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第7章・夜明けの想い人

 

 その気持ちに気付いたのは、中学生の頃。

 具体的には、1年生の頃だ。

 その時まで経験した事の無かった感情が、胸の中で膨れ上がり、他の事など頭に入らなくなっていた。

“彼”の姿を見る度に、その表情を、その背中を、目で追う自分が居た。

“彼”だけを、ずっと、ずっと、見つめて想う自分が――――。




「――――」

 夜の外周道路。その歩道から眼下の砂浜を見下ろす1人の少女。

 眼前に広がる海は星明かりに照らされてはいるが、暗い。

 月明かりの無い海は、とても暗い。

 まるで、歩道に佇む少女の、懊悩に侵された表情のように。

「……」

 腰の辺りまで伸ばした黒髪。その後ろ髪をストレートのまま二つに結い、スラリと引き締まった肉体を持つ少女の名は、咲菜美由梨。

 新大島東高校2年5組。

 学年一の格闘術師(ファイター)にして、組織の上層部によって選ばれた“工作員(エージェント)”だった。

 今はもう、違う。

工作員(エージェント)”――――その任務が行き着く先にあるのは、苦痛だけだ。

 だから、辞退した。

 組織が最重要視する任務を受けている者の総称を工作員と言い、彼らが請け負う仕事の機密性は特例任務の更に上である。そして、工作員の意見具申は、上層部が任務続行不能という見解を下さない限り、ほとんど通らない。

 今回の辞退も、例外ではない。許可など下りてはいないのだ。

 つまり、咲菜美がしている事は任務放棄。反逆だ。

 いずれ捕らえられ、罰せられるだろう。

 咲菜美は肌寒い潮風を浴びながらも、身じろぎ1つせず、想いを馳せていた。

 自分がこれから選択する道への不安を和らげるために。

 過去に、救いを求めるように。

 


 

『――――任務だ』

 咲菜美は、中学校に上がり立ての頃、“誰か”に“それ”を命じられたのを覚えている。

 その命令は、咲菜美の初めての『任務』としては荷が重過ぎるものだった。

 任務や依頼には、難易度別にEからSまでの格付けが成されており、中学生が熟すのはD、良くてCが大半を占めていたが、咲菜美のそれはSランク。

 組織全体にも影響が及ぶほどに注目され、重要な意味合いを持つとされる“Sランク”が、中学生の咲菜美に初めて課せられた任務。

 それも、拒否権の無い工作員という立場で。

 理性で考えれば、無謀極まりない命令。

 中学1年生の少女に課すものではない。

 しかし、命令の根拠は伝えられず、また、それを止める者も居なかった。『依頼』と違い、『任務』は絶対だ。故にまだ幼い咲菜美は、首を横に振る事は考えなかったし、出来なかった。




 咲菜美が潤人と知り合ったのは、中学1年に進級して間もない4月。

 始業式の日に、寿潤人はどこからか転校(、、)してきたのだ。

 その時、偶然席が隣同士になり、一方が筆箱を養護施設に忘れたり、教科書を忘れたりした際、互いに助け合うという、隣同士によくある構図で、咲菜美は潤人と接するようになった。

 初めは普通の友達として、他愛も無い話をしたり、時に物を貸し合う関係だった。

 そんなある日、咲菜美は校長室に呼び出され、そこで“誰か”に出会った。その“誰か”は咲菜美に、『寿潤人』の事を――――彼に隠れた“真実”を、話して聞かせた。


『寿潤人の心には、過去に東京を破壊した“魔人”が眠っている』


 ――――と。

 咲菜美はそこで、『寿潤人の監視』を命じられたのだ。

 寿潤人は今までの間、組織の要塞の奥で隔離、監視されていたが、近年になって容態が安定したため、()に出て学ぶ事を許された、という話だった。

 これまで全く想像すらした事の無かった、暗く、恐ろしい真実を聞かされて、咲菜美は友人であるはずの潤人に、恐怖を抱くようになってしまった。

 その時の潤人は、元気のある前向きな性格だったが、体内に恐ろしい存在を秘め、本人はその事実を知らないという状況下に置かれており、そのギャップが咲菜美の中で、

(いつか、心に取り付いた魔人が暴れ出したら、彼はどうなってしまうのか? 彼の側に居たら、どうなってしまうのか?)

 という懸念を増大させる要因となってしまった。

 だが、“監視”は潤人を“最悪の事態”に追い込まないためのものだと教えられた咲菜美は、縦に頷くしかなく、恐怖との戦いを繰り返し、『幼少からの幼馴染』として潤人に接し続けた。

 寿潤人は幼少期の記憶が欠如しており、『気想術』による記憶の改ざんが施され、咲菜美はあらかじめ用意された設定(シナリオ)通り、養護施設時代からの幼馴染を演じたのだ。

 偽りの思い出。

 偽りの笑顔。

 その仮面の下に隠した恐れ。

 ところが、そんな咲菜美の負の感情を覆す出来事が起こる。

 それは、咲菜美が中学1年の冬を迎えた頃の記憶。




『やめろ!!』


 校舎裏に、聴き馴染んだ少年の声が反響した。

 戦闘演習の度にチームの足を引っ張る咲菜美を罰すると言い、彼女の身体を踏みつけていた少年達はその足を止め、声のした方を振り返る。

『なんだぁ?』

『コトブキだ。無能のコトブキ』

『いつも1人で居残りして、修行やってるのに、全然進歩が無いって、先生に怒られてるって話だぜ?』

『その無能ヤローが、なんの用だ?』


『咲菜美を放せ!』


 後から現われたらしいその少年は、そう言った。

 コンクリートの上に横たわる咲菜美は、涙で霞んだ目を、声のする方へと向ける。

 目も悪く、眼鏡を掛けて視力を補っていた咲菜美は、その眼鏡も踏み砕かれてしまい、離れた場所に立つ少年の姿は見えなかったが、それでも、誰なのかは分かっていた。

 その声は、その立ち姿は、普段から咲菜美の心に焼き付けられていた。


(う、る、と?)


『なんだってぇ?』

『おれたちはこの女に、キョーイク的指導をしてるだけだ』

『こいつが演習で足引っ張らなきゃ、みんな、早く帰れるのに、いつまで経っても成長しないからさぁ』

『そこらへんはお前と一緒だな? コトブキ』

 

 そう。

 自分が悪いのだ。

 自分が、皆の動きについていけないのが。


『咲菜美は身体が弱いんだよ! おれも、おまえらも、咲菜美とは一緒のクラスなんだから、それくらい知ってるだろ?!』


(あたしの事なんて、放っておいていいから――――)


『はぁ!? 知らねーよそんなもん。自分の都合でチームのみんなを巻き添えにしていいんですかぁ?』


『先生は教室で、気想の弱い子がいても、いじめちゃダメだって言ってただろ!! おまえらは先生の言うことに逆らってる!!』


『いや、だから、いじめじゃねぇし。キョーイクだし』

『教室で女子達が咲菜美の机にイタズラしてても、先生はなんにも言ってこなかったぜ?』

『見ても、何も言わないってことは、“コウニン”してるって事だよなぁ?』


『なんだって……?』


『身体が弱いから訓練するんだろ? それでもダメなヤツは、キョーイクしてやらなきゃ一生ダメなままなんだよ』

『おまえは違うチームだからそう言うかもしれないけどさぁ、一緒のチームになればわかるぜ? コイツがどれだけダメか』


『――――人の頑張りも、ガマンも知らないヤツが、そんなこと言う資格なんて無い!!』


『さっきから何なんだよ! 邪魔する気かぁ!?』

『おまえもこうなりたいってか!?』


(うぅッ!)

 咲菜美を取り囲む男子の1人が、咲菜美の腹部を靴の爪先で蹴り飛ばす。


『やめろおおおおおおおおおおおおおッ!!』


『お? 来た来た!』

『正義のヒーローってかぁ!?』

『遊んでやるよ!』

 咲菜美を助けようと、少年はたった1人で、外野を合わせて計5人の男子生徒に挑み掛かった。

 勝敗など、考えなくてもわかることだ。

 それなのに。

 その少年は、恐れもせず立ち向かった。

『魔人』をその身に宿し、“危険な存在”なはずの彼は、そんな印象など微塵も出さず、普段から前向きに修行に励む努力家だった。

 咲菜美の身体に片足を乗せていた男子生徒にタックルし、側に居た2人の内片方に掴みかかり――――。


『うわッ!?』


 咲菜美の目の前に、その少年は倒れこんだ。

 彼が押していたのは、初めのほんの僅かな間だけ。

 あとは数の差が全てを否定し、容赦なく踏みにじった。

(もう、やめて――――)

 泣きじゃくりながら、咲菜美は声にならない悲痛を漏らす。

(あたしなんかのために、傷つかないで!)

『う、る、と――――』

 まだ蹴られた場所が疼き、うまく息が吸えない中、咲菜美は声を絞り出す。

『にげて』


『いやだ!!』


『!?』

 片や地べた、片や直立。姿勢にしても圧倒的に不利な状況へ追い込まれながらも、両腕、両足を縮め、必死にガードを固めようとする少年は、そう叫ぶ。


『逃げるもんか!! おまえを、置いて、逃げたりなんか――――!!』


『ごちゃごちゃうるせーんだよ!』

『あーあ、あんなにかカッコつけてたのがこのザマかよ。ヒーローって強いんじゃないの?』

『だっせ』

『おれ飽きたから休むわ。ソイツは頼んだ』

 男子生徒の1人が踵を返し、こちらに歩いてきた。


『ぐぁッ!!』 


 他の男子生徒達は、加減もせず、1人の少年を蹴り続けている。

『よう、悪いおまえを助けようっていう変なヤツも居たもんだなぁ? 今日のところはこれくらいにしておいてやるよ。あとはコトブキのヤツをよーく見て、誰のせいでこうなってるのか、よく覚えとくんだなぁ』

 

『咲菜美ッ!! おまえは――――にげろ!!』


『いいねぇ! まだしゃべりますか!』

『ちょっと見直したよ。かっこいいじゃん!』


(もう、イヤ)

(それ以上、苦しまないで)

 ボロボロになっていく“幼馴染”を前に、咲菜美の涙は勢いを増す。

(やめて――――お願いだから――――)

 震える口を開き、息を吸い込み、咲菜美は叫んだ。


『やめてぇッッ!!』


 次の瞬間。

『どんどんどんどんどんどおおおおぉん!!』


 新たな声が、どこかから飛んできた。


『うわ! なんだ!?』

『痛ってッ!?』

『誰だ!?』


 男子生徒達が、自身の肩や腕を片手で押さえ、揃って同じ方角――――校舎の最上階を見上げている。

 咲菜美も目をこすり、その痛んだ身体を仰向け、4階の開け放たれた窓に立つ人物を見上げた。


『ッハーッハッハッハッハッ!!』

 窓枠に片足を掛けて身を乗り出し、両手に持った二丁のピストルをクロスさせ、横向きに構えて得意気に笑う眼鏡の少年だった。


(――――だれ?)


