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終章・騎士影

(――――結論から言うとだな)

『……』 

(オレは一命を取りとめたらしい)

 東の水平線から昇った太陽が、その丸い姿を南の空へと持ち上げ始めた頃――――三沢山の東にひっそりと建つ三沢神社の境内にて、腹部を包帯でグルグル巻きにされたアズロットは冷や汗にまみれていた。 

 状況――――ドッチラケ。

(ウルトを前にしても尚、『幸福粒子(エフティフィア)』が働いてくれたって事だろう。起こるもんだな! 奇跡!)

『……』

(ウルトのやつも、無事に力をコントロール出来たし、これで一件落着。晴れてオレ達は自由の身ってわけだ!)

 アズロットが背もたれにして座る木から、蝉が小便を撒き散らしながら飛び退った。

(――――あの、リュウさん? もし?)

『……』

(もしもし? リュウちゃーーん)

『……がるる』

 アズロットの脳内に、幼い少女の巻き舌風な唸り声がする。

(オレ、どうしたらいい?)

『……ケッッッッ!!』

(おおぅ、超怒ってやがるな。ちっちゃい“ツ”何個入ってんだよ?)

 幼女の吐き捨てるような声にたじたじのアズロットは、どうにかしてご機嫌を戻せないかと思考をフル回転させる。

(――――思わせぶりなことを言ってごめんなさい)

『アズロットなんか蝉のおしっこにびっくりして逃げようとして木の幹に蹴躓(けつまず)いて地面の石ころに頭打ち付けて頭蓋粉砕(ずがいふんさい)爆砕玉砕(ばくさいぎょくさい)骨折して死んじゃえ!!』

(よく噛まずに言えたな。ていうか骨折の範疇なのかそれ――――?)

『ローズに呪い殺されて死んじゃえ!』

 重複。

(悪かったよ。お詫びに今度、オレがうまい肉でも食って、味覚共有でお前にも味わわせてやるから)

『ほんとぉ!? じゃぁ許してあげるぅ!』

 アズロットへの心配よりも、おいしい食べ物。

(今、一瞬にして凄く悲しい気分になったのは何でだ?)

『……心配させた罰なんだから。約束なんだからね?』

(はい)

『……ばか』

(――――)

 リュウの声は、どこか少しだけ震えている気がしたアズロットだったが、敢えて見ることはせず、開けた広場から見渡せる青藍の海を眺めた。


「――――具合はどう?」


 社の裏手から、頭に“すげ笠”を被った巫女姿の少女が歩いてきた。

 万炎(ばんび)だ。

「問題ないぜ。お前には、二度も助けられちまったな」

 と、アズロットは平常を装って返す。

 実を言うと、未だに内側の痛みは鈍く残っていた。

“滅びの力”には、単純に物質を滅ぼす力の他に、“呪い”なども存在する。

 アズロットが当初より危惧していた、“3度目の呪い”である可能性は、現時点では否定出来ない。

 とはいえ、アズロットが呪いに侵されたと仮定するにしては、周囲は『幸福粒子』に包まれているし、傷の回復具合も良い方だ。

「怪我人を手当てするのは医療術師(メディカラー)の役目だから、ノー問題」

 やや大きめらしい巫女装束の袖から白い指先を覗かせて、万歳のようなポーズを取る万炎。

“気にしないでいいよ~”という表現だろうか。 

「今はちょっと無理だが、いずれお礼をさせてくれ。傭兵は金で動く職業だが、こうして人から施しを受けた時は、報酬は関係なしに、恩返しをするものなのさ」

 自身に丁寧に巻かれた包帯を指差して、アズロットは恩返しを約束する。

 寿潤人との一戦でアズロットが負った傷は、万炎が丸一日を費やして治癒させたのだ。

 小さな身体で、あの『魔人』から受けた傷のほとんどを癒すとは大した力だ、とアズロットは感心している。

 今日は7月2日。

 7月1日の朝、新大島東高校の屋上からここへと運ばれたアズロットは、社内に万炎が(こしら)えた小さな神殿に横たえられ、今朝までずっと眠っていた。 

 アズロットは屋上での死闘で、常人であれば即死するレベルの傷を負い、1度意識を失った。

 力を出し切ったであろう寿潤人も、そのすぐ後に倒れたらしく、『竜人』と『魔人』は、互いがそれぞれのその後を、治療が済んで目を覚ますまではわからず仕舞いだったというわけである。

 アズロットが目覚める少し前に、寿潤人は無事に意識を取り戻したとのことだ。 

「潤人の事が心配?」

 アズロットと寿潤人の決闘について、レイラから話を聞いたらしい万炎が、遠い目をしていた『竜人』の顔を覘き込んだ。

(あの小僧――――)

 ウルトは、恐れと不安に満ちた普段の表情の中で、時折、真剣な眼差しをちらつかせていた。その“ちらつき”を、アズロットは見込んだ。この先、伸びる可能性があると感じたのだ。

 どうにかして、ウルトを“処分”から免れさせたい、とも思った。

 だからこそ、敢えて殺す気で戦った。

 心を獰猛な竜にした。

 死に直面した人間は、裸眼で自分自身と向き合い、また、周囲を見ることが出来る。その極限の状況下にウルトを追い込み、真価を試したのだ。

 とはいえ、屋上での太刀は大きな賭けだった事は否めない。

 あの時、あの少年が全てを諦めてしまえば、そこで事切れて終わっていただろう。

 彼のためとはいえ、危ない橋を渡らせたのはアズロットだ。

「まぁな。必要だったとはいえ、オレはアイツを随分と痛めつけちまったからな。それに、アイツはまだ若い。今回の“試験”に受かったとはいえ、今後の試練に耐えられるかどうかを考えると、ちょいと心配だ。レイラの嬢ちゃん達がまた変な気を起こさないかどうかは、もっと心配だがな――――?」

 満更でもない顔つきで、アズロットは答える。

 心配でないはずがなかった。


『――――その心配は無い――――』


 その時。

 何の前触れも無く、突如としてアズロットの脳内に響いた、第三者からの『念話』

「!?」

 先ほどまでは、万炎の存在しか感じていなかったアズロットは、その『念話』で、存在がもう1人分増えている事に気付き、視線を周囲に投げかける。

 そして、捉えた。

 向かって右斜め前方。

 境内の入り口。

 その鳥居の上。

 そこに、1つの影があった。

 しゃがみ込み、右手を刀印として胸の前に添え、微動だにせず、アズロットを見下ろしている。

 ダメージ柄を施したネイビーのジーンズに、ロールアップさせた黒いシャツという姿は、街を歩けばいくらでも居そうな青年を思わせるが、明らかに異質な点があり、それがその人物を“一般人”の括りから逸脱させていた。

 若く見える顔には、鼻から下を覆う、光沢の薄れた銀の面頬(めんぼお)を着け、その背には2本の短槍(たんそう)を束ねて斜め掛けに背負っている。

“一般人”では、少なくとも面頬と短槍は持ち合わせない。

 首に巻かれた、マフラーを思わせる織布(しょくふ)は目測1メートルほどの長さを有して鳥居の裏へ垂れ下がり、時に煙の糸のように靡いている。

 筋張った上腕には、手の甲から前腕にかけてを覆う色あせた銀の籠手を装着しており、それら金属製の装備品のみで見れば、中世における戦の備えであると言えるが、銃火器が主流の現代で通用するとはとても思えない装いだ。

「――――!!」

 木にもたれていた上体を咄嗟に起こすアズロットは数瞬、息が詰まった。

 アズロットが驚愕と警戒心で息を詰まらせるには十分なものを、その“影”は備えていたのだ。

“影”が放つ気想を、アズロットは知っていた(、、、、、)

 アズロットの記憶に介入していた存在。

 南極の監獄で感じた気想――――その持ち主が今、鳥居の上に居る。

 鼻をすすっていたリュウも驚愕に黙して、2人の対話に意識を向けているようだ。

『――――寿潤人を処分する考えなど、組織には端から存在しないからだ』

 と、“影”は、レイラが述べた組織の見解とは違う事を、アズロットに告げた。

 今の話の内容は勿論だが、アズロットは“影”が放つ独特な“声”に眉を顰めた。

 元は若い青年の声に、何者かの低く野太い声を被せ、同時に発音することで、声質による人物特定を阻害しているかのようであり、且つ、まるでパイプの中を通したような反響を含んだ声だ。 

『アンタに会うのは二度目だな』

『お前、誰だ?』

 内部がまだ傷む中、丹田に力を込めた(、、、、、、、、)アズロットは、決して“影”から目を逸らさずに、『念話』で問う。

『一先ず、騎士影(ナイトシェイド)と名乗っておく。一応、この組織全体の指揮を取る立場にある者だ』

『からかってやがるのか? オレは名前(、、)を聞いてる』

『偽名を名乗るのは、それが必要な事だからだ。俺は今、どこにも居ない(、、、、、、、)事になってるからな』 

『……どこにも居ない? どういう意味だ?』 

『悪いが、その質問に対する答えも伏せさせてもらう。結界で護られた島の中でも、こうして“念話”でコミュニケーションを取ってはいるが、この“念話”ですら、盗み聞きされている可能性があるんだ』

 レイラも同じように盗聴を警戒して、南極の牢獄(ストロングホールド)での肉声による会話は望んでいなかったが、この男は、どこであってもその警戒心を解かないらしい。

『盗み聞きされる? お前みたいな、人の記憶を覗いていじくり回す野郎にか?』

『やはり、俺の気想(ソウル)に気付いていたか。さすがは天下の“代行者”だな』

 騎士影(ナイトシェイド)は然程驚いた様子も、悪びれる様子も無く、淡々と話す。

『人の記憶を操作するのは楽じゃない。俺の場合、寿命が縮む(、、、、、)というリスクもある』

『話の腰を折るのはやめろ。オレはお前に聞きたいことも、言いたいことも山ほどあるんだ』

 未だに心身が張り詰めたままのアズロットは、自分自身の、らしくもない動揺ぶりに憤りを覚えた。

『俺はアンタ()に礼を言うために、こうして出て来ただけだ。何も警戒する事は無い』

(――――)

