表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の冒険
116/764

第二章2

 フェルドが練り粉を全て食べ終えると、イーシャットはまた新たに粉を出して練ってやっていた。

 頭痛は本当に酷いらしく、フェルドはずっと顔をしかめていた。しかし、水を飲み練り粉をある程度食べると、少しだけ元気が出たらしい。座り直して、イーシャットに言った。


「俺、巾着袋持ってなかった? ……これくらいの大きさの袋。その袋にちょっと似てる」

「ああ持ってた」イーシャットは頷いた。「今あいつの仲間が大事に預かってるよ」

「それを返して欲しいんだけど。あと箒も」


 イーシャットがちらりとランダールを振り返った。ランダールの無言の返事を見て、フェルドはため息をつく。


「空飛ぶ箒の行方は、俺も知らない。乗ってるという二人の少女とは知り合い……だと思う、けど、今どういう状況にあるかというのはわからない。あっちも俺を、探してる……と、思う……たぶん……」

「行方はわかるか?」

「そのために、まず箒がいる。それから、さっき言った袋も」

「うーん」イーシャットは難しい顔をして唸った。「説得はしてみるよ。けどさ……俺はお前に助けられたけど、俺は、あいつ、ランダールな、あいつとは別の組織に属してるんだ。ここで最大の権力を握ってるのはあいつだ。で、俺はそこに居候してる立場なわけ。だから俺の発言には……でもさあ、そもそも何でよりによってカーディス王子のすぐ傍に雷落としたりしたんだよ。それさえしてなきゃ、あいつも荷物全部取り上げるってことまでしなかったはずなんだけど」


「不可抗力だよ。雷……それは事故みたいなもんだと、思う。推測しか出来ないけど……俺が落としたわけじゃない。さすがにそんなこと出来ないよ」

「でも水は呼べるわけな?」

「まあ……頭痛さえなくなればね」

「てことはつまり、お前“契約の民”なんだな?」

 フェルドは目を見開いた。「けいやくのたみ? って、何?」


 その説明はカーディスも聞きたかった。“契約の民”というのは“邪神”に匹敵するほどムーサにとっては忌まわしい単語らしく、カーディスの耳が汚れると言って教えてくれない。イーシャットはすぐに説明するかと思ったが、難しい顔をして唸った。


「うーん……」

 頭をがしがし掻いて、イーシャットは言った。

「アナカルシスは知ってるのに、ルファ・ルダは知らない。水を呼べるくせに体に紋章がないし、“契約の民”も知らない。空飛ぶ箒もふたりの少女も知ってるのに、その行き先に心当たりはなく、行く先を探るには自分も箒と……あの不可思議なものがいっぱい入った袋が必要、と主張する。……どう考えてもうさんくさくない?」


「ここがどこなのか今がいつなのか何がどうなってんのか俺にもわからない」

 真面目な口調でフェルドは言った。

「でもたぶんすげー……すごく遠くに来ちまった、その、来てしまったんだろう。俺は今この場所がどこで、どういう状況なのか、全然わからない。雷が落ちたのは俺のせいじゃないし、やれと言われても無理だ。王子を狙ってなんかないし、当たらなかったんなら本当に良かった」


「ふうん」


「……ただ言えるのは、俺も……あんたらが空飛ぶ箒の行方を知りたいのと同じくらい、俺も知りたい、ということだ。箒を返して欲しい。巾着袋の方は……まあいいや、きっと何とかなる。でも箒がなきゃ無理だ」

「それを渡してお前がひとりで飛んで逃げないという保証は?」

「そうしない、と誓う。さっきの水と“ねりこ”の恩は返す……信じて、もらえることを、祈るしか……ない、ん、だけど」


 イーシャットはもう一度ランダールを見た。

 それから諦めたようにまたフェルドに向き直った。ふうう、ため息が聞こえる。


「何とか説得するよ。だが時間がいる。とにかく今は頭痛を治しな」

「また変なこと聞く、と思われるだろうけど……今って学校暦何年?」

「学校暦? 聞いたことねーな。明日の朝また来るよ。頼むから逃げたり暴れたりしないでくれ。そうしといてくれりゃ、俺もできる限りのことをしてやれるからさ」


 かん、かん、かん……


 遠く――森の奥から、陣鐘の音が響いてきた。

 ランダールが立ち上がった。


「始まったらしいな。俺は戻るぞ。マスタードラは期待していいんだろうな」

「今んところはな」

「長居するなよ。貴様に死なれちゃ困る」


 ランダールは言い捨て、外へ出た。カーディスは慌ててしゃがみ込み、漏れる灯りから身を隠したが、ランダールはこちらへは来なかった。性急な足音が闇の向こうへ去って行く。

