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発生するネームイーター  作者: 上咲兼好
一.遭遇する七月六日(水曜日)
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一.遭遇する七月六日(水曜日)(2)

 やがて、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

「んっ! 終わりか! じゃあ今日のとこはしっかり復習しとけよ!」

 富田がバチンとでかい音を立ててコンパスを閉じる。それを合図にしたかのように一気に教室は騒がしくなり、昼休みが始まった。

 机の上の教科書とノートを机にしまい、鞄の中の弁当の包みを取り出す。

「大輪田くーん、行っちゃうのー? ボク寂しーい!」

 芝居がかった声をあげる新田。さっきのメールを見られていたのだろうか。

「うっさい、どこで誰と食おうが僕の勝手だろ!」

「おーおー怖い怖い、男の友情はこんなにも脆いものか! 悲しい! 俺は悲しいぞー!」

 新田はおおげさに震えてみせる。今はこうして亮をからかっていっるが、こいつは恋に悩んでいたころの亮のよき相談役であったらしい。だから亮も、新田が多少ふざけたところで気にはしていないようだ。俺は「はいはい」と新田を軽くあしらって屋上に向かった。


「あっ、亮くん! こっちこっち!!」

 弁当を片手に屋上に上がると、千華がベンチのひとつに座ってほがらかに手を振っていた。笑顔がまぶしい。千華の周りだけ三ルクスは明るいのではないかと錯覚する。

 学校の屋上は人工芝が敷かれ、ミニバスケットのゴールが設置されるなど整備されていて、昼休みには自由に使用できる庭園になっている。俺たちのほかにもいくつかのグループが昼食を取ったり、ボールで遊んだりして昼休みを過ごしていた。

「待った?」

 亮がふだん話すときの声色を作って、千華の隣に座る。

 亮は、俺が亮の身体を使って無意識に喋るときよりも、ずっと穏やかな喋りかたをしている。亮の家族や友人と話すときは、それをきちんと意識しなくてはならない。いまでは演技するのにもだいぶ慣れたが、最初は機嫌が悪いのかと家族に心配されたこともあった。

「んーん、だいじょーぶ、いま来たところ。さあ、食べよ食べよ、おなかすいたー」

 千華は笑顔でゆるーく答えると、弁当の包みを開けた。俺も自分の包みを開ける。開けながら、横目で千華の弁当をちらりと見る。

「……相変わらず、大きいね」

「そーかなぁー? ふつうだよー」

 千華はまたもゆるーくそう言って、おにぎりをほおばった。千華の弁当は、亮の弁当のゆうに二倍以上の量があった。辞書くらいの弁当箱が二段重ねで、おにぎりで一段、おかずで一段。おにぎりもコンビニで売っているようなものと比べて一・五倍ほどの大きさがある。

 千華と弁当を食べるのは毎日の日課なので、千華の弁当が巨大なのもいつものことなのだが、何度見ても圧倒される大きさだ。弁当に対して世界が縮んだんじゃないかと錯覚する。

「いっぱい食べないと大きくなれないよー」

 千華は幸せそうな顔で水筒の中身をカップにそそぐ。あたりに漂う香ばしい香り。

……味噌汁だ。千華はそれをずずっと音を立ててすする。夏まっ盛りで屋上の炎天下、アツアツの味噌汁なんてうんざりしそうだが、千華は幸せそうにほぅっと息を吐いた。

「やっぱり日本人ならお味噌汁だよねー」

 幸せそうな千華の横で、俺は広げられた千華の弁当を見渡す。

「千華、いつも聞いてることだけど……多くないの?」

「うーん、お母さんがたくさん作ってくれるのを食べてるうちに慣れちゃったんだよねー。だから特別に多いとは思わないかなー」

 千華は次々におかずを口にほうり込んでいく。

「あんまり食べ過ぎてると、太るんじゃない?」

「大丈夫だよー、それに、こんなにおいしいんだよ?」

 千華は気にする様子もなく、本当にニワトリの卵なのかと疑うくらいの大きな卵焼きをぱくついている。一方で、俺が発したデリカシーのかけらもない言葉に、体の中の亮が抗議していた。

