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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の冒険
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第二章14

 ラインディアの兵は察しが良く、国王陛下の護衛、リーンベルクからひと言、言葉を受けただけで、イーシャットを中に通してくれた。

 リーンベルクが言った言葉と言えば“こいつを頼む”ということだけだ。それだけで通じる辺り、さすがラインディア兵、一兵卒といえど神経が行き届いている。


 闘技場の中央に、簡易天幕が建てられていた。日差しだけを遮るもので、四方の幕は取り払われている。その天幕の下に椅子がふたつ、机を挟むように置かれていて、ランダールと客人が座っている――その客人はやはり、見間違いなどではなく、第一将軍その人である。

 イーシャットはなんだか感心した。国王陛下と第一将軍は年の離れた弟兄のような存在だと聞いているが、なるほど、身軽なところがよく似ている。


 第一将軍はたっぷりとした髭を撫でながら、地図に目を落としていた。先程リックが取りに来たものだろう。フェルドの箒が映し出したあの地図に比べればさすがに見劣りするものの、地形を把握するのに不都合のない詳細なものだ。

 イーシャットが近づいていくと、将軍は顔を上げた。炯々とした瞳で見据えられてイーシャットはびくりとした。顔をうつむけ、そそくさと行き過ぎようとしたが、将軍はあろう事か直々に声をかけてきた。


「そこの」

「は……はひぃっ」

「見ぬ顔だな。何の用じゃ」

「は……は、は……その……」


 ――そなたは私の間者だ。


 国王陛下に言われた言葉が胸に響く。

 この場で話し合われることを、聞き逃すわけにはいかない。リーンベルクはああ言ってくれたが、やはり終わった後に何らかの情報を持ち帰り、陛下に褒めていただきたいと思うのは人情ではないだろうか。またイーシャットの本業としても、聞いておいた方がいい話に決まっている。

 ここで怪しまれるわけにはいかない。

 そしてこの場を追い出されるわけにもいかない。


 ランダールには昨夜恩を売った。首謀者で殊勲者はフェルドだったが、イーシャットだってかなりの役割を果たしたはずだ。この場に留まることをランダールは拒まないだろうと踏んで、イーシャットは口を開いた。


「遅れまして申し訳ございません、エルヴェントラ」


 口が勝手にそう言った。深々と頭を下げて、臣下の礼を取ってみせる。


「出がけに珍客があったものですから。――ヒルヴェリン=ラインスターク将軍閣下とお見受けいたします。初めまして、エルロイ=ルッシヴォルグと申します。以後お見知りおきの程を」

「ルッシヴォルグ? 聞かぬ名だな」


「偽名でございますれば」イーシャットは努めて平静な顔を保っていた。「本名はどうか、ご勘弁ください。私はランダール様に懇意にしていただいております、アナカルシスの商人でございます。様々な品物の他、偉い方々にお聞かせする『おはなし』――等も、商うのが、手前の生業でございまして」

「情報屋か」

「もちろん、商いをする相手はきちんと選ばせていただいております。生中な相手には売りません。第一将軍閣下には、今後、どうぞごひいきにしていただければと――」


 ランダールもゲルトも呆れている。イーシャット自身も呆れていた。口から先に生まれた男、と、様々なところで言われてきたが、まさかこんな嘘がすらすらとほとばしり出るような口だったとは、自らの口を少々過小評価していたようである。


「エルヴェントラ。この場に情報屋を呼ぶと言うことは、例の」


 将軍がランダールに訊ね、ランダールは軽くため息をついた。


「――はい。ルッシヴォルグ」鋭い目がイーシャットを見据えた。「例の情報はつかめたか」

「申してみよ。言い値で買おう」


 将軍が重ねて訊ね、イーシャットは唇を舐めた。頭の中は、生涯で最高と言うほどに回転していた。考えろ考えろ考えろ。第一将軍がここにいらした理由は魔物の手強さに業を煮やしたためだ。魔物を撃退するために何が必要か。軍事関連ではなく情報屋に依頼するような情報――


「流れ星――の情報ですが」


 またしても、口が勝手に言葉を紡いだ。ランダールが口元に手を当てた、浮かびかけた笑みをごまかしたのだ。またゲルトが将軍やラインディア兵の目を盗んで口元を軽く綻ばせた。将軍は、うん、と頷いた。正解だったらしい。イーシャットは内心の安堵を押しとどめ、済まして述べてみせる。


「魔物が探していると言う、流れ星の、情報でございます。言い値でとおっしゃいました。ありがとう存じます。天下に名高い第一将軍のご所望でございますれば、手前の情報をお聞きいただいた後で、それに見合った対価をいただければと存じます」


