番外編:それぞれの月曜日
「おっはよう末吉! 相変わらずだな」
窓側の奥の方の席で一人、朝のホームルームの前に設けられている読書の時間用の本を読んでいたら、そんな声が通り過ぎるとともに一瞬右胸に手が触れる。
「セ・ク・ハ・ラ!」
その手の主であり声の主でもある後ろの座席の男子を睨み付ける。長髪メガネのオタク。それが彼を知る人の印象で、事実だ。そしてボクの胸を触ってくるのはよくあることで、その度に咎めているのに
「まぁ、いいじゃん、末吉は週末何やってたの?」
「俺記」
と全く悪びれる様子のないその男子に呆れながら答える。普段あんまり彼と絡まない人からは気持ち悪がられているが、本人は全く気にしない生粋の変態。ボクに絡んでくるときはニヤニヤ顔がほとんどなので気持ち悪さに磨きがかかっている。
「へぇ…ってかVR続けてるんだ」
「自分が勧めてきたくせに」
と再び男子に鋭い視線を向ける。
小さいころから男の子の友達が多くてそれに混じって遊んでいた。だから男の子がするような遊びはほとんどやったことがある。その一つにVRゲームもあった。
ある時の誕生日にプレゼントでVRメットを買ってもらって、あとは親に任せて遊べるようにしてもらった。それでみんなと一緒に始めたのはオンライン対戦ができる格闘ゲームだった。
最初は家族共用のPCを使っていたけど、家族から邪魔と言われたこともあって家族共用のPCを買い替えた時に、元家族共用PCはボク専用として、ボクの部屋に持ち込まれた。
それは中学に上がったころだった。いつものように格闘ゲームで友達と対戦しようとしているとその友達のPCの不調か途中で落ちてしまった。待つのもめんどくさいと思ってゲームをやめて現実の身体に意識が戻ると、仰向けに寝転がったボクの上に別の友達が跨っていた。
暴れ回ってなんとか拘束を解いて事なきを得たけど、その時知ってしまった。仲良く遊んでいる男の子たちが計画して、誰かがVRでボクを拘束しているうちに「いたずら」をしようとしていたらしいことを。
思えばそれ以前にも知らないうちに遊びに来た友達がお兄ちゃんに叱られていた。理由を聞いたら答えてくれなかったけどそういうことだったんだろう。
自分では異性としての意識はなかったけど向こうは違ったらしいことを知ったボクはそれ以来VRから離れて、その男友達とも遊ぶ機会は減った。
で、長髪メガネに出会ったのはその後、中学3年になり「女」友達の流れに乗って通い始めた塾でだった。
ボクの中学校は小学校からそのまま上がってくるということもあるせいか、「ボク」と自分を呼んでも他のみんなは慣れているせいか、何かを言われることはなかったけど、ある日友達と話してるところを聞いたらしい長髪メガネが
「ボクっ娘って本当にいるのかよ!? え? それとも男の娘? 男なの?」
としつこく聞いてきたのが始まりだった。
それから頻繁に絡んでくるようになったある時に
「VRゲームやったことあるんだ、じゃあさこのVRゲーム一緒にやらない?」
と誘ってきたので先ほどのことを言うと、
「いや、俺お前ん家知らないし、その襲ってきた連中とも仲良くないし、折角あるなら使わないと損だよ損、VRメットだって安くないんだよ!?」
としつこく誘ってきた。面倒くさいのでその勧められたゲームを一緒にプレイしたけど受験が近づくと引退し、それからは一緒にやったことはない。
とはいえ高校に受かった後それとなーく面白そうなのを見つけては一人でプレイしてきた。まぁ高校で一緒になった長髪メガネには今まで言ってなかったけどね。
「ふ~ん、俺記かぁ、俺もVR最近やってないし、始めようかな」
ボクが昔のことを思い返している間、長髪メガネはボクのやっているゲームの方を考えていたらしい。
「まぁ、一周年記念から無期限で新規受付するらしいから、それまで待たなきゃいけないけどね」
