い鬼が囁く。お前みたいなみそっかす、女の子の姿をした出来損ないを、受け入れる女の子なんてこの世にいるわけが――
「嫌じゃないよ」
人食い鬼の声をかき消すように、マリアラが言った。ラセミスタは顔を上げる。真剣な表情にぶつかって、ラセミスタはまた目を逸らした。
「……今は……嫌じゃなくても。いつか……嫌になると、思うよ」
「先のことは、正直、よくわからないよ。でもわたしは、ラセミスタさん、あなたは、とても素敵な女の子だと思う」
「それはあなたが、あたしをまだよく知らないから……。あたし、た、愉しい話とか、できないし。ドラマとか映画とか、観ないし、芸能人とか、知らないし、魔法道具の話しか、できないし……最後には、皆にいつも、嫌われちゃう……」
「そんなことくらいで、嫌になったりしないよ」
マリアラはそう言って、少し考えた。
ややして、もう一度顔を上げた。
「……わたしこないだ、ジェシカと、喧嘩をしたでしょう。ジェシカはきっと、ドラマも映画も観ると思うし、普通の女の子の会話が出来る人だと思う。芸能人の話、ファッションとかショッピングとか、噂話とか、流行の本とか、愉しい話とか、趣味とか食べ歩きとか、色んな話が出来て、お化粧とか服とかも詳しそう。スキーも出来るかも知れないし、わたしの知らない愉しいこと、他にもいっぱい、知ってるかも。
……でもわたし、それでも、ジェシカのことは好きになれない。よくよく思い返してみたけど、わたしには、ジェシカのことを好きにならないでいい権利もあると思うんだけど、どうかな」
「……それは……そう、だと、思う……」
「ラセミスタさん、あなたの方が、ずっと好きになれると思うよ。共通の話題なんかなくてもいいじゃない? だって殆ど、お喋りしたこともないんだもん。今お互いがよくわからなくて、会話も弾まないのは、当たり前のことだよ。一緒にいれば、きっとその内、お喋りしたくなることも出来るかも知れないし……そもそも、お喋りしなくてもいいんじゃないかな。無理に、仲良くならなくてもいいと思う」
ラセミスタは唖然とした。仲良く、ならなくても、いい?
いい関係を、築かなくても、いいの?
その時、ずっと執拗に囁き続けていた人食い鬼の声が、初めて途絶えた。お前なんかお前なんかお前なんか、だめだだめだだめだ、という、囁きが消えた。
仲良くなれない自分が、ダメなのだと思っていた。
他の子は皆持ってる仲良しを、ひとりも持たない自分が、出来損ないなのだと。
でも、無理に仲良くならなくても良いのなら――嫌われる心配も、しないで、済む?
「ニーナが教えてくれたの。怖いのは、どうなるかわからないからなんだって。だからね、ひとつずつ、試していけばいいんじゃないかなって思ったの。初めに手紙を書いたよね。あなたも返事をくれて、わたしもまた返事を書いて……文通はできるようになったから、次の段階は、やっぱり顔を合わせて挨拶することじゃないかな? それがスムーズにできるようになって、もしその先に行きたかったら、次の段階に進めばいいし、挨拶だけでいいやってなったら、それはそれで構わないし」
「構わないの?」
「うん、構わないよ。わたしは仲良くなりたいって思っていたの。でも、仲良くなるって、どういうことなんだろう? って、ここに来て考えた。一緒に座って、ご飯を食べて、お喋りして、笑い合って、いつも一緒にいる……ってことが、仲良くなるってことなのかな? でもそれって、今、もう、やってるよね。だったら」
「あっ」
確かに、言われてみればそのとおりだ。ここに来てからずっと一緒にいる。一緒に座って話し合って、ご飯を食べて、おやつも食べて、一緒に行動している。
仲良くなれた気はしない。打ち解けられた気もしなかった。
でも――それはどういうことなのだろうか。喋って、笑って、マリアラが興奮して騒いで、ラセミスタも魔法道具の調整をしてうまく行った。傷を治してもらって、一緒のテントで眠ったりもして、空腹のあまりなりふり構わずがつがつ食べたりもした。その間一度もマリアラは、ラセミスタを拒絶する素振りを見せなかった。
こんなに数々のイベントを経ても“打ち解けられない”なら。“仲良くなれない”のなら。
打ち解けるために、仲良くなるために、必要なことは、“イベント”ではない。外的要因ではない、ということだ。
――外的要因じゃないなら。
――原因があるのは、あたしの中……?
――子供の前では取り繕うに決まっている。
人食い鬼がそう言ったとき、思ったじゃないか。
子供の前で取り繕ってるのは、あたしだ、って。
「少しずつ、慣れていけばいいと思うの。でもそのためには、どうしても、あなたに少しだけ、譲歩してもらわなきゃいけないの。だから、挨拶だけでもやってみて? それだけでいいから」
そんな簡単なことでいいのか。目から鱗が落ちたような気がした。
挨拶なんて、ほんの何種類かしかない。TPOに合わせた挨拶を選び出して口に出すだけなら、何とかなりそうな気がする。
「や……って、みる」
「うん。ありがとう」
マリアラが微笑み、ラセミスタも、頷いた。
「じゃああの……おやつ、美味しかった。『ごちそうさま』」
「……うん。お粗末様でした」
マリアラが頷き、ラセミスタも頷いた。うんうん、と頷き合った。しみじみと。
それが、初めの一歩だった。
今まであれほど怖ろしく、あれほど険しく見えていた道への初めの一歩は、拍子抜けするほど簡単だった。