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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の日常
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武器(3)

 ややして、ミランダが言った。


「……私ね、前に、マリアラが今住んでる部屋にいたのよ」

「え。……そうなの?」

「そう。ラセミスタの、ルームメイトだったの、私。去年の冬」


 それも去年の冬なのか。マリアラは頷き、ミランダはこちらを見た。


「フェルドにもダニエルにも、『待っててやってくれ』って言われたのに……私、ラセミスタを待てなかったのよ」

「待つ」


「うん。私は今もダメだけど、去年の冬は、もっともっとダメだったの。製薬の子たちとギクシャクして、神経すり減っちゃって、皆から見捨てられたような気がしてたの。部屋に帰っても、寛げない。ラセミスタは私を避けて、朝は早く出て行っちゃうし、夜は私が眠るまで帰ってこなくて。待っててあげなきゃってわかっていても……ラセミスタは私を拒絶してるんだ、そう思って……苦しくて。ダニエルに頼んだ。別の部屋にして欲しいって。ダニエルは、『わかった』って言ってくれた。残念そうな様子は見せなかったけど、きっと残念だったと思う」


「そう……」

「マリアラは……待っててあげてね。あの子のこと。あの子は悪い子じゃないんだって、一昨日の夜、ちゃんとわかった」

 ミランダは足を止めた。真剣な表情。

「一昨日の夜、あなたたちの部屋の前をウロウロしたって言ったでしょう。その時、ラセミスタが出て来るのを見たの。すごく、なんて言うか……思い詰めた顔をしてて、一生懸命歩いていった。悪いと思ったけど、箒に後を追いかけてもらったんだ。

 ……そしたらあの子、詰所に入っていった」


 そうしてミランダは、微笑んだ。


「たぶんヒルデとか、誰か左巻きの人を頼って、魔力回復剤をもらいに行ったんだと思う。……だから」

「うん。わかってるよ。だからわたしは、次の日普通に働けたの」

「良かった。知ってたのね。……私も待ってれば良かったって、つくづく思った。……あなたはすごいわ」

「すごくないよ。危ないところだったもの」

「そう?」

「カップケーキを買ったの。会って渡そうって思ったけれど、結局賞味期限中に会えなくて……ひとりで全部食べたとき、危なかった。もう待つのやめちゃおうかなって思った」

「そう。でもやめなかった」

「それは、運が良かった。もう一回買いに行ってね、カードを添えておいといたら、次の日なくなってた。その次の日、返事が来た。さっきの指輪は、その時もらった。だから文通から、始めようと思うの」

「ふふふ。私の手紙も、その内渡してもらえるかな?」

「うん、もちろん」


 穏やかで居心地のいい沈黙が落ちた。エレベーターホールにたどり着き、ミランダは下のボタンを押した。ややして到着したエレベーターに乗り込んだ。軽い振動音が響く。エレベーターの回数表示を見ながら、マリアラは言った。


「あのお菓子、どれもすっごく美味しかった。とても元気が出たよ。どうもありがとう。……シュークリーム作れるなんてすごいね」

「ふふ、医局の休憩所にはね、すごく立派なキッチンがあるの。お菓子作りが趣味な先輩が多くて、私もたまに借りて、作らせてもらうの。去年の冬にこの趣味があったらだいぶ違ったんだろうなって思う。シュークリームはね、分量をちゃんと量って温度もちゃんと管理すればちゃんと膨らむのよ。コツを覚えたのです」

「すごい」

「ふふん」ミランダはまんざらでもなさそうな顔をした。「私だって進化するんです。やるときは少ないけど、やるときはやるの。今度クロカンブッシュに挑戦しようと思うんだけど」


 この顔はどこかで見たな、とマリアラは思った。褒められて満足げな顔。

 ああそうだ、と思う。フェルドだ。


「クロカンブッシュって、シュークリームを積み重ねたあれ?」

「そうあれ。でも食べるの大変そうよね。もっ、もし良かったらなんだけど、たっ、食べに来る?」

「いいの? もちろん行くよ」


 頷くとミランダはぱあっと顔を明るくした。マリアラは感動した。なんだこの人、すごく可愛い。

 お菓子作りが本当に好きなのだろう。こちらまで嬉しくなってくる。


「シャルロッテも呼ぼうよ。できればラセミスタさんも、呼べたらいいんだけど……」

「いきなり大勢のところに呼ぶのはまだ無理じゃないかしら。文通がうまく行ったら、ふたりで食べるお菓子、作ってあげるわ」

「わあ、ありがとう」

「クロカンブッシュは、ああ、ダニエルとララも呼んだらいいわよね。ああ、フェルドの味覚が変わってなければなー、いっぱい食べてもらえたんだけど」


 ミランダが言い、マリアラは驚いた。「味覚? 変わったの?」

「そう。昔……四、五年前かなあ、まだ孵化してなかった頃は、甘い物大好きだったのよ」

「体質で食べられないんじゃなかったの?」

「違うわよ、昔ダニエルとララがね、救助した人からおはぎを山ほどもらったことがあるのよ。こーんな大きな箱にぎっしり入ってた。……フェルドはその半分近くを一人で食べたの」


