一.遭遇する七月六日(水曜日)(6)
千華の家から十分ほど歩いたあたりで、男達は立ち止まった。連れてこられたのはひっそりとした路地裏だった。人通りは望めそうもない。そのうえ男たちの何人かが、通りからこちらが見えないように壁を作っている。通りすがりの誰かに助けを求めて、というのは難しそうだ。
「金を貸せ……とかかな?」
俺の言葉に返事はなく、ただ嘲笑うような表情だけが返ってきた。
男たちはさっき確かに「大輪田亮くん」と言った。すでに名前を知られていたということだ。カツ上げできればだれでもいいというわけでなく、最初から亮を狙って来たのだろうか。
そうだとするならば、なぜ? 亮の記憶に、その原因になりそうなものはない。
ドクロシャツの男が俺に近寄り、さっきと同じく見下すような目で見る。
「もちろん金は出せ。それとは関係なく、ちょっと痛い目は見てもらうけどな」
そう言って、ドクロシャツの男がニヤッと笑った。直後、右の横っ腹に衝撃。さっそく殴られた。俺は「おごっ!」と無意識に声を漏らし、遅れてやってきた痛みに思わず膝をついた。額から脂汗がにじみ出る。
痛い。ボディーブローが内臓に効いている。胃の中身がぐるぐると猛抗議。食べ物が逆流しそうだ。
ひとつだけ幸いなのは、この痛みの感覚は亮のものではないということ。現在この身体を支配していない亮には、この痛みも届くことはない。
逆に申し訳ないのは、殴られたこの身体は本来は亮のものだということだ。
俺はドクロシャツの男を見上げた。ニタニタ笑っている。まわりの男たちが一歩進み出る。これから袋叩きにするつもりだろうか。なぜ?
ゆっくり呼吸を続け、刺すような痛みが少しだけやわらいできた。
「うー、痛ぇ……」
声に出して言うと、男たちが馬鹿にするように笑った。ちょっと腹が立って来た。
「運が悪かったと思って諦めるんだな、大輪田ちゃん!」
男たちの一人が言った。俺はそいつを無視して息をゆっくり吐いて、気持ちを落ち着ける。ドクロシャツ達の意図はわからないが、借り物の身体でこのまま殴られ続けるわけにはいかない。
「俺は善良だから、乱暴はしたくないんだけどな、この場合は正当防衛だよな」
声を出すと再び腹が痛んだが、かまわずそのまま喋りつづけた。
俺は善良だ。
「なぁ、やっちゃっていいかな」
善良だが、腹は立っている。
「はぁ?」
ドクロシャツの男が訊き返したが、俺がたずねた相手はドクロシャツの男ではない。俺の中の亮は強い肯定の意思を返していた。
「すー……」
もういちど深呼吸する。まだ右の腹がじんじん痛む。
息を吐くあいだに男の一人が詰めより、胸ぐらをつかんできた。俺はその腕をつかみ、強引に引く。
「うぉ!?」
俺に引っ張られた男の体が路地の反対側へ「吹っ飛んで」いった。そのまま地面に顔から突っ込む。ジャリッ、とにごった音がした。
「っぎゃああああっ! ってぇ! いてえ!」
地面で顔を擦ったらしく、顔をおさえて悶絶している。
男たちのあいだに戸惑いが走る。これで怖気づいて大人しくさがってくれればよかったのだが、不良は不良としてのメンツのほうが大事らしく、男のひとりが「ふざけてんじゃねーぞオラァ!」と叫びながら襲いかかってきた。
おまえたちの頭の中ほどふざけてねーよ。
つかみかかってくる男をかわして、その背中に思いきりうしろ回し蹴り。男は「んごっ!」とダミ声をあげ、またも吹っ飛んでいく。そしてその先にいた別の男も巻き込んで、折り重なるように倒れた。
「な、何だよこれ、聞いてねーよ」
金髪の男の戸惑う声。何人かが怖気づいたのか逃げ出した。その場に残っているのはドクロシャツの奴をふくめて四人。
「くそっ! 囲め!」
ドクロシャツの合図で、四人が同時に襲ってきた。つかみかかって動きを封じるつもりか。
