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花の栄に  作者: 稲嶺雷華
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憧れを追いかけて

 生まれて初めての一人暮らしということで、家から遥々三時間車に揺られた先の町から、電車で五時間、更にバスで三十分のところのいわゆるど田舎と呼ばれるあたりに私は新居を構えた。といっても家賃二万の古いワンルーム。親の仕送りに頼る貧相な大学生である。

 それでもまだ見ぬ出会いやら経験にワクワクしているし、親にも高校の先生にも言わなかった、この街に来る理由がある。

 入学式の要綱をファイルに収めると、そのファイルの表紙が目に入って頬が緩む。やっとここに来た。

 墨でかかれた桜の花が舞う絵の隅には大好きな花栄の落款。

 見るだけで気合が入る。

 同じ街に憧れの人が居ると思うと、知らない街も素敵な場所に思えるのだ。


「ようし。いくぞ」

 玄関の姿見で着慣れないスーツの襟元を直し、腕時計をちらりとみて、鍵をとって外に出る。

 からりと晴れた空を吹く風はまだ少し冷たいが、日差しが暖かい。


「やっぱり都会だなあ」

 一月前まで通っていた高校のシールが貼られたままのチャリをこぎながら思った。

 一般論としては田舎でも、自分のすんでいた、小学校まで徒歩二時間スクールバスなら四十五分、さらに高校は山の麓の親戚の家に居候をしてそこから通う、そんな山奥の農村に比べればいうまでもなくここは都会だ。

こんなに建物ばかり続いているのだもの。

 町から少しだけ外れて、大学のある山のふもとに差し掛かると、街が途切れて田んぼになっているけど、さっきまでの街に比べると、慎ましく小さな田んぼに、私には見える。稲刈りだって村中の人の手を借りるなどということはないのだろう。小学生も稲わらを縛って担いではこび、ときどき腰の悪いおばあちゃんも担ぐ羽目になるなんてことはここでは。

 ここの人たちにとっては広いのか狭いのかどうなのかわからないけれど。そんな平らな田んぼを横目に道は木々の隙間に登り加減にうねって消えている。


  がくんと山道に入って、ギアを三つ落とした。いや、舗装されていて、乗用車が余裕をもってすれ違える一般道を、山道とは言わない。そもそも生活圏にある道は全部こんな道か、これよりもっと山々した道だった。

 引っ越してきてからのこの数日間で、自分の住んでいたところとの違いに山ほど驚いて、今やもう自分が田舎出身であるということに誇りでも持たなきゃやってられない気分にもなってきた私は思うのだけれど、一般的にはそうでもなくて、電車の駅が町内にない時点でここも田舎といわれるのだということも、この数日でまなんだ。

 きっと私、これからカルチャーショックの衝撃に吹き飛ばされ飛ばされ飛ばされ。着地する余裕なんてないんだろう。


 大学一年生。18歳はまだまだ世間知らずだ。


 さて、割ときれいな道で結ばれた、家から大学までの道のり自転車十五分。気合を入れて前輪の向かう方を睨む。

 今まで通ったどの学校より近い、これから少なくとも四年間、幾百、数千と通るであろう道。

この距離でもまだ遠いなんて言う人もいるらしいけど、自分にとってはあえて気合を入れようとでもしない限り気合が入らない短い道中だ。

 けれどもさすが世に言う田舎、学校の近くにコンビニはもちろん商店もないからしかたないから、大学のとなりにある寮は避けた。コンビニは車で行くものだって、実家では当たり前だったけれど、ここには車を出してくれる家族がいない。それならなにも学校の隣に住まなくても、買い物に行きやすい場所のほうがいい。

自分で見つけたのは、買い物にも通学にもよい距離。自分で見つけた安いけど壁も薄いけどよさげなアパート。


 ようし今日この入学式から私は大学生だ!

