レイン対魔王(1)
「はあああっっ!!」
純白のビキニ衣装と熱い闘志を身に纏うかつての女勇者レイン・シュドーと、彼女を支配し、そして導き続けてきた魔王――この世界そのものを支配する権利を巡る最後の戦いは、レインの気合の入った掛け声から始まった。彼女の手に握られていたのは、体から無限にあふれ続ける漆黒のオーラを用いて創造した一本の剣。ずっと昔――いつ手に入れたかも覚えていないほど昔から彼女の戦いの舞台に必ず存在していた、文字通り体の一部であった。これだけでは何の力もなく、特別な名前もないごくありふれた銀色の剣だが、レインが一度それを持てばたちまちどんな存在でも切り裂き、時に相手の攻撃を跳ね返す盾にもなる強靭な武器へと変貌するのである。
だが、今回はそんな剣の力をもってしても楽に勝てる相手ではない、とレインはずっと考えていた。
「ぐっ……っ……はあっ!!」
いきなり進路を見えない壁が塞ぎ、魔王のもとに近づけないと言う事態にも、彼女はしっかりと対処できたのも、そういった用心のお陰だったのかもしれない。
ずっと昔、自分の実力を知るために魔王に戦いを挑むという無謀な行動をした際にも、レインは同じような妨害を体験していた。その目ではっきりと魔王の姿を捉えているのに、その周りの空気がまるで頑丈で分厚い壁のように変貌し、彼女がどれほど力を振り絞ろうとも突き破れず、それだけで多大な体力と漆黒のオーラ、そして自分自身の数を浪費してしまったのである。だが、無我夢中で壁を破ろうとしたあの時とは異なり、今のレインは幾多もの戦いを経ていた。漆黒のオーラによって生み出された剣を使って根気強く壁を切り裂き、魔王への道を創り続けていたのである。勿論、ただ闇雲に剣を振り回し、直進を続けるだけではない。
「……!!」
突然レインの体の左右から感じた、まるで強大な力に押し潰されるような感覚にも、彼女は混乱せずに対処し続けていたのである。この『見えない壁』の正体は魔王が一瞬で張り巡らせた漆黒のオーラそのもの。上下左右前後から次々に現れ、彼女の動きを封じると同時にその体を捻り潰そうとしているのは、そのオーラの濃度をどこまでも濃くした代物である。ならば、それ以上に濃いオーラを体から一瞬でも発せば、逆に『壁』を弾き飛ばす事も可能である――以前の戦いで得た反省を活かせる事にレインは僅かながら嬉しさを覚えたが、それに浸る暇はほとんどなかった。少しでも気が緩めば、彼女の侵攻はすぐ魔王の強大な力によって止められてしまうからだ。
「ぐっ……腕……かっ……はあっ!!!」
目視する事ができない力の前に序盤から悪戦苦闘を余儀なくされながらも、それでもレインは幸いにも無傷のまま魔王の元へ少しづつ近づいていった。ただ、それは本当に『ほんの僅か』の距離、最初に彼女が立っていた場所から十数歩だけしか進めないままであった。そして、そんな彼女を嘲り笑うかのように、漆黒の衣装で全身を覆っていた魔王は一切微動だにせず、じっとレインのいる方向へ無表情の仮面を向け続けていた。あの時――数の力なら魔王を打ち砕けるかもしれない、と淡く愚かな期待を抱いてしまった過去の自分が見た光景と、全く同じ構図であった。
諦めろ、所詮は繰り返しだ――もし自分があの魔王の立場だったら、そのような事を考えながら見つめているだろう、とレインは思った。懸命に『見えない壁』の猛威に対処しながらも、彼女は心の中に『もう1人の自分』を作り、別の視点から様々な事を考える余裕を維持する努力を続けていたのである。冷静さを失って襲い掛かり、魔王の術に引っかかるような真似だけは絶対にしたくないからだ。とはいえ、魔王が延々と作り出し、その行く手を妨害し続ける『壁』が、幾ら切り裂いても現れ続けて四方八方から彼女に立ちはだかり続けているという状況はなかなか変わらなかった。
「……ぐっっっ……!!」
時には、腹に握りこぶしを突かれたかの如く衝撃を受け、天高く飛び上がらせられる事もあった。それでもレインは決して諦めず、根気強く周りを覆う『壁』を切り裂き、魔術の力で溶かしたりもしながら魔王のもとへ近づこうと懸命だった。だが、同じ状況が文字通りダラダラと続き、まったく勝負にならないことに対して、彼女はほんの僅かだが苛立ちを覚え始めていた。それはまさしく魔王の思う壺である、という自制心も勿論あったのだが、自分が明らかに不利になっているこの状況で一度湧き出た心を押し留めるのは容易ではなかった。
