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旅人と親子

 ダミーレイン、軍師ゴンノー、そして勇者トーリス――恐ろしい『魔物』により、世界が滅亡へと近づく中、最後の希望となっていた者たちの消息が分からなくなってから、どれほどの月日が経っただろうか。人間たちからは毎日のように明日への希望や喜び、幸せと言った感情が失われていき、それらを繋ぎ止めようとする勇気もすり減り続けていた。他所の町や村がどうなったのかすら知る事が困難になる中、命を自ら絶つ者まで現れるほどだった。

 そして、前向きな感情が薄れ続ける中、人々はますますその愚かさを露にし続けていた。世界最大の都市から数日おきに届く様々な配給物資に頼って生きていくほかない彼らの中には、それらの質や量だけでは満足せず、他人が必要な分まで様々な理由をつけて奪う者がいたのである。それは、美しい渓谷に囲まれていたはずのその村も同じだった。『魔物』の手によって渓谷のほとんどが奪われ、天まで届くほどの巨大な漆黒の半球に包まれてしまってから、人々の心は荒んでいった。力の強い者が暴力を振るったり、村の権力者がその地位を駆使して無理やり他人の配給物資を強奪したりするような事態など、過去には考えられなかった。

 そして、一度墜ちてしまった人々の心は二度と元の清らかな状態に戻らなかった。


 もうこの場所で生きていく事は出来ない――そう決意した1人の女性が、大事な2人の子供を連れてこの村を脱出したのは数日前の事だった。どこへ逃げればよいかなど全く分からない、でもこの場所にい続ければ魔物に襲われる前に人間たちの手で命が奪われてしまう、自分はそれでも構わないが、この大事な我が子の命だけは助けたい――母としての思いが、彼女を突き動かしたのである。


 しかし、それもまた結果として、非常に愚かな行為になろうとしていた。


「うええええええええん!!」

「お願い……お願い……泣かないで……」

「おなかすいたよおおお!!たべたいよおおお!!」


 どこを見ても漆黒の球体が覆い尽くしている、完全に変わり果てた渓谷には、この親子を養うだけの食べ物や飲み水は十分に無かったのである。空腹に耐えかね、泣き出す子供たちを前に、彼女はただ2人をあやし、自分の無力さを痛感する事しかできなかった。自分は何故このような事を選んでしまったのか、やっとの思いで見つけた洞穴の中で、彼女もまた静かに涙を流し始めてしまった。



 そんな時だった。誰も来ないはずの洞穴に、突然何かの物音が響いたのは。それが人の足だと気づいた瞬間、彼女は慌てて子供たちを自分の元へと引き寄せ、抱きしめた。突然のことに驚く2人の子供も含め、ここにいる全員がその音の主に怯えと警戒の念を強めた。あの村で暴れる男たちや暴虐の限りを尽くすようになった権力者の手下が、自分たちを引き戻しに来たのではないか、と母親は恐怖に包まれた。


