行間
高校1年生は入学した際に、1年目に専攻する武術の選択をする機会があった。
潤人はそこで“具術”を選択した。
“具術”とは、文字の通り、何らかの道具を使用して戦闘を行う術の事である。
潤人は使う道具に金属バットを選んだ。
理由は単純だが、人に話すのには少し抵抗があった。
というのは、養護施設時代に見ていた戦隊モノのアニメ等で、主人公が赤く燃え上がる炎の剣を使っていたのが記憶の隅に残っており、いざ高校で受講する武術を選ぶ事となった時、その幼少期の憧れがじわじわと蘇り、達成欲が勃発し、いかにも異能チックな炎の剣で活躍してみたくなったという、何とも青クサイ理由だからだ。
とはいえ、それを言うと潤人が選ぶ道具は全て青クサくなってしまう。
(男なら誰だって1度くらい、カッコイイ能力とかヒーローとかに憧れたりするものでしょうよ)
真剣や銃火器の所持は、ある程度の技能成績を獲得した状態での書類申請と面接審査を行い、それに合格しなければならず、成績面については芳しくない潤人は、残念ながら自分専用の剣なるものを持っていなかった。
だから、代わりに金属バットを選んだのだ。
潤人は早速、バットに炎を纏わせるという気想術の修行を始めた。
まずは、想像する“炎”を鮮明にイメージするために、燃え盛る炎の画像を見たり、薪で火を起こして、実際に燃えている様子を肉眼で観察したり、火傷覚悟で炎に一瞬触れたみたりと、様々な案を出して実践してみた。
術を一から会得するうえで最も重要なのは、“鮮明なイメージ”だ。
特に最初の内は、先述したような、誰もが簡単に実践出来て、イメージが定着しやすい手段で修行を行う。
そうしてある程度イメージが固まると、いよいよ“想像し、創造する”という段階に入る。
まず座禅を組み、目を閉じて背筋を伸ばす。次に両の掌を胸の前で合わせ、腹部に力を込めて、全身を巡る血流、体温に意識を集中する。ここから徐々に身体が熱を帯び始め、体表を熱気が覆い始める。これが、“気想が練られ、体内を巡り、体表に滲み出た状態”である。
腹部の力は抜かないまま、合わせていた掌を離し、目を開けて金属バットを掴み、掌からバットへ向けて、練り上げた気想を流し込む。そうしてバットが自分の体温と同じ程度の熱を帯びてきたら、もう一度目を閉じ、頭に焼き付けた炎のイメージを『想像』し、バットへ流し込む。これが成功して『創造』されれば、バットの先に炎が宿るのだ。
この一連の動作は、気想術を会得するにあたっての基礎中の基礎。
誰もがまずはこの座禅による『想像と創造』から入り、徐々に崩れた構えや応用技を磨き、座禅を組まずとも、特定の所作のみで術の発動を可能としていくわけである。
勿論、術によって、精巧度や相性に個人差はある。それを補うために、皆ひたすら修行に励むのだ。
潤人は、武術の授業は勿論、バットで素振りをしたり、筋力トレーニングしたりといった自主的な修行にも真剣に取り組んだ。
ところが、ここまでやっても、実際にバットに炎を纏わせるという気想術を会得するには至らなかった。
クラスの仲間が着々と己の術に磨きをかけていく中、潤人1人が、何の術も会得できずに居た。
バットという武器そのものが自分に合わないのだろうか。では別の武術に変えてみるか。
炎を纏うという術自体が、自分に合わないのだろうか。では別のものに変えてみようか。
傍から見れば試行錯誤だが、適応は出来ていなかった。
そうする内に潤人は、自分にはやはりバットがいいと思った。
何の根拠も無かったが、何故かバットがしっくりハマる気がしたのだ。
だから、一先ずは気想術抜きで、純粋にバットを使った剣術を磨こうという考えに至った。
潤人は高校2年の春、走り込みで島の南の海岸まで下り、そこの砂浜で一休みがてら、相棒の金属バットで素振りをしていた際に、生徒会長のレイラに出会ったことがある。
面と向かって話すのは、それが初めてだった。彼女も潤人と同じく、走り込みで南下してきたとの事で、素振りに励む潤人を見て、気さくに話しかけてきたのだった。