『いきなりなんだよ!?』

『だれだおまえ!!』


『ボクかい? ボクはただの、通りすがりの――――』


 眼鏡の少年がピストルを握る片方の手で眼鏡をズリ上げると、レンズが夕日を反射してキラリと光った。


『ミスター・じぇえええんとるめぇえええええんんッ!!』

『こォらぁ!! てらのじょー!! キサマどォこに足を乗せているんだぁ!!』

『おっと! 邪魔が入ったようだな! 仕方がない! 中略して、どんどんどんどんどんどんどんどおおおおぉん!!』

 名乗ろうとしたらしい眼鏡の少年は、廊下から誰かに叱咤され、去り際に再び謎の擬声語を叫びながらピストルを発砲し、その姿を引っ込めた。

『痛ぇ!!』

『BB弾だ!!』

『あいつ、エアガンで撃ってきやがった!!』

 男子生徒達を襲った謎の痛みはエアガンによるものらしい。

『そこの少年(ヒーロー)! 先生の説得は任せたまえ! ッハーッハッハッハッハッ!!』

 という、まるで舞台俳優のような高らかな捨て台詞が、不条理で満ち溢れる校舎裏に響いた。

 突然の襲撃に戸惑う男子生徒達は、足元に横たわる少年(ヒーロー)の存在を、僅かの間忘れていた。

『ガッッ!?』

『ッ!?』

 下から繰り出された2つのアッパーが、2人の男子生徒の顎を完璧に捉え、打ち上げた。

 男子生徒達が校舎の方に気を取られている間に体勢を立て直した少年が、側に立っていた2人を伸した瞬間だった。


『うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!』


 少年は鬨の声を上げ、3人目の顔面にその額を思い切り見舞い、有無を言わさず吹き飛ばす。

『さ、3人を一瞬で!? おれらもヤバくね!?』

『ま、まだ立てたのかよ!? くそ、お、覚えてろぉ!』

 残る2人は逃走を図り、校舎の中へと消えたが、


『ここで会ったが100年目えええええ!!』


『う、うわあ!? さっきのヘンタイだああ!!』

『に、にげるぞぉ!! ついて来るなぁ!!』


『ッハーッハッハッハッハッ!! 逃げたまえよ!! 追うだけさねえええええッ!!』


『足早ッ!?』

『ひいいッ!?』


『そぉぉぉらそらそらそらそらそらそらあああああああ!!』


『いてえええ!!』

『すみません!! すみましぇえええええん!!』


 断末魔が聴こえてきた。


『――――大丈夫か!?』


 すぐ側で、彼の声がした。

 そちらを見遣る咲菜美の目からは、安堵の涙が止め処なく零れ落ちる。


『な、泣くなよ。もう大丈夫だから!』


『……うん。ありがとう』

 もう、咲菜美の心に、彼に対する恐怖など、微塵も無かった。

 溢れる涙。

 揺らぐ視界の中、自分の身体を優しく抱きかかえてくれた少年の顔を、咲菜美は見つめ続けた。

 自分のために、ズタボロになりながら戦ってくれた戦士(ヒーロー)


 寿潤人を。




 その日を境に、咲菜美は毎日のように潤人と行動を共にするようになった。

“任務”としてではなく、“親友”として。

 校舎裏での一件のあと、1学年上らしい眼鏡の少年にじっくりこってりギトギトに絞られた少年達は改心して、咲菜美と潤人の所へ頭を下げに来た。それ以降、咲菜美に対する嫌がらせは無くなり、仲間外れだった咲菜美に、少しずつ友達が出来始めた。

 咲菜美を除け者にしようとする一部の集団の流れに圧迫され、それまで声を掛けたくても掛けられなかった子が、少なからず居たのだ。

 彼女らも初めは、寿潤人のように止めに入らなかった事を悔い、咲菜美に謝ってきたが、咲菜美は咎める事などせず、喜んで迎え入れた。

 咲菜美の優しさに触れた友人達は、今後同じような虐め行為が行われる事は二度と許すまいと、心身共に強くなろう、と互いを鼓舞し合い、訓練に一層打ち込むようになった。

 1人の少年の勇気ある行動は、結果として1人の少女を“不条理”から救い出し、周囲の生徒達に影響を与え、皆が団結する兆しとなったのだった。

 この頃から既に咲菜美の中で、潤人に対する、それまで味わったことの無い感情が燃え上がっていた。

 潤人の事を考える度、姿を見る度、声を聞く度、胸の辺りが熱くなるのだ。

 側に居ると、何故かどきどきしてしまう。

 施設の部屋で眠る時も、気が付けば暗がりの中で潤人の姿を思い浮かべていた。

 それを、同じ乙女達が見抜かないはずもなく、

『――――ねぇ由梨。今あなた、好きな人居るでしょ!』

 ある時友人にそう言われて初めて、咲菜美は自分の中で騒ぎ立てる感情の正体を認識した。

『え!? 誰? だれ? 教えてよぉ』

『い、居ないわよ。そんな人――――』

 と、頬を赤らめて否定する咲菜美。

 皆が互いに努力し、成長していく中、1つの恋が始まり、物語は更に『幸福』へと発展していく。

 咲菜美はそれを、心のどこかで強く望んでいた(、、、、、)のだろう。

 しかし。

 世界は、理不尽に出来ていた。

 状況は、『不幸』へと転じたのだ。


 中学2年生の春の事。

『任務』は未だ継続中だったが、務めと言えば、“誰か”の指示通り、週に1度、レイラに念話札で状況を伝える事。ただそれだけだった。

 この時咲菜美は、潤人と共に学校生活を満喫し、時に胸を躍らせ、時に気持ちが先走り、甘くほろ苦い恋という名の『幸福な日々』を過ごし、潤人が『魔人』を宿す危険人物であるという事実は彼女の心から疾うに薄れていた。

 恋煩い。恋は盲目。

 そんな春日遅々の放課後。

『どうしたの? 何か、嫌な事でもあった?』 

 咲菜美は下校途中、想い人の背中を見つめ、そう聞いた。 

『……なんか、俺ってさ、いくら訓練しても、施設で自主的に修行しても、一向に成果が出ないだろ? なんだか最近それが辛くってさ。このまま頑張っても、無意味な気がしてきたんだ』

『――――どうしてそんな事言うの? 潤人はたくさん頑張ってるじゃない』

『あのなぁ、頑張ってたって、成果が無けりゃ、やっていけないよ。オトナの世界は結果が全てって聞くし。いくら努力しようが、何の成果も上げられなかったんじゃ、いずれはクビだよ。みんなが気想術を身に付けて成長していくのに、俺はそれを見ている事しか出来ないのが嫌なんだ。……悔しいんだよ』

 そう言いつつ振り返った潤人の表情は、血の気が失せていた。

 その目は虚ろで、これまでは覇気のあった声も、まるで別人のように元気が無くなり、暗いオーラを漂わせていたのだ。

 潤人が初めて見せる雰囲気に、咲菜美は言葉を失ってしまった。

 どうしたというのか。

 何が、潤人を変えてしまったのか。

 全く心当たりの無い咲菜美は、その時はまだ、答えに気付く事は出来なかった。

 それからの潤人は、1人で帰ってしまうようになった。

 鍛錬もせず、学校が終わると施設に直帰し、部屋から出てこなかった。

『悔しいなら、頑張り続けて、みんなを追い越せばいいじゃない』

 と、咲菜美は機会を見計らって潤人に話し掛けたが、

『……簡単に言うけど、それって、人の痛みをわからない人間が言う事だぜ? 少しでも努力が実って、そういうものなんだと勘違いしてるヤツが言うセリフ』

『あたしは、そんなつもりで言ったわけじゃ―――――』

『……ごめん、わかってるよ。しばらく、1人で居させてくれないか? 今みたいに、人に酷いことを言ってしまうかもしれない自分が嫌なんだ』

『待ってよ。ほんとに、どうしちゃったの?』

『わからない。どうもしないのかも。ただ、全部俺が悪いだけかも。そうだ。俺が悪いんだよ、全部……』

『待って』

『今日の“天候”は“雨”らしいじゃないか。早く帰った方が身のためだよ』

『……あたし、雨は好きよ?』

 少しでも、潤人の悲観的な考え方に何らかの影響を与えたい一心で、咲菜美はそう言った。

『この組織の隠語だと、雨は悪い事みたいだけど、干ばつで困っている人達は、雨を欲していたりするじゃない。お花だって、雨が降らないと枯れちゃう。降りすぎもよくないけど、必要な事なのよ?』

 そうだ。

“晴れ”と同じように、世界には、“雨”も必要なのだ。

 光があれば影があるのと同じように。

“雨”の時があれば、“晴れ”の時もある。人の心の浮き沈みも、その繰り返しなのだ。

(なら、そこまで悲観的な心境で居続ける必要なんて無い)

 と、咲菜美は思った。

 しかし。

『“雨”が続けば“晴れ”を欲しがって、“晴れ”が続けば“雨”を欲しがる。欲望まみれの世界じゃないか。俺はその中で、誰かの踏み台にしかなれていないのが嫌なんだよ――――』

 力なく歩いていく潤人に伸ばした手は、届かなかった。


『6時になりました。中学生以下の生徒は、速やかに施設に帰りましょう。今日は“くもりときどきあめ”です。恐いことが起こるかもしれません。高校生は、率先して後輩の子を引率しましょう』


 まだ島に結界が展開されていなかった当時、小・中学生向けに、午後18時になると決まって流れた島内放送を耳にした咲菜美は、ここでようやく、潤人の豹変の有力な理由に辿りついた。

『不幸粒子』

 それを振り撒く、『魔人』

 いつの間にか平穏な日常の影に隠れ、薄れていた存在。

 咲菜美の中で、その存在に対する怒りが燃え上がった。

 何の罪も無い潤人に取り憑き、巻き込み、陥れる元凶。

 そうだ。

『魔人』のせいだ。

『魔人』が、潤人の明るく前向きな心を侵食しているのだ。

(――――あたしが守る)

 潤人の背を見つめ、歯を食い縛る咲菜美。

(これ以上、『魔人』に潤人を苦しめさせはしない! 今度はあたしが潤人を、守るんだ!!)