「ふむ」


 第一将軍が頷き、イーシャットは深々と礼をした。そうしながら、頭をまとめる。

 そもそもイーシャットはエルギン王子の諜報担当の側近であるので、気になることはひととおり調べる、というのが習慣だった。魔物が“流れ星を出せばこれ以上危害は加えない”と言った、という話を聞いてから、ルファ・ルダの住民たちにひととおりの話は聞いている。目撃情報は決して多くはなかった。しかし皆無でもなかった。その話を総合すると――


「流れ星は、ふたりの少女の姿をしていたそうです」


 将軍がぴくりと眉を上げた。「少女――ふたりの?」


「ええ。また別の情報ですが、マーセラの神官兵が、森の中で、謎のふたりの少女を目撃している、という話もあります」

「ふむ。――何らかの関連があると?」

「それを判断するのは私の仕事ではございません」


 イーシャットの口が、またしても、勝手に、言葉を紡いでいった。

 イーシャット本人は、少々焦っていた。ルファ・ルダの住民たちは、“ふたりの子供”だとしか言わなかった。――そう。“流れ星”は抱き合うふたりの子供の姿をしていた、と、複数の人間が証言しているのだ。“少女”という単語が口から出てしまったのは、たぶん、フェルドの仲間であるという、エルギン王子とニーナを連れて逃げたという、ふたりの少女の存在が頭にあったからだ。まずかった、ような、気もするが、今さら仕方がない。

 何しろ今は情報屋である。将軍に“聞いた後で値段を付けろ”とまで言ってしまったのだから、周知の情報を披露するわけにはいかない。


「ひとつ確かなのは――“流れ星”はルファ・ルダの上空を飛んだだけで、通り過ぎていった、ということです。それが天使であれ人間であれ、もうここにはおりません。“流れ星”を目撃した住民は、北方――雪山の頂をかすめるように斜めに飛んで、消えたと申しました。なのに魔物はなぜ、ルファ・ルダから離れ別の場所を捜しに行かないのか。その辺りは未だ掴んでおりませんで、申し訳ございません」


「ふうむ」


 将軍は髭を撫でていた。ややして、独り言のように言った。


「……ふたりの少女は空飛ぶ箒を操ってアナカルディアへ、か……。エルヴェントラ。貴方の策は実現可能なのか」


 ランダールは軽く頷いた。


「“流れ星”がこの地に既にないことを魔物に知られなければ、首尾良くすすむかと――ただし」ランダールは鋭い目で将軍を見た。「マーセラの神官兵は完全に排除していただきたい。我らの聖地に、一兵たりとも立ち入っていただくわけにはまいりません」

「それは約束しよう。幸い――と言ったら何であるが、神官長は体調不良で休んでおる」


 体調不良?

 イーシャットは反応しそうになり、意思の力でそれを堪えた。本当のところは、それを詳しく聞きたくてたまらなかった。ムーサは六十を超えてなお矍鑠としている。張りのある生活をしているせいか、はたまた“邪教徒”の生き血のお陰なのか、風邪は愚か肌荒れすら無縁の男だ。それが体調不良とは。昨夜の驚愕は、まさかムーサを寝込ませるほどの威力だったのだろうか。

 



 どうやら第一将軍とランダールは、協力し合って魔物を聖地におびき寄せる策を練っているらしい。

 ルファ・ルダはそもそもルファルファの聖域であり、そのご神体は、清らかな湧き水である。聖域も清らかさも、魔物が嫌うものだ。“流れ星”がここにいるように見せかけて湧き水まで誘い込めば、魔物の力を削いだ状況に出来、更に神官兵の攻撃もしやすくなる。


 下がれと言われないのをいいことに、イーシャットはふたりの打ち合わせを黙ってじっと聞いていた。攻撃の要は“水を操ることが出来る者”である、というところまで来たとき、将軍がさりげない口調で言った。


「……数日前、森の奥で水柱が立ったとか。マーセラ神官長ムーサがその水柱に襲われたと聞いたが、あの男、なかなか口を割らぬ。……情報屋」将軍がこちらを見た。「売れる情報があるか。こちらも言い値を出そう」


 水柱――とは。

 イーシャットは思わず笑いそうになった。

 イーシャットは正にその水柱によって命を救われた。情報を仕入れるどころか、当事者である。しかしその情報は慎重に扱わなければならない。フェルドは既に、ルファ・ルダの一員として受け入れられている。その安全については、ランダールに責任がある。


「あいすみません。そちらの情報に関しては、既にエルヴェントラに売ってしまいました」

「さようか」

「……それについては将軍閣下のお耳を煩わせるようなことではございません」ランダールが言った。「とにかくラインディアとアナカルディアの皆様には、マーセラ神官兵の排除と魔物を誘導する任を担っていただけるのですね。泉周辺にまでおびき寄せられれば、あとはこちらで」

