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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の冒険
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第二章5

 いや、地図――なのだろうか? それは。

 ぱっと目を引くのは、雪山そっくりの山だった。あまりに詳細に描き込まれていて、また立体的で、まるで雪山を小さく縮めて閉じ込めたように見えた。そしてひょうたん湖も見える。水面がキラキラ光っているのまで見て取れる。それがルファ・ルダの地形であることは、海に張りだした半島の形を見、南にある大きな島とその周辺に散らばる諸島を見れば、疑う余地もない。


 しかし、その他の部分はまるで違う。雪山から流れ出てひょうたん湖に流れ込む川は、こんなにまっすぐには流れていないはずだ。それに、森に覆われている国土の殆どに、びっしりと、何かの建物がひしめいている。何なんだコレ、と思っていると、フェルドがフィに言った。


「出すのは地形のみで――フィとミフの現在地を表示」


 言葉に応じて、びっしりとひしめく建物? の群れが見えなくなり、イーシャットはなんだかホッとした。地形のみになると、それがルファ・ルダの地図であることは一目瞭然だった――気味が悪いほど詳細であることは変わりなかったけれど。と、赤い光点が二つ、出現した。ひとつはここだ。雪山とひょうたん湖の位置関係からして間違いない。そしてもうひとつは――


「アナカルディアに……向かっているようだな」


 ランダールが呻くように言い、イーシャットは、ああ、と呻きたくなった。

 確かにその光点が、アナカルディアを目指しているらしいことは疑いなかった。ヴァシルグが空飛ぶ箒を目撃したのはひょうたん湖のほとりである。それが今や国境を通り過ぎ、既にアナカルシス国内深くに入り込んでいる。


 フェルドは難しい顔をしてその地図を睨んでいたが、ややして、ぽつりと言った。


「【壁】は?」

「壁?」

「ここには、【壁】がないのか?」

「壁とは?」


 ランダールが訊ねた。フェルドは唸る。


「……いや、わからないならいい。とにかく……あちらの箒の居場所はこうしてわかったが、連絡を取ることはできない。でも、なんであっちに向かってるんだ? あっちには何がある? アナカルディアってさっき言った?」


 そしてフェルドは、イーシャットを見た。


「あんたエルギン王子の側近だとか言ってたよな。マリアラとラス……その、俺の仲間には、アナカルディアに向かう理由はない。つまりあんたらの王子様かお姫様かが、あっちに連れてってくれって頼んだはずだ。おかしいじゃないか。なんで、こっちに戻るように頼まないんだよ。そうしてりゃ、今頃とっくにここに戻ってたはずじゃないか」


「それについては俺も同意見だな」ランダールが賛同した。「ニーナにも、アナカルディアに向かいたがる理由はない。エルギン王子はニーナを連れ出し二人の少女まで道連れにして、アナカルディアに向かっている、ということになる。迷惑千万だ」


「……事情があるんだ」

 イーシャットは呻き、フェルドは頷いた。

「だろうね。聞くよ」

「その、実はさ……」

 しかしランダールはにべもなかった。「いや、聞く必要はない」

「何でだよ」

「王子の事情などこの際問題じゃないからだ」


 ランダールの声はとても冷たかった。イーシャットは、うへえ、と思った。言うと思った。

 フェルドは眉を顰めている。その顰めた眉に向けてランダールは言った。


「王子がどう思いどういう事情で動いていようが関係ない。王子が向かうべきはこのルファ・ルダであってアナカルディアではない、という事実のみが重大だ。王子には是が非でも戻って来てもらわねばならん――もちろんニーナと二人の少女も一緒に、だ。事情だの思惑だの甘っちょろい情だのに、かかずらっている暇はない。

 とにかくそなたの箒はもうひとつの箒の在処がわかるのだな」


 フェルドは頷いた。ランダールも頷く。


「協力を要請する。この箒を貸して欲しい。この箒は空が飛べる……のだな? そなた以外の人間が乗っても飛べるな?」

「……飛べる、けど、でも」


「俺に行かせてくれ」


 ずっと黙っていたマスタードラが、立ち上がった。

 そうするとマスタードラは、この部屋の天井に頭をぶつけそうなほど背が高い。その遙かな高みから、マスタードラは勢いよくフェルドの腹のあたりにまで頭を下げた。


「頼む。お前の箒を貸してくれ。俺はエルギン様の護衛だ。主から離れているこの状況は、耐えがたい」

「二人乗りは速度が出ない」

「マスタードラひとりで行けばいい」


 ランダールが言う。フェルドは顔をしかめた。マスタードラは頭を上げない。ランダールは穏やかな口調で続けた。


「それが最善だ。そう思わないか」

「……思えない」

「先のことを考えろ。ここで私に恩を売っておくことは重要だ」

「……」

「ここで私の要請をはねのけ、自分で探しに行く。それは今のお前にとっては最善だろうが、短絡というものだ。首尾良くふたりの少女と合流したとして……その後はどうするのだ」