 拳を強く握り締め、咲菜美はそう決意した。

 その日から、咲菜美は今まで以上に修行に明け暮れた。

 元々身体が弱かった己を変える事で、潤人に模範を示したい一心で。

 もし、潤人が『魔人』に乗っ取られ、何か好くない事をしようとした時、自分が彼を止め、救うために。

 少しでも、あの前向きな潤人に戻って欲しい一心で。

 咲菜美は身体の筋力を鍛えに鍛え、来る日も来る日も、早朝から夜遅くまで、座禅、ランニング、イメージトレーニングを欠かさなかった。

 授業での訓練では総合格闘術を専攻し、その肉体を最大限に活かした戦闘スタイルを磨いていった。




 それから3年が経った今。

「……」

 大通りの歩道。

 いつの間にか、自分が暗く沈んでいる事に気付かない咲菜美は、闇夜に広がる海を見つめ、その黒髪を潮風に靡かせていた。

 潤人への感情は、高校2年生となった今でも変わらず抱き続けていた。

 むしろ、前よりも強く、恋しく(、、、)なっていた。

 咲菜美を、虐めの泥沼から救ってくれた少年は、明るく前向きで、いつも先頭に立って引っ張ってくれた。

 その少年は、変わってしまった。

 彼が、恋しい。

 そんな彼が数時間前、日が沈む頃に、ほんの一瞬の間、咲菜美の前に現われた。

 基地の中、仲間を支援に向かう際の彼は、かつての“彼”と、同じ目をしていた。

“彼”が完全に戻って来るかもしれない期待で胸が一杯になった咲菜美は、彼の背をただ見つめる事しか出来なかった。

 その結果が、『魔人化』だ。

 何人もの生徒が傷つき、港が破壊されたあの戦闘で、彼はとうとう『魔人』と化してしまった。

 あの時――――日が沈む時、自分が彼を止めてさえいれば、こんな事にはならなかったはずなのに。

「……ごめんね、潤人」

 咲菜美は自分を責め立てた。

 確かに、潤人の言う通り、自分や、多くの成功者は“偶然努力が実って、それ以来、努力は報われるものであると思い込んでいる”のかもしれない。

 だが、かと言って、ずっと俯いたままの潤人を見ているだけというのは耐えられない。

 潤人だけが、暗鬱の中に取り残されるのは嫌だ。

 そうして、心に刻み込んだ。

 次こそ必ず、潤人は自分が守り抜く。

 あの時の恩を返し、潤人の目を覚ます。

 そのためなら、手段は選ばない。

 もし、誰かが邪魔でもしようものなら、

 

 ――――誰デアロウト、容赦シナイ。




「……状況を整理しよう」

 潤人とリルのジト目に耐えられなかった寺之城はそう切り出した。

「寿君の中には謎の少女が居て、1年前から、そこにリル君も加わった。レイラの言っていた“抑える”という言葉と、寿君の中にある2つの存在を関連付けるとするなら、前者の謎の少女だろう。寿君を欲しているわけだからな」

「その子の名前はローズといいます。彼女は、悪意があって俺の中に居るんじゃないんです」

 と、ジト目を解いた潤人が情報を提供する。

「レイラは、寿君のために、あの大男を傭兵として雇ったと言っていた。それは即ち、“全力で寿君を抑えるため”と捉える事が出来るわけだが……」

 寺之城は言葉を切り、眉を寄せて首を捻る。

「皆、ローズが悪の権化だと、誤った解釈をしてしまっているだけなのだ」

 と、弁明するリルだが、寺之城に信じてもらえるかどうか不安なのだろう。形の良い眉をまた八の字にしている。 

「少女は悪意で以って寿君と一対になろうとしているわけではないのに、レイラ達は寿君を抑えようとしている(、、、、、、、、、)。これが何を意味するのか分からん」

 そもそも潤人は、レイラからリルの身を守るよう命じられた。 

 それを遂行するべく葛藤する潤人を、レイラが傭兵を雇う手間を掛けてまで襲う理由が見当たらない。

 なぜ、襲うというのか。

 寺之城お得意の妄想を以ってしても、その理由の候補は挙がらない。

「レイラは、“朝には全て終わる”とも言っていた。それはつまり、今から朝までの間に、向こうが何かしらのアクションを起こすという事だろう」

 潤人は時計を見遣った。

 時刻は午前4時に指しかかろうとしている。

 レイラが本当に、朝までに何か仕掛けてくるとすれば、ここは間違いなく危険だ。

 潤人の部屋の位置など、疾っくの昔に知られているに違いない。

 いつ襲われても、おかしくない状況だ。

 こんな狭いワンルームをアズロットに襲われたら、おしまいだ。

「そういえば、潤人はさっき、携帯がどこにも繋がらないと言っていなかったか?」

 心配そうな顔で、リルが潤人を見つめる。

「ああ。基地に居た時からずっとだな」

「――――ちょっと、携帯を見せてくれないかね?」

 寺之城にそう言われ、潤人は徐にポケットから携帯を取り出す。

 

 プルルルルルルル。


「「ッ!?」」

 突如、繋がらないはずの携帯から、着信音が鳴り響いた。

 電話だ。

 こんな時間に(、、、、、、)

「おお、電話が直った!」

 生唾を飲み込み、緊張の糸を張り巡らす潤人と寺之城の側で、リルだけが安堵したようにその目をきらきらさせる。

「……」

「ッ……」

 潤人と寺之城は数瞬の間視線を交わし、意を決した潤人は、電話を掛けてきた相手を確認するべく、液晶画面に目を落とす。


『ばんび』


「万炎からだ!」

「ばんび?」

 予想外の人物からの着信に思わず声を漏らす潤人を、リルが不思議そうに見つめる。

「万炎……あの三沢神社に居る巫女さんかね? いつも頭に笠を被っている――――」

 3年生である寺之城も、万炎の事を知っているようだ。

「そうです!」

 答えつつ、潤人は通話ボタンをタップし、耳に当てる。

「もしもし?」

 とりあえず、港での異変を万炎に伝えなければ――――。


『――――よぉ』


 更に予想もしなかった事が起こった。

 潤人の胃袋が、驚愕と焦りに圧迫される。

「ッッ!?」

 口を開けたまま、潤人は硬直した。

 聴こえてきた声は、万炎のものではない(、、、、、、、、、)

 20代後半くらいの、まだ若さの残る低い声。

 潤人はその声を、知っている。

 その声の主を、知っている。

「アズロット!!」

 無呼吸状態から、言葉を絞り出す潤人。

「!?」

 意表を衝かれたリルが息を呑み、寺之城が目を見開く。


『オレがわかったって事は、記憶の方はしっかりしてるのか? 港での事は覚えてるか?』


 声の主――――アズロットは落ち着き払った声色で、淡々と尋ねてくる。

 アズロットが、万炎のものであるはずの携帯を使って、今こうして潤人と交信出来るのは何故か。

 これは何を意味するのか。

「お、おまえ、万炎に何をしたんだ!?」


『あのちっこい嬢ちゃんなら、俺が預かってる(、、、、、)ぜ?』


「なっ!?」

 潤人の額から汗が滲み、視点が固定される。

“預かっている”という台詞から、潤人は最悪のケースを連想した。

「万炎を、人質にしたのか!?」


『ご名答だな。更に言えば、お前のガッコウの友達もだ』


「――――ど、どういう意味だ!?」

 

『言葉のままさ。今からオレと戦え。決闘だ。東高校の屋上で待つ。もしおまえが決闘を放棄して逃げれば、人質は皆殺しだぜ?』


「ッ――――!!」

(――――大変だ!)

 寺之城が放心する潤人の顔を覗き込み、何か言っているようだが、その内容が全く頭に入って来ない。

(万炎が、学校のみんなが、危険に晒されている!)

(みんなを巻き込んでしまった!)

 半日近い時間、潤人はこの部屋で意識を失っていた。

 それだけの時間があれば、学校の1つくらい、アズロットなら簡単に占拠してしまうだろう。

 現実は、理不尽だ。

 不条理はまたしても、潤人を狙い撃ちした。  

 万炎が、皆が、人質に取られた。

 アズロットとの決闘から逃げれば、皆、殺されてしまう。


『タイムリミットは夜明けまでだ。それを過ぎれば、登校してきた生徒から順に殺していく』


 潤人の心情などお構い無しに、現実はアズロットの言葉を介して潤人の胸に突き刺さる。

「潤人! 一体どうしたのだ?」

 またリルが声を掛けてくれたおかげで、どうにか精神の圧迫が和らいだ潤人は、リルの目を見た。

 そして、自分に問う。

(今こそが、誓いを果たす時じゃないか?)

