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発生するネームイーター  作者: 上咲兼好
一.遭遇する七月六日(水曜日)
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一.遭遇する七月六日(水曜日)(5)

「亮くんお待たせー。さあ、帰ろー」

 自転車置き場に到着してから十数分ほど待って、ようやく千華がやってきた。隣に来たとき、ふわりとただよう制汗剤のシトラスの香り。うむ、実に健康的だ。

 自転車の鍵をはずし、前のカゴに二人の荷物を入れて歩き出した。

ちなみに、カップル、自転車と揃えばだれもがする予想に反して、二人乗りはしない。なぜなら、それは校則違反であり道路交通法違反であるから。

 ……というのは表向きで、俺が亮の中に発生する前、亮が千華を後ろに乗せてみたはいいが、うまく支えられずに盛大にすっ転んだことがあったからだ。

 それからは千華の「ゆっくり歩いて帰ろう」宣言が賛成二名の満場一致で採択され、自転車を押して徒歩で帰宅している。

「もうだいぶ日が長くなったねー、まだ明るいよー」

「そうだなぁ」

 嬉しそうな千華に返事をするが、つい先日この世に発生したばかりの俺は、そもそも季節で昼間の時間が変化するということを知識でしか知らない。

「もうすぐ夏休みだねー、夏はねー、楽しいこといっぱいあるよねー。海開きでしょー、夏祭りでしょー、花火大会でしょー」

 指折り数えている千華。その顔はやはり幸せそうだ。

「去年はねー、ミカリンや友達と一緒に行ってたんだけど、今年は友達から亮くんと行けって言われちゃったー」

 千華は嬉しそうに頬を染める。「ミカリン」というのは、千華の親友である(とどろき)()香子(かこ)のことだ。「ミカリン」はしっかりしていてぐいぐい他人を引っ張るようなタイプで、ド天然の千華といいコンビのようだ。亮と千華が付き合いだしてからは、轟美香子はよくおノロケを聞かされているらしい。

 高校生にとって、夏休みは日々の授業から解放される、重要なイベントだ。できれば夏までに、亮の体から出て行って、千華との夏休みを満喫させてやりたい。

 その糸口すらつかめていないが、千華の幸せそうな顔を見るたびに、千華を騙しているのが辛くなる。できれば、夏の間くらいだけでも、俺がひっこんで亮に体を明け渡してやることはできないものか。

 もちろん、それが出来たら今この瞬間だって亮に交代してやりたいわけで、そうしていないということは、交代する方法がわからないからなのだが。

 結局、亮になりきって千華に接することしかできない。

「ははは、そうだね、僕も新田たちには一緒に行けないって言っておかないとな」

「ふふ、また『Nステ』の新田君に色々と広められちゃうかなー? そしたら私たち、きっとまたからかわれちゃうねー?」

 言葉とは裏腹に、千華はけっこう嬉しそうだった。

「でも、その前に期末テストもあるよね。まずはそれを乗り切らないと」

 千華を幸せな妄想から少しだけ遠ざけるために、あえて現実的なことを言う。千華は「ぐえー、そうだったー」と明らかにげんなりしている。

「うーん、なんとかなる! なせばなるよ! 亮くん!」

 両手でにぎりこぶしを作り、力強く言う千華。

「いや、なさねばならないってことでしょ、まさに文字通り」

 諌める俺。そんな調子で二人で夫婦漫才のまねごとをしながら、川沿いの遊歩道を歩く。

 遊歩道は学校から、市を縦断する大通りまで伸びている。学校から大通りまでは約一キロメートル。多くの学生はここを通って登校しており、亮と千華も、二人で帰るときはいつもこの遊歩道を通っていた。

 河川敷には遊んでいる子どもや、犬の散歩をしている人の姿がちらちら見える。夕日が黄金の光を放ち、川の水面を照らしていた。

「亮くん、最近、よく景色見てるねー?」

 俺はその指摘に驚いて千華を見る。

「そうかな?」

「うーん、そう見えるけど」千華はちょっと笑う。「何か珍しい物でも見てるみたいだよー」

 言われて俺は自分の行動を振り返る。

 意識はしていなかったが、多分千華の言う通り、亮よりも頻繁に景色を見ているのだろう。

 いくら亮の記憶から引っ張り出して見ておくことができるとはいえ、俺にとってはすべてが初めて見る景色なのだ。

「なにか、悩みごとでもあるとかー?」

 心配そうな顔の千華。亮は困っていた。

「ううん、大丈夫だよ」

 悩みごとと言えばたしかにあるが、しかしそれを千華に相談するわけにはいかない。いくら千華がなんでも相談しろと言っていても、さすがに「僕は大輪田亮ではありません、大輪田亮の中に現れた別の存在です」とは言えないだろう。

 嫌われてはいけない、親しくなりすぎてもいけない、それがなぜかも話せない、ちょっとこのミッションは、難易度が高すぎるんじゃないか。

「うーん……」

 千華は納得していない様子だった。片手を自転車のカゴにそえて、大きな瞳で俺のほうをじっと見てくる。いくら千華に恋愛感情を抱いてなくても、そんなふうに見つめられると、ちょっとだけ動揺した。

「大丈夫ならいいけど、なにかあったら相談してねー? 言えなかったらメールでもいいから」

 千華は俺の目をまっすぐに見る。遠くの夕日と同じくらい、きらきら輝いている瞳。

亮、いい彼女じゃないか。

「……うん、ありがとう」

 心の中で千華に感謝しながら、そう答えた。答えたのは俺か、それとも俺が演じている亮としてか。俺はこのとき、その区別をつけなかった。



 大通りに入り、千華の家へ向かって歩く。いつも亮は家の近くまで千華を送り、それから自宅へ帰る。大通りから先、亮の家と千華の家はまったくの反対方向なのだが、いつもきちんと送っていくらしい。

「じゃあ、また明日ねー!」千華は亮の自転車のカゴの荷物を取って自宅へ歩き出した。途中で振り向き、手を振りながら言う。「メール、待ってるからねー!」

 俺は笑って手を振り返した。千華が自宅の玄関の扉を開け、入っていったのを見届けてから、自転車に乗る。

 自転車を漕ぎ出そうとすると、突然目の前に男が飛び出してきた。

 慌ててブレーキを握ったが、避けきれずに、そいつに軽くぶつかってしまった。

「いてぇなぁ、骨折れちまったじゃねーか、あ?」

 あきらかにチンピラだとわかるようなお決まりのセリフと口調だった。いつの時代だ。

 視線をあげると、そこには亮とおなじ学校の制服をだらしなく着た男子生徒が、見下すようにこちらを見ていた。ボタンのあいたワイシャツの下からドクロが描かれたTシャツが覗いている。わかりやすい趣味の悪さだ。

「誰が……っふぁ……!」

「誰か助けて」と声をあげようとして、別の男に口をふさがれた。

「なぁ、大輪田亮くん?」くちゃくちゃと汚い音を立ててガムを噛みながら、ドクロシャツが言う。「ちょーっと一緒にこっち来ようか」

 どこから沸いて出たのか、まわりに似たような雰囲気の男たちがわらわらと集まり、俺を囲んだ。口を塞いでいた男が俺の腕をがっちりとつかむ。

「ついてきな」

 男たちに囲まれたまま、俺は黙って自転車を押した。


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