レイン、躊躇
平和な時間を貪り食い、恩を忘れて怠惰に過ごす愚かな人類にこれ以上この世界を汚させないために、あまねく全ての命を自分と同じ純白のビキニ衣装の絶世の美女『レイン・シュドー』へと変貌させる――最初はどこまでも果てしなく、途轍もない時間がかかるだろうと考えていたこの目標も、幾多もの困難やそれを凌ぐ様々な達成感を味わっているうちに、気づけばあと少しで手に届きそうな所にまで来ていた。
最早人間たちに残された場所はたった1つ、そこを制圧したのち、敢えて最後まで生き長らえさせていた諸悪の根源を打ち破れば、この世界に息づくあらゆる命は、レイン・シュドーか彼女に付随したものに変わる。世界中で日々増え続けるレインたちの心には、間もなく訪れるその瞬間への高揚感が溢れ始めていた。だが、同時にその目標を達成した後に待ち受けている、もしくは目標を達成するために越える必要がある、最後にして最大の壁が未だに立ちはだかっていると言う事も、レインたちは忘れていなかった。そして、彼女たちは未だにその『壁』――魔王の所在を掴めないままでいた。
「「「……やっぱり一切感じないよね、レイン……」」」
「「「「うん……」」」」
かつて最大の仇であった魔王にその命を救われてから、毎日レインがその剣術、魔術、そして増殖の腕を磨き続けていた闘技場で、彼女たちはその日も神経を尖らせ、魔王の行方を探っていた。日々の鍛錬の合間を見つけては、レインたちは自分たちの記憶の中にある魔王の痕跡を懸命に思い出し、その体を構成しているであろう漆黒のオーラの行方をあちこちから見つけ出そうとしていたのである。だが、結局今回も無駄骨に終わってしまった。彼女が感じた気配は、ごく僅かな人間たちや動植物以外、全てがレイン・シュドーと同じものだったのである。
一体魔王はどこへ消えたのか、ここから遠く離れた会議場で何度話し合っても、遠く離れた自分同士で何度情報を共有しあっても、一向にどのレインからも名案が出ることはなかった。全員ともビキニ衣装に包まれた胸や腰のサイズ、滑らかなお尻、そしてその豊かに膨らんだ胸の中にある心の中は全く同じなので、ある意味当然の結果かもしれない。ただ、それ故に彼女たちはかつての愚かな人間たちのようにダラダラと不平不満を述べることなく、あっさりと気持ちを切り替えることができた。どうせ今回も無理だったのだから、そちらよりもまずは自分たちの実力を高め、いつでも魔王を迎え撃つ準備を重ねるほうが優先事項だ、と。
「「「……よし、じゃあまたやろうか、レイン」」」
「「「「うん、そうしようか」」」」
そして、地平線が見えるほどに膨れ上がった巨大な闘技場の中で一斉に並び立ったレインは、悪戯気に目線を合わせあった後、空間の中に指を鳴らす音を響かせた。その直後、レインたちの数があっという間に2倍に膨れあがった。
「「「「「「お待たせ、レイン♪」」」」」」
「「「「「「こっちこそ待たせてごめんね、レイン♪」」」」」」
この場所から遥か遠くの地下で絶え間なく増産されている、レインとはほんの僅かな部分が異なる出来立ての『ダミーレイン』が、レインと同じ数だけ一斉に送り込まれたのである。その目的は、双方とも記憶や経験を完全に共有していない状態のまま、命を奪うことも辞さない実戦形式の鍛錬を行う事だった。相手のレイン・シュドーを『魔王』と仮定した上で、本番さながらの戦いを繰り広げる、と言う訳である。
そして、今回もまた真剣な表情のまま並び立ったレインは、相手の出方を注視するかの如く静かに目の前のレインを睨みつけた。確かに目の前にいるのは自分と全く同じ姿と心を持つ相手だが、だからこそ命をも懸けた真剣勝負を挑まないと自分自身に対して失礼だ――そんな崇高な意識が沈黙の時間を包み込み始めたその時――。
「「「「「「「はぁぁぁっ!!!!」」」」」」」」
「「「「「「「「「「「ぐっっ……はああっ!!!!」」」」」」」」」」
――喉が裂けそうなほどの大声を張り上げながら、レインたちは一斉に目の前の自分へ攻撃を始めた。純白のビキニ衣装から覗く美しい腹筋に大穴を開けるべく大量のオーラの球体を放ったり、その美しい首を体から切り離すべく剣で切り裂こうとしたり、あらゆる手段を用いてレインは目の前の自分の命を奪おうとしたのである。勿論、そのような事をしても今のレインたちは決して命を落とす事はない、と言うことはどの彼女もしっかり認識していた。顔が入りそうなほどの巨大な穴が腹に空いてしまっても、今の彼女は瞬時にそれを漆黒のオーラを使って塞ぎ、体力もあっという間に回復させる事が出来るし、例え首が体から離れていったとしても――。
「「「「ふふふ……はああっ!」」」」
「「「ぐっ……流石ね、レイン!」」」
「「「「そっちこそ、的確な攻撃よ、レイン!」」」」