 こちらを心配そうに見つめるリルに、頷いてみせる。

(リルを、皆を、守るんだ!)


「……俺がお前の言うとおりにして、もし俺が勝ったら?」

 潤人に、竜人アズロットを打ち破る手立ては無い。

 ――――それでも。

 巻き込んでしまった皆を助けられる可能性が少しでも開けるなら、応じない手はない。

 島の皆には何の罪も無いのだ。


『この島から出て行く。誰にも手は出さねぇ』


「……わかった。その決闘、受ける!」

 

『よし! 楽しみに待ってるぜ?』


 通信はそこで切れた。

 携帯からはノイズ音が潤人の耳に広がり、再び“どこにも繋がらない”症状が出ていた。

 

「決闘だと? 電話の相手は“奴”かね?」

 と、寺之城が緊迫した面持ちで尋ねる。

 潤人は、今の会話を2人に話した。

「人質!? あの巫女さんをかね!?」

「万炎だけじゃない。学校のみんなが、です。俺が決闘に来なければ、学校に登校してきた生徒を殺すって言っていました」

「信じられないぞ……あの男は、敵とはいえ、とてもそんな事をするような輩には思えん……」

 リルも動揺を隠せず、今にも泣き出しそうに頭を垂れる。

「アズロットは、何の意味があって潤人と決闘をするというのだ?」

 と、リルの言う通り、敵の真意が全く掴めない。

 レイラが寺之城にしたように、わざと手の内を見せたかと思えば、今のような、意図の分からない要求をしてきたりもする。

 潤人に命令を下したレイラ当人が敵であるなら、一体何を頼りに判断し、動けば良いのか。

「完全に思考を攪乱されているな。奴らの目的がまるでわからん。無闇に敵の誘いに乗るのは危険だぞ?」

 寺之城が額に汗を浮かべ、思考を巡らす。

「情報が限られていて、最善策の練りようがない。ボク達が共通して持っている記憶障害も、もしかすると、レイラ達による人為的なものかもしれん。彼女達にとって都合の悪い情報を、ボク達の記憶から消すためのな――――」

 寺之城の言う“人為的なもの”とはつまり、『記憶幻術』の事だろうか。

(その高度な幻術を操れる術師が、この島に居るっていうのか?)

 顔の広い寺之城が、“この島には居ない”と言っていただけに、困惑する潤人。

「この島の皆が“敵”に回っている、なんて事も有り得るのか?」

 リルが、細い眉を八の字にしたまま、不安そうに潤人達の顔を交互に見つめた。

 潤人はそのリルの不安が、『不幸粒子』の標的になっていないことを祈る。

「レイラは、他の“四天王”も了承済みだと言っていた。もしそれが事実なら、彼らの行動次第では、本気(マジ)でそうなるかもしれん。個人的には信じ難いがね……」

 寺之城には出来れば真っ向から否定して欲しかった潤人だが、彼も同じ懸念を抱いていたらしい。 

「島の術師全員が敵に回る可能性は否定出来ない。だから、下手に動いて目立つわけにもいかんが……」

 寺之城は、ふと窓へと視線を流す。

 閉め切ったカーテンの向こう側が、僅かに青く明るみ始めていた。

「本当に、行くのか?」

 小隊長は潤人に向き直り、問う。

「万炎が――――みんなが人質に取られているんです。俺があいつと戦うことで助けられるなら、行きます」

「敵の真意がわからんのだぞ? 罠かもしれん」

 と、寺之城が言うものの、仮に島全体が敵に回っているとして、自分達の身を守るためにこのワンルームで居留守を使おうが、別の場所に潜伏しようが、何も解決出来ず、逃げられない。

 埒が明かないのは明白。

 ならば、アズロットとの決闘に臨み、彼を打ち破るしかない。

 絶望的な賭けだ。

 考えればいくらでも増大する負の感情を、しかし潤人はかなぐり捨てた。

(どこに行こうが、どう足掻こうが、先にあるのは絶望ってことなんだろ? だったら、その絶望を破ってやれば、不幸粒子のヤツに吠え面をかかせてやれる!)

「それでも、行きます。ここに居ても、誰も助からない。少しでも望みがあるなら、そっちに進みたいんです」

「……」

 寺之城は潤人の目を見つめたまま、静かに、深く息を吐いた。

「私はもう、誰かが傷つくのは見たくない」

 リルはそう言って、今にも泣き出しそうに、潤人の手を握る。

「俺もだよ。だからこそ行くんだ。もう逃げないと決めたからな」

 自分を奮い立たせ、潤人はリルの手を握り返す。

「幸福粒子が無いわけじゃない。それを味方につけて、俺は戦う。だからリルは、何も心配しなくていい。“武器”だってあるだろ?」

 潤人には、ローズがついている。

『魔剣』という、強力な武器が。

 今まで、散々現実に裏切られ、不幸粒子のどツボ(、、、)に嵌ってきた。

 だがそれも、打ち破れるはずなのだ。

(きっと、そう思うことが大切なんだ)

 明けない夜は無い。

 必ず太陽が昇る。

(不幸は慣れっこだし、今更恐がっても“不幸粒子”の思うつぼだ。なら、いっそのこと、開き直ればいいじゃないか)

 術師の存在意義は、不幸粒子の抑制。

 不幸粒子から、人々を守る事。

(これ以上、()の、不幸粒子(、、、、)の好きにはさせない!)

 これは、冷たく無慈悲な現実への抵抗。

「どうやら、ボク()だけでやるしかないようだな。孤立無援? 絶体絶命? ()いではないか。ボクも行こう! 燃えてきたぞッ!!」

 寺之城が眼鏡をずり上げ、不敵に笑う。

「“背水の陣”という言葉がある。自らを窮地に追い込む事で、逆に士気を高めるという意味合いを持つ言葉だ」

 そう言いながら、小隊長は拳銃(ハンドガン)を中指でクルクル回し、潤人に差し出した。

 ドイツの名銃、ワルサーPPKというらしい。

「今のボク達の状況はまさに、その言葉がハマる!」  

「ありがとうございます。小隊長」

 潤人は寺之城から銃を受け取ると、含んだ礼を返した。

 今の状況を冷静に分析したうえで、寺之城は潤人達を見捨てず、自身の立場を顧みる事もせず、こうして助力に来てくれたのだ。

「紳士は常に、弱い者の味方なのだよ! ッハーッハッハッハッハッ!」

「潤人がそう信じると言うのなら、私も信じる! 反撃だな!」

 寺之城とリルが、2人して高笑いをする中、

(――――いよいよだ、ローズ)

 心の中の“相棒”に語りかける。

『“なかま”を、助けに行くのね?』

(ああ!)

『あなたには私がついてる。安心していいわ』

 ローズが話す度、潤人の心臓が強く脈を打った。




 午前4時過ぎ。

 潤人、リル、寺之城の3人は意を決し、互いに頷き合って、アパートの一室を出た。

 涼やかな潮風に迎えられ、2階の廊下から階段を降り、薄暗い大通りの歩道に出る。

 作戦は単純だ。

 寺之城が前衛、潤人が後衛。リルは潤人に憑依してサポート。基本的にこのフォーメーションで、東高校を目指す。

「アズロットの動きを見たが、スピードもパワーも、ボク達を圧倒していた。だが、攻略手段が無いわけではない。ヤツも多分人間だ。死角もあれば、ミスもある。今度はボクがヤツの攻撃を引き付け、寿君が死角から銃撃する。これで行こうではないか」

 大通りを足早に歩きながら、寺之城が潤人の横で囁いた。

 寺之城が持ち前の動体視力とアクロバットな銃撃で、アズロットの攻撃を回避しつつ囮となり、その隙に潤人が、アズロットの死角から発砲するというプランだ。潤人は発砲後、間髪入れずに“剣”を具現化し、アズロットに斬りかかるつもりでいる。

 成功する保障は無いが、失敗するとも限らない。

 試す価値はあるはずだ。

 潤人は不安を思考の隅に追いやるべく、周囲に神経を手中する。

 道路には静寂が満ち、車の通りも無い。

 聴こえるのは耳を打つ潮風と、それに乗ってくる波の音だけだ。

武装輸送機(ガンシップ)』による上空警戒も行われていない。

 潤人達にとっては幸運(ラッキー)だが、島中が敵になっているとするなら、あまりにも静か過ぎる。

『……静かだな』

 リルも思う事は同じらしく、潤人の脳内でそう囁いた。

 潤人はいつでも銃を抜けるように、腰元のホルスターのカバーはボタン留めせず、フリーにした。

 

 その時だ。


「ッ!?」

 寺之城がその長い腕で、背後を歩く潤人を制した。

「――――?」

 潤人は寺之城が凝視している方に目を向ける。

 青藍に明るみつつある空の下、1本の街灯が明滅し、歩道を不規則に照らしている。

 その街灯の下に、人影が立っていた。

 リルと同じ、新大島東高校の制服に身を包んだ1人の少女。

 少し強さを増した風に、そのツインテールを靡かせ、スラリと引き締まった両足を肩幅より僅かに広く開き、微動だにしない。

 少林寺拳法の『開足』のような立ち姿。

 黒のフィンガーレスグローブを着けた両の拳を握り、静かに佇むその姿からは、潤人でもわかるほどの、凄まじいオーラが放たれていた。

 やや俯き気味の(こうべ)をゆっくりと持ち上げ、少女はその目を鋭く見開く。


“殺気”だ。


 今思えば、アズロットからは感じなかったものを、その少女はこちらに対し、鋭く放っていた。

「咲菜美?」

 潤人は目を細め、幼馴染の名を呼んだ。


「……潤人、私と一緒に来て」


 その少女――――咲菜美は、普段の活発な彼女からは想像がつかないほどに暗く、低い声で、そう言った。

「――――? どういう意味だ?」

 と、尋ねる潤人を、


「説明は後でするから、今すぐ一緒に来て!」


 咲菜美は語気を強め、視線をより鋭くした。

 しかし彼女の視線は下方に逸れて誰の目とも合わず、潤人達の足元へ向けられている。

 その瞳からは凛とした輝きが消え、以前の潤人のように、暗い影が差しているように見受けられた。

 まるで、“不幸粒子”に取り憑かれ、心を病んでしまっているかのようだ。

「どうしたんだよ、咲菜美。俺が眠っている間に、何があったんだ?」

「全て、組織が仕組んだことなの。ずっと前からあった計画よ。あたし達は手駒。ただの道具。使えなければ捨てられる。そうなるのが嫌なら、成果を出すか、逃げるしかない」

「何を言っているのかさっぱりわからんぞ、咲菜美君。君はここで何をしているんだね?」

 潤人達の進路を右腕で塞いだままの寺之城が、声を張って問いかける。“島の術師全員が敵”という懸念が発生している今、同じ小隊のメンバーに対しても、油断を許す事は出来ない。 