  気合十分で自転車のペダルを踏み込んだ。山道に諦めたのか、自転車を押してるスーツの姿がある。同級生になるかもしれないなあと思いながら車道側から追い越す。後ろから軽トラが来たから、隅に寄るとすこし大回りに追い抜いていった。青色で白い屋根の軽が行く。少しごつい赤いバイクが続く。何気なく見やったナンバーが隣の県だったから、もしかしたらバイクの主も他県から来た大学生かもしれない。

 そんなことを考えながら、自分も徒歩の群れを追い抜いて登る。


 漕げ。もっともっと速く……。


 と自分の手足に指示を出しかけていや、スピードを出すのはやめておこうと思い直す。いくら中高生の頃登校に自転車で山道を疾走した経歴があっても、無理をすれば汗をかいてしまう。汗をかいたらこのあとはどうせ涼しい講堂で長い退屈な学長の話とかがあるんだろう。大学生にもなって人生最後の入学式で寝落ちてしまうわけにはいかないのだ。

 ゆっくりと坂を登り、案内に沿って自転車のまま校門をくぐった。桜のまだ咲かない、涼やかな風が気持ちよかった。


  案の定入学式の会場は涼しくてむしろ寒かった。人の多さには閉口したけど、それだけ寒さを軽減してくれると思えば耐えられる。いや、人が多いから暖房の設定温度が低いのかもしれないなと思って、ちょっと気分が落ちる。

 体力が九割残ってる今だって、それでも今より疲れてたら多分寝入っただろうなって。そんな雰囲気のつまらない入学式。

 学生の数が実家のある集落の人口より多いのだ。人当たりしてしまってむしろそっちで体力を削られてしまう。小学校の運動会と言えば全員集合な集落の、敷地だけは無駄に広い校庭に集まった全員をこの席に並べても、半分も埋まらないだろうなあと思ったり。

 会う人全員顔見知りだった集落と違って、こっちはあいにく全員知らない人。警戒心をガンガンに放って、互いに仲間と仲間でない人を探ろうとしてる。

 私はその中に上手に溶け込めない野性動物のようで、知らない千人に囲まれて、かたかたと怯えて尻尾膨らませてうなり声あげてる狐か狸かそんな感じ。

 実力で家を出てやる。意気込んで飛び出してきたこんなに遠い大学の入学式に、わざわざ親は来れない。

 農家は年中無休だ。一泊しなければならないところに出掛けられるはずがない。いや、農業だけが原因なら親が来る方法はあるのだが、そもそも祖父母がこんなところにわざわざ一泊しにくるわけがなくて、だから両親も来ないのだ。

 もちろんそれも狙って志望校をここにしたのだが、いま思えば親が余計な世話を焼きに来ない以外にも、利点があった。もっと都会になんてしてたら今頃人の波に呑まれて溺死してらあ。土左衛門になって浮かぶのはいやだからさあ。でも、もう少し人の少ない大学でもよかったかしら。これでもまだ溺れないでいるのは難しそうだ。でも何よりここは、あの人がいる。


  式が終わって家族写真を撮ろうと賑やかなスーツ姿の横を抜け、勧誘チラシの猛攻を受けたり受け流したりしながら外を歩く。ほしいのはただ一枚、ここでやりたかったこと、美学を扱えそうな会、美術研究会なり美術史研究会なり。最悪西洋史研究会でも良しとしよう。といっていくら人文学部がある大学だからって、そんなマイナーサークルがあるかもわからないし、ここでそんなサークルが堂々と部員勧誘のチラシを配ってるはずがない。だって需要があまりに低すぎる。高校の美術部みたいに絵を描くのとは違うのだ。そういうわけで、目的のチラシも手に入らず、野性動物さながらの警戒心に人も道をあけ、気づけば人混みから脱け出せていた。いい機会だしそのまま私は明後日の授業開始の日から世話になる校舎を一目見てやろうと、貰った地図とにらめっこしながら、それらしい方に向かって歩くことにした。この人混みに慌てる私が、目的地もわからずうろうろ迷って、授業の会場にたどり着けない様が、残念ながら容易に目にうかんでしまった物だから。