 アズロットの脳は、その言葉を一字一句正確に理解した。

オレと万炎に(、、、、、、)か?』

 敢えて(、、、)、そう尋ねる。

『いや――――アンタと、アンタの聖霊(アンジェ)に』

 そう言いつつ、騎士影は鳥居の上でゆっくりと立ち上がる。

 背丈は高めで、腰骨の位置も高い。引き締まったスタイルの身体は、しかし細身ながらも鍛え込まれており、胸板等は内側から僅かながら服を押し上げるように盛り上がっている。

『――――お前、オレ()が何者か、わかるのか?』

『ああ。視えてる(、、、、)。そのコスプレ姿の子が』

『――――がるる』

“コスプレ”と聞いてリュウは唸るが、アズロットが一瞬目を遣ると、木に隠れるようにして縮こまっているのが見えた。

 怯えているのだ。

 気圧されているのだ。

 神の力である『聖霊(アンジェ)』が、“騎士影”という1人の人間(、、)に。

『みえる、だと?』

 今、騎士影は確かに言った。

“視える”と。

 現に、リュウの出で立ちを言ってみせた。

『そうだ。アンタなら、俺の気想の揺らめき(、、、、)を感じれば、嘘を言っているのではないことくらい、簡単にわかるだろう?』 

「ッ!?」

 アズロットはまたも息を呑んだ。

 騎士影がそう発言した次の瞬間、彼は鳥居ではなく、木陰に座るアズロットの正面5メートルの位置に立っていたのだ。

 瞬きをした瞬間、まるで視野が捉える映像が切り替わりでもしたかのように、そこに居たはずの影がそこに無く、別の場所に、(あたか)も初めから居たかのように移動していた。

 ――――どうやったのか。

 恐らくは現代世界で最も古き人間であろうアズロットにもわからない(スキル)が、たった今使われた。

『そう驚く事でもない。アンタは今まで、自ら招いた(、、、、、)不条理の監獄(、、、、、、)に囚われていたせいで、見聞き出来ていないだけだ。今の(、、)世界を探せば、今のような術を持った人間は他にも居る。今はむしろ、1000年以上を過ごしてきたアンタの方が、よっぽど珍しい』

 心を読んでいるらしい騎士影が近くへ来て初めて、アズロットは間近でその“眼”を見た。

「――――!?」

 そして、得体の知れない脅威に慄く。

 群を抜いて強く備わった“野生の本能”が、敵なのか味方なのかもまだ不明な存在を前にして、早くも警鐘を鳴らしているのだ。

 

 その男は、『6人の代行者(パワー・シックス)』ではない。

 

 ――――しかし。


 ただの(、、、)人間でもない(、、、、、、)、と。


(くそ! 何なんだ!?)

“『代行者(パワー)』に宿った『聖霊(アンジェ)』は、『代行者』にしか察知出来ない”という、遠い過去から語り継がれてきた伝承が、今この場所で覆された衝撃ですら、その“眼”の前では、どうでもいい事のように思えてくる。

 騎士影(ナイトシェイド)が持つ“眼”に見据えられたアズロットは、まるで金縛りにあったかのように、動けずに居た。

 それは、全てを見抜いているかのような、(あお)い双眸。 

 何かの印を結んだわけでもなく、“代行者(パワー)”の能力を備えていて、それを覚醒させたわけでもない。にも拘らず、その瞳は、絶えることなく、蒼い光を帯び続けている。

 淡く、発光しているのだ。1度目を合わせれば最後、山を挟もうと、海を越えようと、その視線から逃れることは敵わない、と尻込みさせるかのような、差し迫る捕縛感を放ちながら。

 例え闇の(とばり)が辺りを包んでも、あの“蒼”だけは、それを寄せ付けないだろう。

(――――あの“眼”)

 奇異な眼光を秘めた騎士影の双眸は、時折瞬きを挟みつつも、未だアズロットへと注がれている。

「――――」

 アズロットには1つだけ、わかる事があった。

 あれは――――、

 あの目つき(、、、)は、耐え難い苦しみを経験し、世界の“闇”を知った人間のそれだ。

 良く言えば、分別らしい雰囲気が付いている。

 だが、形の良い眉はどこか物憂げで、ほんの僅かに寄せられていた。

 10世紀以上前に『魔人』と化し、命を落とした“愛する友”の表情と印象は似ている。

 人生の知識と経験を積んだ反面、所労と悲しみに打ちひしがれ、凛として澄んだ瞳へ陰りが差したような、微笑みを失った表情。

 いや、もしかすると、アズロットの表情も、監獄に居た頃は同じだったかもしれない。

 そんな曇りの表情が、“騎士影”という男の毅然とした態度に、暗然(あんぜん)という名の矛盾を重ねていた。

 

“自ら招いた、不条理の監獄”。


 騎士影がアズロットに対してそのような表現をしたなら、歴史の闇に葬られたアズロットの過去を知っているという事だ。レイラの言っていた、かつての『最暗部(リバースサイド)』に精通する人物と見ていいだろう。

 騎士影は、徐に万炎へとその“眼”を向けた。

「万炎! こっちへ来い!」

 騎士影の一挙一動に、敏感に反応するアズロットは思わずそう叫んだ。

『――――万炎(ばんび)、済まなかったな。咲菜美由梨の件を任せきりにして』

『大丈夫だよ。あなたの読み通り、わたしの“呪符”が上手い具合に効いて、寺之城君を足止め出来た』


 アズロットに呼ばれた万炎は逃げるどころか、騎士影と親しげに会話を始めた。

(ッ!? どういうことだ?)


『恩に着る。あれが無ければ、ちゃんとした“実験”にならなかった所だ。アズロットの方は、もうよくなったのか?』

『潤人から受けた傷の呪いがかなり酷くて、時間が掛かっちゃったけど、どうにか大丈夫。完治にはもうしばらく掛かるけど、命に別状なし』

『万炎の方は?』

『わたしは疲れちゃったから、また何日か横になって休まないと』 

『それなら、レイラに()を用意させよう。その方が早いだろう?』

『ありがと』


「――――仲良くお話中のところ悪いんだが」

 万炎も、今回の組織の計画に関与していたのか、真意を知りたいアズロットは、肉声で割って入った。

 だが、肉声による会話の試みは騎士影には好ましくないらしく、

念話(、、)だ、アズロット』

 と、左手の人差し指を面頬の前に添え、静かに諭す。

安全のためだ(、、、、、)。頼む』

『……万炎。お前も、計画の一員だったのか?』

 騎士影を睨んでから、渋々『念話』を再開するアズロット。

 会話からして、万炎は寿潤人の『魔人』についても、何らかの知識を持っていると見える。

『うん。黙っててごめんね? 全部終わるまでは、ごくひ(、、、)だったから』

 すんなりと認めた万炎の表情に、どこかもの悲しげな陰りが差した。

『お前らが知っている真実を、全部話してもらおうか?』

『そのつもりだ』

 アズロットのその要求には、騎士影が応じた。


『今回の計画の顛末は、今から約15年前に遡る。あの頃はまだ、“I・S・S・O”という世界規模の組織は無く、各国が各々(おのおの)の目的で、秘密裏に匿って利用してきた術師(スキラー)の集団があるだけだった。アンタの記憶にも仕込んだ(、、、、)から違和感は無いだろうが、アンタ達の時代では“気想術師(ソウルスキラー)”と呼ばれていた存在は、気想術そのものが1度廃れた近代社会では、縮めて術師(スキラー)と呼称するのが一般的になってる。一応、15年前も世界中の術師を合わせれば、その生き残りは700を数えたはずだが、アンタ達の時代からすれば絶滅危惧も同然だった。時間と一緒に移り変わる世界で生きなければならない俺たちは、生き残るために“気想術(ソウルスキル)”を売った。国に言われるがまま、政治や世界情勢に関わる裏の仕事(、、、、)(こな)して、生かされていた。そんな時、1人の未熟者が任務で失敗を重ねて、自分自身と世の中への不満を募らせ、ついには仕事を投げ出して、一族からも勘当を受け、独りになった。そいつはその後、違った視点で物事を見るようになった。その行動が最終的には、世界に隠れた“真実”に辿り着くことになるんだが、それは同時に、“新たな敵”が現われる余興でもあった――――』

 微風に首元の織布を靡かせながら、騎士影は語る。

『未熟者は最初、独りになって現実から目を背けていた。その行為が、そいつと関わりのある人物、物、街、あらゆるモノが攻撃を受けて、甚大な被害を被る事に繋がってしまった。謎の術師(スキラー)からの攻撃に始まり、日本国内――――その“裏側”で内戦が起こった。恐らく、世界大戦後初めての、術師同士の殺し合いだ。一ヶ月もしない内に、大勢の仲間を失った。“あの日”に戦力として日本に残っていた術師は、両の手で数えるほどしか居なかったくらいだ――――』


 アズロットは口を挟まず、一言一句逃すまいと聞き入った。

“あの日”――――2014年、12月31日。

『魔人』の暴走によって、当時の東京――――その東部が消滅した。

 死者・行方不明者、延べ1000万人。

 騎士影はこの時、事態の鎮圧に臨んだ“精鋭部隊”の生存者であった。

 激闘の果てに、『魔人』を主の身体へ封印した騎士影達は、宿主である寿潤人の処遇を決議し、組織が全責任を負って()の少年の成長を監視する事になったのが、今回この新大島で実行された“計画”の起源。

 騎士影達がその場で寿潤人を抹殺しなかった理由には、『魔人』を彼の中に封じた際に判明した、寿潤人が本来秘めていた気想が深く関わる。

 それが、『究極気想(ウルトラソウル)』。

 不幸と幸福、どちらの影響も全く受け付けない、前代未聞の“絶対的な精神力”である。

 神でもない人間には成しえない、“揺ぎない心”を、寿潤人は備えていたのだ。

 その能力を元に、この頃から『魔人』を制御下に置くという試みが考案された。

 ところが、“絶対的”であるはずの宿主の心――――即ち人格は、年を重ねる毎に衰退していき、いつ再び“暴走”するかもわからない、危険な状態へと堕ちていった。

 寿潤人は神ではなく人間だ。“絶対的”で居られるのにも、限界もしくは限定的条件があると推測した騎士影は、計画の流れを『悪の事象』からどうにか『善の事象』の方へシフトさせるべく、世界を飛び回り、手段、人物、道具等、状況の改善に役立ちそうな“全て”を探した(、、、)

