レイン、対話
魔王の再度の進撃が始まって以降、これまでのところどの戦いも全て魔王側の勝利に終わっていた。人間側も魔物を何度も蹴散らし、何とかその脅威を拭い去ろうと努力はしているのだが、翌日になるとそこは完全に人間が入ることの出来ない「魔王の領地」と化していた。人間、そして勇者たちの努力を魔王は嘲笑い続けていたのだ。
そして、それは魔王の配下で暗躍を続ける、数え切れないほどのレイン・シュドーもまた同様であった。
(ここの木もだ……)
そんなレイン・シュドーの1人が訪れていたのは、比較的規模の大きな内陸部の町であった。
かつて勇者だった頃の彼女も訪れた事があるこの町は、様々な上質な材木が採れる林業の町として栄えていた。燃えにくい木々や泥によって作られた家々が立ち並び、その傍らにはたくさんの巨木が立つと言う、緑溢れる素敵な所であった。だが、そんな木々が、町のあちこちであちこちで枯れ始めていたのだ。
(かわいそうに、誰も世話をしてくれないのね)
でも、それも当たり前の事かもしれない、とレインは心の中で思った。今、この町から次々と人々が逃げ出していたからだ。
いくらたくさんの木々が育つだけの土壌や水があっても、人に頼って生きると言う道を選ばされた町中の木々は、人間がいなければ生きていけない。碌に世話もされず、周りの雑草や他の木々に栄養を奪われたが最後、残された道は枯れる他ないのである。
一体何故このような状況になったのか、レインは非常によく分かっていた。そもそもそういう事態を招いたのは、彼女自身だからである。
今、レイン・シュドーは普段とは全く異なる姿になっていた。純白のビキニアーマー衣装から胸の谷間や腰つきを覗かせ、健康的な肌と一つに結った美しい髪を見せ付けるのが普段の彼女なのだが、今は体全体に茶色の古びた大きい布切れを纏い、目の色や顔つきもどこか男性のようなものに変えていた。勿論、大きな胸元も逞しい胸板に置き換えられていた。自らが習得した魔術を用い、自分自身の姿をレインとは全く違うものに見せていたのだ。
その理由はただ1つ、この町を自分たち――魔王とレイン・シュドーのものにするためである。
既にこの林業の町の傍にある町や村のうち3つが、レインたちに奪われていた。どこも密かに彼女が侵入しており、町の全体を乗っ取る事が出来るような魔王直伝の魔術が仕掛けられたのである。夜のうちに全ての生き物――動物も植物も人間も容赦なく、レインが最も好む存在へと変えられてしまう、と言う凄まじいものだ。
勿論、それらの行動を指揮するのは魔王であった。町や村を全て自分の好きなように変えると言う魔術だけでは、到底魔王にはむかう事は不可能なのである。だが、それでもレインたちはこのように密かに侵入してあちこちを巡るのが大好きだった。
(心配しないでね……もうすぐみんな、『私』になるんだから)
あちこちの町や村は、魔物たちによって不安と混乱に満ちようとしていた。人々は安心を求めて乱れ続け、無関係の動物や植物はそれらに巻き込まれてしまう。そんな地獄絵図が、レインにとって最高の天国に変わっていく――そんな情景を想像しただけで、レインはとても嬉しかったのである。今は枯れそうなこの葉っぱも、明日になれば瑞々しさが戻るだろう。そう感じながらそっと葉っぱを触った彼女は、この町に残っていた数少ない人間に声をかけられた。
「……おや、見かけない顔だね」
「あ、すいません……貴方の木だったんですか?」
「いや、違うよ。でもすっかり元気がなくなっちゃってるね……」
杖をつきながらやって来たのは、1人のお婆さんだった。その様子を見て、レインは何故彼女がこの町に残っていたのか察する事が出来た。このような体では、他の町の人たちのように平気で大事な木々を見捨てて逃げる事など不可能だろう。
林業で栄えていたこの町には、見慣れないよそ者でも歓迎する雰囲気があった。それはこのお婆さんもまた同様だった。
「最近の世界は大変だね……せっかく魔物が消えたと思ったら……」