 俺は肩をすくめて、自分も弁当を食べ始めた。

 いまのが冗談ですんだのは、実際、千華が毎日これだけ食べているにも関わらず、まったく太らないからだ。本当に、そのカロリーは一体どこへ消えているのかと頭を抱えたくなる。

 これはもはやちょっとしたSFだ。胃袋の中にワームホールでもあるのではないだろうか。亮はこの謎を夏休みの自由研究にしたらどうだろうか。ひょっとしたら世界を驚愕させるような新事実に到達できるかもしれない。

「あっ……」

 突然、ぴたりと千華が弁当を食べる手が止まる。千華を見ると、心配そうに俺を見ていた。

「私……ひょっとして太ってきてる? 太ったら、亮くんは私が太ったら、その、私のこと……」

 泣きそうになっている千華。その目にうっすら涙がたまりつつあるのを見て、俺はぶんぶんと首を振った。

「大丈夫、大丈夫だよ! 太ってないし嫌いにもならない!」

「……ほんと? よかったあ」

 安心したように笑顔を取り戻す。そして、また弁当に手をつけはじめた。俺も、亮もひとまず安心する。

 千華は感情表現が豊かで、それが少々オーバーに出る。ドがつく天然だ。

 教室でもオーバーに感情表現をする千華は、近しい、または慣れた友人達からすれば天真爛漫で明るく見える。しかし、つきあう前の亮のように、インドアでマンガばっか読んでいるタイプの人間からしてみれば、ちょっと近寄りがたい存在だったようだ。

「んー、でも今日はこのくらいでがまんしておこうかな」

 千華は、まだ四分の一くらい弁当が残っているのに、ふたを閉じた。

「あれ、体調でも悪いの?」

 普段は自分の弁当に加えて、他の友達の残した弁当すら平らげるほどの千華だ。その千華が弁当を残したなどと言えば、千華の友達はこぞって心配するだろう。

「そうじゃないんだけど、おなかいっぱいになっちゃうと午後の授業で眠くなっちゃって。最近お母さんが作るお弁当の量もどんどん多くなってるし……だから、このくらいにしておくの」

 千華は弁当箱を包もうとして、その動きを止めた。

「そうだ、よかったら残すのももったいないし、亮くん食べる? あっ、あんたの為に残したんじゃないんだからねっ?」

 そういって満面の笑顔で弁当箱を差し出す。

「いや、無理にツンデレ演じなくていいから……いいよ。僕はこれで十分だし、多かったってお母さんに話して減らしてもらったほうがいいんじゃない?」

 千華は一瞬考えて、弁当箱をひっこめた。

「そっかぁ。そうだねー。うん、お母さんに言ってみよう!」

 千華は鼻歌交じりに弁当を片づけ始めた。


 千華の胃袋も大きな謎だが、千華の母親はもっと謎に満ちている。亮は俺が発生する以前に、一度だけ会ったことがある。

 そのときのことについて亮の記憶を辿る前まで、俺は千華の母親のことを恰幅のよい肝っ玉母さんみたいなキャラクターをイメージしていた。

 しかしいざ亮の記憶からその記憶を引きだしてみると、その正体はファンタジーなロールプレイングゲームの教会に出てくるシスターのような、清楚ですらっとした女性だった。

 およそあんな破壊的な量の弁当を作るとは思えなかった。しかし、そんななりで実際には千華よりもよく食べるらしい。まったくこの世はどうなってるんだ。

 亮が千華の母親と出会ったのは、亮が千華にその想いを告白した日の夜。さっそく千華の家にお呼ばれし、ご両親から「娘をよろしく」と言われるとともに、大量の夕飯をごちそうしていただき、強制的に己の胃袋の限界に挑戦させられたらしい。

