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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の冒険
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第二章10

 ――バチッ!


 マリアラははっと目を覚ました。

 乗り物は再び飛んで、アナカルディアを目指していた。乗っている他の三人は、板の上に思い思いに丸くなって眠っている。マリアラもいつの間にかうとうとしていたらしいが、その間もミフは、勤勉にも、夜を徹して飛び続けていたのだ。


 今の火花は何だろう。……寝ぼけたかな?


 そう思って目をこすると、ミフが――声に出さずに――言ってきた。


 ――今なんかバチッてなった。なんだろー?

(ミフ、大丈夫?)

 ――んー、大丈夫。……あ。


 ミフの思念が、急に明るくなった。


 ――マリアラ、フィが起きたよ。


 それを聞いて心臓が飛び跳ねた。思わずラセミスタの体をまたぎ越えて前方へ行き、首を伸ばしてミフを覗き込んだ。


「ほ、ほんと……? フェルド、起きたの? 本当に?」


 ――マリアラ、それ以上来ちゃダメ。空調を妨げるとバランス取れなくなるから。


「あ、ああ、ごめん」


 ――ラセミスタが言ったとおり音声はつながらないけど、ひょうたん湖の辺りにいるみたいだよ。大丈夫だよ、あたしたちを再起動するには持ち主の声紋パスワードが必要なんだから。フェルドの意思で再起動させたのは間違いないんだから、大丈夫。


「…………良かったあ……」


 口から長いため息が出た。ため息と共に力も抜けて、そのまま座り込む。

 生きていたらしい。今までフィが音信不通だったのは、やはり魔力切れから回復していなかっただけだった。森の中に倒れていても、獣に襲われたり得体の知れない兵に捕らえられたりせず、無事に目が覚めて、フィを再起動させられたのだ。


 すぐそばに、ラセミスタの寝顔があった。

 ラセミスタもきっと心配していたはずだ。起こして知らせてあげた方がいいのではないだろうか。……でも。


 すうすうと、安らかな寝息まで聞こえてくる。長いまつげがかすかに震えているのは、熟睡している証拠かも知れない。乗り物を調整して、落ちて破損した個所を修復して、また調整して――きっと疲れているはずだ。マリアラは逡巡し、ラセミスタの肩にかけようとした手を戻した。

 明日の朝伝えればいい。眠れる内にぐっすり寝かせてあげなければ。


 顔を仰向けると、青の月が昇ってきているのに気づいた。ぼんやりと霞んだ青の月は、“現代”で見られるものとそっくりだ。振り返ると銀の月も見えた。こちらも、見慣れた光景だった。――ここにも、ちゃんと、二つの月が揃っている。月が三つあったり、逆にひとつしかなかったりと言った、不可思議な世界に来てしまったわけではない。……でも。


 フェルドも一緒にここに来ているのだ。そして目が覚めて、フィを再起動した。元気かどうかはわからないが、意識があって自分の意志で発声できる状況であることは間違いない。

 アナカルディアにエルギンとニーナを送り、諸々の難しいことが全部うまくいったなら、きっとまた会える。ラセミスタも一緒に、三人で、これからの方策を話し合うことができるはずだ。


 そう思うことは、びっくりするくらいの安心と平穏を、マリアラにもたらした。

 板の上に空いたスペースを探し、そこに体を横たえた。

 ここで意識を取り戻して以来初めて、熟睡できるような気がした。




 ラセミスタはマリアラが自分の隣に身を横たえ、長いため息を付き、やがてかすかな寝息が聞こえ出すまで、渾身の寝たふりを続けていた。


 ――フェルド起きたの? 本当に?