 そんな中、“新たな可能性”が現われた。  

 それが今から1年前、ウィンザー城において、城壁から転落するという事故で『霊人(スピリット)』となった、リル・オブ・シャーロット・レスターであった。

 リルは『霊人』となった事で、新たな気想術を覚醒させていた。

 騎士影ナイトシェイドは、その日(、、、)偶然(、、)リルを発見。数日間、彼女を観察したことで、リルが発現した気想術(ソウルスキル)を知った騎士影は、英国女王を含めた組織の上層部にその事実を明かし、リルの(スキル)を『魔人』である寿潤人に施し、力を完全に制御させる計画を立てた。

 リルの気想術は、これもまた寿潤人と同様に、騎士影がこれまで見聞きした事が無く、組織が保有する世界の“闇の歴史”にも該当する記述が無い、全く新しいものであった。

 それは、“憑依した際、宿主にもともと備わる力を、最大限に引き出させる”という能力。

 リルの力を『その手で開け(マインド・キー)』と名付けた女王は、愛する娘がそれで少しでも報われるならと、リルの保護を『I・S・S・O』に託した。

 女王は、リルに芽生え、彼女を苦しめる“トラウマ”に気付いていた。

 世の厳しさを知る女王は、リルから敢えて少し距離を置き、彼女が自分自身の力で解決策を探し出す事を望んでいたが、その矢先に“事故”が起こってしまい、望んだ結果は叶わず(、、、、、、、、、)、裏切られてしまった。その時、女王は世の理不尽さを心底憎んだに違いない。

 だからこそ、『その手で開け』という名を付けたのだ。

 女王の強い支援もあり、騎士影は、“リルの術による補正を受けた寿潤人を極限の精神状況下に追い込み、魔人と宿主の精神を戦わせる事でその是非を問う”という旨の計画を実行に移すと決意した。

 数日後に計画されていた“遠征学習”の行き先をウィンザー城とし、そこでリルを潤人に憑依させ、しかし飽く迄内密に、1年間様子を見た。

 その間に“試験役”として、敵を探し出し、用意した。レイラに傭兵として雇わせる形で。

 この“敵”という配役に選ばれたのが、アズロット・アールマティだったというわけである。


『魔人には――――彼女(、、)には会ったか?』

 と、騎士影が聞いてきた。

 それが『ローズ』の事であると察したアズロットは、

『お前になら、あの“魔人”も見えるのか?』

 と、聞き返す。

『――――15年前の東京で、俺は泣き崩れる彼女を見た。そこで彼女に言われたんだ。“寿潤人に罪は無い”とな。当初は俺も、“魔人”を滅ぼすつもりでいたんだが、彼女の本質を知ってすぐ、考えを改めた。だから、俺は仲間達に保護を訴えたんだ』

 アズロットには、そう語る騎士影の表情が、一瞬、ほんの僅かだが、穏やかになったように見えた。

 視線を遠くに置いた騎士影は、こう言った。

『その頃から、俺のこの“眼”も捨てたものじゃないって、思えるようになったよ』

 と、半ば物思いに浸るように。

『ウルトは、一体何者なんだ? この島に来る前は、どこで何をしていたんだ?』

 この島は『惨劇』などで肉親を失った孤児たちが大勢暮らすと聞いていたが、潤人の場合はどうなのか。

『済まないが、寿潤人の出生については、今は答えられない』

『それも、“安全のため”なのか?』

『そういう事にして欲しい。ただ、これは言える。あの子は、恐らく人類で初めて、“聖霊(アンジェ)”と“霊人スピリット”を宿した人間だ。我々の前例には無い、未知の可能性を持っている。未知という不確定要素は、敵にも味方にも、どうすることも出来ない存在で、その傾き次第では、今後の戦局を大きく左右するかもしれない。トランプで言えば、ジョーカーみたいなものだと考えてくれ。その真意はあの子にとって、過酷極まりないが……』

“ジョーカー”は時に“大凶”のような扱いで擦り合い、時に切り札として扱われる。

 寿潤人は善くも悪くも、特別な存在なのだと騎士影は答えた。

『リルの“その手で開け(マインドキー)”って能力の発動に必要なきっかけはあるのか? ウルトの底力を出させるって話だったが』

『飽く迄、観察から導き出した推論だが、リルの能力は潤人に憑依し、一定量の気想を注ぎ込むことで発動するが、その所作として、潤人とキスをする必要があると見ている』

『ええッ!?』

『――――キスだと?』

 リュウは何故か顔を赤らめてうろたえ、アズロットは予想外の所作に眉を顰める。

 本気を出すため、戦の都度キスをするなど、相手に先制攻撃の隙を与えているようなものだからだ。

 騎士道を志したアズロットの友人が聞いたなら、間違いなく外道と罵っただろう。

『憑依してから1年もの間、寿潤人にそれらしい変化は全く見られなかったのが、学校の屋上での戦でリルとキスしてからは、覚醒までがあっという間だったんだよ。確証はまだ得られていないから、引き続き行う研究で少しずつ解明していくつもりでいる』

 騎士影の推測の通りであるなら、“寿潤人は戦う前にキスをしなければ強くならない”、という事になる。

 なんと命知らずで、難儀な所作であろうか。

『き、キスをするって所作は、リュウちゃんたちの“契約”と同じだね。毎回しなきゃいけないのは大変……でも、リュウちゃんたち代行者も、き、キスすると、その時だけパワーアップできちゃったりするのかな?』

 疑問を口にしながら、チラチラと視線を向けてくるリュウを尻目に、

『――――難儀な野郎だな。ウルト』

 と、同情の念を送ったアズロットは騎士影に目を向ける。

代行者(パワー)』の場合、聖霊と宿主の双方が同意の下、キスを交わすことで契約が成立するのだが、さすがに力を使う毎にそれをやりはしない。

『“魔人”の不幸粒子が働いちまってるんじゃないのか? もし引き金になる所作を変えられるなら、今後の命のためにも、変えることを強く勧める』

『確かに、キスしなきゃ本気で戦えないヒーローの話は聞いた事が無いが、感情が深く関わる気想術は、術者のイメージ1つでがらりと効力が変わる事もある。安易な変更は、それはそれで危険を伴うから、慎重に進めるよ』

 何故能力発動の引き金がキスなのか。原因がわからない場合、こればかりはそのままの所作で行く他無いと騎士影は言った。

『――――いろいろ苦労もあったが、アンタ達の協力のおかげで、“計画”は1人の犠牲者も出す事なく、無事に成功した。感謝している。“I・S・S・O”の指揮官として、お礼を言わせてくれ。約束どおり、アンタ達は自由だ。生活用の資金も、多めに用意してある』

 騎士影は説明の途中で改めてお礼を言った。

(それは運の影響がデカいだろう。一応、死にそうにはなったんだぞ? オレが) 

 内心で小さくぼやいたアズロットは、

『目的のためならどんな事でもするタイプのお前からそう言われても、安心はできねぇな。せめて証拠として、首輪(コイツ)を外してくれよ』

 と、(いぶか)しむように目を細め、“首輪爆弾”の解除を要求した。

『それは出来ない』

『なに?』

『まだ話の途中だ。話が全て終わったら、外すと約束する』

『……必要でさえあれば、お構い無しに約束を破るような奴は嫌われるぜ? 人からも世間からもな』

 (あたか)も考えを見抜いているかのような風情で嫌味を飛ばすアズロット。

『その点については、否定はしない』

 然もありなんといった様相で、騎士影は即答する。

『何故なら俺は、自分を“正義”だとは思っていないからだ』

『レイラの嬢ちゃんは、お前が掲げる“正義の組織”のために尽くしてるみたいだぜ?』

『――――大勢が見上げる大義(、、)と、人知れず燃える私情(、、)は無関係だ』

 アズロットには、騎士影がその蒼い双眸を僅かに下へ逸らし、再びどこか遠い目をしたように見受けられた。

『俺が今ここで、こうして物語る理由には私情も含まれている。この事はレイラも知らない。アンタとサシで話すために作った()なんだ。だから、約束としての明確な証拠は出せない。聞いてもらうまで、逃げて欲しくないからな。今は信じて聞いてくれ、としか言えない』

『強引な野郎だな――――わかったよ。聞いてやるから、とっとと終わらせやがれ』

 そう促して胡坐をかき、打ち付けた後頭部を掻くアズロット。


“歴戦の勇士と呼ぶに相応しいアズロットを、新大島に呼び寄せて寿潤人と戦わせ、その分析結果を元に、寿潤人を活かすか、再び隔離して保護するかを判断する”。

 単純に聞こえるが、状況はもっと複雑で、所々微調整が必要だった。

 1つは、寿潤人に対して、『魔人』という言葉を記憶操作によって伏せながらも、それらしい印象の残る“忠告”をする事で、いざアズロットと、自身の内に秘められた力を目にした際に、動揺やショック、絶望などの負の感情を軽減し、少しでもすんなり飲み込めるように“予防接種”をした事。

 1つは、“敵”に対する情報攪乱のため、計画に“寿潤人が使いものにならない場合は殺処分する”という嘘を混入させた事。

 1つは、以前から工作員(エージェント)として動かしていた咲菜美が“反逆”に走った際の保険として、当初は計画に無関係だった人間を参加させた事。

 その人員というのが、寺之城和馬である。騎士影はこれも情報攪乱のために、人員追加の事をレイラには告げず、密かに彼に“英国王女を護衛する依頼”を出し、第108小隊で集まるように仕向けたのだ。敢えて“依頼”という形を取ることで、根は真面目な寺之城があまり固くならず、動き易いよう配慮し、そうしてそれとなく誘導し、“計画”の尻尾をチラつかせて釣り上げる事で、寿潤人のメンタル面での支援や、装備での支援を狙った。

 騎士影が直に関わった全員の記憶から、自分の存在を消し尽くした上で。

記憶幻術(マインドイマージュ)

 騎士影はそう言った。

『幻術』の中で、その難易度は最高クラス。

 レイラ・アルベンハイムが、『この島にその術を扱える者は1人も居ない』と言った幻術だ。

 人間(、、)が扱う内は、相手の全ての記憶を塗り替え、意のままの人格に変えたり、言動を支配したりすることはさすがに出来ないものの、アズロットが『ストロングホールド』で体験したように、記憶の一部を改変し、言動の極一部を術者の望むように促すことは可能である。

