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男勇者、狼狽

「あぁぁぁぁ……ど、どうしよう……!」


 城壁都市にある、世界で最も大きな城。そこにある勇者専用の大部屋の中で、トーリス・キルメンは頭を抱え、恐怖に震えていた。魔物を次々に成敗し、世界中の人々の憧れである『技の勇者』が彼であると説明しても、きっと誰も信じないほどに彼は怯えきっていたのだ。その理由はたった1つ、トーリスが最も恐れていた事態が起きてしまったからである。


「……やはりな、思ったとおりか」


 一方、彼と共にこの大部屋の中に佇むもう1人の存在――トーリスと同様に『魔術の勇者』として人々の尊敬を集め続けている女性、キリカ・シューダリア――は、腕を組んだままじっと壁に寄りかかり続けていた。以前から彼女はずっとこの調子であった。自分の判断が追いつかないとつい感情的になってしまうトーリスとは対照的に、どんな緊急事態になっても彼女は落ち着きを保ち、他の仲間が困惑する状況下でも常に冷静な判断を下していたのだ。


 だが、そんな彼女も、内心はこの事態に対して凄まじい恐怖を覚えていた。普段どおりの冷静な言動や行動をしようとしても、つい体が恐怖で震えだしてしまう。それほどまでに、2人の勇者にとって最悪の事態が襲い掛かっていたのである。そして――。




「おいキリカ!お前なんでそんなに冷静沈着なんだよ!のんびり腕組みなんかしている――」



 ――狼狽したトーリスが吼えた瞬間、キリカは彼を凄まじい形相でにらみつけ、頬に強烈なビンタを喰らわせた。突然の行動に唖然となって黙り果てた彼を見下ろしながら、彼女はそのまま冷静な、だが憎しみや恐怖が入り乱れた口調で告げた。ここで何度怯えていても事態は解決しない、あの時女王が我々に伝えたのを忘れたのか、と。では一体何をすれば良いのか、と再び噛み付いてきたトーリスに向けられたのは、彼の本心を見抜いたキリカからの痛烈な言葉の一撃であった。


「お前が怯えている理由は分かる。勇者のはずなのに魔物を倒しきれていない、メンツが丸潰れ、何もかも終わりだ――違うか?」

「……そ、そ、そりゃそうだ!魔物の奴が生きていたせいで僕たちはやばい状態にいるんだぞ!」

 

「だが、私はそれ以上の恐怖を感じている。魔物が今になって現れたことに対してな……」

「……き、キリカでも恐怖を感じるんだ……」


 当たり前だ、と呆れ混じりのツッコミを入れながら、何も状況が分かっていない『技の勇者』に向けてキリカは説明を始めた。


 1つ目の恐怖は、今の勇者、そして世界は、魔物を最も確実に倒す事ができる対処法を失ってしまったと言う事にある。確かにトーリスの剣の腕は幾多もの魔物を切り裂き、キリカの魔術の前にはどんな魔物も吹っ飛ばされるだけであった。だが、勇者の一員であり最高クラスの魔術を操るキリカですら使用できないものがあった。それが、様々なものに取り憑いた穢れ――魔物を生み出す元になった仮初の命を洗い流し、操られていた物を元の状態に戻す『浄化』の魔術であった。そして、それを使用できたのは、かつての勇者の一員であった勇者。ライラ・ハリーナだけであった。

 だが、今の世界に彼女はいない。その理由を、世界中の人々は魔王の猛攻の前に敗れ去ったからだ、と考えている。だがそれは、ここにいる2人の勇者が流した真っ赤な嘘であった。彼女たちと仲間割れしたトーリスやキリカたちは、自らの醜態が世間にばれるのを避けるため、『協力者』に頼んで彼女の命を奪ったのである。


