女勇者、変化
「え、魔王……」「どういう事?」
世界平和を目指すため、飽くなき努力を続けるレイン・シュドーの毎日は、協力者である魔王の元で、剣術や魔術の鍛錬に励み、自分同士で戯れあう事で費やされる。普段はレイン側が自らその日の工程を考え、得意分野をより伸ばしたり、苦手分野を克服するという形が多いのだが、時には魔王直々に鍛錬を課せられる事もある。レインが考えもつかなかった練習方法や新しい魔術の内容を教えられる事で、ますます彼女の腕は上がっていくのだ。
ただ、その内容によって、レインの間に大きな戸惑いが生まれてしまう事もある。一体何に役立つのか、本当にこの内容で良いのか、魔王から何の説明も無いままに教えられる場合だ。だが、いくら疑問を投げかけても、いつも魔王から返ってくるのは同じ言葉ばかりだった。
――例えば、今回の魔術の鍛錬のように。
「どうもこうも無い、言った通りにやれ」
「う、うん……」「わ、分かったけど……」
石造りの長く広い机を囲みながら、100000人ものレイン・シュドーはそれでも納得いかない顔を見せていた。
確かに、レインの数は日増しに増え続け、この巨大な地下の大広間でも、少し動けば純白のビキニ衣装越しに左右の自分の胸が触れ合い、レインの顔を真っ赤にさせてしまう。だが、どのレインも、その頭の中の考えや感情、そして自分が増えるという喜びは全く同じであった。それ故に、魔王が何故このような事を教えるのか、誰一人として完全に納得しきれなかったのである。
レイン・シュドーの目の前に並べられていたのは、砂を固めて作ったような『卵』を思わせる物体であった。だが、これが単なる砂細工ではないと言う事を、彼女は承知済みであった。
かつて彼女が魔王討伐へ戦いを重ねていた時、とある町の至るところでこの『卵』を見かけた。人間や動物など、命を持ったものが油断して近づいた途端、卵の中から凶暴な魔物――鋭い2本の爪に3対もある不気味な瞳、そしてすぐに再生してしまう体を持つ、トカゲと昆虫を合わせたような存在――が孵化し、襲い掛かってしまうのである。剣の腕が優れているとは言え、次々に孵化し、再生を重ねるこの魔物には彼女も苦い記憶ばかりが残っていた。
ただ、今回はそのように襲い掛かる心配は無い、と魔王から事前に伝えられていた。これからレインが覚えさせられる魔術の鍛錬には、卵の状態を維持させたままの方が良いからであった。だが、その『魔術』の中身を、レインは受け入れる事に躊躇していたのだ。
「――もう一度言うぞ。
この中に宿る『魔物』の姿を、お前たちの腕に複写するのだ」
砂のような色をした醜悪な魔物の姿を、自分たちの綺麗な腕に置き換える――今まで行った事がない新しい魔術と言うのもあるが、レインが躊躇していたのは、この自分自身の体に変化を起こしてしまう、という理由が大きかった。黒い髪に健康的な肌、大きな胸に艶やかな腰つき、そして純白のビキニ衣装、そんな自分自身の姿が何よりも大好きだった彼女にとっては、ほんの僅かでも体の一部がこんな魔物になってしまうことに抵抗感がぬぐえなかったのである。
だが、そんな自分勝手な理由で魔術の習得を断る事を、魔王が許すはずは無かった。
今日のうちに習得しておけ、と言い残し、100000ものレインで埋め尽くされた部屋を、魔王は後にしてしまったのである。
「……ねえ、どうする?」
1人のレインが、不安そうに他のレインに言った。ただ、それは今回の鍛錬を諦め、そのままサボってしまおう、と言う意図ではなかった。そのような事をしたら、それこそ自分たちは魔王に完全に滅ぼされてしまうだろう。選択肢は、たった一つしかない、と言う事を、自分同士で確認するためだったのである。
「……そうだよね、こんなわがまま言ってちゃ駄目だよね」
「うん、私はもっと強くならないと……」
「もっと強くなって、魔王に勝つんだから……」
「世界を、本当に平和にするためには……!」
「……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」……よし!」
100000のレインの心には、全く同じ決意が固まっていた。
=================================
自らの苦手な分野を補おうと努力を続けているレイン・シュドーがいる一方で、別の100000のレイン・シュドーは、自らの得意な分野をより伸ばそうと鍛錬を続けていた。
ただし、今日はいつもより息が上がっているようだが。
「くっ、逃げた……!」「す、すばしっこい……」「くっ……!」
「きりがないわね……」「た、鍛錬だから……」「仕方ないけどね……!」
最近の剣術の鍛錬は自分を相手にする事が多かったが、今日は魔王直々の命令により、『魔物』を倒し続ける、と言う内容となっていた。闘技場に敷き詰められた砂や土、石から無尽蔵に生まれ続ける魔物に宿る『仮初の命』を、自らの剣術や魔術を用いて消し去り続けるのである。
硬い甲羅を持つカメのような魔物に、土が集まったネズミのような魔物、大量の石によって形作られた頑丈な巨人――どれもかつてレイン・シュドーが戦い、そして倒したことのある存在ばかりであった。カメのような魔物は、口から発射する漆黒のオーラを跳ね返して転ばせた後に、弱点である腹を突けば倒せる。ネズミのような魔物は素早さに惑わされなければ一撃で元の土に戻るし、頑丈な巨人も足の関節の部分を狙えば動きが鈍くなり、最終的に元の石の塊になってしまう。