 と言っても、人の心を侵す行為は道徳に反するとされ、2000年頃に各国の最暗部同士の議論で『禁術(タブー)』とされた(スキル)だ。

 アズロットに“記憶幻術”の気想を仕込んだのは半年ほど前で、それも、“寿潤人がダメ(、、)なら殺処分する”という嘘の混じった計画を本気で押し進めようとするであろう生徒会長の、手綱役とするための行為だった。

 結果的には寺之城和馬が、咲菜美由梨とレイラ・アルベンハイム双方の制動役となるべく独自で葛藤して動いたため、万事万端ではあったが。 


『――――お前ほど周到な野郎とは会った(ためし)が無ぇ』

 と、舌を巻くアズロット。実際、アズロットは『ストロングホールド』内で“不幸粒子を影で操る存在”の可能性を示唆し、寿潤人の抹殺は思い止まるよう、レイラに持ち掛けたからだ。

 必要であれば、例え『禁術』であっても躊躇い無く使用する騎士影の狡猾さは、結果論で見れば何のお咎めも無しに罷り通るのだろうか。

“正義である”と、果たして言えるだろうか。

 騎士影当人が言ったように、アズロットにも、そうは思えなかった。

 計画に深く影響するとはいえ、精神的な傷を負った英国王女とその遺族に『霊人(スピリット)』という現実を突きつけ、都合の悪い記憶には幻術を掛けて、半ば強引に利用した。

『お前は、自分がリルに何をしたか、理解はしてるのか?』

 アズロットは騎士影という人間の真意を求めた。

『勿論だ。俺は彼女以外の人間にも酷いことをしてきた身だ。罪は承知の上。恨まれるのも承知の上。どう思われても、否定しない。俺に浴びせられる言葉、俺に向けられる感情こそが、恐らく“正義”と呼ぶに相応しいものだからだ。だけど、俺は指揮官だ。必要な事はやらなければならない。今、世界は水面下で、人々の意識の裏で、深刻な戦いに突入している。やらなきゃ(、、、、、)、やられるんだ』

『霊人』と化した1人の少女の精神と世界を天秤に掛けられるか、と問われれば、アズロットはすんなり頷くことは出来ないだろう。その重さと難しさ故に、決断を拒否する気持ちが強いだろう。

 しかし、世界には時折、そんな選択を下さなければならない事象があり、時が有り、人物が在るのだ。

『それでも収まりがつかずに、オレが怒りに任せて、今からお前を殺すとしたら?』

『俺の役目が片付いてからなら、構わない』

『……』

 アズロットは予想外の返答に言葉を詰まらせ、思わず微笑を漏らす。

 こうもあっさりと、自分の死を許せる人間が居るものだろうか。

 アズロットは騎士影の目を見る。

 元より、彼の“眼”に(あざ)りの念は込められていない。

『――――お前、アホじゃねぇのか?』

『友人にも、よく言われる』  

『筋金入りだな』

『役目が終わるまで、待ってくれるか?』

『……やめだ。アホを斬るのは趣味じゃねぇ』

 彼の気想から伝わってくるのは、その強い覚悟。

『ウルトのやつには、“魔人”の事は打ち明けないのか?』

『寿潤人は、今は精神が安定し、力を制御出来るようになった状態だ。真実を話すのは、寿潤人がもう少し落ち着いて、力に慣れた頃にしようと考えてる。“東京崩壊”の真実を聞いた途端、罪の意識で心を乱させるわけにはいかないからな。この選択が、潤人にどんな影響を与えるかまでは、その時になってみないとわからないが――――』

『なるほど。あいつにはリルもローズもついてるし、仲間も居る。過酷な真実だろうが、戦いだろうが、あいつが悪いわけじゃねぇ。きっと乗り越えられるさ』

『アンタほどの術師がそう言ってくれると、俺の不安も多少和らぐ』

『ただ――――』

 アズロットは眼を細め、念を押す。

『ウルトが真実を知らないまま生きていけばいくほど、お前がウルトを欺いているという罪だけは続くって事を、忘れるんじゃねぇぞ?』

『わかってる。自分のだろうと、人のだろうと、“痛み”は忘れない』

 と、騎士影は徐に眼を瞑り、頷いた。

(誤解が生み出す他人からの怒りや恨みも、死ですらも恐れないこの男が敏感に気にしているのは、一体なんだ?)

 疑問を抱くアズロットは、再び『念話』の、“額から思念の糸を飛ばすイメージ”を行い、尋ねる。

『――――この島で起こった事の(タネ)はわかった。結果は成功。寿潤人は今後お前()の頼れる戦力になる。それも理解できた。けど、解らねぇ事もある。お前は何を(おそ)れているんだ?』

『……』

 それまで理路整然と質問に答えていた騎士影が、初めて言葉を詰まらせた。

 騎士影は、対話の手段に『念話』を選び、自身の存在を隠し、声も複数のそれを重ね、顔も面で覆っている。リュウが怯えるほどにただならぬ気配を放つ彼が、そこまで徹底して警戒するモノが何なのか、アズロットには想像がつかなかった。

『……“魔人制御計画”は成功。寿潤人は今後も“I・S・S・O”の一員として生きていく。だが、俺達が今回行ったのは、“真の敵”に対応するための準備でしかない。物語に例えるなら、単なる序章(、、)に過ぎないんだ。俺やアンタだけに止まらず、全人類にとっての“本当の戦い”は、これから始まる。今後、この組織の活動が活発になればなるほど、“真の敵”はより強く、より凶暴に襲ってくる。そして戦いが起これば、誰かの大切な何かが失われる事態に陥る。俺はそれが恐いんだ』

『常日頃からそんなんじゃ、お前が“不幸粒子”に狙われるんじゃないのか?』

『わかってはいるさ。今の“天候”は幸いにも、この島の強力な結界内では“曇り時々晴れ”の状態だから、心配は不要だ。それに、俺を突き動かすのは“懼れ”じゃない』

 騎士影という男はどうやら、自身を突き動かす信念で、襲い来る負の感情を上手く中和出来ているらしい。

『わかってるなら、いい。ところで、お前の言う、“真の敵”ってのは、“不幸粒子”そのものか?』

『――――まだ、不明だ。“敵”に対する明確な定義は無い。人なのか、物なのか、思念なのか、定義するための確証を備えた手掛かりが無いんだ。確かなのは、“敵”は実在している(、、、、、、)という漠然とした事だけだな』

『お前の見間違いだとか、術師の悪質な幻術を過去に受けて、それに惑わされているって可能性は?』

『そうであってくれるならまだいいんだが、違う。仮に幻術が掛けられていたとしても、俺の“眼”は幻術を全て見抜くからだ。嗅覚や聴覚による幻術に対しても、同様にな』

“蒼い瞳”を閉ざすことなく、騎士影は言い切った。 

『そんなズルい能力、聞いたことないよ? もしかして、リュウちゃんを警戒して、自分を大きく見せようとしてない? 孔雀は敵を威嚇するとき、あの綺麗な羽をいっぱいに広げて自分を大きく見せるって、絵本で見たよ?』

 小さな犬歯を覗かせたリュウが横槍を入れる。

『確かに個人では(、、、、)不可能な話だが、俺は1人ではないし、孔雀でもない』

 騎士影は意味深に、その“眼”を細めた。

『――――話を戻す。見間違いでも幻術でもないのなら、せめて、その“敵”が実在するのだと断言出来る根拠を教えろ』

 騎士影が今の発言で、“1人ではない”という言葉に含んだ意味が気にならないアズロットではなかったが、今は“敵”について知る事が先決だ。

会った(、、、)んだ。15年前、“東京”が崩壊した日に』

『“魔人”とは別の人物か?』

『そうだ。より正確な時を言えば、“魔人”と相対して戦う少し前だった。当時、そいつ(、、、)と会ったのは俺を含めて3人――――いや、この場合“現代人の中で”という言葉を付け加えておく。今話している“真の敵”の事を知る者は、この時代では世界中どこを探しても他に居ないだろうからな。』

『今そいつ(、、、)と言ったが、お前はついさっき、その“敵”って奴の姿を定義する証拠は無いと言わなかったか?』

 と、アズロットは尋ねた。“そいつ”という表現は、主に人を指す時等に用いるものだからだ。

その時は(、、、、)“そいつ”だった(、、、)というだけの話だ。正確には少女の姿をしていたが、飽く迄“仮の姿”だったからな。遭遇したのは3人だが、1人はその場で殺された(、、、、)

『なに!?』

 

“殺された”。


 その行為は、明確に実在し、相応の能力が備わったモノにしか出来ない。

そいつ(、、、)は自ら、自分がどんな存在なのかを示唆する言葉を俺達に放った。そうして戦闘になった。俺は“魔人”と、他の2人が“そいつ”と戦って退けたが、片方が重傷を負い、程無く死んだ。俺はその場に居れなかったから、退いた“そいつ”のその後を知らない』

『つまり、今もこの世界のどこかに潜んでいるって事か』

『そうなるな。“不幸粒子”が蔓延ったあの日、追い払いはしたが、仕留めてはいないんだ』

『――――“そいつ”のことは、お前を入れた3人を除いて、他の誰も見ていないんだろう? なら、何故多くの人間が、自分が当事者なわけでもない話を信じて協力し、一大組織にまで膨れ上がる?』

 もしも自分が、騎士影達の話を聞いて協力するか否かを選択する立場なら、実際に目撃でもしない限り、安易には信じられないと思ったアズロットは、そう尋ねた。

『2014年の暮れに起きた“東京崩壊”の事件は、世界中を震撼させた。初めは表のメディアで例の如く、テロや他国の陰謀説が囁かれたが、どの国も関与を否定したし、それらの説の裏付けとなる有力な証拠も、情報も報告されなかった。その最中(さなか)、世界は情報の攪乱やプロパガンダといったお得意の常套手段を展開して世間の目を誤魔化しつつ、国同士で互いにタイミングを計るように、それとなく、1つの共通認識の下にまとまっていった。“新たな敵に対するために団結する”という認識の下にな。もともと合衆国の“最暗部”が、“最暗部の統一”を訴えていた事も効いて、各国が()でその提案を受け入れたんだ』 