 マリアラは目を見張った。相当な量だ。


 エレベーターが三階に到着した。

 三階は医局のある階だ。人通りが段違いに多い。白衣姿の人やマヌエルや患者たちが大勢行き交っている。ミランダは背を伸ばし、3-N7、という表示を確かめて、マリアラの手を引いて右に歩き出した。

 ミランダの手はひんやりしていた。レイエルだからなのだろうか、とマリアラは思う。


 エレベーター前の混雑を乗り切り、人通りが落ち着き、また並んで歩けるようになった。ミランダはホッとしたように笑って手を放した。


「……それが今じゃ全然食べられなくなっちゃったんだもの、成長によって味覚ってずいぶん変わるものなのね。外見もあの頃とじゃ全然違うし、男の子の成長期って劇的よね」

「ミランダも、【魔女ビル】で育ったの?」

「ううん。私は十歳で孵化して、【魔女ビル】に来たの。知り合いもいないし馴染めないしで途方に暮れてたら、ダニエルが面倒見てくれるようになったのよ。フェルドとはそれで知り合ったの」

「ふうん……あの……」


 聞くチャンスは今しかない。マリアラは意を決して、言った。


「あの……フェルドと付き合ってるって本当なの?」

「は?」


 ミランダは目を丸くした。マリアラは慌てた。


「あの、あの、ジェシカがそう言ってたの――ごめん、気を悪くしないで欲しいんだけど、あの、彼氏に異性の相棒ができたら嫌なものかもしれないって思って、」

「やだジェシカったら、そんなこと言ったの?」


 ミランダは呆れている。それから苦笑した。


「付き合ってないわよ。あっちにもそんな気持ち全然これっぽっちもないと思うわ」

「そ――そうなの?」


 マリアラはホッとした。

 そして、ムッとした。なぜホッとしたのだ、わたし。


 ミランダは微笑む。


「マリアラって真面目なのね。心配してくれてありがとう」

「い――いえいえ、そんな」

「そうねえ、確かに、彼氏に異性の相棒ができたら、そりゃあ内心面白くなかったりするものかもしれないわね。考えたことなかった」

「わたしが相棒になったことで、ミランダが嫌な思いをしたかもしれないって思って……だから確かめないとって思ったの」


「そっか。私はフェルドが好きだけど、でもそれは、なんて言うかな、家族みたいな感じで……恋愛感情は持てないわ。万一付き合ったりしたらすっごく疲れそう」

「そ……そう?」

「今はシフトに入ったからもう無理だろうけど、前はまとまった休みが取れたらすぐに色んな無人島に飛んでってたわ。それでね、ギリギリまで帰ってこないの。皆がやきもきやきもきしてる最中にけろっとして帰ってきて、平気な顔して仕事に行くの。で、あんまり心配させるなってダニエルに怒られるじゃない? 神妙な顔して頷いて、もうしませんって言うじゃない? でも次の休みにはまた同じことやるの。やりたい! と思ったことは、それが例えどんなことでも絶対諦めないで、色んな手段を試してみて、最後は絶対やるのよ……って、あー、ごめん。相棒になったばかりの人にこんなこと言ったら先行き不安になるかしら」


 うん、ちょっと。

 とは言わず、マリアラは苦笑する。ミランダは慌てたように手を振った。


「あの、大丈夫よ。仲良くしてあげて。ホントにいい人だから」

「そっか、家族かあ。お兄さんみたいな感じ?」

「兄……? そうね……フェルドが兄だと思うのは不本意だわ、あの問題児」

「じゃあ弟?」

「年上なのよ、ひとつだけど。うーん、改めてそう聞かれると難しいけど、とにかく、私はもう少し落ち着いた大人の余裕のある人がいい」


 そっかあ、とマリアラは思った。

 ディアナの言ったとおりだった。想像と憶測でやきもきするより、えいっと聞いてしまった方がずっといい。

 いつもそれができるとは限らないけれど。


 やがて小さな店の前にたどり着いた。匂いがもう、既に美味しそうだった。ニンニクとオリーブオイルの匂いが鼻をくすぐる。ミランダはマリアラの表情を見て、笑った。


「ここのカルボナーラを知らなかった自分とお別れする覚悟はできた?」

「うわあ、すごそう」

 マリアラは思わず笑った。ミランダも笑う。

「もちろん他のも美味しいのよ。四種のチーズのパスタがね、たまに五種になることがあるの! それからここのパンナコッタと同じ味を再現するのが最近の私の目標で」

「そそそそれは! 是非食べてみねばですね!」


 そうして、その夜。

 【魔女ビル】で初めて、仲の良い友人ができた。


 美味しい食べ物を食べながら、お喋りを心ゆくまで楽しみながら、マリアラは、頭のどこかで、ラセミスタのことを考えた。

 “武器を贈ります”と言ってくれた彼女に、いつか伝えられたらいいと思う。

 指輪は確かに、武器になった。憶測と噂話だけを根拠にして理不尽な攻撃をしかけてくる相手に立ち向かうための、本当に有効な武器だった。

 でも、それよりも。

 自分を気遣ってくれて“武器”を用意してくれたルームメイトがこの世に存在するのだという事実の方が、何倍も心強い味方になってくれたのだと――


 いつかラセミスタに、伝えられる日は来るだろうか。

「魔女の日常」終了いたしました!お付き合いありがとうございます。

次は番外編「虹色鶏の独り言」です。全二話となります。

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