「先輩は下がっていてください。潤人の件に手出しさえしなければ、何もされないはずです」

 潤人は今の咲菜美の台詞に違和感を覚えた。

「――――咲菜美君、質問を変える。君は何を、知っている(、、、、、)のかね?」

 より警戒心を強めた寺之城の左手がゆっくりと、腰に吊るしたホルスターへと伸びていく。

「このままだと、潤人は決闘で殺される。あたしはそんなこと、させない。許さない」

「どうして、おまえがその事を知ってるんだ?」

「レイラ会長から聞かされたのよ。潤人、あんたはあたしと一緒に逃げるの。決闘なんてしちゃ駄目。組織の判断次第で、あんたは殺される」

 視線を落としたまま、咲菜美は機械のように語る。

「――――逃げるって言ったって、どこにだよ!?」

 と、潤人は尋ねた。

 咲菜美は幼馴染だ。大切な友人だ。疑いたくはない。

 だが、咲菜美の後について行き、その先で伏兵が待ち受けているとも限らない。故に、彼女が完全にこちらの味方であると判断する事も出来ない。

 疑心暗鬼が不安を生み、思考を乱し、疑われた人間は傷付く。

 負の連鎖が始まっている。

「島の外よ。この組織を抜けて、外の世界で静かに暮らすの」

「そんな事が、本当に叶うと思っているのかね? ボク達に共通する境涯(、、)が指す意味は、君もよくわかっているだろう?」

 この島に暮らす学生は皆、何らかの奇禍で両親を亡くしている。

 そのほとんどが、引き取り手の居ない孤児だ。

 頼れる親戚も無い彼らが故郷である島を出て、満足に暮らしていける保障は無い。

 隔離された島で『気想術』を学ぶ彼らは、術の扱いには長けていても、まだまだ世間知らずだ。

 想像もしないような困難や苦労が待ち構えている。

「ここでただ殺されるよりはマシです」

 と、咲菜美は言う。

 しかしそれが、彼女なりに悩み、苦しみ、導き出した結論だとしても、無謀だ。

「俺は今から決闘に行く。学校のみんなが、万炎が、人質になってるんだ。決闘から逃げたら、みんな殺される」

「嘘よ……そんなの、あたし聞いてない」

“人質”という言葉に狼狽したらしい咲菜美は、片手を胸の辺りに宛がい、首を横に振る。  

「どうやら、知らされたのは一部の情報だけで、君も利用されていたようだな。今回の件の黒幕はレイラを初め、組織の上層部だ。彼らにどう対処するかは、決闘の後で考える。咲菜美君が言うように、組織の判断次第でこちらが危険な目に遭うのなら、一先ずは向こうの要求に沿う形で、探りを入れるべきであろう。レイラはボクに、『朝には全て終わる』と言ったのだ。この言葉に含まれた意味を探るのにも、まずは情報が必要だ」

「嘘よ! 全部嘘! 信じちゃだめ! あたしは、潤人が殺されるのを放って置くなんてこと出来ない! だから一緒に来て? あたしが潤人を守るから!」

 その目じりに涙を浮かべ、震える声で、咲菜美は叫ぶ。

「まだ負けると決まったわけじゃないし、殺されるとも限らないだろ!」

「由梨、落ち着け! 私はな、あの大男は、敵ではないと思うのだ! アズロットは、私と潤人、2人で力を合わせて、困難を乗り越えろと言った。敵であるなら、そんな言葉を掛けるとは思えない!」

 潤人に続いて、リルも咲菜美を説得しようと実体化し、声を張り上げる。

「リル、あなたまでそんな事言うの? 大人しく潤人の中で眠っててよ! お願いだから、邪魔をしないで!」

「――――寿君」

 寺之城が、視線は咲菜美に向けたまま、潤人に囁いた。

「なんですか?」

 同じように囁き、潤人が問うと、

「東側の今朝の天候は確か“雨”だ。今の咲菜美君は、理性を欠いているように見える。これは推測だが、彼女は今、心を負の感情で満たし、『不幸粒子』に侵食されているのかもしれん」

 と、寺之城は望ましくない事態の可能性を口にした。

「私は逃げない! 潤人と一緒に戦う! だから、由梨にも手伝ってもらいたい! 一緒に行こう!」

 リルがそう呼びかけるが、

「ダメ! 行かせない! 潤人が目の前で殺されてもいいの!?」

 確かに今の咲菜美は、普段とは様子が違う。

 否定的で、皆の言葉が届いていない。

 潤人は、親友に掛けるべき言葉を探す。

 俯き、涙を流す咲菜美を、その感情の渦から解放するために。

「咲菜美!!」

 咲菜美を、負の連鎖から救いたい。

「俺は死なない! 約束する! だから、行かせてくれ!!」

「――――して」

 だが。

「――――どうして」

 俯いた咲菜美は、全身を怒りで震わせながら、唸るような声を漏らす。

「どうして、わかってくれないの?」

 その拳を一層強く握り締め、白い歯を剥きだしにして。

「どこへも行かせない。邪魔させない」

「そのくらいにしたまえ!」

 寺之城が、一歩を踏み出す。

 そして潤人に振り返り、

「寿君、悪いが先に行っていてくれ。すぐに追いつく」

 何をするつもりかはわからないが、そう言い放った。

「……邪魔するんですか?」

 静かに、咲菜美が問う。

「邪魔しているのは君の方だろう? 道を開けないと言うのなら、押し通らせてもらう」

 そう言いつつ、ホルスターから銃を抜く寺之城。

「先輩!?」

 と、思わず声を上げる潤人に、

「彼女の今の状態には、少々心当たり(、、、、)があるのだよ。だが、心配は要らん。ショック療法で、彼女には眠っていてもらう。なに、すぐに終わらせるさ。その方が、彼女の身体のためにもなる」

 背を見せ、小隊長は答えた。

『不幸粒子』に侵されつつある咲菜美を守るための、寺之城なりの判断だろう。

 アズロットがタイムリミットとして指定したのは夜明けだ。

 つまり、日が昇るまで。

 潤人は明るさを増してきている空を見上げ、夜明けまでに学校の屋上へ行かなければならない事を、自身に言い聞かせる。

 そうでもしないと、咲菜美をここに置いていく決断がつきそうになかった。

「……わかりました」

 短く答え、潤人はリルの手を掴んで、内陸へと続く脇道に向かう。

「咲菜美!」

 脇道に入る直前で足を止め、潤人は俯いたままの幼馴染を見た。

 咲菜美はこれまで、後ろ向きな考えばかり漏らす自分を鼓舞しようとしてくれていた。

「――――」

 咲菜美も、きっと辛かったに違いない。迷い、悩み、戦ってくれていたのだ。

「――――今まで、ありがとうな。今度は、俺がおまえを助ける! だから、俺は行く!」

 そう言い残し、リルと共に母校を目指す。

『由梨は寺之城がきっと宥めてくれるぞ。私たちは先を急ごう!』

 幅の狭い脇道を進む潤人に、再び憑依したリルの声が響く。

「――――おう!」

 潤人は答え、前方を警戒すべく、銃を抜いた。




 大通りに立つのは、寺之城と咲菜美。

「……邪魔するんですね」

 怒りに乗っ取られた咲菜美が、憤怒を漏らす。

 その表情に浮かぶのは、激しい憎悪。

 鋭く細められた双眸から、凄まじい殺気が放たれる。

「わかってくれないなら――――」

 咲菜美は徐に、側にあった街灯を掴む。

 そして、その細く締まった腕に力が込められ、凝縮され尽くした筋肉が行き場を失い、皮膚を押し上げ、外側へと膨張を始める。徐々に腕力が増し、街灯の鉄柱が、聴いたことも無いような悲鳴を上げ出した。

 幾筋もの血管が浮かび上がり、込められた力に骨が軋み、ついにその指が、鉄柱を歪ませていく。

 握り締めて(、、、、、)いく。

「――――手足の骨を砕いてでも、止めてやるッ!!」

 咲菜美の(スキル)は、『肉体強化』。

 筋力を始め、肺、心臓などの臓器も一時的に強化する。

 持続力は短いものの、現実離れしたパワーと身体能力を発揮する力。

 その名は――――『問答無用の型破り(パワー・マトリックス)』。

 命名したのは寺之城だ。故に、その術の弱みも、特徴も熟知している。

 ――――恐ろしさも。

「ほう、相も変わらず、凄い握力ではないか! 我が小隊の1人として、実に誇らしい!」

 額に滴を浮かべる寺之城は、余裕を含んだ台詞を返しつつ、思考を巡らせる。

 普段は2丁の拳銃を携帯している寺之城だが、愛用銃を没収された今、所持しているのは男子寮の自室から持ち出した1丁のみ。

 S&W(スミス&ウェッソン)・M686。4インチ。

 使用弾薬――――357マグナム弾。

 総弾数――――6発。

(結論を言うと――――)