――鮮血のように飛び散った漆黒のオーラを含め、瞬きよりも速い時間で新たな純白のビキニ衣装の美女となって再生し、数の力で逆襲をすることが出来るからである。
攻撃を受ければ受けるほど、自分の数が増えていく――長年心の中で描いていた夢のような力を存分に発揮し、自分の実力を確かめ合う一方、レインたちはこの鍛錬の中でもう1つ重要な事を意識し続けていた。現段階で自分たちにとっての敵はただ1人、途轍もない力を擁するであろう『魔王』のみ。その凄まじい実力を、どこまで自分たちは模倣することが出来るのか――何度も何度も魔王対策の鍛錬を行う中、レインたちはそちらも考えるようになっていたのである。
現実の魔王がどんな手を出すかと言う事について、レインたちは完全に言い当てることが出来ないままであった。当然だろう、魔王はその銀色に鈍く輝く仮面や夜よりも暗い漆黒の衣装に全ての真意を隠し続けているのだから。だが、それでも今までの経験を基に、レインは魔王が繰り出すであろう様々な攻撃、レインの息の根を止めるべくその攻撃を当てるであろう部位、そして戦う合間に放たれる皮肉交じりの言葉の数々を、彼女はできるだけ再現するよう心掛けたのである。
「「「「はああっ!!」」」」
「「「「「ぐっ……だああああっ!!」」」」」
自分はレインであると同時に、相手にとっての魔王である――その意識を強める中、少しづつレインは魔王に対して少しでも対抗できるであろう手段を身につけ始めていた。相手をどこまでも甚振り、苦しむ様子を見続けることが多い魔王ならば、相手が不死身であろうとお構いなしに攻撃を続け、相手がそれを防いだり再生させることに重点を置かなければならない状況に追い込むはず。そして相手がその果てしない攻撃を前に一瞬でも隙を見せた時、それを突いて息の根を止める一撃を食らわせるだろう――レインたちは心の中でそう考えていたのである。勿論、こちらが相手の攻撃を跳ね返す形で防御を行ったとしても、魔王はその攻撃を自分の体ですべて吸収してしまうか、当たる前にそもそも無効化してしまうだろう。そう考え、レインは相手の自分の攻撃を敢えて避けず、全て自分の身をもって受け止めるよう心掛けたのである。
「「「「ふふふ……楽しいわね、レイン……」」」」
「「「「本当ね……レイン」」」」
きっと魔王も、同じように自分にまだ余裕がたっぷりあるように告げるに違いない――互いに言い合ったレインたちは、ここで最後の一撃を相手に食らわす覚悟を固めた。もし、今の自分の実力が魔王に肉薄できるレベルまで上がり、少しでも魔王の心を揺るがす事が出来たとしたら、きっと魔王はこのような攻撃を行うに違いない、と。
かつて、今よりも格段に未熟だった頃、レインは魔王に無謀な挑戦を挑んだ時があった。自分の力を知りたい、と言う思いだけで、何兆人もの大群で魔王に立ち向かったのである。だが、結果は無残なものだった。数の力をもってしても、レインは魔王に傷一つ負わすことが出来ず、代わりに自分たちが心にも体にも傷を負う事態になってしまったのである。しかし、その頃から格段に強くなり、当時は一切抵抗できなかった『光のオーラ』をも自分の力にしたレインは、その時の魔王が放ったであろう攻撃を完全ではないかもしれないが模倣できる実力を身に付けていた。それも、単に能力を真似するだけではない。
「「「「「はあああっ!!!!」」」」」
目の前にいる敵を、完全にこの世界から消滅させると言う、どこまでも冷たく残酷な意志をも、彼女は再現できるようになっていたのである。
だが、その『殺意』を込めて放った、光と闇が入り混じり、辺りの空間を削り取るかの如く進み続けたオーラの塊は、互いのレイン・シュドーの体に届くことはなかった。
「「「「「あっ……!!」」」」」
「「「「「「「しまった……!!!」」」」」」」
これでもう何十目になるだろうか。今回もまた、レインは目の前にいる存在をこの世界から完全に消し去る、つまり『無』に変換すると言う鍛錬に失敗してしまった。レイン・シュドーもダミーレインも全く同じタイミングであのオーラの塊を放ってしまい、双方のオーラ自体が互いを打ち消しあってしまったのである。
「「「「「ごめんレイン……やっちゃった……」」」」」
「「「「「こっちこそごめん……私もつい……」」」」」
そして、鍛錬を中断したレインたちは、あのオーラが完全にこの世界から消え去ったのを確認したのち、互いに申し訳なさそうに謝った。本当はあまりこのような表情は作りたくないし、見たくもなかったのだが、どうしてもこのような顔にならざるを得なかったのである。
魔王に出来て自分に出来ない事――レイン・シュドーと言う存在を完全に消し去る、と言う冷たい心を、どれだけ鍛錬を積もうと再現できないままだったのだから……。