 ミフに話しかけたマリアラの言葉を思い出し、長い息を吐く。無事だったらしい。

 フェルドが大丈夫だということはラセミスタの中で既に常識の域に達していたものの、やはり実際に確認されるとホッとする。

 マリアラはラセミスタを起こそうかどうしようか、だいぶ迷っていたらしいが、結局起こさないことに決めた。それは本当にありがたかった。“人喰い鬼”が執拗に囁く。


 ――調子に乗るな。非常時だからあの子はお前に寛大なだけだ。

 ――こんな事態に突き落としたお前を、あの子が許すわけがない。

 ――忘れるな。お前はこの事態を引き起こした張本人だ。


 永遠に手に入らないものなら、初めから望まない方がいい。

 一度手に入れてからそれを失うよりは、初めから持たない方が幸せだ。

 髪の毛をこっそり失敬したりしたからだ。手に入れようとしたからだ。ささやかな思い出の証だって、望んじゃいけなかったのだ。だから罰が当たったんだ、きっと。


 川の畔で休んでいたとき、マリアラが、ラセミスタの提案に微笑んで頷いてくれたのが嬉しかった。

 それにあの時は、乗り物を首尾良く直して気分が高揚していた。“リズエルモード”だった。でもよく考えたらラセミスタには、あんな風にマリアラに提案して、頷いてもらえる権利なんかないのだ。何がオトクだよ、と、ラセミスタは頭を抱えた。研究の環境を整えてもらえる、じゃないよ。何調子に乗ってるの、あたし。みそっかすのくせに。もやしっ子のくせに。みんなから嫌われてるくせに。こんな状況を引き起こした、張本人のくせに。


 むくり。

 出し抜けにニーナが、体を起こした。

 ふらふらと立ち上がった。目をこすっていて、どうやら寝ぼけている。ラセミスタは慌てて体を起こした。ニーナが乗り物の端っこに向かってよろよろと歩いて行く――


「あ、危ない、よ!」


 手を掴んで引き留めるとニーナは、掠れた声で言った。


「かわや……行きたい」

「かわ……と、トイレ!? 待ってちょっと待って! ミフ、ミフ降りてー!」


 ミフは黙って降ろしてくれた。ラセミスタは急いでニーナの手を引いて、少し離れた木陰に連れて行った。簡易トイレを設置して、扉は開けておけというので細く開け、後ろを向いて待っていると、ニーナがもぞもぞしながら言うのが聞こえる。


「ラセミスタは、すごいねえ」

「へ!?」


 振り返ると「見ないでよー」と言われたので慌てて再び後ろを向いた。


「見られたくないなら扉を閉めればいいんじゃない?」

 言ってみるとニーナは、ふーんだ、と言った。

「それとこれとは話が別なの。この厠みたいなのも、ラセミスタが作ったんでしょう?」

「いや、これは……設計したのはグレゴリーだし、あたしは関わってない、けど」

「でもあの乗り物とか、空飛ぶ箒とか、色々作れちゃうんでしょう? あたしもいつか、作れるようになる?」


 いや無理だろ、と一瞬思った。空飛ぶ箒を見たこともなく、乗り物と言えば馬であるようなこの世界で、リズエルの知識を身につけるのは不可能だ。

 でも、そうは言いたくなかった。代わりにラセミスタは、昔グレゴリーが言ってくれた言葉を口にした。


「望んで努力すれば、きっと叶うよ。……魔法道具を作るのに、性別は関係ない。必要なのは知識と才能と努力だけ」


 魔法道具を作るのは、一般的には男性の方が向いている、と言われている。リズエルはそもそもごく一握りの人しか得られない称号だが、女性でこの称号を得たのはラセミスタが初めてだ。

 グレゴリーは、ラセミスタを励ましてくれた。やってみて出来ないのは仕方がないが、初めからやってみないのは愚かだと。


「お姫様でも、できる?」


 手を洗ったニーナが外に出てきた。ラセミスタは簡易トイレに必要な処置を施してから元どおり小さく縮めて、それを巾着袋にしまった。それからニーナを見て、頷いた。


「うん、きっとできるよ。お姫様は、もしかしたらやめられないかも知れないけど。賢くて素敵な女の子が、お姫様以外のことをやっちゃいけないなんて、そんなのおかしいよね?」