 寺之城は眼鏡を中指で押し上げ、

(――――丸腰で彼女を眠らせるのは不可能だね。こちらが気想を体表に展開して、対打撃防御を強めたとしても、一撃目でまず殺される。彼女にその気があればだが)

 自身の身体を気想で覆い、物理的なダメージに対する防御力を高める想像は敢えてせず、丹田に力を込め、『不幸粒子』に対する自己防衛に気想と意識を回し、“運”を保護する。

 アズロット戦の時のように、技を決める瞬間に『災難』に見舞われては、本末転倒だからだ。

 手持ちの予備弾薬は6発。

 シリンダーに込められた弾と合わせて12発。

 考えて使わなければ、長期戦となった場合に対処出来なくなる。

(彼女は近接戦闘系……)

 寺之城は戦法を探りつつ、シルバーフレームのM686を構えた。

 右手でグリップを握り、左手を、右手の指を包み込むように添える。

 クロスした左右の親指の付け根――――その上部に見えるリアサイト、そしてその先のフロントサイトを通し、左目で、咲菜美を捉える。

「降参するなら今のうちだぞ? キミは長期戦になると弱い。無理は禁物だ」

「先輩こそ、邪魔するなら、どうなっても知りませんよ? 手加減出来そうにありませんから――――」

 咲菜美は、怒りに身も声も震わせていた先程とは打って変わって、冷静沈着な声で言いながら、右手で完全に握り潰した電柱を、その潰れた部分から、左手でぐりぐりと毟り取る。

 およそ4メートル強の、金属凶器の出来上がりだ。

(まずいな。咲菜美君、目が据わってるよ。あのクールな感じからして、ブチギレていらっしゃるね……)

 寺之城は、銃を構えた姿勢は崩さずに2歩後退する。

 電柱の長さと、咲菜美の筋力が発生させる瞬発力。それらが合わされば、距離にして20メートルほどある今の間合いなど、ほんの一瞬で詰められるだろう。

(……)

 東の水平線が、白く明るみ出す。

 まもなく、日が昇る。

(急いでくれたまえよ? 寿君) 

 東の彼方をチラリと見遣った寺之城は、ニヤリと口の端を吊り上げた。

 それは、この状況を、自分達が置かれた境遇を皮肉った微笑。

「来たまえ! ボクらは負けんぞ!!」

 次の瞬間。

「はあああああああああッッ!!」

 重心を落とし、その両足に渾身の力を込めた咲菜美が地を蹴った。

 文字通り、一瞬で20メートルの距離を詰め、寺之城へと肉薄する。

 寺之城が咲菜美の軌道を予測していたとはいえ、彼女のスピードは問答無用。

 彼が見知った物理法則を土台に展開する理論的予測を、その身体能力で覆す。

「――――ッ!!」

 寺之城は全力で身を屈めた。

 彼が掛ける眼鏡のレンズに、横薙ぎに迫る電柱が映り込む。

 片方の足を開脚して屈んでいく寺之城の頭上数センチの空間を、咲菜美が左手で反時計回りに振るった電柱が切り裂き、唸りながら通過した。

 屈んだ寺之城は銃を握る右手を、肘を僅かに折った状態で真横に伸ばし、片手での射撃姿勢を取る。

“右腕を真横に伸ばす”――――この行為を寺之城がする間に、咲菜美は電柱を振るった遠心力を使って身を回し、右足で膝蹴りを放った。

(――――速いッ!)

 自分の顔へと繰り出される膝を視界に捉える寺之城は、右手で構えた銃を発砲し、射出された『衝撃弾(インパクト)』の反動を利用して真横へ飛び、その蹴りをすんでの所で回避した。

「ッ――――!!」

 3メートルほどの距離を飛んで受け身を取った寺之城は、呼吸をする間もなく次の対処を迫られる。

 咲菜美が電柱を右手に持ち替え、寺之城目掛けて頭上から振り下ろしてきたのだ。

 寺之城は頭上に銃口を向け、振り下ろされた電柱に『衝撃弾』を2発叩き込んだ。1発目で電柱の降下速度を殺し、2発目で逆に弾き返す。

「くッ!」

 電柱を真上に弾かれ、それに引っ張られる形で体勢を崩しかける咲菜美。そこへ、寺之城の3発目の『衝撃弾』が浴びせられた。

「ッ!?」

 強靭な肉体を持つ咲菜美も、重心が上向き、半ば後方へと倒れかけている所に、人1人を容易に吹き飛ばす効力の『気想弾』を撃ち込まれてはどうにも出来ず、衝撃波にその身を攫われた。

「……」

 寺之城は気を緩める事なく、次弾の狙いを定める。 

 外周道路の両端――――歩道から歩道にかけて、海岸の方へと吹き飛ばされた咲菜美は、その運動神経を駆使して空中で身を捻り、余波を受け流して速度を殺すと、その場にふわりと降り立った。


飛ぶ都度、昏倒させよフライ・ド・ノックアウト!!」


 内陸側の歩道から吹き飛ばされた咲菜美が、衝撃波を受け流して、対面の歩道へと着地することを読んでいた寺之城は、彼女の着地の瞬間を狙い、その腹部へ止めの弾丸を発砲するが、

「フッ!!」

 着弾時に貫通はせず、体表で潰れることで弾速エネルギーを打撃力へと変換する、寺之城力作の気想弾(ソウルバレット)を、咲菜美は極限まで鍛え抜いた腹筋で受け止め、臓器へと至る筈だった衝撃を殺し切った。 

「ダメか――――」

 寺之城はチラリと、右手のM686を見遣る。

 シリンダー内にあるのは、あと1発のみ。

 予備を合わせると、残りの弾は7発。

 アズロットと戦う事を考慮すると、次の1発で仕留めたい所だ。

 彼の両腕の関節部に、鈍い痛みが蓄積され始めている。

 敵に強力な衝撃波を見舞う『衝撃弾(インパクト)』は、自身の回避行動にも応用出来る優れものだが、立て続けに使用すると、発砲者の腕だけでなく、臓器にまでダメージが及ぶ諸刃の剣でもあるのだ。

(これ以上消耗するのは、合理的ではないね――――)

 寺之城が内心でそうつぶやいた時、 

「ぐッ!!」

 突如として咲菜美が、血を吐いた。

 激しく咳き込み、両腕の至る箇所からも出血が始まる。

 寺之城の『飛ぶ都度、昏倒させよフライ・ド・ノックアウト』が効いたのか。

(――――違う! あれは!)

「咲菜美君!!」

 大声で後輩の名を呼ばわる寺之城。

「――――どうして」

 両の腕に浮き上がった無数の血管から、『びしゅっ』と血を噴き出す咲菜美は、空ろな目で喘ぐ。

「まだ、終われないのに――――!」

 咲菜美の能力は、『肉体強化』。だが、それがノーリスクなわけではない。

 気想によって強引に強化され、常識を外れた運動を続けた身体には、甚大な負荷が掛かるのだ。

「もうよすんだ! 咲菜美君!」

 寺之城は、初めからこうなる事が予想出来ていた。咲菜美の力は強力だが、長続きはしない。

 力の発動時間が長いほど、彼女の肉体への負荷が増大してしまうからだ。

「嫌です!」

 汗だくに陥る咲菜美。普段の咲菜美なら、今の2倍は動き続けることが出来るはずだが、『気想術』は“想像”によって“創造”するもの。つまり、その時の精神状況によって想像力が乱れれば、『気想術』の効力にもばらつきが生じてしまうのだ。

「先輩は、潤人が殺されてもいいんですか!?」

 明るみが増すにつれて、空の状態がはっきりしてきた。雲1つ無い。

 そんな“雨”の中、不安、怒り、絶望――――負の感情を抱え込んで(スキル)を発動した者の末路を、今の咲菜美は体現していた。

「あたし達の仲間が、居なくなってもいいんですか!?」

 それでも。

 咲菜美はやり切れない気持ちを言葉にして、寺之城へとぶつける。


「いいわけがないだろッ!!」


「――――!!」

 道路から海まで響き渡った小隊長の声に、咲菜美は思わず黙り込む。 

「ボクは、仲間を見捨てはせん!!」

「――――なら、どうして行かせたんですか? 居なくなるの、イヤなんでしょ? 仲間は、見捨てないんでしょ?」

 咲菜美の震える声。その正体は、彼女の目から溢れる大粒の涙。

「まだ、なにも始まっていないからだ」

 寺之城の言葉が、咲菜美の表情を変える。

「まだ、なにも失っていないからだ」

 何かに気付いたように、彼女の目が見開かれた。

「何かをやり遂げたいとき、困難を恐れずに挑めば、可能性が生まれる。挑まなければ、ゼロだ」

「挑んでも、ゼロよ。相手はあの男なのよ? 潤人じゃ、一方的に殺される!」

「寿君もリル君も、決して弱い者ではない。このピンチを、必ず切り抜けられる」

 咲菜美は、しかし思い出したようにその目を伏せると、寺之城を睨んだ。

「そんな根拠の無い理屈、この世界(げんじつ)で通るとでも思ってるの?」

「通るとも!」

 寺之城の声には、迷いや恐れは微塵もない。

「そんなの、嘘よ。この世界は理不尽だもの。不条理で溢れて、必死に頑張るみんなを陥れる――――」

「世界が不条理なのは事実だ。平等なんて、掠れた言葉だ」

「だったら、早く安全なところへ逃げないと――――」

「しかしな、逃げても何も変わらんぞ? どこへ逃げても、世界は続いているんだ。誰がどこに居ても同じなのだよ」

 寺之城が述べる現実を聞いて、咲菜美は頬を濡らした。

 先に“現実”を語ったのは咲菜美で、寺之城は肯定したに過ぎない。

 だが、咲菜美の心から溢れるのは涙ばかり。

「……じゃあ、もう、黙って見ているしかないの? 『魔人』には、結局どう抗っても無駄なの?」

「“まじん”、だと?」

 追い詰められた咲菜美の口を衝いて出た、不穏な響き。それを予想だにしていなかった寺之城の目が、僅かに細められる。

「――――そっか、先輩は知らないんでしたね。極秘扱いでしたし。でももう、あたしは反逆者。今更何を隠しても意味無いし、教えてあげます。潤人の中には、あの『魔人』が封印されているんですよ」