 イーシャットが、穏やかな声で言うのが聞こえる。


「明日の朝になったら、また少し状況が変わるはずだ。朝になったらマーシャに粥を頼んで持ってきてやる。ゆっくり休め」

「……あのさ」

「ん?」

「箒と、金貨と、袋……の他に、まだ持ってたものがあるはずなんだ」

「他にか? どんなのだ」

「なんつーか……紐の先に銀色の鎖と、これくらいの……弓と矢を象った銀盤が付いてる、飾りなんだけど」


 カーディスはどきりとした。あれだ。

 やっぱり、あの人の持ち物だったんだ。


「そりゃ知らねーな。持ち物は俺も全部見たけど、なかったと思う」

「……そっか……」

「大事なものだったんだな。気の毒に」

「……ありがとう」

「ん? 何だよ急に」

「不本意だけど、実際かなり得体の知れない存在になってんだろうな、と思ってさ……。どうも非常時みたいだし、更に王子だのなんだのが行方不明、って状況で、なのに牢に入れられてないし拘束されたりもしてない。あんたが骨折ってくれたんだろ」

「大したことしてねーよ。ランダールは頭に血が上ってるし元々厳格な奴だが、そんなに不親切ってわけじゃないんだ。んー……」

「……」

「口止めされてたんだが、やっぱ言っとくわ。エルギン王子もニーナ姫――あいつの妹もな、殺されかけてたらしいんだ。ヴァシルグって危険な奴が王子と姫を追ってた。きっと危ないところだった。……箒を操るふたりの少女は、王子と姫を攫ったんじゃない。助けたんだ。ヴァシルグから逃げて姿を消したんだろう。そこまではランダールもわかってるんだ。

 お前が拘束されてないのは、“ふたりの少女”の仲間らしいからってのが大きい。な、そうだよな? お前の仲間はさ、王子を、……害するようなこと、しないよな?」


 イーシャットの言い方に、カーディスはずきりと胸が痛むのを感じた。

 エルギン王子――三つ年上の、カーディスの実の兄だ。行方不明だったなんて知らなかった。

 母親は違うし、カーディスが五歳の時に兄はアナカルディアを離れルファ・ルダに住むようになったから、一緒に育ったとは言いがたい。それでもカーディスは、兄が大好きだった。一度一緒に遊んだことがあるのだ。アナカルディアの王宮地下から流れ出る川で、楽しい午後を過ごした。エルギンはカーディスに、船を作ってくれた。


 行方不明だなんて。

 ヴァシルグは、カーディスも知っている、マーセラの神官兵だ。丁寧な物腰でいつも穏やかだったが、カーディスはどうも、ヴァシルグが好きになれなかった。ヴァシルグが兄を殺そうとしたなんて。驚いた、けれど、どこかで納得している。ヴァシルグならやりかねない、そんな印象の男だ。


 フェルドが頷いたのが見えた。


「その点については、大丈夫だよ。あの子は、王子がケガでもしてたらきっと治しただろうし……追われてたら匿うし逃がすし、家に帰りたいって言ったら、送ってくるよ。つーかいっつもそんなことばっかしてる。見捨てたりも絶対しない」

「そうか。よかった」


 イーシャットもそのまま踵を返した。ことことと床が軽い音を立てた。途中で燭台を拾い上げて吹き消した。そのまま闇の中に歩み去る。



 さあ、ついに。

 カーディスはイーシャットがいなくなるのを充分な時間、待ってから、立ち上がった。


 さあついに、私の番だ。


 盗み聞きは愉しかった。でももっと楽しいことがある。待ちに待った質問の時間。家庭教師に質問して、そして答えてもらうのは、この世で一番と言っていいほど愉しいことだった。

 カーディスはうきうきと建物を回って戸口に立った。


「邪魔するぞ」

 丁寧に声をかけて、カーディスは物置の中に入った。中は真っ暗で、何も見えなかった。しかしさっき見た記憶を頼りに歩を進め、フェルドのいるはずの辺りに来た。


「私の質問に答えろ。そなた何者なのだ?」

「……ああ?」


 やっぱり彼はそこにいた。消えたりしていなかった。カーディスはわくわくぞくぞくした。質問はいくらでも頭の中に湧いて出て来る。まずは箒のこと。本当に空を飛べるのか、どんな感じなのか、箒を取り戻したら乗せて飛んでくれるだろうか、それから――


「箒ってどういうものなのだ? 掃除で使う箒と同じものか?」わくわく。「空を飛べるって本当か?」わくわく。「雲の上に行ったことあるか?」わくわくわく。「雲は上に寝転がったり食べたり出来ないと聞いたが本当なのか? 雷はびりびりすると聞いたがそなた、落ちてきたときにびりびりしたか? これ、質問に答えぬか、これ」