 どうやら騎士影には、各国の中枢を深く知る人物とのコネクションがあるらしい。

 (はた)から聞けば狂言極まりない騎士影の言葉を、国同士が本気で信じ、そのために動いた事が国民に知れ渡れば、どんな騒ぎが起こるかわからない。

 気想術も廃れ、『幸福粒子』も、『不幸粒子』も知られていない現代社会に、“新たな敵”という不確定要素を公表しても、理解を得る事は叶わずに不安を煽るだけである。だからこそ、情報攪乱の影に隠れての団結なのだ。

『暗黙の団結か。確かに都市が1つ消えれば、世界の“闇”を知る人間なら、信じざるを得ないかもな――――』 

『大同団結と言えば、平和的で聴こえは好いが、実際に協力関係にあるのは国連の常任理事国を始め、それなりの富と能力を持った複数の先進国であって、全ての国というわけじゃない。過去のいがみ合いが消える事無く続いていたり、宗教や思想の違いで互いに拒絶し合ったりしている国もあれば、飢餓や疫病が蔓延しているにも拘らず、必要なものを揃えられない貧しい国もある。世界の半分以上は今も治安が悪く、大小の争いが絶えない。そこで“悪の事象”の発端を挙げようものなら、それこそ毎分毎秒語り続けても終わりは来ないくらい、悲惨だ』

 騎士影の言葉を聞いて、アズロットはかつて自分が生きた時代と今の時代を、もう一度比べてみた。

 絶対君主制による独裁社会と、個々の自由を謳う社会。

『世界がどうであれ、争いを起こすのはいつも人間か……』

 どちらの社会が平和的で、どちらが(こく)しているかは断言できないが、牢獄から外の世界を覗き見て1つはっきりしたのは、幸福には不幸が、光には闇が、平和には争いが、いつの時代も常に隣りあわせで存在しているという事だ。

 騎士影はこう言う。

『人間が感知する範囲内で得体の知れない恐怖が発生すれば、恐怖から身を護ろうとする本能から、人は(おの)ずと身を寄せ合う。世界の動きも、それと何ら変わりはない。というのは、以前この島の養護施設をこっそり視察して、幼い子供達の様子を見ていた時期があるんだが、その時に、子供達から学ばされたからだ。仲良くグループを作って遊ぶ子もあれば、玩具を取り合って喧嘩する子もあり、隅の方で1人で遊ぶ子もある。言い換えれば、この世界も同じ。片や甘ったるい生活で平和ボケして、片や思想の違いを納得出来ずにいがみ合ってる。“不幸粒子”を“最大の敵”と掲げてはいるが、それらは人間一人ひとりがどう考えて、どう動くかによって変わって来るんだ。問題なのはむしろ人間の方。そしてその人間の闇に付け入り、利用して世界を陥れようと企む()が、今この瞬間もどこかで、誰かを苦しめている。俺はそれが許せない。必ず探し出して、倒す』

『――――それがお前の目的の真髄ってわけか。誰がなんと言おうと、それを果たした先に何が待っていようと、貫く覚悟はあるのか?』

 アズロットの問いに、その蒼い双眸は微塵の揺らぎも見せなかった。

『ああ。これだけは、譲らない』

 騎士影の言葉が増上慢(ぞうじょうまん)でない事は、彼の落ち着き払った気想に触れれば(、、、、)直ぐにわかる。

 アズロットは試したのだ。人は如何に力があろうと、その根幹を担う精神は存外脆い。

 才が心を補うのではなく、心が才を導く。『竜人』の前に立つその男は、『寿潤人』と似たタイプだ。

 騎士影の瞳の奥で、蒼く、静かに、しかし強く、絶えず燃え盛る揺ぎ無い炎に容受する思いのアズロットは、薄く笑う。

『平和が当たり前になっているらしいこの国の若者にしては、イイ根性してやがるな。平和はいいことだが、それが当たり前になって目が眩んで、見えるモンも見えなくなって怠けちまうのは気に入らねぇし、相手を批判することしか出来ないで、互いに争ってばかりいるのも気に入らねぇ。そこの所、オレはお前の意見に賛同だ。人が多ければ多いほど、全員が納得する状況っていうのは、なかなか実現しねぇもんだが、そのせいにして(、、、、、、、)逃げちゃいけねぇ』

 寿潤人は自分なりの信念を見つけ、それを磨き固めて成長し、見事にアズロットを打ち破った。

 世界も、彼を見習うべきではないのか、という思いが、アズロットの脳裏で湧き上がる。

『それまでは死者のように見えず、聞かれず、眠りに落ちていた新たな恐怖が、何かのきっかけを境に動き出し、それを近年になって初めて、“世界”という弱い存在(、、、、)が察知して、ソワソワしてる。外の世界はそんな状況だよ。情けないことにな……』

 騎士影の“世界は怯えている”という言い分は、的を射た解釈だとアズロットは思った。強みと弱みを持った人間によって成り立つ世界らしい道理だ。

『ウルト達は、そんなところへ戦いに行こうとしてるの?』

 というリュウの問いに、騎士影は頷く。

『そうだ。実は既に、訓練学校を卒業した第1期生達が、世界各地で治安管理任務のための配置についている。公式では9月からと発表しているが、それらは全て、“敵”に対する情報工作。実際は5月から移動を始め、任務に就いたのは6月の頭からだ――――』

 

 先進国にいくつか存在する気想術師訓練学校から、本年度に卒業した第1期生およそ4000人が、世界中の支部や街に配備され、持ち前の術を活用した治安管理の任務に就いたのが先月――――6月1日。

 その日を境に、世界の統計的な『天候』は悪化した。

『今までは、俺ともう1人の仲間が世界を飛び回って“手掛かり”を探し続けてきたが、さすがにたった2人では捜索出来る範囲が狭すぎる。だから、今回の大幅な戦力増強は非常に高効率で、効果も期待出来ると踏んだんだが、“不幸粒子”は予想以上に狡猾だった……』

 騎士影の言葉の裏には、何か不穏な響きが含まれているように思ったアズロットの脳裏に、『ストロングホールド』で自身が半ば言わされた言葉が蘇る。


 魔人よりも強力且つ精密に、不幸粒子を意図的に増幅させ、気想の均衡を乱す“元凶”が存在するとしたら。


『――――何か、あったのか?』

 と、アズロットは聞いた。

『……4000人の第1期生が配置についてから今日までの1ヶ月間で、1500人が死んだ』

『なんだと!?』 

『――――総勢4000の戦力の内、不幸粒子の被害が深刻な中東に700人、アフリカへ800人、計1500人が派遣された。向こうには国交上の問題もあって、こちらの支部は建っていないから、結界による加護が一切無いんだ。貧しさといがみ合いで、ただでさえ“不幸粒子”が増殖している所で“天候”が“雨”にでもなったら、人々の精神は蝕まれたまま、なかなか回復しない。不幸が不幸を呼ぶ悪循環で、長い間紛争の耐えない国がいくつもある。だから“I・S・S・O”は、その初陣戦力の約40%をそのエリアへ割り当てた』

『中東、アフリカを始め、世界の各方面に出動した隊員達は現地で2週間ほどの準備期間を設けて、各国の政府との交渉でどうにか活動許可を取り付けた。中東においては、こちらと同じ目的で動く民間軍事企業(アークスピア)の傭兵団とも連携を取り、互いにタイミングを合わせて、大規模な内戦鎮圧作戦を展開した。装備は世界最高水準の純国産品で、護符の支給も充実していたし、術師一人ひとりの練度も悪くなかった。それでも、いざ鎮圧作戦を開始すると、予想を上回る不幸粒子の魔の手が襲ったんだ。中東とアフリカに派遣された“I・S・S・O”の隊員で生き残ったのはおよそ100人。これは生存者から聞いた情報でしかないが、まるで、活動を始める自分達を待ち伏せでもしていたかのように、内戦で争っていた現地の兵士達が、一斉に術師達を攻撃したらしい』

『自分達の邪魔をする“よそ者”だからか?』

『それが、そうでもない』

『なら、何故襲われた?』

 アズロットが現役で旅をした時代は、世界中が気想術で栄えていた。当時の人々の術と、現代の若き術師達の術とでは、練度のレベルに多少の差はあるかもしれないが、“I・S・S・O”の訓練課程は幼少期から始まると聞く。その点だけで見ても、現代の術師の練度だって低くはないと言える。実際に一戦交えた感触にも、確かな手応えがあった。

 その彼らが、『不幸粒子』の濃度が高い地域(エリア)に1500人という規模で乗り込んで戦い、戻ったのは1割以下。

 ほぼ壊滅だ。

 得体の知れない悪寒が、アズロットをじわりと包み始める。

『現地の隊員達は、因果は不明だが、突発的な敵意を向けられた。例えば、互いに狙いを定めて発砲し合っていた2つの陣営の兵士の銃口が、突如“I・S・S・O”の隊員だけを狙ってきたり、銃火器の原因不明のトラブルが続出したり、味方であるはずの傭兵達に背後から撃たれたり、翻って、誤射や流れ弾に当たったりといった具合にな。争いを続ける両陣営の兵士が同時にこちらだけを攻撃するなんて事は、その2つの陣営が裏で手を組みでもしない限り起こり得ない。何故言い切れるかというと、長い間争いを続けてきた彼らが、“よそ者”が来たからといって、その掃討のために急遽手を結べるほど、彼らが各々で抱く大義と憎しみは、軽くはないからだ』

 アズロットは、騎士影が語った戦況の全てを“『不幸粒子(ディスティフィア)』の影響”と考えて処理するのは難しいと思った。不自然な点が目立つからだ。

 2つの陣営からの攻撃も、一部の傭兵が突如裏切ってこちらに攻撃を仕掛けてきたのも、『不幸粒子』による悪循環より、人為的な影響の方が強い。

『アフリカと中東に限らず、犠牲者は各国で少なからず出ている。総合すると、およそ1500人になる』

 中東、アフリカの次に被害が大きかったのは東欧らしい。

 フランスに派遣された5つの小隊は、いずれも一週間前から交信が途絶し、行方が掴めていない。

『――――俺達はしてやられた』

 と、騎士影は重苦しげな声を放つ。

『第1期生達が訓練生として在学中だった頃、“遠征学習”で海外に行かせたりしたが、その時は何も起こらず、今回は起こった。まるでタイミングを見計らったかのようにな。“敵”はこちらの出方を伺っている』