「ッ!?」

 寺之城は驚愕し、言葉を詰まらせた。

(――――おいおい)

『不幸粒子』が、とうとう自分にも牙を剥いたか。


 オマエモ、ゼツボウスルガイイ。


 とでも言って、嘲笑うか。

(これから咲菜美君を連れ戻そう(、、、、、)って時に)

『やれやれ』と、肩を竦めて見せる寺之城。

(――――いいだろう。笑いたいなら笑うがいい)

 彼は昔から、悪く言えば、無駄に前向きな性分だった。

『楽観主義者』、『痛み知らず』など、時にはそれが反感を買ってしまう事もあった。

 しかし今回は、その性分が『幸福粒子』を増幅させた。

「――――だから、どうしたというのかね?」

 自嘲するかのような微笑を口元に浮かべた寺之城は、そう返す。

「君の言うことが真実だとして、ボクが寿君を恐れ、忌み嫌い、見放すとでも?」

 俯いていた咲菜美が、再び顔を上げる。

「真実を知って、君はどうしたのかね? 彼を嫌いになったのかね? 敵意を向けたのかね?」

「あたしは――――」

 血まみれの腕。その拳を負けじと握り締め、咲菜美は声を紡ぐ。

「あたしは、初めは恐いと思った。でも、それは間違いだった。潤人が持ってる心を知ったから。潤人は潤人。『魔人』なんか関係ない。あたしの大切な――――友達」

「ボクだって同じだ。寿君は寿君だ。彼にしかない取り柄もある。我々の仲間である事になんら変わりは無い」

「なら、潤人を助けてよ! 連れ戻して!」

「ボクが連れ戻すのは、君の方だね」

 寺之城は構えていた銃を徐にホルスターに納め、外周道路へ足を踏み出した。一歩ずつ、咲菜美の方へと歩み寄る。

「あたしは、潤人を置いてはどこにも行かないわよ!」

「いや、君は今、遠くに行ってしまっている。戻ってきたまえ(、、、、、、、)

「――――何を言ってるの? 意味がわからない!」

「君は大切な事を忘れている」

 道路を横断し、咲菜美の間合いへと踏み込む寺之城。

「来ないで!!」

 後ずさり、腰をコツンと柵にぶつけて立ち尽くす咲菜美は、涙にまみれた顔を寺之城に向ける。

 不条理に対する悔しさからか、震える両の拳をボクサーのように構え、抵抗の意志を見せた。

 だがそれは、もはや寺之城に対する敵意ではない。

「仲間を――――寿君を、信じるんだ」

 小隊長のその言葉は、咲菜美の心にどれほど響いたことか。

 潤んだ視界の中、長い間探し求めていた何かを見つけたかのように、咲菜美はその双眸を大きく見開いた。

 咲菜美が忘れていたもの。

 涙で薄れ、見失っていたもの。

「君がこれまで、ずっと、強く抱いていた信念だろう?」

 信じるという行為は、口で言うのは簡単だ。だが、いざ実行するとなると話は別。

 勇気と、強さが必要だ。

「それが、君の取り柄じゃないか。自分の信念を貫くんだ」

 寺之城は更に一歩、踏み込む。

 もう、いつでも、咲菜美の拳が寺之城を捉える事が出来る距離だ。

「さあ、君を取り巻く負のオーラを、その信念で打ち払うんだ」

「……あたしは」

 咲菜美は唇をきつく結び、涙を振り払った。だが、何かに突き動かされるように、全身に力を込める。

「――――うッ!?」

 目をぎゅっと瞑り、何かに耐えているかのように歯を食い縛る咲菜美。その様子は明らかにおかしい。

 寺之城は解っていた。

 彼女は、例えどんなに不条理に追い詰められても、自分から凶行に及んだりはしない。

 今の咲菜美を突き動かすのは、別の意志(、、、、)だ。

「『不幸粒子(ディスティフィア)』なんて、大嫌いッ!!」

 何かを振り払おうとするかのように激しく首を振る咲菜美は、乱れた構えを整えていく。

 最後の想像を注ぎ、一撃を放とうとしているのだろう。

「――――ぅあああああああああああああああああああッッ!!」

 寺之城目掛け、繰り出される亜音速の拳。

 寺之城の動体視力は、この至近距離でも、それを見切った。

「ふんッ!」

 寺之城は、ホルスターに納めていた銃を、腰溜めの姿勢から、まるでナイフを前に突き出すように引き抜き、発砲した。

 咲菜美の拳は寺之城の右耳を掠め、寺之城の銃口は咲菜美の鳩尾に当てがわれていた。

 刀で言う所の居合い抜き。その銃バージョン。

 至近距離で、発砲する直前まで銃をホルスターに納めたままの状態は、相手からは銃口が見えず、狙いの予測がつかない。

 寺之城が“念法”で放ったこの弾丸は、


心ビビらず(フライ)肉を切らせて(・ド・)骨を撃つ(チキン)

 

 と言った。

「かはッ!?」

 いくら咲菜美でも、鳩尾にゼロ距離から『衝撃弾』を喰らっては、避けようも、耐えようもなかった。

 咲菜美が、“何か”と決別するべく放った一撃は、きっと彼女の中で、それを打ち砕いたに違いない。

「う、る、と――――」

 虚ろな目でそう零し、彼女は脱力した。

 その細い身体を、寺之城は片手で支える。

「――――やれやれ」

 華奢に見える少女の身体は、しかし予想を遥かに上回る重さだった。

 この重さこそ、咲菜美由梨という少女の、努力の証と言えよう。

「世話のやける後輩達だ」

 咲菜美を肩に担いだ寺之城は、その時彼女のYシャツの胸ポケットから舞い落ちた白い紙に目を留める。

「――――やはりか」

 寺之城が見下ろす紙は、『呪符(じゅふ)』の一種。

 咲菜美に歩み寄った際、彼女のYシャツのポケットから覗くそれを、寺之城は見逃さなかった。

 心当たり(、、、、)は、的中していた。

『呪符』から、被術者の目を覚ます方法で一番手っ取り早いのは、1度意識を奪う事だ。

 故に、敢えて攻撃するという荒業で咲菜美を静めたのだ。

 紙面には『暴』の文字が、血と思しき赤で書かれていた。これは、術者が被術者に対し、一種の催眠を掛け、思考や行動を誘導する事に使用するものだ。

『暴』が具体的にどんな意味を持ち、どんな効力を持つのかはわからないが、これが咲菜美の今朝の豹変の元凶である事に間違いはないだろう。

 不条理に追い詰められた咲菜美自身が自らの意志で拵えた可能性は考え難い。『呪符』は紙面に気想を注入する術であるが、咲菜美の場合、自身に気想を滞留させる『肉体強化』を得意とする。即ち、彼女の術は『滞留型』で、注入等の『放出型』には不向きなのだ。

(だとすればこれも、君の差し金だというのか? レイラ――――)

 本来は筆で描かれる文字を、恐らく術者は己の血で描いている。そうする事で、対象とする人間への呪いは一層強力になるのだ。

 明らかな“悪意”を持つ“敵”に対し、寺之城は己の中で沸々と込み上げる感情を込めて、東高校の方角に顔を向けた。

「――――久々に、キレてしまったようだ」

 寺之城は歩を進める。

 残弾数は6発。

 屋上へ行く前に、寄る場所が出来た。



「――――オレ、人を脅迫したりとか、あんまりやらない質なんだがな」

 午前4時になろうという頃、未だ使い慣れない携帯を耳から話したアズロットは独言した。

 彼が立っているのは、新大島東高校――――その屋上である。

『コ』の字型をした校舎の屋上に上がるための階段室(かいだんしつ)は、東から西へと平行して立つ2つの校舎の東端を縦一線に結ぶ中央校舎――――その真ん中にある1つだけ。寿潤人が来る時は、ここから屋上へと出てくるはずだ。

 屋上の全ての辺に設置されたフェンス越しに、アズロットは東の空を眺める。

 眼下には、明るみ始めた空の雰囲気にぼんやりと蒼く照らされた校門が見える。

 結界を張ったレイラの術か定かではないが、その校門が今、独りでに開いた。




『おはようございます。アズロット』

 午前3時過ぎ。

 念話札が再び青白く発光し、そこから発せられた声が『竜人』を起こした。

「休んだ気がしないのは、おまえがせっかちなせいか? それともオレが年老いたせいか?」

『不幸粒子のせいです』

「突き詰めていきゃ、そうなるか」

 寝起きのアズロットは“少女の声”に納得させられ、畳に横たえていた身体を仕方なく起こした。

『貴方の言っていた、記憶操作の疑いについてですが、有力な情報は得られませんでした。島の地下にある“本部”へ赴き、全ての結界と監視カメラの記録を洗いましたが、直近30日以内に、島の防衛システムを破って侵入された形跡はありませんでした。また、島の内部の術師にも、記憶操作に該当する能力を持った者は居ませんでした』

『……そうか。何だか、釈然としないな』

 アズロットは小さく唸る。リュウも言っていたように、脳内には確かに何者かの気想が紛れ込んでいたのだ。他者から放たれた気想は、埃や病原菌のように、風に乗ってふらっとやってくるわけではない。術者の強い“想像”と、相応の気想量を、適切な距離で、適切な詠唱と所作を持って“創造”しなければならないのだ。

 その気想が、脳内に仕込まれていた。それも強力なものが、である。この事象を起こすには、神でもない限りは、術者が実際に相手の頭に手で触れて、直接“仕込む”必要があるはずなのだ。

『そうですね。私としましても、この事は個人的に、もうしばらく調べてみるつもりでいますので、また進展があればお伝えします』

『ああ。よろしく頼むぜ――――それと、ウルトって小僧の方はどうだ?』

『準備が整いましたので、これから行動を起こします。まず、学校の屋上へ向かって下さい。位置は、私の気想を感知して来て頂ければわかります。4階建ての大きな建物です。着いたら寿潤人に連絡し、決闘に呼び出して下さい。貴方の端末に、彼の連絡先が入っていますので』

「了解だ。お前はどこかで監視でもするのか?」

『私は、貴方がたのために、広範囲に渡って人払いの結界を張りますので、しばらくの間連絡が取れなくなります。屋上での事は貴方に任せます。何度も言うようですが、情け無用で追い詰め、試してください』

「――――そのつもりだ」


 


 アズロットは、休ませてもらったお礼を言おうと万炎を探したが、姿がどこにも見当たらなかったので、仕方なく指示通りに神社を後にし、ここまで来た。

 その際、アズロットは上着が無いままだったので、少し離れた場所にあった物置きらしい小屋から、以前何かに使っていたと思しき、埃まみれの古びた絨毯のようなボロきれを拝借してきた。

 今はそれをマントのように羽織り、端と端を首もとにくくってある。

 風が吹く度にボロが靡き、鍛え抜かれた強靭な胸板及び腹部が、背中が、上半身が、露出する。

“ヘンシツシャ”と呼ばれたくはないアズロットはこれでも、一生懸命考えたのだ。

 仕事が片付いたら、改めてお礼を言いに行くつもりである。

(アイツは、ちゃんと来るだろうか?)