「……」

「もう寝たのか? 私の質問に答えずに寝るなど不敬――」


 がっ。

 出し抜けに頭を両手で掴まれてカーディスは驚愕した。ぎりっ、頭に力がかかった。大きな熱い手のひらがぐりぐりとカーディスの頭を締め上げた。痛い痛い痛い。

 唸るような噛みつくような声が言った。


「何が“これ”だ、あぁ? お前こそ何だ、つーか、子供か!? 何なんだほんとに次から次へと――!」

「は、は、放せ、放さぬか、うわあああああっ!?」


 ぐらぐら揺すられてカーディスはじたばたした。と、腕が――これまた熱い――首に回ってきてがっちり押さえ込まれた。ぐりぐりぐり、と手のひらがカーディスの頭を捏ねる。


「ひ、と、に、ものを、訊ねるときは、違う言い方が、あるだろーが! ああ!?」

「は、は、はなせはなせ! はなせええええ」

「放してくださいだろ!」

「は、放して! はなしてくだっ、くだっ!?」

「は、な、し、て、く、だ、さ、いだ!」

「はなしてくださいいいいい!」


 ようやく腕が首から放れた。尻餅をついてはあはあ喘ぐカーディスに、フェルドが呻く。


「……もーほんとに何なんだよ……頭いてーんだよ、寝かせろよ……」

「そなた熱かったぞ」

「ああ!?」

「あなたさま熱かったですぞ」慌てて言い直す。「お熱でもあらせられまするでござるか、か?」

「……お前、もしかして……王子、とか?」

「ちがう」反射的にカーディスは言った。「ちがう、ちがうぞ。私は通りすがりの子供、で、ありまするぞ」

「普通に喋れよ……」フェルドはまたため息をついた。「八つ当たりして悪かったよ。つーかお前何? 王子じゃないにしても、子供が何でこんな夜中にうろうろしてんだ? 帰って寝ろよ」

「夜しか動けぬ。どれ、水を汲んでやろう。さっきの男が置いていった。練り粉はどんな味じゃった? 美味かったか? 私も食べていいか?」

「別にいーよ、残ってたら食えよ王子様」

「王子ではない。下々の庶民じゃ」


 言ってから、言葉遣いが違うのだろうか、と思った。確かに、下々の者は、それも子供は、こんな言葉遣いはしないものなのかも知れない。神殿の見習いは、どんな言葉を話していただろうか。ムーサがいつも言っていた。父上や母上には、きちんとした言葉遣いで話さなければダメだと。父も母も、まだ幼いのだからと大目に見てくれるのをいいことに、覚えてこずに来たけれど。


 手探りで革袋を二つと椀を捜しだし、それらを持って戸口へ向かった。今日の月明かりは暗いが、ないよりはマシだ。


 椀に水を注ぎ、粉を入れて練った。試行錯誤するうちに、粉はだんだんまとまって、もちもちした形状になってきた。カーディスは気をよくして立ち上がり、意気揚々とフェルドのところへ戻った。蹴躓いた。「あっ」椀が宙を飛んで、ごつん、どこかに当たった。


「痛って!」

「すまぬ、大事ないか? ……椀はどこじゃ?」

「……ここですよ王子様」

「王子じゃないと言うに……言いますのに。それ、口を開けろ。開けなさい」

「自分で食べますんで」

「美味いか? どうじゃ? 美味いか?」

「食ってみ」


 椀を取り上げられ、頬をつままれ、口に練り粉が少量押し込まれた。噛んでみて、味がしないことに驚いた。甘くもなければしょっぱくもない。ただ、そう、パンの白いところをぎゅうぎゅうつぶしてバターも付けずに食べたような、そんな味がした。更に粉っぽい。

 劇的に美味くもないが吐き出すほどまずくもない。カーディスはしみじみと呟いた。


「……これが練り粉か」

「栄養の味だな。水は?」

「あっ」


 革袋を忘れてきたことに気づいて慌てて取りに行った。月明かりのかすかに差し込む戸口に、練り粉も水も大量に零れているのが見えた。あー、と思った。練るのに夢中になるあまり、袋の口を閉じるのを忘れたのだ。粉の方はまだだいぶ残っているが、水は全部流れ出てしまっている。


「……すまぬ。水が全部零れてしもうた」

「あー」

「どうしよう」

「別にいーよ……つーかもう帰れ。帰ってくれ。眠いんだよ、頭痛てーし」

「そな……あなたさまは人間なのか? 水を呼べると話していた。けいやくのたみではないのに水を呼べる、変なの。それなのに、熱が出るのか」


 フェルドは答えなかった。眠ったのかも知れない。

 カーディスはそっとにじり寄り、フェルドを探り当てた。肌に触れた。やはり熱い。ゆっくりと上下しているから、生きてはいる。申し訳ないことをした、と思った。熱があるときには水が飲みたいものだ。なのにカーディスがその水を全部こぼしてしまった。水を呼べるのだから呼べばいいのだろうが、疲れているときはやらない方がいいのでは、という程度の想像くらいは出来る。


 隣に座ってみた。藁がちくちくするが、座り心地はそれほど悪くなかった。手を伸ばすと、硬く短い頭髪が手に触れた。額が熱い。水の入った革袋を宛てたらきっとひんやりして気持ちが良かっただろうに、それもできない。カーディスが零したせいで。

 熱があるときにひとりで放っておかれる淋しさを、カーディスはよく知っていた。大丈夫まだ時間はある、と思った。ムーサはなんだか忙しいらしくて今夜は戻ってこないと聞いた。夜明けまでに戻れば大丈夫――


 盗み聞きと質問の興奮が醒めて、カーディスはぷつりと糸が切れるように眠った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