 予想外に対して迷いもせず目的の建物にたどり着けたけど、講堂から大分離れたここにはもう、人の姿はまばらで、背後から喧騒が遠く聞こえる。

 しげしげと見上げた校舎は、一年生のためだけの建物なのに、自分のすんでいた村にあるどの建物よりも、役所よりも火の見櫓よりも大きくて、私は思わず。

「でっけーな」

「そうだね。でかいね」

 思わぬ返事に驚いて右を向くと声の主がいた。見たところ男らしい。

 入学式にも関わらず、人気のない辺りにいるから、上級生かと思ったのが、手に下げてる袋は自分もさっきもらった新入生用の冊子が入った大学特製の袋。でも服装はどう見ても白黒にまとまっているとはいえ、明らかに普段着だ。

「明後日から授業、ここでしょう?こうも敷地が広いと、迷いそうで敵わないよ」

  さっき私が、男性と断定しかねたその子供のような高い声で、彼は校舎を見ながら続けた。

「君は?地理には強い方?」

  こちらを向いた目にはカラコンだろう。濃い緑色、一見黒にも見えるほどの、濃い緑が乗っていた。おしゃれな人だ。

「まあ。地図を読むのは得意です」

 実のところ、得意とはいっても、野山に入って山道を歩くための地図だから、ここでどれだけ役に立つかわからないけど。しかし女子らしさからほど遠い真実を、言わなければインテリに見えるだろう。言わない方がいいこともあるのだ。

「勧誘から逃げてきたんですか?」

「うん。入りたいのがあれば、自分でいくし、入る可能性の欠片もない運動系とか、チラシもらってもゴミになっちゃうからね」

  聞くと、そう答えて笑う姿はやっぱり男に見えない。高校までに出会ったどの男たちより。いやそれどころか女子たちよりも落ち着いた思慮深い目をしているし、整った顔は女子じゃなくても振り返るきがする。

「僕は坂上。坂上晴樹。埼玉から来たんだ。君は?」

「会津の向こう側から来た。吉野博です博士のはくの字でヒロ。埼玉から来たなら、ここずいぶん田舎なんでしょう?」

「かなりね。早く原付免許だけでもとらないと、退屈で死んじゃいそうだよ」

  退屈で人が殺せるのか。大いに疑問に思いつつ、それより気になるアレコレがあった。たとえばその服装。それから何でこんな辺鄙なところに来たのか。

「スーツじゃないんですね」

「自転車をこぐにも歩くにも、スーツじゃ大変だろ。色さえ揃えておけば、そう目立つものでもないし、金髪ののままで黒いスーツ着てる人よりは目立ってないと思うよ」

 言われてみればたしかに入学式には田舎から来たであろうすっぴん娘と都会から来たおしゃれさんとそれを通りすぎたケバい人といて、それでもみんな一様にスーツを着用しているから、つまり目が行くのは同じ色の首から下ではなく、光を受けて輝く頭頂部。学長の頭頂部よか遥か目立っていたのである。

「たしかに……。」

「でしょう」


 黒の服の群れの中の黒の頭は、必然その黒の服が周りと多少違っていたって黒である以上黒に紛れる。楠の中に一本樫の木があったって、楠が何本も立ち枯れていれば、枯れていない樫は気にならない。この例えはでも枯れた金髪に悪いかもしれないなあ、まあいいか。