『その“敵”も、何らかの感知系の(スキル)を持った術師って事か?』

『そうなるな。それも、強力な気想を備えている。ここ数百年で、世界の生活基盤は気想術から科学へと移り変わり、術師の数は激減したと思われていたが、“そいつ”を始め、俺達の予想を上回る数の術師が、まだ世界中に潜んでいたという事になる』

“敵”は敢えて、I・S・S・Oが結界で保護した“囲い”から外へと大規模に進出してくるのを待ち、各地でタイミングを見計らって一斉に攻撃したのだろうか。

 ここで挙がるのは、“敵”が“組織”と“単独”、どちらのタイプなのかという疑念だ。

 世界各地で同じ時期に攻撃が行われたのだから、単独とは考え難いが。

『15年前の“惨劇”以来、“I・S・S・O”の設立によって術師(スキラー)の戦力増強が謳われ、今年からそれが叶って、万全の備えが整ったように思えるが、実際はそうじゃない。俺達は劣勢(、、)なんだ。70億の人間が暮らす世界を、現時点ではたった数千人でカバーしなければならず、各地方へ送れる人数は限定されてしまう。だから、今回の“魔人制御計画”は、今後の戦力面にも影響を及ぼす重要な賭けだった。勢力面でこちらが不利なら、戦法を変えるしかない』

『戦でいうところの、大将首か?』

『その解釈でいい。“敵”の元凶(、、)を見つけ出し、“代行者”の力と、俺達の持ち得るあらゆる手段を使って、そいつを叩く』

『その“元凶”とやらが、過去にお前のまえに姿を現した相手って事か――――?』

『ああ。確証無しの、勘でしかないがな。“そいつ”以外には思い付かない。考えれば考えるほど、恐ろしさや不安が増していく。一番、質の悪い敵だ。こっちには、“そいつ”の居場所を知る術は今の所無いが、向こう(、、、)にはこちらの動きが筒抜けかもしれない。“不幸粒子”を意図的に増やして操れるなら、あり得ない話じゃないからな。だから俺は、他人には極度の心配性と思われて当然な行為をしてるんだ。僅かでも安心して、精神を保つために――――』

『もし、筒抜けだったらどうする? どうなるんだ?』

『なるようにしかならない。こちらの今の備えでは、それしか言えない。“そいつ”の暗躍で戦争が起こるとか、大災害が発生するとか、そういう極端な“悪の事象”が今の所無いのが唯一の救いだな』

『……人間の域を完全に超えていやがるな。そんなの(、、、、)を相手に戦って、勝てるのか?』

 と、アズロットが先行きを疑うのも無理は無い。

 過去に一度接触したと言っても、その相手が人なのか、物なのか、思念なのか、それすらもはっきりしないのでは、探しようがなければ、対策の練りようもないからだ。

“戦って倒す”のであれば、まず“接敵(せってき)”する必要がある。 

 しかし現状では、こちらが見つけるか、向こうから直接(、、)仕掛けてくるのを待つしかない。

 後者は先手を相手に譲る事を意味する。それではリスクがあまりに大き過ぎる。

『やってみなければわからない。この世界に“ゼッタイ”という概念は通らないからな。それに、“幸運”が全く無いとも限らない。勝利の確率を引き上げる努力もしてる。不完全な人間だからこそ出来る発想さ』

『――――なるほど。確かに、試さなきゃわからねぇな』

“わからない”を武器にする発想に、アズロットは唸らされる。

(そういう考え方は、嫌いじゃねぇ)

『休憩中に突然現われて悪かったな。話は終わりだ。アンタはもう自由の身だ。後でレイラに金を届けさせるから、もうしばらくここに居てくれ。傷の事もあるしな』

『お前は、これからどこへ行くんだ?』

 2本の短槍を携える騎士影に、アズロットは問う。

 騎士影の身なりは、戦の装備としてはかなりの軽装だが、戦えないわけではない。

『俺はこれから仏国に赴いて、一戦交える(、、、、、)。“元凶”の手掛かりではないが、仏国に派遣したこちらの小隊を消した(、、、)人物を突き止めたという連絡が今朝入ってな。仇を取りに行く』

『その装備でか?』

『一見(つま)しく見えても、これらは全て“遺失物(アーティファクト)”から選んだ優れものだ』

『“遺失物”――――“I・S・S・O”が回収を進めてるっていう、過去の術師達の遺産か』

『そうだ。アンタのその剣も、“遺失物”に含まれる』

 騎士影は、アズロットの側に立て掛けられた白い大剣を指差す。

(メラン=)(ネグラ=ニゲル)』によって1度折られた『竜牙(エルド・スクーガ)』だが、アズロットが一命を取りとめた後、リュウに気想を少しずつ吸わせ、それと同時に剣も徐々に修復された次第である。

『こいつも回収するってか?』

『アンタがその剣を悪用しない限り、何もしないさ。その()と一緒に、今の世界を見て欲しい。そして出来れば、困っている人を助けてやってくれ』

『オレの傭兵稼業は雑食だ。なんだってやるさ』

『恩に着る。“竜人”が現代の事情を理解してくれているというだけで、俺も少し、安心して動けるよ』

 騎士影は徐に万炎へと顔を向け、短く挨拶を済ませる。

『もう行く。後を頼む』

『うん。あなたも気をつけてね』

『――――お別れだ、アズロット。またいつか、依頼を持ちかけるかもしれないが、その時は宜しく頼む』

『ああ。お前からの仕事はマケ(、、)てやるよ』

 アズロットは、騎士影(ナイトシェイド)左手(、、)の刀印を胸の前に構えるのを見つつ、そう返した。


 次の瞬間。


『――――』


 神社の人影は2つに戻っていた。 

「なあ、万炎。オレの首輪がいつの間にか無くなっているんだが、お前が外してくれたのか?」

「うん。もうアズロットは自由の身だから」

「――――自由、か」

 これで、永遠のような監獄人生が、完全に終わった。今になって知ったが、こうも長い間牢獄に入れられていると、釈放された後はどこで何をしたいのか、全く思い浮かばないものらしい。

 放心するように、アズロットは青い空を見上げる。

「これから、どうするの?」

 という万炎の問いにしばし間を空けて考えたアズロットは、

「傷がもう少し癒えたら、この島を出て、世界を見てみようと思う。いつだったか(、、、、、、)、“騎士影”ってヤツに、そう言われたんだ」

「――――そっか。少し寂しくなるけど、私はここに居るから、困った時は休みに来ていいよ?」

 昨日はほとんど休む事無く、アズロットの治癒に専念していた万炎は、疲弊の色に微笑を重ねた。

「ありがとよ。今度、手当ての礼も兼ねて、土産を持ってまた来る」

『アズロット、リュウちゃんにおいしいもの食べさせるのもお忘れなく!』

(わかってるさ。心配するな)

 脳内に響き渡る黄色い声に、アズロットは久方ぶりにほぐれた笑みを見せた。

 そして、微風に頬を撫でられながら、ふと、愛する友人たちへ想いを注ぐ。

 今なら、胸を張って、彼達に顔向け出来る、そんな気がした。

(――――これからは、少しだけ、顔を上げて歩いてみてもいいよな?) 

 アズロットはここへきて、ようやく自分自身に科した過去のしがらみから、己を解き放ってやってもいいかもしれない、と思う事が出来た。

 牢獄に居た頃から、胸を圧迫するかのように纏わりついていたしがらみが、深い吐息と共に吐き出されていく。

 いつの時代でも悪が蔓延るなら、それを打ち払う正義も不滅なのだと、1人の少年が教えてくれた。

 この世界は、廃れてなどいなかったのだ。

 



 寿潤人は新大島東高校の医務室で目を覚ました。

 真っ白な天井。

 陽の香りに包まれたベッド。

 北校舎の一階に位置する医務室は、その東に面した窓から差し込む朝陽で十分に温められている。

 壁に沿うように置かれた4つのベッドの内、3つは空だ。

 僅かに開けられた窓から吹き込む風が、レースのカーテンを波立たせる。

『ようやくお目覚めね』

 ローズの声だ。

(おう、ローズ。お前は大丈夫か?)

『私は平気よ? 皆も無事だわ』

(……あの後、どうなったんだ?)

 アズロットの大剣をローズ――――もとい“(メラン=)(ネグラ=ニゲル)”が打ち砕いた瞬間までは記憶に残っているものの、そこから先が不明だ。

『あの後、アズロットも貴方も倒れて、そこへ駆けつけた寺之城君達が、貴方をここまで運んでくれたの。貴方の致命傷を治癒したのは、私』

(そういう事になってたのか。ありがとうな、ローズ)