「こんにちは。2年生の子ですか?」
体操着姿の潤人を見たレイラは、そう尋ねてきた。
体操着は、学年ごとに色が違うのだ。
「は、はい。どうも」
高校の生徒会長は別名『四天王』と呼ばれ、各校一の実力者として見上げられる存在だ。
故に、4人の生徒会長は校内どころか島中にその名と顔を轟かせていて、2年生の潤人でも、彼女が東高の生徒会長であると識別するのに時間は掛からなかった。
まさか南の海岸で彼女に出会うとは思いもしていなかった潤人は、初めての会話であるという事も相成って、思わず気を付けをしてぺこりとお辞儀をした。
「そう固くならずに、楽にして下さいな。貴方は――――寿君で、宜しいですか?」
「そ、そうです! よくご存知ですね――――?」
レイラは何故か、潤人の名を知っていた。
「……生徒会長は学校のいろいろな事を知っているのですよ」
と、レイラは優しく包み込むような笑顔を見せた。
1つ上のお姉さんだが、その笑顔には無垢な幼さが残っているようで、なんだか可愛らしい印象を受けた。
「ここで鍛錬しているのですか?」
「え? あ、今日はたまたまここまで来ただけで、普段は東の方で走ったりしてます」
今度は潤人が質問され、思考をその返答へと割いた。
「そうなのですね。なかなか良い素振りでしたよ? 普段から鍛えてるというのが、見ててわかります」
「――――ありがとうございます」
「どうしたのですか? 急に暗い顔して――――?」
「え?」
「今、貴方の顔に思いきり影が差していましたよ?」
「……」
潤人はまさに今、内心で、
(素振りや簡単な剣技は出来ても、術を何一つ発動出来ないのでは、この先留年の可能性極大なんですよね)
と、鬱屈になっていた。どうやらそれが顔に出ていたらしく、レイラはそれを心配してくれたのだろう。
「何でもありません」
とだけ、返した。学校では遠い存在のレイラに、自分が抱えるどうしようもない闇の事を話しても、彼女に負の感情を抱かせてしまうだけだからだ。 というより、既に今の時点で“心配”を抱かせてしまっている。
「なら、良いのですが――――」
必死に頬を吊り上げ、笑顔を作る潤人を見つめて、レイラは一瞬、遠い目をした――――ような気がした。
「専攻は、剣術ですか?」
「はい。そうです」
レイラの質問に乗じて話題を逸らそうと試みる潤人。
「もし宜しければ、私の剣と、少し手合わせしてみませんか?」
「えっ!?」
潤人は予想外の展開に戸惑った。
レイラ・アルベンハイムと言えば、文武両道で、東校では屈指の剣士で有名な人物だ。接近戦における1対1を好み、稽古場は専ら道場や山の中だという。体操着から覗く、筋肉で細く引き締められた身体が何よりの証拠だ。そして彼女は生徒会長に選出されるほどの名声もあり、機転も利く。そんな模範みたいな人が、小物に過ぎない自分と手合わせするなど、恐れ多いにもほどがある。
「あまり、気が乗りませんか?」
手入れの行き届いたピンクの長髪を潮風にサラサラと靡かせながら、小首を傾げるレイラ。
「いえ、そんな事ないです! こ、光栄です! 嬉しいです!」
彼女の姿に思わず見入ってしまっていた潤人は、思い出したように返事をした。
レイラは右手を真横に翳し、一本の木刀を“召喚”して、
「これは安全面に配慮した競技用の木刀で、切っ先も丸く出来ていますから、恐がらなくていいですよ?」
再び無垢な笑顔を見せたまま背筋を伸ばし、フェンシングのそれのように、木刀を縦に起こし、肘を折り、木刀を握る拳を胸の前に添え、構えを完了した。型が完璧に、身体に染み付いているかのような、特に意図の無い自然な動きだった。それにも拘らず、今の一瞬で、彼女の全方位に見えない壁が築かれたかと思うほどに、隙が無い。
生徒会長が直々に手合わせをしてくれて、きっとアドバイスももらえる。
こんなチャンス、滅多に無い。いや、二度と無いかもしれない。
武者震いが止まらない潤人は深く息を吐き、金属バットを正面に構えた。
(俺にも“チャンス”ってあったんだな! よし、やってやるぞ!)