「幸い、この恐怖に関してはどうにでもなる。私たちの力は、『普通』の魔物を退治できるのに十分だろうからな。ただ……」

「ま、まだ……ま、まさか……」


 トーリスの顔を青ざめさせたもう1つの恐怖は、その『協力者』、平和が戻った世界で贅沢三昧をさせると言う約束の下で勇者たちに協力した、ならず者の男によってもたらされた情報であった。彼が所属し、森の中の巨大な城で堕落した日々を過ごしていた『盗賊団』が一夜にして壊滅したと言うものである。そして、彼らを襲ったと言う存在の姿こそ、トーリスとキリカにとって魔物以上に最も恐怖、そして戦慄を覚えるものであった。

 1つに結った長い黒髪、健康的な肌、安心感すらもたらしてくれる美しい笑顔、たわわな胸や魅惑の腰つきを有する外見、そしてそんな体を僅かながら包み込む、大胆な純白のビキニ衣装――命を落としたはずの勇者たちのリーダー『レイン・シュドー』と、ほぼ同じものだったのだ。


「……そ、そうだよ、きっとアレは魔物が化けた姿で……」

「私は何も断言してない。勝手に怖がるな」

「だ、だって!!レインだよ!!レイン・シュドーが!!!」


 それほどまでトーリスがレインを怖がるのは、彼こそが彼女を裏切ると言う発案をした張本人だからである。彼女が苛立つ、彼女にアドバイスされるのが腹が立つ、そんな些細な感情的な理由がきっかけとなり、勇者一行は仲間割れを起こし、レインとライラは命を落とす事態になったのである。そして世界に無事平和が訪れてもなお、臆病者のトーリスはその事に対して恐怖を抱き続けていた。ただそれは彼女たちに申し訳ない、と言う謝罪や後悔ではなく、彼女たちの命が消えた要因が自分たちにある事がばれるのではないか、と言うあまりにも身勝手な感情だったが。


 盗賊団を襲ったあの存在は、魔物が化けた存在なのか、それとも本物のレインなのか。同様にレインを見殺しにした張本人であるキリカに向けて、トーリスは震えながらも改めて尋ねた。

 

「さっきも言ったが私も何も分からん。

 だが、私は逆にお前に聞きたい。どの可能性なら、お前のメンツが潰されずに済むんだ?」


「……そ、それは……その……」


 質問に質問で返すな、とむきになる彼を見て、キリカはため息をついた。やはり彼はただ喚くだけで、本心は何も考えていなかったのだ。

 彼女の中で、その問いの答えは既に出来ていた。あの『レイン』がただの魔物であるよりも、『レイン』本人であったほうが自分たちには都合が良いだろう、と。彼女が魔王に敗れた末、その魔力に魅入って自分たち人間を裏切ったとなれば、彼女の地位や名誉は地に堕ちる事になる。そうなれば、自分たちがレインやライラを見殺しにした事はばれずに済み、勇者のメンツは一生保たれるだろう――そのような考えを、キリカは簡潔に告げた。


「とにかく、事態は動き出した。既に仲間も1人倒れている。なんとしてでも魔物を倒さなければ、私たちはお終いだ」

「そ、そうだよな……と、ところでさぁ、キリカ、倒す手立ても考えてるんだろうな……?」


「知らん……知らないぞ、私は……」



 キリカ・シューダリアは、呆れ果てていた。


 レインとライラ、2人の勇者を見捨てた自分の行為は間違っていない、と彼女は確かに考えていた。彼女たちは魔物を倒して世界を救うと言う事にだけ邁進し、自分の地位や名誉どころか、その命すら放り投げる勢いで日々戦いに勤しんでいた。確かにそれは勇者の理想であるし、人々の憧れになるのは間違いないだろう。だが、自分たちは勇者である以前に人間、地位も名誉も、生きるためには必要なものだと考えた彼女は、2人の思いに反抗心を抱いたのである。もしこのまま戦いが自分たちの勝利に終わっても、誰からも尊敬されず、何も報酬が無いまま暮らすという最悪の結末になりかねない、と。その結果、彼女もトーリスの考えに従い、レインに絶交を言い渡したのだ。