と長髪メガネに伝えると顔をニヤニヤさせながら
「待つぐらい大丈夫さ、始めたら末吉先輩に手取り足取り教えてもらいますから、ムフッ♡ これからより一層『ぞうきょう』のお手伝いに精を出しますから」
と何ともいやらしい響きがするようなことを言う。
「ぞう…きょう?」
今の発言で分からなかった部分を繰り返す。
「そ、増えるに胸で、増胸(ぞうきょう)♪」
と得意げに長髪メガネは話す。
「そういうのは豊胸っていうんじゃないかな?」
怒りのこもった笑顔を向ける。
「いや…それじゃぁちょっと『増』えたぐらいで『豊』とは……」
と困った顔でボクの胸を見つめながら言う長髪メガネを一発殴る。
「お、俺はスレンダーな方が好きだぞ、だがもう少し揉み心地がある方が痛い痛い!!」
変なことを言う長髪メガネの腕をつねる。
「なんで揉み心地が分かるんですかねぇ?」
「ひっ、そ、それは末吉がタッチを許してくれるからさ!」
最後だけさわやかになった長髪メガネに「許してるわけじゃないんだけど」と思いながら睨み付ける。
「俺記始めても何もしてあげないから、ボクにもあっちで友人がいるもんで」
と冷たく言う。それにナギちゃんをこいつに会わせてはいけない気がするし。
「まぁまぁ、彼氏を紹介するのが嫌だからって痛たたたた!」
「彼氏じゃないでしょ!」
と腕に爪を立てる。高1高2と同じクラスで、同性すらもあんまり話しかけないような長髪メガネと楽しく話をするせいかよく
「末吉さんと笠原君って付き合ってるの?」
と聞かれる。笠原君というのが長髪メガネだ。
ただでさえ間違われるのもやめてって感じなのに自らそうやって紹介するわけない。
「いてぇー、ちゃんと爪切ってるのかよ…?」
と腕の赤くなっているところを見つめる長髪メガネを憐れむように読書の時間の開始のチャイムが鳴る。
――舞浜
奇跡というものはどうやらこの世界に存在するらしい。奇跡とはいったいなんだろうか、偶然とはどう違うのだろうか。そんなことを考えながら自分の前の席…その背中を見つめる。
10月に入ったということもあって席替えが行われた。この結果を知っていたならばこれが帰りのホームルームの時間に行われたことを悲しく思うだろう。何故なら今日はその背中を堪能できないんだから…ってこれじゃ変態じゃないか!
自分のすぐ前に映る背中、それは松木さんのものだ。「ナギ」さんとしては見慣れているし会話もしまくっているけど現実では皆無。その背中が手の届く範囲にやってきた。しかも今の俺の列の一番後ろというポジションは席替え前の松木さんのポジションだ。
これが席を移動ではなくて荷物だけ移動ならば松木さんの座っていた椅子に…っと危ないアブナイ。今日も帰ったらゲームで会う可能性もあるのにこれはダメだ。
とりあえず松木さん前より一個前のポジションになっただけなんだなぁ…とか、三回連続で一番前の奴が泣く振りしているのを見て心を落ち着かせる。
これから最低でも一か月は松木さんの背中を堪能…じゃなくて、現実でも会話をするチャンスに恵まれるということか。もし夏服ならあわよくば透けた下着が…とか考えない考えない。冬服最高。セーラー最高! ブレザー? カッコつけてんじゃねぇよ。
――ハッ
気付いたら目が合った。というか顔がこちらに向いているのに気付いてなかった。
「どうかしたの?」
やめてくれぇ! 今は話しかけないでくれぇ! 暴走しないように抑えていたのに…しかもこんな感じで初会話とか。
…っておい! 早く回答を考えろ俺! きょとんとして返事を待ってるじゃないか。
「べ、別に…」
つまらない返事で申し訳ない。
「あっ」
と松木さんは何かに気づいたようにして、
「現実では初会話だね」
と微笑む。
「気付かなかったの?」
そう言いながら、松木さんの微笑みで心が落ち着いたことに気づいた。
末吉=クゥ