 だが、その絶望が極度に達した瞬間、3人が見たものは――。


「……えっ……?」

「「……だあれ?」」


「あ、あの……わ、私、別に怪しいものでは……」



 ――これまで一度も会った事がない、どことなく健康的な肌をほつれた服から僅かに見せる、旅人のような恰好をした1人の女性であった。


~~~~~~~~~~~~~


「本当に、本当に……ありがとうございます……!」

「いえ、気にしなくても……むしろ、たくさん持ち過ぎたもので……」


「おかわりー!」

「ぼくもー!」

「はい、まだあるから大丈夫だよ」


 つい先程まで、絶望と恐怖のみが支配してた洞穴の中は、この世界で久しぶりに生まれたかのような笑顔と安心感に満ち溢れていた。空腹で動く事すらままならなくなった親子の命は、長旅のために大量に仕入れてきたという『旅人』の持ってきた食料で繋がれたからである。決して絶妙な美味と呼べる代物では無かったが、特にずっと満足にお腹を満たせなかった2人の子供たちにとっては最高の御馳走のようだった。


 その様子に、今度は感謝と歓喜の涙を流しながら母親は旅人に礼を言った。そして、こんなに沢山の食料をどこから持ってきたのか、貴方はどこからやって来たのか、など、思った事が次々言葉に出てしまった。それはまるで、故郷である村が荒み切る前の彼女に戻ったかのようであった。


「それから、貴方は……あ、ごめんなさい……つい安心しちゃって……」

「いえいえ、『誰か』と話すなんて久しぶりですから」


 そして、この旅人もまた様々な苦労を経てここにたどり着いた事を彼女は知った。そもそもほとんどの町や村がダミーレインなしでは成り立たず、配給に頼らざるを得ない状況の中、こんなに大量の食料を用意するためには、並大抵の努力、正当なやり方では不可能である。温和そうな瞳の中に、彼女は旅人の抱えた苦難を感じ取ることが出来た。


 やはり、どこへ逃げても希望なんてないのかもしれない、と彼女はそっと言葉を漏らした。お腹が満たされたことで元気を取り戻し、互いにはしゃぎ始めた子供たちの気を削がず、近くにたたずむ黒髪の旅人にだけ聞こえるように。

 

「……貴方も、逃げてきたんですか?」

「ええ……あの村にこのまま居続ければ、あの子はきっと……」


 その後に続く言葉を、彼女は言い出せなかった。1人の母親として、絶対に想像したくない光景だったからである。だが、つい先程まで自分はその最悪の結末を自分自身で導こうとしてしまった、一番やってはいけない方向に動いてしまった――まるで懺悔をするかのように、彼女は旅人の体に身を委ねるような姿勢を取った。結局自分1人だけではあの子たちを救えなかった、と言う、自らの『愚かさ』への後悔の念が、その表情に現れていた。


 辛い気持ちに打ちひしがれかけた時、彼女はその頭に、旅人の掌の温かさを感じた。貴方は決して愚かな存在ではない、と励ましながら。



「もし貴方が行動に移らなかったら、きっと後悔したまま全てが終わったかもしれません」

「でも、私は……私だけの力では……」

「貴方は強い人です。ずっとこの子たちを守ろうとしてきたじゃないですか」


 

 どんなに辛く苦しい目に遭おうとも、大事な者を脅威から守り続けようと奮闘する、その心を持っているだけでも、この世界の中で希望が掴める可能性が高まるものだ――少し照れ臭そうな表情を見せながらも、旅人は優しく、それでいてしっかりとした言葉で彼女に思いを伝えたのである。

 そして、そっと旅人に促されて横を見た彼女が見たものは、少し心配そうに見つめる2人の子供の姿だった。母親である自分の弱いところを見せてしまった、と言わんばかりに一瞬焦りの表情を見せてしまった彼女だったが、その心配は杞憂だった。



「お母さん、僕たちお母さん大好きだよ。だから泣かないで」

「大丈夫だよ、俺大きくなったら絶対みんなを守る勇者になるから」



 美味しいご飯のお陰で、子供たちの中に元気と同時に勇気も戻ってきたようであった。

 まだその顔は以前のようなわんぱく坊主とは程遠いものであったが、それでもほんの僅かだけ希望の炎が子供たちの中に燃え始めた様子を見て、母親は自分の眼に流れ始めたうれし涙を慌ててぬぐい、笑顔を見せた。

 そして、2人の子供は自分たちを救ってくれた旅人に言った。大きくなったら、あの『レイン・シュドー』のような格好良い勇者になって、悪いことをしてるやつをやっつけて皆を守るんだ、と。ずっと昔――まだ世界がそれなりに安泰だったころ、幾度となく母親や近所の人たちに言い続けていたその夢の言葉を、2人は久しぶりに声に出す事が出来た。


 その様子に、旅人は優しい笑顔を見せながら言った。


「大丈夫、その心を持っていれば、きっとなれるよ」



 気付けば既に辺りは暗くなり、辺りを埋め尽くす漆黒の半球と同じくらいに真っ黒な空がすべてを覆い始めていた。そんな状況で4人を照らすのは、旅人が用意した明かりだった。それもただの明かりではなく、『魔術』の力を使うという、親子も滅多に見たことがないものだった。


「他の人たちの力に比べれば大した事はないですが……」


「いえ、こんなに明るくなって……しかも、優しい光で……」

「「すごおい……」」


 今度は、旅人の方が親子から励まされる番になった。


 やがて、その仄かな光が安心感を与えたのか、子供たちが大きなあくびをし始めたのを合図に、4人の体をうっすらと眠気が包み始めた。久しぶりに思う存分食べたご飯が、ようやく皆を静かな世界に誘い始めたのである。

 明日からは、この不思議だが優しい旅人も親子と共に同行してくれる事が決まっていた。行く当てもない、どこに目的地があるかすらわからない放浪の旅だが、こんなに頼もしい存在が一緒にいると言うだけでも、親子にとっては大きな救いになったのは間違いないだろう。3人の中心の中に、失いかけていた『希望』や『勇気』が確実に蘇り始めていた。



「私はもう少し起きてます。皆さんはぐっすり休んでください」


「ありがとうございます……ほら、挨拶」

「はーい……おやすみなさーい……」

「お姉さんお休みなさい……」


 そして、最後に母親が小さな声で就寝の挨拶を告げたのを最後に、3人の正しき者たちは静かな眠りに就いた。互いの体を温め合うかのように近づき、久しぶりの安らかな時間を楽しんでいるような笑顔の親子に向け――。



『……ずっと、おやすみなさい』


 ――皆が憧れる勇者、レイン・シュドーと同じ声をかけた……。 

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