 フェルドが身じろぎをした。「その後」


「そなたは雷と共に落ちてきた。……それは事故だと言ったな」

「……」

「空飛ぶ箒、それから数々の不可思議な道具、更にあの詳細な地図。またそなたは今この国がどういう状況にあるのか、といった知識を全く持っていない。――どう考えても、この近隣諸国の住民ではないだろう。私には、そなた等は雲の上にでも存在する文明の進んだ優れた国から、不慮の事故で落ちてきたかのように思える。雲の上への、帰り方は、わかっているのか?」


「……」


「ふたりの少女と合流すれば、帰れるのか? ……違うだろう?」


「…………」


「右も左もわからぬ場所で……帰り道が見つかるまで、ふたりの少女の安全を確保し続け、食糧と飲み水を確保し、その上で、道を探さなければならないのだぞ。そも、道が見つかれば良いが、万一見つからなかったらどうなるのだ? 十年、二十年、彷徨い続けられるのか? たったの三人で出来ることには限界がある。借りられる手は、多い方がいいだろう。悪いことは言わない。私に恩を売っておけ。そうしてくれればそなたとふたりの少女をルファ・ルダの民として迎え入れ、戸籍も渡し、衣食住も保証する。帰り道を見つけるのに最大限の協力もしよう。だから箒を貸してくれ。マスタードラはエルギン王子の護衛だ。ちと考えるのが苦手なところはあるが、ふたりの少女に危害を加えるような真似だけは絶対にしない」


「……………………わかった」


 フェルドは呻くように言った。ランダールの説得のためというよりは、マスタードラが未だに下げ続けている頭に根負けしたかのように見えた。


 イーシャットはホッと息をついた。ランダールの立場からすれば、フェルドに箒を返しひとりで迎えに行かせるなど、とうてい許容できることではないから、最終的には強制してでも箒を提供させなければならなかったはずだ。そうなる前に譲歩してくれたのは本当にありがたかった。それに、マスタードラがエルギン王子の側にいないと言う現状は、イーシャットにとっても耐えがたいことだった。これで少しは事態が改善する。マスタードラさえ王子の側に辿り着けば、ヴァシルグの襲撃を、こうまで恐れずとも良くなる。


 ランダールも頬を緩めた。


「ありがとう。感謝する。――マスタードラ、すぐ行けるか」

「ああ」


 マスタードラが頷き、ゲルトが彼を招いた。


「道中の食糧と水を用意させよう。――マーシャ!」


 ゲルトが出て行き、マスタードラはその後に続いた。だが、すぐに戻って来て、フェルドの前に左手を差し出した。


「ありがとう」


 フェルドはやはり、不本意だったのだろう。手を出すのが一瞬だけ遅れた。マスタードラはその一瞬を待たず、フェルドの左手を追いかけてぐっと握った。


「この恩は忘れない」


 言って、マスタードラはゲルトの後に続いた。ゲルトの要請に応じて、厨房にいたマーシャがぱたぱたと働いている音が聞こえてくる。

 それを聞きながら、イーシャットは言った。


「……ランダールはこの国の代表だって言ったろ。こいつに売った恩は、お前が思う以上に大きくなって帰ってくる。……お前はもうこの国の、どこを歩いても咎められない。だからさ、探してくれば? なんか落としたんだろ、飾りかなんか。そう言ってただろ」

「何か落としたのか。まだ何か持ってたのか?」


 ランダールが興味深そうに言う。イーシャットは更に口を出した。


「もちろん、持ってたあの袋もその中身も、全部揃って返されるはずだ。そうだよな、ランダール? まさか誇り高いルファ・ルダのエルヴェントラともあろうお方が、正当な理由もなく、国民の財産を没収したまま返さないなんて、あり得ねえもんな」


 ランダールは苦笑した。あの袋の中には、“雲の上の国”とランダールが称したフェルドの故郷の、優れた技術と文明の結晶が、ぎっしり詰まっているはずだ。一国の主としては、できるなら研究し尽くしてその文明の片鱗を吸収したい心持ちでいただろう。フェルドが言い出すまでの間に学問所の学者たち総動員で、研究しておくつもりだったかもしれない。