 つい沸き上がってしまう懸念。

(逃げられちゃあ、本末転倒になっちまうわけだが――――その時オレの首は繋がっているのか?)

 竜人は首を横に振る。

(“疑心”はよそう。オレは傭兵だ。傭兵は、言われた事を忠実に熟すだけだ)

『アズロット――――?』

 ふと、リュウが呼んだ。

(どうした? やっぱり俺、ヘンシツシャに見えるか?)

『そうじゃなくてね、ウルトって子のこと』

(アイツが、どうかしたのか?)

『もし、あの子が負けて(、、、)、心を失ったら、本当に――――』

 そこまで聞き掛けて、リュウは言葉を閉ざした。ほんの僅かでも、『不幸粒子』に狙われないために気遣っての事だろう。

 だがアズロットには、リュウが気に掛けている事がわかっていた。

(……それは、その時が来たら考えるさ)

 と、アズロットは答える。

(アイツは、港で1度“魔人”の力を自分の心で押さえ込んだんだぜ? まだ望みはある! 俺はアイツを信じる事にした)

 寿潤人が完全な『魔人』と化せば、今度こそアズロットでも止められないかもしれない。

 かといって、“魔人化”しない程度に手を抜くことはしない。

 あの少年をとことん追い詰め、心と肉体を極限の状況下に置く事で、彼の底力を見るのだ。

 如何に過酷であろうと、如何に恨まれようと、己の全てを持って、寿潤人を、滅びの力を司る『聖霊』に勝利させる。

 そして、その『聖霊』に一言、謝らせる。

 アズロットにとって、それが亡き友への手向けなのだ。 

(アイツのためなら、オレは獰猛な竜にだってなってやるさ) 

 自分自身の意志を鼓舞するように、アズロットはリュウにそう言うのであった。




 妙な事に、潤人は誰とも出会うことなく、東高校の校門へと辿り着いた。

 校門は、人が通れる程度に開いていた。これもレイラが手を回した事によるものか。

 時刻は4時過ぎ。もう間もなく日が昇るが、それまでには屋上へ行けるだろう。

『やったな潤人! 間に合ったぞ!』

 リルが安堵の声を上げた。

(ああ。でも、問題はこれから先だ)

 潤人は、普段は施錠術が掛けられているはずの校門を怪しみ、何も危険が無い事を確認してから、静かに通過した。

 敷地内に入った際には、敵が何か罠を張っていないか警戒もしたが、昇降口まですんなりと行く事が出来た。

 あの大男――――アズロットは、飽く迄潤人とフェアに決闘する事を望んでいるようだ。

 潤人は屋上を睨む――――が、人影は見当たらず。ここからは死角となっていて見えない、屋上の奥の方に潜んでいるのかもしれない。

 予想通り、昇降口の扉も開け放たれていた。

(万炎はどこに捕らえられているんだろうか? 屋上で、あいつと一緒に居るのか?)

 潤人は銃を降ろさず、昇降口から廊下へと歩き、階段へと向かいつつ万炎の無事を祈る。

 ここまで勢いで来たものの、どこかの先輩のようなノープランの状態だ。リルに二度見される前に作戦を立てる必要がある。

 寺之城が咲菜美と戦っている今、アズロットに挑めるのは潤人だけだ。

(そろそろ剣を具現化させて、抜いておくべきか?)

 具現化して抜き放っておけば、敵の急襲にも対処し易い。自分の周囲を『不幸粒子』が蔓延する事になるが、『天候』はどうせ雨だし、不幸には慣れっこだ。

「リル、ここから先は、俺に隠れるんだ」

「うむ。わかった」

 リルは言われた通りに実体化を解除させ、潤人の中へと隠れる。

(……ローズ、聴こえてるか?)

『ええ。聴いてるし、()ているわ』

(なら、剣の具現化を頼みたいんだけど?)

『剣を出したい時は、“自分の左手の中で黒い剣の柄を握る想像”をしてみて?』

 潤人はローズの指示通りに、両目を閉じて、“自分の左手で黒い剣の柄を握る”という想像を実行した。

 すると、眼球を瞼が覆う闇の中、潤人の左手のひらに、男子寮で感じたものと同じ、ざらついた感触が現われる。

 目を開けると、左手には黒い剣が握られていた。

「よし! 出せた!」

 潤人は、初めてまともな気想術を使えた気分の余韻に少しの間浸り、階段を上り始める。

 今の剣の呼び出し方は“召喚術”の類だろうか。

 潤人は剣と銃を徐に見比べる。

 港での戦いで、銃はアズロットに対してほとんど無力だった事を思い返した潤人は、(ワルサー)を腰のホルスターに戻した。銃は、予備の武装という事にしておく。

『おお、剣を抜いたのだな!』

 今度はリルが、潤人の視界を通して黒い剣を見つめる。

(ああ! いよいよだ!)

 一段ずつ確実に踏み締め、潤人は屋上を目指す。

『作戦はどうする? 私に何か手伝えることはあるか?』

 と言うリルに、

『あなたにやれる事は特に無いわ。潤人は私が守るから』 

 と、ローズが初めて反応した。

 潤人が足を止めて目を閉じると、リルとローズが向かい合って会話をする様子が浮かんできた。

『な、なんだお前は! いつもこちらからアプローチを掛けても無視したくせに、潤人の事になると出てきて!』

 リルが小さな八重歯をむき出しにして、子猫のようにローズを威嚇している。

『あなた達を黙って観察しているのも飽きてきたから、交ざろうと思っただけよ?』

『なら、心配は無用だ。潤人はわ、た、し、が、守る! お前は黙って寝ているがいい』

『要するに私は、タイクツだって言ったのよ? あなたが思った以上にトロくて進展が無いから、つついてみたくなってきたの』

『うるさい! 進展はこの戦いが終わってからだ!』

 ローズは、潤人と2人で話した時とは一変。サディズムを含んだ危険な少女のオーラを漂わせている。

(……普段のローズって、そんなSっぽい性格なのか?)

 恐らくは今後も長い付き合いになるであろう潤人と、明かりの下でやっていくためのキャラ作りなのだろうか。

 ローズなりに考えた計らいだったとしても、“力”とは真逆の、心優しい少女のイメージが強い潤人にとっては、少しショックだった。

『――――なんの事かしら?』

 と、とぼけるローズだが、その声はどこか楽しげだ。

(――――)

 2人の会話の内容が何を指すのかよくはわからないが、もしかするとローズは――――。

『ねぇ、次はどう行くの? 彼、なかなか鈍い男よ?』

『な、なんの事を言っているのだ!?』

『あら? お顔が赤くなってきたわね』

『だ、黙れ黙らんか静粛にぃ!』

 こんな状況下(、、、、、、)の自分達の負の感情を紛らわそうとしてくれているのか。

 自分の力に負い目を感じて。

(……2人とも)

 このままではローズとリルが喧嘩を始めそうだったので、

(大丈夫だ。2人は俺が守る。万炎も助け出す!)

 我ながらクサイ台詞と思いながらも、鼓舞のために、心の中でそう言った。

 ふと、左手の剣を見遣る。

 出来ることなら、例え5分でも10分でも、試し斬りというか、能力の確認と戦術の模索をする時間が欲しいところだが、その余裕は残っていない。

 過酷だが、ぶっつけ本番だ。

 とにかく集中して、『想像』するしかない。

 突風でも、炎の刃でも、氷の刃でも何でもいい。

 全部試せばいい。

 想像力に自信が無いわけではない。

 伊達に、寺之城から無理矢理アニメを見せられてはいないからだ。

 潤人は階段を上りきり、屋上へと出るドアの前に立った。

『勝機が無いわけではない。寺之城も、“背水の陣”だと言っていたしな!』 

 ほんの一瞬、潤人の精神に影を落としかけた不幸粒子を察してか、リルが鼓吹してくれた。

『屋上全体に、剣を通して私の気想を行き渡らせれば、相手の不幸を増大させてあげられるわ。そうすれば、潤人は戦い易くなるはずよ』

 と、ローズの声が脳内に響く。

(――――ありがとう)

 潤人はねじの緩んだドアノブに手を掛ける。

(見てるか? 不幸の野郎)

 屋上に踏み出すのは1人。

 だが戦いに挑むのは、3人(、、)だ。

「行こう!」

 例え弱者と言われようとも。

 仲間と力を合わせれば、きっと強くなれるなずだ。 

 理不尽な世界に、立ち向かえるはずだ。


(俺は、1人じゃない!)




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