 亮の記憶によると、食べすぎで死ぬかと思ったが、料理はとてもうまかったそうだ。うまい料理は食べてみたいが、満腹で死ぬのはちょっとごめんだ。


 弁当を片づけたとき、俺の足もとにバレーボールが飛んできた。千華がキャッと小さな悲鳴をあげる。どこかで遊んでいたグループのボールが飛んできたのだろうか。

 弁当を置きそれを拾い上げ、遠くで手を振っている男子のグループに投げ返してやる。

 ……と、視線の端、屋上のフェンスの近くにいる三人の男子に目がいった。何やら話をしている二人は昨年の同じクラスの男子。それを横で聞いているようなもう一人が、さっき授業中に見た顔も名前も思い出せない男子だった。

 もう一度亮の記憶を探ってみるが、やはり思い出せない。あとで同学年の名簿を見てみるか。挨拶してくるくらいのやつなら、思い出しておいて亮にも損はないだろう。

「あのさ、亮くん」

「ん?」

 千華は指でツインテールの先をいじりながら、恥ずかしそうに足もとを見ていた。

「今週の日曜日……なんだけど……ダメかな?」

 チラチラとうかがうように俺を見る。不安そうな表情。何かを訴えるような上目づかい。亮があいまいな感情の波を立てた。

 千華からのデートのお誘いだ。

千華に告白したのは亮からだったが、それから先の亮は千華をデートに誘うこともせず、まったく関係を進展させていなかった。草食系め。

 奥手な亮を待ちきれなくなったのか、つきあいはじめて三週間目、俺が亮の中に発生して一週間がたったころ、千華は亮をデートに誘った。千華はそれなりに亮の人格に惹かれたようで、最近では積極的に亮にアプローチをかけている。

 ……が、いまや千華が亮だと思っているのは、大輪田亮ではなくて、その中に発生した別の存在。つまり俺だ。

 ということは、これから千華と亮の関係が順調に進展していくとしよう。デートするのも、手を繋ぐのも、ハグするのもキスするのも、展開によっちゃその先も、現状のままでは相手は俺なのだ。

 亮はそうなることにははっきりと嫌がっていた。もちろん俺も人様の女を取ろうなんて考えはこれっぽっちもない。俺は善良だからな。

 だから俺は千華が誘ってくるたびになにかと理由をつけてやんわりと断って、千華との距離を保っていた。

 しかしこれがまたやっかいで、あまり冷たくしすぎると、今度は千華の気持ちが離れてしまうかもしれない。この場合も不利益をこうむるのは亮だ。だから、千華をないがしろにもできない。

 それで、昼休みにこうして弁当をともにしたり、登下校の時間を合わせたり、メールの相手をしたり、亮が許す範囲で俺は彼氏のフリをしている。

「なんだか、いつも忙しそうだから、誘っちゃ迷惑かなと思うんだけど、でも……」

 言いよどんで、千華は寂しそうな顔を見せる。困った。亮、なんとかしてくれ。

「でもね、ちゃんと彼氏彼女らしいこともしたいんだよー?」

 まっすぐ見つめてくる千華。訴えかけるような潤んだ瞳。亮ー! 反応がない。逃げたか。チキンめ。

「うーん、ちょっと日曜日は調べものがしたいんだけど……でも、大丈夫かもしれない。返事、あとでメールじゃだめかな?」

 亮が反応しないので、その場しのぎの返事をした。千華は少しなにか言いたげに「むー」と唸っていたが、やがて笑顔で答えた。

「……うん、返事、待ってる!」

 千華が笑顔の端に一瞬だけのぞかせた不安そうな表情に、俺の心がちょっと痛んだ。早く俺が亮の身体から出て行ってやれればいいのだが。

「じゃあ、わたしはつぎも教室移動だから、先に戻るね!」

 そういって千華は小走りに階段へと向かっていった。そのうしろ姿を見送っていると、ようやく亮が情けない感情の波を立てた。

 いまごろ出てきたって遅いっつーの。

「さて、どんな言い訳をしますかね」

 俺は弁当の包みを取って、立ち上がって階段のほうへと向かった。

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