俺は突っ込んでくる内の一人に標的をさだめ、そいつの肩に手を置いて逆立ちするように反転、包囲から脱する。そのままの勢いで男の背中にひざ蹴りを入れた。
「がっ!? かっ……かは……はっ」
背中を強く蹴られ、男は呼吸ができなくなり、地面にうずくまる。
「なあ、あんた」俺は正面で戸惑っている金髪を指差して訊いた。「あんた『聞いてない』って言ったよな。誰からなにを『聞いてない』んだ?」
金髪は答えなかった。一瞬だけ困ったような顔を見せて、それからまた俺を睨みつけて突っ込んでくる。
俺は腰を落とし、向かってくる金髪の右腕を捕え、そのまま背負い投げの要領で放り投げる。金髪は放物線を描いて宙を舞い、そのまま地面に激突し「ぐぇ」と声を漏らして動かなくなった。
チッ、と舌打ちが聞こえたので反対側を振り向くと、ドクロシャツが逃げだしていた。一人残された男も一瞬戸惑っていたが、すぐにドクロシャツを追いかけてこの場から退場していった。
あとに残ったのは地面に横たわる男たちと、そのうめき声。男たちになぜ亮を襲ったのか質問したかったが、この状況を他人に見られるのは思わしくない。本来の亮はこんな芸当ができるほど屈強な男ではないからだ。俺は深い溜息をついて、自転車にまたがりその場から去った。
さて、先ほどの乱闘についての解説をしておこう。
俺は亮の記憶を読むことができるが、さらに亮の身体についても、亮本人以上に自由に扱うことができる。
普段、人間は無意識に自分の力をセーブしている。本人がどれだけ全力を出そうとしても、筋肉が本来持っている能力の内の一部しか使うことができない。もし筋肉が使えるすべての力を出し続ければ、身体が壊れてしまうからだ。
しかし俺は、亮の身体能力をセーブすることなく100%使用することが可能だ。亮の身体が俺のものではないために、自己防衛である無意識のセーブを必要としないからだろう。
本気でやろうと思えばみずから身体の関節を逆に曲げて、亮の腕の骨をヘシ折ることもできるはずだ。亮の身体を操っているときの痛覚は俺のものなので、めちゃくちゃ痛そうだが。
襲ってきた男たちを撃退したのは、この力の解放によるものだった。普段に比べて恐ろしく身体に負担がかかるため、この力を使うときは一応、身体の持ち主である亮にお伺いを立てることにしている。
「明日は地獄を見そうだな……」
自転車を走らせながらつぶやくと、亮もあきらめたような反応で返答する。
以前にこの力を使って、河川敷を全力で走ってみたことがある。結果、一流のアスリート並みのタイムで走ることができ――翌日、両足に地獄のような筋肉痛がおとずれた。
身体をセーブせずに使用したことによる反動だ。歩くたびに両足全体に釘を打ち込まれているかのような痛みだった。
必要がないかぎりは使いたくないこの力だが、今日の場合はしかたない。殴られてケガをするよりマシだと思うしかなかった。
「しかし……あれはうちの学校の制服だったな。『女帝会長』が全員更生させたんじゃねえのか、まったく」
『女帝会長』と口に出して、ふと、亮の記憶から検索した内容がよみがえる。黒砂幸の噂。更生させた不良たちを自分の手下のように使っているとか。
「まさか、黒砂幸が……?」
亮が否定の感情の波を出した。
「……たしかに、黒砂幸がやつらに亮を襲わせる理由はないよな。でも、さっきの金髪が『聞いてない』って言ってたよな……」
金髪が言った言葉。誰から? なにを? 亮の記憶をもう一度探って考えたが、答えは出そうもなかった。
「謎だな。ぜんぶ解決したら、このネタで小説にしたらどうだ?」
考えるのを諦め、冗談めかしてそう言ったが、亮も悩んでいるらしく、曖昧な返事しかかえってこなかった。