 だが、世界が平和になり、地位や名誉を手に入れてからようやく彼女は他の2人――目の前でうろたえるトーリスと、二度と目の前に現れないであろう『力の勇者』フレムが、あまりにも幼稚な考えでレインとライラを裏切った事に気づいた。ただ単に、彼女が気に入らない、鬱陶しい、ウザいと言う理由だけで、全てを2人に投げて逃げ去ったのである。その証拠が、世界が平和になった後の2人の堕落ぶりと、レインという名前を口に出しただけで慌てるトーリスの醜態であった。


 正直なところ、フレムが魔物に倒されたと言う報告に関しては、まさに自業自得だ、と言う考えをキリカは抱いていた。トレーニングもせず毎日美女をはべらせてぐうたらな贅沢三昧を送れば、魔物の襲来と言う罰が当たるのも当然だろう、と。トーリスの口の上手さによってその真実も世間には伏せてあるが、そのうちこれもばれるかもしれない、と彼女は思った。


 どうせなら、いっそこのまま『魔物』に世界を譲った方が良いのではないか。一瞬そのような恐ろしい妄想をしてしまった彼女は、慌てて頭に掌を振れ、魔術を応用して自分自身を落ち着かせた。自分まで愚か者に成り下がってはいけない、自分は勇者「キリカ・シューダリア」なのだ、と。

 

 そして、騒ぎ続けたトーリスも落ち着き、大部屋がようやく静かになったその時だった。この部屋にある硬く閉ざされた扉の鐘の音が鳴り響いたのである。防音装備がなされた勇者専用のこの部屋には、彼らの許可が無い限り直接入る事は許されない。彼らに用事がある、とやって来たこの兵士も、部屋の中に入る事無く、キリカの魔術を伝って外から用件を伝える事になった。



『も、申し上げます!先程、この場所に侵入した者を捕らえましたところ……き、聞こえますか?』

「心配要らない、私やトーリスに魔術で伝わるからな」

『りょ、了解です!』

「で、侵入者がどうしたんだい?」


 そして、兵士から伝えられたのは、あまりにも驚くべきものであった。突然城の中に現れ、たくさんの兵士たちに一切抵抗しないまま囚われた老婆のような姿の『侵入者』は、2人に重大な用件がある、と告げてきたのである。当然単なる兵士たちの一任で彼女の言葉を受け入れる事はできないため、この場に駆けつけてきたのだ。


 了解した、準備が終わり次第老婆の待つ牢獄へ向かう。そう伝えた後、トーリスとキリカは『準備』を始めた。先程まで恐怖に震え、焦燥しきっていたはずのトーリスの顔は、あっという間に金髪の美青年へと変貌していた。自分の本心を隠すことが得意な彼だからこそ、様々な嘘を口八丁で誤魔化し、凛々しい顔の勇者でい続けられたのである。そんな彼を一瞬軽蔑の目で見つめながらも、キリカも静かに動き出した。


 そして、2人は兵士から連絡があった通り、老婆が閉じ込められている牢獄へと向かった。幾多もの石の階段を降りた先、城の地下深くに存在する、罪人たちが閉じ込められている場所である。

 だが、到着したトーリスとキリカを待っていたのは、あまりにも衝撃的な存在であった。口八丁な臆病者のトーリスは勿論だが、どれだけ恐怖や怒りを抱いても冷静沈着さを貫き通すはずのキリカですら目や口を大きく開き、信じられないといった表情を作り出していたのである。


 何故なら、兵士も誰もいないその場所で彼らを待ち構えていたのは、老婆ではなく――。

 

『待っていました、勇者たち……』


 ――トカゲのような頭に頑丈な鎧、白い骨の尻尾――。


『……私は危害を加えません。貴方達に、助けて欲しいのです』


 ――どこからどう見ても、『魔物』そのものだったからである……。

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