『どう致しまして』

 ローズのおかげで、身体はどこも痛くは無かった。額にも腕にも包帯が巻かれている所を見ると、他の誰かが外傷の手当てをしてくれたらしい。

 これらはつまり、屋上の戦いで、アズロットを追い払う事が出来たという事だろうか。

 潤人に“悪魔が取り憑いている”などというデタラメを吹き込み、リルを利用した“誰か”の居場所を、アズロットから聞き出す前に意識を失ってしまったのは不覚だった。

 潤人はその身を起こし、辺りを見回す。

 と、ベッドの側――――枕の横に顔を埋めるようにして、制服姿のリルが眠っていた。

 丁度今、潤人の目覚めと同時に意識を起こしたらしい彼女は、

「うにうにうにうにぃー!!」

 何とも奇妙な声を漏らしつつ、猫のような伸びをした。

「おう、リル」

「っ!? 潤人っ!!」

 リルは一瞬、潤人の顔を寝ぼけ(まなこ)で見つめた後、はっとしたように叫んだ。

「よかった! 昨日から1度も目を開けないから、凄く心配したのだぞ?」

「俺はそんなに眠ってたのか?」

 丸1日、意識が無かったらしい。

「アズロットに勝ってから、ずっとだぞ――――」

 震える声で言ったリルは、その小さな唇を固く結び、エメラルドグリーンの麗しい瞳を揺らす。

「わわ、泣くなよ、悪かった。心配かけちゃったみたいだな」

 またしても、リルに看病させてしまったらしい。

「――――」

 潤人が感謝の意を込めてリルの頭を撫でると、リルは潤人の胸元まで寄り添い、肩を震わせた。

 アズロットを抑える事が出来たのは良い。島を脅かす状況は去ったのだから。

 だが結局、潤人やリル達の記憶をいじくり回した人物には辿り着けなかった。潤人はそれが心残りだった。

 水に流すつもりなど毛頭無い。

 いつの日か、リルや仲間の記憶を操作し、彼女たちの気持ちを無視して一方的に利用した“誰か”の正体を暴いて、謝らせる。

「――――私は、決心したぞ」

 少し経って、リルは潤人の胸から顔を上げた。その目尻では透明な水玉が、陽光に照らされる室内を丸い表面に納めている。

「決心?」

「そうだ。決心だ」

「どんな?」

「私は、潤人とこれからも、ずっと一緒に戦っていく!」

 ぎゅっと目を閉じ、水玉を弾いて、リルはひたむきな視線で潤人を見上げた。

 この数日間、状況があまりに日常からかけ離れていたために、今まで考えなかったが、リルは潤人に取り憑いている以上、ずっと共同生活を送らなければならない。

 霊人は宿主の気想を吸う事でその存在を維持するからだ。

 仮に他の人に憑依(可能かどうか潤人にはわからないが)した場合、潤人を戦闘面でサポート出来るのはローズだけになってしまう。

 故に、一緒に戦ってくれるのは非常に心強くて、どうやって恩返しをしたものか悩んでしまうくらいなのだが。

 ――――だが。

 ローズは誰にも認識出来ないし、もうどうしようもないとはいえ、リルと3人、1つ屋根の下で生活するなんて、今更だが、やりくりの算段とか、心の準備とか、必要なものとか、思い残すこととか、とにかく潤人は非常に経験に乏しい事もあって慌てふためき始めた。

 何をどうしたらいいのか。

 米を炊けばいいのか。

 おしべが男で? めしべが女?

(お、落ちつけ)

 お風呂はれでぃふぁーすとにしよう。

 王女様がお住まいになるのだ。ゴキブリポイポイなんてやましい物は処分して、代わりに掃除をこまめにしよう。

 とにかく、食料を絶やさないことだ。

(お、落ち着け俺!)

「リル、とってもありがとう。俺も、すっごくがんばるよ」

 潤人は遠い眼差しで新たな決意を抱いた。

 これから始まる男女の共同生活を、卒業して島を出るまでの間、同じ寮の男どもに勘付かれる事無く遂行し、飽く迄独身である(てい)を貫き通す、と。

 もし、1ナノバイトでも、寿潤人の部屋で雄と雌がチョメチョメ、チュッチュク、※※※※しているなんて情報が外部に漏れたら、世紀末だ。

 潤人の潤人による潤人のための壮大な任務(ミッション)が幕を明ける。

(う、うおおぉおぉおぉおぉおおお!!)

 

「おお! 寿君!」


 潤人は突如鳴り響いた、歌うような声の方へ顔を向ける。

 医務室の入り口に、“変態紳士”こと寺之城和馬が立っていた。額の包帯は新しいものに巻き直され、片手にレジ袋を提げている。中身はペットボトルと、何かの包みだ。買い出しから今戻ったといった所だろう。

「丸一日眠り続けるとは、相当な消耗だったのだろうな」

 寺之城は言いながら、レジ袋から取り出したミネラルウォーターを潤人に手渡した。

 そういえば、リルが部屋に来てから今まで、結局一食もしていなかった。

「飲まず食わずで、腹がスッカラカンだろう?」

「とってもありがとうございます。丸一日寝てたって事は、今日は7月2日ですか?」

「うむ。リル君にお礼を言いたまえ。彼女は昨日から、付きっきりでキミの看病をしていたのだ」

「それは私だけではなくて、寺之城と咲菜美もだろう?」

 どうやら、皆無事で、潤人の側についていてくれたようだ。

 新たな“任務”も大事だが、今は皆に感謝するべきだ。

「水穂も、昨日の午前中から夜まで、潤人の側に居たのだぞ? またどこかからお呼びが掛かって、そちらの打ち合わせに向かったから今は居ないが」

 目の赤いリルが補足する。潤人が意識を失くしている間に、リルは後輩である橙泉水穂(とうせんみずほ)とも打ち解けたらしい。

「あいつまで来てくれたのか――――」

 聞けば、橙泉は港の戦いでも、無人機を飛ばしてアズロットの情報解析と爆撃の支援を行っていたという。

(今度奮発して、カップ麺の一杯でもご馳走してやろう)

 と、なんとも薄情なお礼を考える潤人。

「咲菜美君なんかは、最初、キミが死んだものと勘違いしたらしく、しばらくの間泣きじゃくってボクの説明を聞いてくれなくてね。ティッシュを1箱空にしてしまったよ」

 ドラマ等では母親や祖母がよくやる事を、108小隊全員が担ってくれたのだ。

「あいつは――――咲菜美は、無事なんですか?」

 昨日の明け方、外周道路での出来事を想起した潤人は直ぐ様尋ねた。

「うむ。無事だとも。ボクが少しばかり説教をしてな。咲菜美君が犯した命令違反の件も、彼女がレイラに頭を下げる形で、何の罰も言い渡されずに済んだ。本人は反省(、、)しているよ。とはいえ、咲菜美君は咲菜美君で、キミのために長い間務めてくれていたのだ。道を少々踏み違えはしたが、咎めないでやってくれないかね?」

 寺之城が、咲菜美を救い出してくれたらしい。

 潤人はここへ来て、やにわに罪悪感に囚われた。

 自分はここ数年、情緒不安定で、教室や帰り道等で、何かと接してきた咲菜美に、暗い返答しかしてこなかった。

 わかってはいたのだ。

 咲菜美が自分の様子を心配して、悩んでくれていることは。

 潤人はそれに甘えていたのだ。

“自分の事を気に掛けてくれている人がいる”という安心感に、半ば依存していたのだ。

「――――咎めるなんて、とんでもないです。俺は咲菜美の事を、何もわかってやれてなかった。反省するのはむしろ俺の方です。あいつは今、どこに居ますか?」

 外周道路では、まともに謝れなかった。

 お礼に到っては、一言も言えていない。

(俺はもう1度咲菜美と向き合って、話をするべきだ。ちゃんと、お礼を言うべきなんだ)

「さっき、外の空気を吸いに行くと言って出て行ったきりだな……」

 リルがそう言いながら出入り口の方へ顔を向けたので、潤人もつられて同じ方を見る。

 と、そこに誰か居るのが見えた。

 スライド式のドアは全開にされ、廊下が見えており、その四角い枠の隅からひょこりと顔を覗かせて、少女がこちらを見つめていた。

 美少女特有の整った顔をほんのり赤く染め、少し傾げた頭からはおさげの片方が垂れている。

「――――咲菜美?」

 潤人が少女の名を呼んだ途端、まるで猫が驚いて毛を逆立てるように、彼女のおさげが『ピン!』と伸びた。 

「っ!」

 顔を赤らめ、片手で胸元を掴み、俯いたまま、咲菜美由梨が部屋へと入ってきた。

「戻ったか、咲菜美君」

「――――はい」

 小隊長の声に短く答えた咲菜美は、ベッドを囲む輪へと、控えめに加わった。

「……咲菜美。面倒見てくれてありがとうな」

「あ、あたしなんかに、お礼なんて、いいわ。具合は、大丈夫?」

 お礼を述べた潤人は咲菜美の目を見て話をしたいのだが、前髪に隠れてよく見えない。 

「ああ。皆のおかげで、大分良いよ」

「そう」

(もしかして、俺が丸1日心配掛けたから、少し怒ってるのか?)

(ここは感謝の気持ちに、何かプレゼントの1つでも用意して渡すべきだろうか?)

(あ、でも咲菜美だけに渡すと、リルが膨れて先輩が銃の撃鉄を起こして橙泉もきっとその無人爆撃機で俺を爆砕するだろうしなぁ)

 などと考え始める潤人。

 そんな後輩達の様子を見た寺之城が、 

「では今夜、基地にて復活パーティーといこうではないか! リル君の歓迎会も兼ねてな!」

「おお! パーティーか!」

“ぱぁぁ”と、表情が明るくなるリル。

(よし、来月の生活費に響くけど、パーティーまでに何か全員分のプレゼントを用意しよう。それで咲菜美が笑ってくれるかはわからないけど、今の咲菜美は元気なさげだし、やろう!)

 と、潤人は内なる決意を固めた。

「橙泉君が、ミサイルですら効かなかった相手をどうやって倒したのか、聞きたがっていたぞ?」

 寺之城の言葉で、潤人は屋上で起こった、まるで奇跡のような現象を思い出した。

 自分はあの時、諦めたくない一心で立ち上がった。立ち上がる(、、、、、)ことが出来た(、、、、、、)

 腹部に穿たれた傷が、あっという間に修復した。

 あんな事象を実現出来たのは、ローズの力のおかげと考えて間違いないだろう。

 潤人はそこまで思考が渦巻いた所で、自分の視野に、“敵”が最後に焼き付けてきた微笑を思い浮かべだ。

「先輩」

「なんだね?」

「あいつは、アズロットは、どうなったんですか?」

 潤人は尋ねながら、自分がアズロットの身を心配していることに気付いた。

「彼はキミの攻撃による傷を負って倒れ、生徒会の手回しで、風紀団(コミュニティ)がどこかへ運んだ。その後の事はわからないが、風紀団の団長(、、)が見張っていれば問題あるまい。差し詰め、本部の牢にでもぶちこむだろう」

「そうですか……なら、命に別状は無いんですね?」

「うむ。問題無いそうだ。敵に情が移ったかね?」

 寺之城が、潤人自身もまだ定まっていない理由を聞いてきた。

「……リルが、“アズロットは敵じゃない”って言ってた理由が、なんとなくわかった気がするんです」

 少しの沈黙の後、潤人はそう答えた。

「ふむ。あの男がこの島に来たわけは、昨日リル君から説明を受けたよ。キミの中に眠る“力”の事もな。だから、キミの考えもわからなくはない。彼は暴力こそ振るったものの、誰ひとり殺めてはいないしな」