だが、いくら攻略法を知っていても、それが何百何千何万、果ては何億と延々と現れ続ければ、体に溜まった疲労で判断が鈍ってしまう。相手は仮初の命だけを持つ魔物、倒しても倒してもすぐに復活してしまう。いくら鍛錬を積んで強くなったとは言え、100000のレインには流石に疲れが見え始めていた。
それでも再び体勢を立て直し、再生を続ける魔物と対峙しようとした、その時であった。
レインに襲い掛かろうとした魔物たちが、突然動きを止め、そして一斉に崩れ落ちたのである。
いくら魔術の腕も上がったとは言え、大量の魔物を一斉に元の姿――闘技場の砂、土、石など――に戻してしまうだけの力は身につけていないし、もし身に着けたとしても、自分よりも遥かにレベルが高い存在に操られているこれらの魔物には効果が無いであろう。そのような事が出来るのは、この地下空間にはたった1人しかいない。漆黒のオーラよりも黒い服を前進に身に纏い、顔を無表情の仮面で覆った『魔王』である。
「一旦終わりだ。休め」
「はぁ……お疲れ様……」はぁ……」ありがとう、魔王……」凄い疲れた……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」……
整った体や純白のビキニ衣装が砂や土で汚れるのも気にせず、レインは疲労が溜まった体を休ませていた。後で自らの魔術で汚れを取れば、元の綺麗な純白へ戻すことが出来るからである。これもまた、長い鍛錬の成果であった。
そんな中で、ふと100000人のレインは、他の100000人の自分がどうなっているのか気になり始めた。同じ姿形に同じ考えを持つ彼女たちだが、記憶に関しては鍛錬を始めた直後からずれが生じている。一方は剣術でたっぷり汗を流し、もう一方は魔術を習得しようと必死である。そして、それぞれとも相手の様子がどうなっているのかは分からないのである。
「ねえ、あっちも順調?」新しい魔術を教えてもらってるの?」どうなの?」気になる……」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」どうなの?」……
10000もの同じ声で一斉に質問攻めに遭う魔王だが、一切動じる事無く、正確にあちらの様子を伝えた。新しい魔術を教えた事、レインたちが困惑していた事、そして自身が敢えてその魔術が今後どのように役立つのか教えなかったことも含めて。
「え、どうして教えなかったの?」
「当然だ、目的を教えればそれ以外何も学ばなくなる。お前は応用性を重視しているのではなかったか?」
「……そうか、確かに……」「そうだよね、色々と使えたほうが良いし」「うんうん」
汚れを一瞬にして落とす魔術も、自らに漆黒のオーラを纏わせて空を飛ぶという魔術を応用したものである。自らに与えられた様々な傷や汚れなどが、オーラによって一瞬で弾き飛ばされ、元の健康的な肌に純白のビキニ衣装と言う美しい姿を復元させる事が可能なのだ。
精神面でも技術面でも大変な鍛錬だろうが、きっとレイン・シュドーの事だから、今日のうちに覚えてしまうだろう。そのような事を考えているうち、100000のレインにある考えが浮かんだ。今のように、別々の場所にいる自分たちが別の記憶を持つというのは、今後色々と不都合が出てくるかもしれない。だったらいっそのこと、レイン・シュドー全員が、一つの記憶を共有するというのはどうだろうか、と。
「……それも1つの考えだな」
「でしょ?」「ねえ魔王、これならもっと効率的に出来ると思うんだけど」「そうそう、別のレインの鍛錬とかもすぐに身につくし」
「……だが、その必要は無い」
「え……!?」「どうして!?」「だ、だって……!」
今の状態を繰り返せば、自分は勿論、魔王にも無理が来てしまうかもしれない。それでも大丈夫なのか、と心配そうな言葉をユニゾンさせながら、100000の同じ女性たちは一斉に不満混じりの声をあげた。だが、それでも魔王は一切動じる事はなかった。そう、これだけの人数の同じ姿形の存在がいても、気を動転させるどころか全く揺らぐ事がない冷静さを、魔王は持ち合わせているのだ。
そして、魔王は厳しい口調で告げた。そこまで心配されると言う事は、自分にとっては舐められている事と同等、身の程を知れ、と。
「……そ、そうよね……」「魔王、私たちより……」「で、でも……!」
「いちいちこちらに構うな。お前たちは、お前たちの目標に突き進めば良い。
この『魔王』を、倒したいんだろう?」
その願いが叶うまでには、まだまだたくさんの鍛錬が必要だ。だから、『心配』などと言う余計な感情は忘れて、必死に鍛錬を続けろ。
無表情の仮面の中から聞こえた魔王の言葉は、不思議とレインの心を暖かくした。目の前にいるのは、人間たちを苦しめ続け、間接的にレインを『勇者』たちや人間世界から追放させることになった存在のはずである。だが、それでも彼女ははっきりと感謝の言葉を告げた。告げなくてはいけない、と思ったからだ。
「……ふん」
相変わらず、去っていく魔王の返事はそっけなかった。だが、100000人ものレインの心には再び闘志が燃え上がってきた。ちょうど彼女を待っていたかのように、闘技場の土からは再び大量の魔物が現れ、戦闘態勢に入っている。
気を引き締め直したレイン・シュドーは、自らの腕を磨き上げるため、世界を平和に導くため、そして魔王を倒すため、再び鍛錬に取り組み始めた……。