「……当然、“契約の民”を使うのだろうな」


 将軍は、呟いた。

 独り言のようだった。

 ランダールも当然頷いた。“契約の民”――体に紋章を刻むことで、水や風、炎を操ることが出来るようになった存在の総称だ。ルファ・ルダでも紋章を刻むことは可能だが、一番格が高く総本山と目されているのは、ティファ・ルダという国の学問所である。医師が修行を終えるとき、左腕に水の紋章を刻むのが一般的な風習だが、それをティファ・ルダで刻めば一流、という認識だ。炎や風を刻んだ者は、神官兵に多いだろう。


 将軍はしばらく迷ったが、そのうち、囁いた。


「今回の策にはアナカルディア兵も入れない方が良いかも知れぬ」

「なぜです」

「……陛下は最近、“契約の民”への警戒を強めておられる」


 そして将軍はイーシャットを見た。


「情報屋、この情報は、他へ売ってはならぬ。先程、“先にエルヴェントラへ売ったから売れぬ”と申したな。ならばこの情報は私が先に買うことにする。良いか」

「はい」


 このことは陛下の耳に入れてはいけないと言うことだ。胸に刻んでおくことにする。


「理由が今ひとつわからんが……そもそも陛下は二年前、ティファ・ルダに、彫師の長を差し出せと、圧力をかけようとなさった。ティファ・ルダの彫師の長は、神殿長(ディオノス)の妻女、ローラ=シェイテルどのが務めておられる。彼女を人質に取ることで、“契約の民”を支配下に置こうとなさったのだ。

 しかしその計画は頓挫した。クロウディアが強硬に反対したからだ――クロウディアはローラどのの親戚に当たられるゆえ、嘆願書を出したのだな。

 陛下はそのことで、未だに、ことのほかお怒りのご様子でな」


「お怒り……」


 ランダールが呟いた。不思議そうだった。

 イーシャットも不思議だった。契約の印を体に刻み、水や風を使うことは違法ではないばかりか、便利な技術として一般的に普及し始めている。イーシャットだって、具合が悪くなったら、きちんと水との契約を結んだ医師に診て欲しいと思うし、その契約がティファ・ルダでなされたものならさらに安心である。なんで今さら、というのが正直なところだ。この技術が広まり始めてもうずいぶん経つのに、何で今さら警戒し始めたのだろうか。

 将軍も解せないようで、苦い顔をして腕を組む。


「そう――ご立腹のご様子なのだ。私も一昨日それを知った。何故だろうか。彫師の長を人質に取ると言う策も少々性急に過ぎるし、クロウディアが反対することは理にかなっている。それがわからぬ陛下ではないはずなのに、何故そこまで“契約の民”を警戒しておられるのか、腑に落ちぬ。

 しかし用心に越したことはない。今回魔物を聖域に引き入れるのはラインディア兵のみが担当し、アナカルディア兵にはマーセラを閉め出す任を負ってもらおうと思う。難しいであろうが、“契約の民”を使うことはあまり大っぴらにされない方が良いだろう」


「ご配慮に感謝いたします」


 ランダールは頭を下げた。それからイーシャットに言った。


「ご苦労だった。報酬はいつものとおりに」

「待て。今日の情報は私が買う。夕刻、私の天幕へ来るがよい。準備させておこう」

「あ、ありがとう存じます……」


 イーシャットは深々と礼をして、踵を返した。あとはたぶん、魔物をおびき寄せるための細かな兵の配置や段取りなどについて話し合われるのだろうから、恐らくうずうずして情報を待っている国王陛下のところへ行っても良いだろう。


 将軍のもたらした情報は、少々不吉な印象をイーシャットに与えた。


 “契約”を嫌がるのは時代に逆行するに等しい。イーシャットの感覚では、水路の建設を禁止されたり、暖炉の使用を禁止されたりするのに近い。イーシャット自身にも魔力の素養があるので、エルギン王子のルファ・ルダ継承が落ち着いたら、ティファ・ルダに行って風でも彫ってもらおうかと、ぼんやり思っていたくらいだ。


 先程の国王陛下の、楽しそうなご様子を思い出す。

 あの陛下が国民の便利で快適な生活の一助となる“契約”という技術を厭うなんて。しっくりこないし、将軍もきっと、そう言う気持ちでいらっしゃるのだろう。


 考えながら通路の暗がりを歩いていた――その時だった。


「エルヴェントラあ――!」


 森の方から、悲鳴じみた声が上がった。誰かが駆け込んでくる。それも複数だ。イーシャットは急いで闘技場の中に戻り、彼らが泡を食った様子で叫ぶのを聞いた。


「魔物です! 魔物が出ました! ウルクの森で、あの若者が食い止めております!」

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