「アズロットの所業は全て、私達のためのものだからな」

 寺之城もリルも、そして黙したままの咲菜美も、潤人の考えを否定しようとはしなかった。

 屋上で脳内に流れ込んできたアズロット達の“過去”を、潤人は思い返す。

 アズロットから感じたのは、“ローズの暴走を止めたい”という想いと、“寿潤人の根性を叩き直す”という熱意だった。

「あいつはあいつで、長い間牢屋に入れられて、辛い思いをしているんです。過去に“ローズの力”が暴走した時は、大切な仲間を失っていて、同じ惨劇を二度と起こすまいと、自分に誓いを立てたみたいでした。アズロットは俺を殺すんじゃなくて、むしろ助けるために、ここへやって来たんです。確かに、あいつは一歩間違えば死人が出てしまうような事を何度もやった。その罪は組織内で問われなければならないと思います。でも、変かもしれないけど、その素性を知ってからは、あいつを弁護する立場に回ってもいいと思えるようになったんです」

 潤人自身、仲間を医療院送りにされ、自分の腹部を剣で刺したアズロットに対して抱いた懇意的な感情に一瞬戸惑ったが、今思えば、港での彼の行為は正当防衛だし、屋上での事は、例え潤人に憎しみを覚えられたとしても、我が身よりも潤人の身を最優先に考えて取った行為なのだ。

「ならばこうしようではないか。我が108小隊(イチマルハチ)で、アズロットが組織内裁判に掛けられる際、無罪を求める旨の書類に署名して、生徒会に提出するのだ。あの腹黒――――ゲフン! あの厳しい性格のレイラが相手だから、通る保障は無いが、やらないよりはずっと良いだろう?」

 と、寺之城が提案したのは、“司法裁判”での意見具申である。

 組織の管理するエリアで、同組織に従事する者が起こした犯罪行為は、組織が陪審員と裁判官を召還する事で開かれる審議によって、裁かれる決まりになっているのだ。

「その手でいきましょう。アズロットに伸された遠藤達には悪いけど」

 潤人は賛同しつつ、今も医療院でリハビリ中であろう仲間達の事を想う。

 彼らも、理由をしっかり話せば解ってくれる連中だ。

「――――おっと、話が決まったところ悪いが、買いそびれたものがあったようだ。仕方ないからもう一度買い出しに行こう。というわけでリル君、一緒に来て手伝ってくれたまえ」

 不意に、寺之城が棒読み気味にそう言うと、リルの手を取って回れ右をして医務室から出て行ってしまった。


「買い出しって、潤人のためのお水とおにぎりだけじゃなかったか? その袋に入っていにゅぅ!?」

「クワイエット! いいかねリル君、これを、“空気を読む”と言うのだよ? ボクがイイと言うまでは、そのまま実体化していたまえ」

「私は潤人の側に居たいぞ!」

「コンビニには、夏限定、マンゴー味のソフトクリームが売っている」

「早く行くぞ寺之城! 潤人と一緒に食べるのだ!」

「――――」


 廊下から響いていた話し声が無くなり、医務室内は静寂に包まれた。

 咲菜美は俯いている。

 こうして2人きりになるのは、久しぶりに思えた。

「……」

「……咲菜美」

 意を決して、潤人は切り出した。

「ん?」

 咲菜美が少し、その顔を持ち上げた。まだ視線は足元に向けられているが、その目は何かを零すまいとするかのように見開かれたままだ。 

「少し、いいか?」

「――――うん」

「今回の事だけじゃない。今までの分、全部、謝らせてくれ」

 雲から覗いた日差しがより強く降り注ぎ、医務室の床を白く照らし出す。

「済まなかった。俺は、咲菜美が今まで心配してくれてたのをわかっていながら、それに甘えてた。咲菜美の気持ちを考えずに、自分のことだけ考えてたんだ――――」

「――――あたしは、あんたに謝られる資格なんか無いの」

 不意に、咲菜美が口を開いた。“資格は無い”、と。

「あたしはあんたを、今までずっと裏切ってた(、、、、、)。記憶が無いのが悔しいけど、あたしは昔、誰か(、、)の命令で、あんたを監視する任務に就いていたの。潤人が危険な状況に陥ったらすぐに報告するように言われていて、あんたにはそれを黙ったまま、今までずっと、スパイみたいな事を続けてきた。だから、こんなあたしには、あんたに謝ってもらう資格なんて無い。むしろ、謝るのはあたしなの――――」

 白いブラウス――――その胸元を握り締めたまま、咲菜美は真実を、潤人の精神を守るために、その一部を隠したまま、語る。最後まで付き纏う、隠して残った一部の罪悪(、、、、、、、、)と戦いながら。

「中2の冬、あたしを助けてくれた時の事、覚えてる?」

「ああ。覚えてるよ」

「あたしね、あの時あんたが助けてくれてなかったら、この世界から(、、、、)逃げ出して、ここに居なかったと思う。苦しい事がとにかく嫌で、恐くて、任務だって投げ出そうとしてた。そのあたしを、あんたは助けてくれた。そして、苦しい時はどうするべきなのか、“お手本”を見せてくれた。だから、凄く感謝してる。おかげであたしはあの日以来、任務じゃなくて、友達として、あんたの側に居る事が出来たの。校舎の裏であんたが教えてくれた事をモットーにしてね。その恩人のあんたが苦しそうにしてたから、今度はあたしが助ける番だと思って、今まで頑張ってきた。隠し事をしておいてとんでもないけど、恩返しがしたかったから。あんたが理由も無しに、暗い考えを吐いたりなんかしない事、あたしは知ってるもの。不幸粒子が招いてるんだって事も、わかってた――――」

『この子も、ずっと悩んで、耐えて、戦っていたのね……』

 脳内では、ローズが親身に耳を傾けている。

痛い(、、)のは、(みんな)同じなのよね。違うのは、形だけ……』 

「あたしはあんたに笑っていて欲しかった。いつものあんたで居て欲しかった。そのためならどんなことでもするつもりでいた。そうしたら、その気持ちがいつからか焦りに変わっていたの。一向に良くならない状況に苛々して、どうしたらいいのかわからなくなって、そんな時に、アズロットがこの島に来て、皆を――――あんたを襲った。あたしはもう耐えられなくなって、あんたの事を考える自分しか見えなくなって、ついにはあんたの邪魔を、しようとした……」

 そう語る咲菜美の肩は、小さく震えている。

 俯く顔から、大粒の滴が落ちる。

「あんたが教えてくれた、たからもの同然だったモットーも忘れて、ひとりになって、暴走してしまったの。だから……」

 堪え切れずにしゃくり上げた咲菜美は、悲嘆に満ちた表情をしていた。

 弱々しく細められた目からは、彼女の中で止むことの無い悲しみが溢れ、零れ続けている。

「ごめんね、潤人――――」


「っ!」


 潤人は思わずベットから抜け出し、親友の身体を抱きしめていた。

「――――!?」

 普段の彼女からは想像もつかないほどに弱々しく、縮こまった肩。

 小さくて、儚くて、今にも壊れてしまいそうな身体。

「謝る事なんかない」

 潤人は、そんな弱り切った幼馴染を守るために、優しく、強く抱きしめる。 

「咲菜美は俺のために戦ってくれた。否なんて、1つも無い」 

 その手で乱した彼女の髪を、優しく撫でる。

 押し付けられた互いの身体――――その胸から、命を刻む鼓動が伝わってくる。

 苦しみに耐え、今も脈を打ち続けている。

 これ以上、『不幸粒子』に、彼女を苦しめさせはしない。

 潤人は自分の体温で彼女を包み、守る。

「もうなにも、苦しむことなんて無いんだ。恐いことなんて無いんだ。俺も咲菜美も無事で、ここに居る。どこにも行きやしない。それはこれからも変わらない――――」

 彼女の華奢な肩から、震えが止まる。

「俺と、ずっと一緒に居てくれ」

 それは、潤人の紛れない本心だった。

 これからも今まで通り、最高の仲間でありたい。親友でありたい。

 心の底から、そう願っていた。

「――――こんなあたしと、これからも、友達で居てくれるの?」

「当たり前だろ?」

「あたしは、潤人の友達で居ていいの?」

 潤人は上体を少し離す事で、咲菜美の顔を正面から覗き込んだ。

 大事な事は、ちゃんと向かい合って言うべきだと。

「ああ!」

「――――ッ!!」  

 咲菜美は涙でクシャクシャの顔を、もう1度潤人の肩に埋め、声にならない叫びを上げ、ぎゅっと抱きついた。

「うると」

「うん」

「――――ありがとう」

「こっちこそ」

 暖かな光が、部屋全体を包む。

 

「――――ありがとうな」


 潤人は咲菜美を、咲菜美は潤人を、お互いの気が済むまで、優しく抱きしめ続けた。





















 ――――――――――――――――――。

 



 オ前タチガ笑ッテイルソノ時、

 世界ノ何処カデ、他ノダレカガ泣イテイル。

 世界ハ平等デハナイ。

 今ハ笑ッテイルガイイ。

 イズレ見エル時マデ……。




 ――――――――――――――――――。




「――――?」

 新大島東高校の屋上。

 階段室の上に腰を下ろし、医務室の様子を()ていた騎士影(ナイトシェイド)は、不意にその“眼”を見開いた(、、、、)

 今――――。

“誰か”の声を、聴いた気がしたのだ。

『……俺が生きている限り、お前の思い通り(、、、、、、、)にはさせない(、、、、、、)

 誰に言うのでもなく、心の中でつぶやく。

 新大島の『天候』は晴れたが、この男の表情には未だに物憂げな靄がかかっていた。

 寿潤人、アズロット・アールマティ、それと、もう1人(、、、、)。計3人の『代行者』を、現時点で組織の管理下に置いている。

 世界での戦況を加味しても、悪くはない勢力図のはずだ。 

 ここから先は、1つ1つの選択の重要性がより大きくなるだろう。

 覚悟を決めるかのように、騎士影はその蒼い双眸を鋭く細めた。


『――――次は、4人目だな』





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