「そうですよね……」
人々は皆大変なのだろう、と他人事を装って心配そうに言うレインに、お婆さんは意外な言葉を告げた。むしろ、魔物がこうやって来てくれた事を感謝しているのかもしれない、と。勇者だった頃も含めて、そのような事を言う人とレインが出会ったのは初めてであった。
お婆さんは、静かに空を見上げながら言った。どんなものにも、いつか終わりがやって来る、と。あそこの枯れ始めた木のように、そのきっかけは悪いことかもしれないし、はたまた良い事が終わりのきっかけになってしまう事もあるかもしれない。そのような運命に逆らおうと、この町に大事な物をたくさんおきっぱなしで逃げ出すような人には昔からなりたくなかった、とお婆さんはレイン――いや、レインが化けた1人の女性に語った。
「でも、一度この町も勇者に救われたんですよね。その時はどう考えたんですか?」
「別に悪い事は考えていないよ。勇者さんたちがやってきたのは良い運命なんだ、って。
でも、こうやって少しづつ終わりが近づいている、これもまた運命なのかもしれないねぇ……」
もう少しで、この町も終わりだろう。その言葉に、一瞬自分たちの作戦がばれたような気がしてしまったレインだが、心配する必要は無かった。お婆さんは確かに杖をつかないと歩くことが出来ないほどの体である。だが、自分の存在が消えると言う運命をも受け入れる、強い心を有していたのだ。
「これからあんたはどうするんだい?」
「……私は、もう少しこの町を見てみます。
綺麗なものを、いつまでも目に焼き付けておきたいですから」
一緒に話せて良かった。
お婆さんの言葉に感謝と敬意を示すため、レインは深々と頭を下げ、静かに去っていった。
この町に残されているのは、絶望に満ちた哀れな人たちと、それから逃れようと必死な愚か者たちの犠牲者だけ、レインはずっと思っていた。だが、まだここにはそのような辛い心とは異なる、強くも優しい気持ちのまま静かに暮らす人たちも残されていたのだ。お婆さんとの会話の中で、レインは大きな収穫を得る事が出来た。
お婆さんの心を、無駄になんてしない。レインはそう決心した。
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その夜、林業で栄えた町の全体に向けて、レイン・シュドーは静かに雨を降らせた。
長い間木々と共に過ごしてきた人たちでも見たことが無いほどに綺麗な雨粒をたくさん用意し、町の全てに行き届くように、一晩中降らせ続けた。
そして次の日。
「「ここが、あのお婆さんの家なのね……」」
「そう。昨日まで『私』が住んでいた場所よ、レイン」
純白のビキニ衣装の、全く同じ美女たちが何千人も行き交う場所に生まれ変わった元・林業の町で、数名のレイン・シュドーが一軒の家を見つめていた。彼女のうちの1人――杖を使わないと歩けないほどに年老いたお婆さんから姿を変えたレイン・シュドーもまた、彼女たちと共に家の外に出ていた。
お婆さんは、きっと幸せな終わりを迎えることが出来たのだろう、とレインは皆信じていた。あの優しい雨に包まれながら、お婆さんはレイン・シュドーへと変換されてったのである。もう彼女は一切苦しむ事無く、杖をつかなくても歩ける事が出来る。そしてその強い心も永遠に保ち続ける事が出来る。もう、終わりなんて絶対に来ない、いや絶対に迎えさせない。この町、いやこの世界の全てがレイン・シュドーである限り。
そして、彼女たちは一斉に手を重ね、昨日までお婆さんが暮らしていた証――この場所で最後まで元のまま残されていた家を、魔術の力で自らの好みの姿に変化させた。彼女の強い心、破滅を受け入れる優しい心を無駄にしないために。
「……さ、行こうか、レイン!」
「そうね、レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」…
今回の征服は、新たな場所や自分自身と共に素敵な心を手に入れることが出来た、実りあるものであった……。