 しかしそれをおくびにも出さず、ランダールは卓上の鈴を手にとって鳴らした。

 すぐに戸口に姿を見せたゲルトに、穏やかな声で言った。


「フェルドの持っていたあの袋、中身も含めて全て返却するよう手配してくれ」

「かしこまりました。しかし複数の学者が関わっております故少々時間がかかります。明朝までには必ず」

「できるだけ急いでくれ。――フェルド、落とし物を探すなら急いだ方がいい。七番の鐘が鳴れば夕餉だ。マーシャの飯はうまいぞ」

「こいつどこに寝かせるんだ? 王子の――」

「恩を買ったのは私だ。王子の身内の手を煩わせる気はない、移動も面倒だしな。隣の家が空いてる」


 一転、賓客扱いである。イーシャットは笑って、フェルドを促した。


「お前どこに落ちたか覚えてねーだろ。案内してやるよ、もちろん夕餉までには送ってきてやるから」


 ランダールに挨拶して、ふたりはその部屋を出た。途中で厨房に寄った。マーシャは相変わらずゆっくりとした動き方で、てきぱきと家事をこなしていた。ふっくらとした、三十代の働き盛りの女性だ。既に特別な食事を作り始めているらしい。イーシャットは声をかけた。


「マスタードラ、もう行ったかな?」

「ええ、すっ飛んで行きましたですよ」


 タマネギを刻みながらマーシャは言った。ちらりとこちらを見て、イーシャットの後ろから覗いているフェルドに気づいて、目尻を下げた。


「お陰様で……ニーナ様の行方がわかりましたそうで。ありがとう存じます。どう――」


 言い掛けてマーシャは言葉を切り、ぱちぱちと瞬きをした。ふるふると首を振り、前掛けで目をちょっとこすって、微笑んだ。


「……このタマネギはずいぶんよく効きます」

「飯、俺の分も作ってくれる?」

「ええ勿論」


 マーシャが請け合ってくれ、イーシャットは礼を言って踵を返した。マーシャは下を向いて、またタマネギをせっせと刻み始めた。

 時折前掛けで目を拭いながら。




 日の暮れ始めた広場は穏やかな空気に満ちていた。

 魔物はどうなっているのか、ルファ・ルダの集落にいると全くわからないだろう。だからこんなに雰囲気が穏やかなのだろうとイーシャットは思う。


 今日の1日を、イーシャットは魔物の動向を探るのに費やした。魔物は森に潜んでいて夜になると姿を見せる、それは今までと変わらなかったが、時折、言葉をかけてくるようになったそうだ。


 ――流れ星を匿うな。

 ――流れ星を差し出せ。さすれば危害は加えない。


 どうやらそんな主旨のことを言っているらしいのだが、“流れ星”が何を指すのか全くわからず、事態は進展していない。今日ランダールが王の側近に呼ばれていたのは、“流れ星”に心当たりがないか聞かれていたらしい。


 王や第一将軍の動向は、ちょっと探れば色々つかめるが、ムーサは今どうしているのか、全く聞こえてこない。


 あのくそ爺はイーシャットとフェルドを火刑にしようとして失敗し、エルギン王子とニーナを捕らえようとしてこれまた失敗している。きっと地団駄踏んで悔しがっていただろう。普段ならしびれを切らしてそろそろ別の手を打ってくる頃合いだが、未だに何の動きも見せていないのは、魔物に掛かり切りになっているからだろうか。



 広場を抜けた頃、マーセラ神官兵の制服を着た男とすれ違った。

 使者の印をこれ見よがしに掲げ、左手に箱を持っている。どうやら、ランダールの居宅の方を目指しているらしい。


 一瞬気をとられたものの、夕暮れに背を押されるようにして先を急いだ。捜し物は明るい内に済ませるに限るし、七番の鐘が鳴ればマーシャ特製の晩ご飯だ。


 ニーナの居場所がわかり、マスタードラが迎えに行った。数日の内には無事に戻ってくるはずだ。それがフェルドのお陰となれば、あのマーシャのことだ、どんな豪勢なご馳走を振る舞ってくれても不思議じゃない。首尾良くお相伴に預かれることになりイーシャットは上機嫌だった。今朝まで自分を苦しめていた様々な事態が、おおむね改善の兆しを見せている。喜ばしいことこの上ない。

 そう思っていた。――その時は。

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