15分後。
「あ、ありがとう、ございます……」
潤人は砂浜に背中から大の字に倒れこんでいた。わかってはいた。
汗だくの潤人を、レイラは息1つ切らさずに見下ろしながら、
「基本的な型はある程度形になっていますし、筋も悪くないです。ただ、剣を振るうときに、どうしても腕力に頼っている部分がありますね。男の子特有の癖です。消耗が激しいのはそのせいでしょう」
レイラは激しい打ち合いの中で同時並行で進めていた分析結果を教えつつ、木刀を“送還”で消した。代わりに、白いタオルとペットボトルを召喚すると、それを潤人に手渡した。
「使っていいですよ?」
「っ!?」
女の子からタオルと飲み物をもらった。
眩むような良い香りを纏うタオル。
どうやら開封済みらしいペットボトル。
「ど、どうも――――!」
中身はスポーツ飲料なのか、カルピスなのか、若干白く濁っている。
上平辺りが今の状況を知ったら、
『レイラ会長の手渡しタオルと開封済みの意味深ドリンクですとぉぉ!? おのれ潤人氏! 童貞同盟を結んだ僕を差し置いて、一足先に女の子と、かかか、関節キキキッスなんかしちゃうのぉ!? う、う裏山けしからん!! 僕も会長から直々にドリンク注いでもらってタオルをクンカクンカしたいおぉぉぉ!!』
遠藤が今の状況を知ったら、
『よし、潤人、修行に付き合え。お前、サンドバックの役な?』
クラスの男子どもが今の状況を知ったら、
『これより、寿潤人の異端審問会を開廷する。諸君らに、裏切り者の判決を問う』
『クラスの男1人につき百叩きだ!』
『打ち首! 獄門!』
『待て、そいつはさすがにやり過ぎだ。ここは俺の術を使って火あぶりにするくらいが妥当だろう』
といった具合に発狂するに違いない。
(あいつらの事だ。俺、絶対に生かされない……!!)
恋愛に関しては超絶鈍感で疎い潤人でさえ、心拍数が跳ね上がっているくらいだ。
太刀に対するせっかくのアドバイスが、潤人の脳内からどこかへ行ってしまった。
レイラは、そういう事はあまり気に留めないのか、鈍感なのか、何食わぬ顔で、
「武器には、深みがあると思いませんか?」
と、半ばつぶやくように言った。
「――――深み、ですか?」
潤人は我に返って、そう聞き返した。
「はい。例えば剣です。初めは鞘の中に居て、抜き放たれて、戦って、終わったら、また元の鞘に戻る。まるで起承転結。物語みたいじゃないですか。人の心と同じように、人から生まれて、時間に葬られて、いずれまた、生まれ変わる」
レイラは自分の手のひらに視線を落とす。
「――――武器にも、私たちの言葉でいうところの、心があると思うんです。寿君の手を見てわかったのですけど、貴方の手にはバットを握って出来るマメと、槍を握って出来るマメの、両方の跡がありました。でも貴方はバットを使っています。それは悩んで選んだという証です。そうして真剣に選んだ貴方の武器は、きっとそれに答えてくれます。だから、自分で決めた武器を、大事にしてあげて下さい。その志が重要だと思うんです」
(レイラ会長は、ここでのやりとりで、きっと俺の迷いを見抜いて、共に考えてくれているんだな)
ゆっくりと立ち上がる潤人は、自分の右手を見つめ、そう思った。
「志が出来れば、気想術を発動するための想像にも役立つはずです」
「志か。良い言葉ですね」
「寿君も、そう思いますか? 私は志という文字、結構気に入っています。武士の士に、心って書きますよね? この文字に込められた想いみたいなものって、今私が話したような事じゃないかって、思うんです」
潤人はこれまでの自分を振り返ってみた。
“志”は、抱いていただろうか。
「悩んで、悩み抜く寿君の心は、きっと強くなります。今は辛いかもしれませんが、負けてはいけません。いずれまた相手をして差し上げますから、精進を続けて下さい」
“例え辛くても、手合わせで負けても、心では負けるな”。
この時の潤人には、彼女がそう言ってくれたのだと思えた。