「うぅっっ……!!」
そして、状況を打開できない自分への苛立ちが一瞬だけ脳天に達しかけた時、彼女はある発想に行き当たった。昨日までの彼女なら、そんな事はあり得ないだろうし、真実だとしても口に出したら魔王がどのように動くか分からない、と諦めかけていたであろう考えである。だが、あの無表情の仮面の中から滅多にその心を見せない以上、何故『壁』を作って妨害し続けているのか、と言う真実は分からない。だったら万に一つ、自分が抱いたこの楽観的でうぬぼれ過ぎている考えも嘘だとは言い切れないのではないか――。
「魔王っ……!」
「……」
――意を決したレインは、一段と固くなった『壁』に剣を押し付け、オーラの力を込めながら大声でその思いを伝えた。
そんなに、自分が怖いのか、と。
「……魔王……強くなった私から……逃げるつもり……!?」
自分からの攻撃を受けたくないから、そんなに無限に障壁を作って自分が近づくのを避けているのか、自分の体力は無限にあるから幾ら膠着状態にしても無駄なだけだ――自分自身の口から、魔王相手にそんな言葉がすらすらと出てしまうと言う事に、レインは内心驚いていた。何をやっても勝てないと思いこんでしまうほどの力を幾度となく見せつけ、屈服を通り越して尊敬の念すら抱いてしまったあの魔王にである。だが、一度出た言葉は止まることなくレインの口からあふれ続けた。まるでその挑発そのものを武器とし、魔王に突きつけようとしているかのようであった。そして、彼女はその勢いのまま、自分なら決して言わなかったであろう一言を放ってしまった。
「この……臆病者っ……!!」
その響きが耳に入った直後、当然ながら彼女の心は一瞬だけ青ざめた。決戦の場とはいえ、未だに魔王に攻撃を1つも行えないまま自分がとんでもない言葉を言ってしまったという事実を痛感したのも大きかった。だが、それでも彼女はこの場に及んで沸いてしまった恐れの心を何とか押し留めるかの如く、再生を続ける『見えない壁』に剣とオーラを懸命に当て続けた。言葉を突き付けることしかできない、自分への悔しさをこらえながら。
だがその直後、事態は突然動き出した。
「!?」
魔王の掌がほんの僅かだけ握られたように見えた瞬間、彼女の周りを取り囲んでいた『壁』が唐突に消え去ったのだ。
当然それらに力を籠め続けていたレインはバランスを崩し、体が地面に横たわりかける事態に陥ったのである。しかし、その柔らかな胸や大胆に露出した腹、そして太腿が荒れ果てた地面に叩きつけられる直前、彼女は魔王が何を考えているか察知し、一瞬でここから離れた別の場所へと移動し、体勢を立て直した。
このまま魔王の至近距離に赴けば剣の一打でも与えられたかもしれないが、そのような事を考える余裕をレインは作る事ができなかった。当然だろう、もしあのまま何も気づかず、地面にその身を横たえてしまったら――。
「……」
――魔王が放った、光と闇が混濁した禍々しいオーラの渦の中に飲み込まれ、レイン・シュドーという存在は文字通り一寸の欠片も残すことなくこの世界から消え去っていたかもしれないのだから。
「……魔王……」
彼女の呼びかけに、魔王はそっと顔の向きを変えながら冷たい言葉で応えた。これが『理由』だ、と。
「……私を限界まで苛立たせて、冷静さを失わせる……そうよね……?」
「……何故、わざわざ口に出す?」
「確認のためよ……」
ならば、こちらもはっきりと口に出してこれからの戦いを『確認』する、と言う前置きとともに、魔王ははっきりと告げた。
その『臆病者』とやらがどこまでも気に食わないのなら、正々堂々と打ち負かしてみろ、と。
「……そう来なくちゃ」
勝てる見込みなんて、正直ほとんど無に等しかったが、それでもレインの顔からは心に湧き上がる嬉しさが滲み出ていた。
例え全てが無に還っても、本当の意味での魔王の『決戦』がようやく行えるだけでも、彼女にとっては光栄に思えたのだから……。