「うん」


 ニーナは深々と頷いて、それからラセミスタにぎゅっと抱きついた。ラセミスタの胸の辺りに顔を押しつけて、くぐもった声でへへへ、と笑った。


「ラセミスタはいいな。あたしも、ラセミスタみたいになりたい」

「へ!?」

「楽しいものとかすごいもの、いっぱい作れて、友達もいて、いいなあ。うらやましい」

「と……ともだち」

「あたしね、同じ年頃の女の子の友達がいないの。“お姫様”だから、まぜてもらえないの。……何度か入れてもらったけど、みんな困っちゃうの……」

「困っちゃうの……?」

「困っちゃう。楽しくなさそうなの。みんなあたしのやりたいことに合わせてくれて、あたしが楽しいように楽しいようにって、気を使ってくれて……そりゃあね、もしあたしとケンカでもして、あたしがケガでもしたら、大問題になっちゃうでしょう、だからしょうがないの。でもなんだかたまに、哀しくなっちゃうの……。一緒に遊んでる気がしない。遊ばせて欲しいんじゃないんだよね。一緒に遊んで欲しいんだけどな。あたしだけじゃなくて、自分も楽しい気持ちで、一緒に……仲良かったりケンカしたり仲直りしたりできる子が、どこかにいないかなっていつも思う」

「……わかる……」

「ラセミスタはいいじゃない。マリアラがいるもの」

「友達じゃ」


 ない、と言いかけて、それではラセミスタがマリアラを嫌っている風に取られかねないと思い至る。口をつぐむと、ニーナは顔を上げた。


「友達じゃ、ないの?」

「そ、そんなことない。ただあたしは、その、……ここに来たのは、あたしのせいなのね。マリアラが怖い目に遭ったのも大変な思いをしたのも、全部あたしのせいなの、だから……何とか……帰り道を見つけるまで、何とか無事に、守らなくちゃって、思ってて、それで」

「へんなの」ニーナはくすっと笑った。「ラセミスタもマリアラも、おんなじこと言うのね」

「お……同じ!?」

「マリアラも、ラセミスタは大事な人だから、自分がしっかりして、ちゃんと守って、何とか無事に帰らせてあげないとって言ってた。あのね、おとなの人はいつもそうなのよ。兄様もいつも変なの。自分一人で難しい顔してじーっと考えてる、でもそこにゲルトが来て意見を聞くと、すぐにいい考えがどんどん出て、どんどん決まるの。だからね、初めから皆で一緒に考えればいいのになあって思うのよ、兄様はとても頭がいいって言われているのに、どうしてそこがわからないのかしら」

「……」

「ラセミスタも、マリアラと一緒に考えればいいのよ。意見を出して、わいわい話して、譲れるところは譲って、譲れないところはダメって言って、一緒にいい方法を考えればいいの。ラセミスタ、けんきゅうのかんきょうを整えても、一人で悩んでちゃだめよ? マリアラと、それからもうひとりの男の人と……ルファ・ルダの学問所の学者たちにも、協力してもらうのよ。あたしを助けてくれたあなたたちは、もう、ルファ・ルダの国民になったも同然なのよ。それを覚えておいて。あなたたちのことは、みんなで守るから」


 だから怖がらないでとニーナは言った。一人で抱えないでと。

 さすがお姫様だ。普通の九歳とは言うことが違う。


 ラセミスタはニーナと手をつないで乗り物のところに戻った。マリアラもエルギンもぐっすり眠っている。マリアラの隣に座り込みながら、ぼんやり考えた。


 ――大事な人だから。自分がしっかりして、守って、なんとか無事に……


 怒ってないのかな、もしかして。

 話しかけても、蔑まれたり罵られたり、嗤われたり、しないのかな。


 ――子供の前では取り繕うに決まってる。

 ――性懲りもなく、まだ、何度も繰り返した過ちを、諦めきれないのか。馬鹿め。


「おやすみ……」


 ニーナが囁いた。ラセミスタは微笑んで、おやすみ、と返した。ミフが飛び始め、乗り物がスムーズに宙に浮いた。梢を抜け正面に浮かぶ青の月を見ながら、


 ――子供の前で取り繕ってるのはあたしだ。


 そう思った。

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