「君は?何でわざわざこの田舎に? さっきの口調からすると実家はもっと田舎みたいだけど、それでもこれじゃあ中途半端じゃないの?」

「中途半端、そう。中途半端ですよね。でもいきなりそんな都会に行っても、人混みで溺死しそうで」

「僕がここで退屈死する感じ? 」

「そう、それです」

  手を打って同意すると、晴樹は大袈裟に笑った。

「面白い言い方だ。人の波とは言うけど、溺死ははじめて聞いた。そうだ!このあと誰かと予定が無いなら、昼飯一緒に食べにいかない? 人混みを避けて町までさ。山をおりることになっちゃうけど……」

「良いですよ。行きましょう」

  渡りに船と言おうか、棚ぼたと言おうか。自分から話しかけて友達を作れるかどうか心配していたところに、この申し出は、断る理由なんて無かった。

「それなら行こう。ああ、どうせ同い年だし、そんな丁寧に話さなくていいよ」

「そうかな。……気を付ける」

「うん」



  二人とも自転車は講堂の辺りに停めてあるからと二人でそっちに向かって行く途中、ふと気がついて春樹が言った。

「そういえばひろ、なにかお店知ってる?ぼくまだこの辺り全然調べてなくて」

「ごめん私も全然。どうしよう」

「じやあ聞いてみるか」

「え?」

 事も無げに春樹は言うと歩きだした。

 宣言通りに人混みから外れたところにいた、勧誘とは関係なさそうな上級生らしき人に声をかける晴樹の後ろに半分体を隠しながら見ると、赤いバイクに乗るところらしくヘルメットをつなぎを着たボブカットの女性だった。

「すみません。ぼくらこれからお昼を食べに行こうと思ったんですけど、何があるのかもわからなくて」

「ふーん」

 じろじろと上からしたまで不快げに見られたような気がして、思わずますます身を縮めたが、晴樹は大したこととも思わないらしい。

「二時からのガイダンスまでに自転車でいってこれるお店ってなにかご存じないでしょうか?」

「うーん、あたしもあんまり外食する訳じゃないからねえ、何とも言いがたいけど、そうだねえ。降りてまっすぐ行った二つ目の信号の右側、北側ね。そこのオムレツか、反対に曲がった辺り、豚カツやさんとか、安くて早いかな。どっちもあまり味まあまあ、値段良し量はまともだよ」

「ありがとうございます。助かります」

「口に合うかわからないけど」

「いえ、ありがとうございます。それじゃあ失礼します」

「行ってらっしゃい」

 ヒラヒラと手を振られて、晴樹も行こうかと歩き始める。

「すごいねえ、さっさと道を尋ねられるなんて」

「感心するほどのことじゃないよ。わからないなら聞けば良いのは確かだろ」

「田舎のものにはそれがなかなか難しいのですよ」

「そうなの?」

「知らない人に会うこと自体少ないから。村民六百人じゃあ」


 肩を竦めて隣を歩く。まるで別の生き物のように見えるのは気のせいじゃない。あまりに生まれ育ちが違う。途中で晴樹が新入生らしい男子に、女連れを茶化された時、それを何でもないことのように受け流した彼と、慌てた自分はやっぱり別の種のようだ。コミュニケーション能力において自分は彼の足元にも及ばないように思われた。

  それでも自転車にのって坂を下る速度はでも自分の方が圧倒的に速くて、これはいけないとブレーキを多用する晴樹に前に出るように言う。

「遅い方が前なの?」

「置いていったことに気がつかないことがある」

「了解。しかし、速いね」

「中高チャリ通だったから。これくらいなら」

「なるほど。そりゃ強いや」

 山を下り田んぼに差し掛かると、晴樹のスピードが更にガタンと落ちた。

「ごめんね遅くて」

「いやいや気にしませんよ。遅いのは確かだけど、時間は十分あるし。私と同じスピードで走られたら、六年間鍛えてこの速度って言う私の立つ瀬がないし」


 それでも少し気にしている春樹に冗談めかして軽く笑い、ゆっくりペダルを踏んだ。

 まるで野性的な、野蛮な人に見えるだろうな。そう思いながら町に差し掛かる一つ目の信号を越える。

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